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「ここがジリーアです」
マーガレットに連れられて外壁の直下まで来たが、壁は煉瓦や石のようなものを固めて作られており、手で直接触れて押し込んでもピクリともしない。
「様々な魔物が多く出現することもあって、壁はとても頑強に作られていますし、この周辺地域にはワーカーや衛兵が警邏しています」
「町に入るための門は東西南北の四か所に設置されていて、ここから一番近いの西門ですね。時計回りに動きましょうか」
彼女はそう言うと壁に沿って歩き始めた。
「ケイトさん。ご存知かもしれませんが、ある程度大きい町ではあまり物々交換というのは行いません」
「貨幣が必要になるってことですか」
「はい、そうです。貨幣として用いられるのは――この、金貨、銀貨、銅貨です」
マーガレットは例のように袋から三種類の硬貨を取り出すと、手のひらに乗せて見せてくれた。
3つの硬貨はあまり大きいわけではなく、直径として見ても2センチか3センチ程度に見えた。純銀や純金ではないのだろう、鈍い光沢が彼女の白い手の上で輝いている。
「硬貨の中の金属含有量によって価値が上下しますが、周辺の国々もこのような硬貨での取引が主流ですね」
「おぉ」
ちゃんとしてる……なんて言葉は失礼か。俺は続く言葉を口の中で押しとどめ、コクコクと頷くのみだった。
「ふふ、ではこちらを」
俺を見て何か面白いのか、彼女は小さく笑いながら俺の手を取って、手に持っていた硬貨をそのまま俺に渡してきた。
彼女の汚れ一つない綺麗な両手が蛇のようにゆっくりと、俺の右手首や指に絡みつく。その感覚に驚いた俺は、慌てて手を引っ込める。
彼女の表情を確認すると、いたずらが成功したと喜ぶ子供のような笑顔で俺を見ていた。
「驚きましたか?」
「いや、本当にもう。すごく驚いた」
俺の言葉に気を良くしたんだと変化していく表情で良く分かる。マーガレットは続けて袋から、大きめのメダルのようなものを取り出し、俺に渡そうと手を伸ばしてきた。
「それは?」
「これは、私の家紋――のようなものです」
その言葉と共に手渡されたメダルを見てみると、何かの模様のようなものが刻まれている。
「ジリーア――この町を含めて多くの町では、身分を保証できない者に斡旋できる仕事というのはそう多くありません」
「ワーカーとして認定されるのに時間が掛かってしまいますし、ワーカーになってからもある程度、町で知られるようにならなければ、相応の仕事は斡旋されません」
彼女は俺の手の中に収まったメダルに指を指した。
「このメダルはセレモア家の家紋を刻んだものです。この町で身分の証明として使用する分には困ることはないかと思います」
「これをいただいてもよろしいんですか?」
「はい。ドラゴンとの戦いで救っていただいた恩もありますし、こういったところで恩返しをさせてください」
ありがたく、と続けてメダルを受け取った俺は、履いていたズボンのポケットに、受け取ったメダルと硬貨をしまいこんだ。
もう数分もないくらい歩くと、すぐに10メートル以上の高さがある大きな門が見えた。
「ここが西門です」
「大きい……な」
上から下まで見て、ここまで大きい門を毎回開けているのかと思っていたが、マーガレットは大きな門の隣に取り付けられた駐留所のような建物が見えた。
壁の中にめり込むような形で取り付けられた駐留所の中には、幾人かの人間が滞在しているのが外側から確認できる。
「ケイト、西門に設置されている大門は、大量の荷物を入出させるときに使用するので、普段はこっちの小門を使用します」
彼女に連れられて小門と呼ばれる建物に来た俺たちを迎えたのは、軽鎧のような比較的ラフな格好をした衛兵たちだった。
「あ! セレモア様!」
「セレモア様が戻られた!」
やいのやいのと騒いで建物の中から人が続々と出てくる。
ちょうど9対1くらいの男女比割合だったが、全員がマーガレットの名前を「セレモア様」と呼んでいる。
衛兵全員が安堵の表情を浮かべていて、彼女がどれだけ慕われているのかを理解するのは難くない。俺は彼女の二歩ほど後ろを付いていくことにした。
「セレモア様、ご無事でしたか!」
「えぇ、どうにか。皆も怪我はないようですね」
「ドラゴンの出現に合わせて活性化した魔物たちが多く暴れていましたが、殆ど怪我人は出さず、鎮圧に成功しています」
彼女は安堵した様子で笑みを浮かべ、それは良かったと頷いた。それからチラリとこちらに視線を向けて、彼ら衛兵たちに俺の紹介をしてくれた。
「こちらはケイト。私の命を救ってくれた命の恩人です」
「ケイトです」
彼ら、彼女らと比べて変わった衣服を着ている俺を見て異邦人だと思っていたのだろう。警戒した様子を隠さなかったが、マーガレットがわざわざ説明をしてくれたことで、視線での圧が和らぐ。
「ド、ドラゴンと戦ったのですか? セレモア様も、彼も?」
「……そうですね。成体級のファイアドラゴンと戦いました。とは言っても、殆ど彼に――ケイトに助けてもらっただけで、何も出来ていませんが」
「いえ、俺もマーガレットに命を助けてもらったよ」
「――いえ、そんな……」
透き通るような白い肌を持つマーガレットが頬を赤く染めた。恥ずかしそうにしながら否定しているその姿を見て、俺たちの話を聞いていた衛兵たちが何かヒソヒソと話し合っている。
「倒した時の破壊力が凄まじかったため、殆ど証拠が残っていませんが、これを見てください」
マーガレットが取りだしたのは、ここに来るまでの道中で見せてくれたファイアドラゴンの真っ赤な鱗だった。
「とんでもなく大きい鱗だ……上位級相当じゃないのか!?」
「ジリーア近辺にこんな強大な魔物が迫っていたなんて」
安堵、興奮、恐怖。感情が次々と流れ変わっていくのをジッと見つめていたマーガレットだったが、彼女は大きな声を張り上げた。
「大丈夫です! ドラゴンは討伐しました!」
安心させるため、改めて言い放った言葉を聞き、半分騒ぎになりかけていた雰囲気が少し落ち着いている。どれだけ彼女の行動や言葉が強い力を持っているかが垣間見えた。
「私は一度、町長に報告へ向かいます。皆さんも暫く警戒を強めてください」
そしてマーガレットはこちらへ向き直った。
「申し訳ありません、ケイトさん。今の話通り、私は町に入ったら一度、町長に報告へ向かいます。その……もしよろしければ、私と一緒に行きませんか?」
「一緒にですか……」
「はい。ケイトさんもお一人だと不安かと思いますのでいかがでしょうか?」
マーガレットは単純に俺のことを心配しているのだろう、記憶が殆どないという話をしているときは不安そうな表情で俺のことを見ていたし、少しでも様々な情報を与えようとしてくれている。
おんぶにだっこ、というわけにもいかないだろう。
「……ありがたい申し出だけれど、そこまでしてもらうわけにはいかないよ」
「あ……そう――ですか」
彼女は露骨に表情を曇らせて、不安そうに俺のことを見ている。俺は彼女の不安を取り払うように笑顔を浮かべて、話を進めた。
「大丈夫ですよ。それにずっと助けてもらっていたら、自分一人じゃ何もできなくなっちゃいますからね」
「――――」
マーガレットは俯いたまま何かを言っていたようだが、俺は聞き取ることができなかった。そもそも俺に聞かせるつもりではなかったのかもしれない。
数拍置いてから俯いていた彼女は顔を上げた。
浮かべている笑顔は柔和なままだが、俺は何故かその笑みから少しだけ恐怖を感じた。
「そうですか、それはとても残念です。とは言っても、どこかのタイミングで改めてお話を伺いたいので、また会うことは可能でしょうか?」
「そういうことであればいつでも大丈夫です」
俺が快諾するとマーガレットは少しだけ考えてから、壁の方――町に向かって指を向けた。
「ジリーアでは、朝、昼、夕方で3回鐘がなります。お昼の鐘まで時間があるかと思いますが、夕方の鐘が鳴ってから、『ワーカーギルド』の入り口で合流できますか?」
「大丈夫です」
「それはよかった。西門を入って真っすぐ進むとギルドは見えてきます。大きいのですぐに気づけると思いますよ」
「わかりました。何から何までありがとうございます」
そんな話をしながら俺は一時的にマーガレットと離れることになった。彼女が西門の奥へ消えていくのを傍目に、俺は数人の衛兵と向かい合わせで話を始める。
「記憶が殆どないだと?」
「そんな馬鹿な」
彼らが困った表情で眉をひそめているが本当に記憶がない。俺も困った顔で彼らと顔を合わせた。
「しかしセレモア様が問題無いと判断したのなら通すべきか?」
そういえばと、マーガレットに先ほど貰ったばかりのメダルをポケットから取り出す。金貨よりも一回り大きいメダルは手の中で美しく輝いている。
衛兵たちにこのメダルを見せると、先ほどの対応はなんだったのかと言うほどあっさり町の許可証を受け取ることができた。
「こんな簡単に許可証を渡していいんですか?」
許可証を渡した無精ひげの生えた衛兵に尋ねると、何を言っているんだという迷惑そうな表情で俺を見た後、「あぁ」と言って勝手に納得をした。
「お前は記憶がないって話だったな。セレモア家って名前も聞いたことがないのか?」
「覚えはないですね」
「……今俺たちが住んでいる大陸の半分以上を統治している国の名前がセレモアだよ」
男の言葉によって、俺が色々と抱えていた謎が解けていく。彼女の言葉の節々に感じられる品の高さ、身に着けている装備の上等さ、どれを思い出しても納得いくものだった。
「セレモア様――マーガレット・クイン・セレモア様は、セレモア王国第二王女、『聖騎士』の二つ名を持つ正真正銘、お姫様だ」