後編.二人の朝
朝がやって来た。
昨日まで、地底の底の昏き冥界のゴドラの地の次期魔王として、受けたくもない魔王教育を受けさせられていた最中エルフに召喚され、流れるように彼女の使い魔となった魔物の青年マオのもとにも朝は平等にやって来た。
与えられた寝台の上でむくりと身を起こす。窓から差し込む光に思いっきり顔を顰める。常に暗い冥界の出身であるマオには地上のこの白い朝日が眩しかった。
(……夢じゃなかった)
しょぼしょぼした顔でマオは首を横に振る。彼の顔は非常に整っていたので、そんな顔をしても切なげに憂いを帯びて見えるだけだった。
(寝て覚めたら、昨日のことは夢でしたっていつも通り自分のベッドの上にいると思ったのに……)
マオは溜め息一つ、それから「こうなったからには仕方ない。住めば都、きっと何とかなるさ」と考えて取り敢えず何の気なしに辺りを見渡した。
紫色のぼさぼさした髪のチビが床に積まれた本の山に頭から突き刺さっていた。
マオは思わず顔を窓に向ける。あら綺麗な青い空、紅い空が基本の冥界出身には珍しいわ。ところであのチビだあれ?
人はそれを現実逃避と言う。
「?」
何度見ても紫色のぼさぼさした髪のチビは床に積まれた本の山に頭から突き刺さっているし、何度お空に訊ねてもそれはマオの主人であった。
マオの主人となったエルフの少女はジジと言う。すらりと背の高いマオの腰にやっと届くかどうか、と言ったほどの背丈のちんちくりんエルフで、その小ささに似合わぬ恐ろしい量の魔力を持っている。
そんな彼女は昨夜、マオに「これ、ベッド、マオの」と寝台を指し示した後、そこから人ひとり分ほどの間を開けた隣の寝台に転がって眠っていた。ちゃんと掛布を胸まで引き上げてスヤァと眠っていたはずである。
しかし。ジジは今、床に積み上げられた本の山に頭を突っ込んで死体のようになっているではないか。その小さな背中は微かに上下しているので「死体のよう」なだけであって死体ではないのである。
現実逃避から帰ってきたマオは目を閉じて、眉根をきゅっと寄せ、首を傾げて考え込んだ。
彼は生まれてこのかた、この様な寝方をする生き物を見たことがなかったのでこの惨状を端的に説明する言葉を持ち合わせていなかった。
(なんて酷い姿だ……)
人はそれを「酷すぎる寝相」と言う。
―――――………
主人の最悪な寝相に途方に暮れていたマオであったが、このままではいけないだろうと考えて、ジジを起こすことにした。
「あ、主、起きろ、朝だぞ」
「ぴー、ぴー」
鳴っているのは鼻であろう。
「どうしてこんなとこで寝てるんだ、おかしいだろ……」
ジジは小さいので持ち上げられそうだと思ったマオは、少し緊張して息を止め、大きな手で彼女をそっと持ち上げた。
眠っている彼女の小さな身体は全力で脱力しており非常に柔らかく、ぐんにゃりと折れ曲がる。それにぎょっとしながら、マオは恐る恐る彼女を抱き上げた。
「あ、主、生きてるか……?」
「ぴー、ぴー、ぷ……」
小さな鼻息の音が止まる。それから伏せられていた長いまつ毛がゆるりと持ち上がって、その下から見る者を不安の淵へ叩き落とす様なぐるぐるとした橄欖石の瞳が現れた。
「ん……だれ」
「あんたの使い魔だよ」
「つかい、ま……」
ぐらんぐらんと揺れる頭。小さな身体に対して頭が丸く大きいので細い首が折れやしないか若干心配になる。
「つかいま、うー」
これはしばらく覚醒しそうにない、とマオは首を横に振った。
取り敢えずの処置としてジジを彼女の寝台に転がして、自分の寝台に腰かけたマオは昨日のことを思い返す。
マオの本来の名前はジジの魔力によって根源から書き換えられ、二人は主従の契約に結ばれた存在となった。
呆然とするマオの頬を気の済むまで撫で回したジジは「やった、つかれた」と座り込んだ。
そこへ黒いローブを身に纏った白い髭の老爺が物凄い勢いでやって来てそれはもうでかい声で「いったい何を召喚したんじゃジジーーーッ!!」と叫んだ。
「ん。おじい、ジジ、の使い魔、できた」
「なっ、そ、それが使い魔じゃと?!」
「ん」
「こ、このような高位の魔物を……はぁまったく、予想のつかぬことをやってくれるな、お主は……」
聞けばこの老爺は女王より双竜玉章を授けられた、エルフの国の最高位の魔導師であり、魔法学園の長でもあるそうだ。
つまりジジの行動を権力的にも魔法技能的にも押さえることができる貴重な人材なのだなとマオは理解した。
「名前、は、マオ」
「……なんじゃそのけったいな名は。ジジ、お主まさか、あー……」
魔導長は眉をハの字にして、あわれむような顔でマオを見る。どうやらこの人はマオの名前が上書きされたことに思い至ったようだ。
上書きした本人が思い至らないのはどうなんだ、とマオもしなしなになった青菜のような心地で魔導長を見つめ返した。
そんな二人の空気をものともせず、真ん中にいたジジが「くぁっ」と欠伸をする。
「ねむい、ジジ、ねる」
「……相当魔力を使ったようじゃな。何事もなさそうじゃから、もう休みなさい」
「ん」
魔導長はうとうとし始めたジジの頭をぽんぽんと優しく撫で、マオに「これからこの子をよろしくな、マオや」と言ってジジの研究室を出ていった。
そうして前述の話に繋がる。そんなふうに昨晩の記憶をマオが整理していたところで、寝台に転がされていたジジがむくりと起き上がった。
「ん、朝、起き、る」
「やっと起きたか」
おはよう主、と声をかける。
混沌の渦を宿した橄欖石の双眸がジーーッとマオを見つめ返した。
「マオ」
「ああ」
「おはよう」
どうやら今度こそ意識ははっきりしているようだぞ、とマオは安堵して頷く。
「おぉ……」
「なっ、なんだよ主」
寝台からするりと下りたジジが何やら感嘆の声を漏らしながらにじり寄ってきた。
「本物の、ジジの、使い魔……」
「んむっ、にゃに、するんだっ」
座っているマオの両膝の間に膝立ちになったジジが、小さな両手でマオの頬を挟んでこねこねすりすりと揉む。
「本物、だ……」
「どう、見たって本物だろ! あんたが喚んだんだから!」
「……ふふ」
抵抗するマオを気にすることなく揉みに揉んだジジは、やがてそう小さく笑ってその手を止めた。
「来て、くれて、嬉し、い」
「……そうかい」
うふうふ言いながら自分に抱きついた小さな主人を見下ろし、何とも形容しがたい心地でその感触を受け取るマオ。
彼は知らない。
ジジが、使い魔を求めて魔物を召喚するたびに、その魔力量に恐れをなされ、逃げられていたことを。
彼女が大喜びしている理由を知らない彼は「何なんだ……」と呟いて、恐る恐るその小さな頭を撫でた。
「大事に、する。よろしく、マオ」
「……こちらこそ、よろしく頼むよ、主」
マオの答えに顔を上げたジジは、ほんの少しだけ目を細めて小さく頷いた。
(ああ、これは主なりの笑顔なのか)
それに気づいたマオは出来心でジジの両頬をむにっと摘まんだ。
「に」
「……変な顔だ」
笑ったマオをジジはジーッと見上げていた。召喚した昨晩から困った顔や呆然とした顔ばかり見ていたので、彼が笑った顔を初めて見たのである。
その表情は、どこか困ったような、それでいて親しみのこもったものであった。
こうして不器用な二人は少しずつ歩み寄り、やがて唯一無二の主人と使い魔になってゆく。
シリエールが戦火に包まれても破れることのない絆を結び、過去の因縁を打ち払うことができる、そんな互いの唯一に。
これにて完結!
二人に興味の湧いた方は是非本編『銀星と黒翼』へどうぞ!!
この二人のことは作者も大好きなので、またいずれ『混沌系変人エルフと苦労性使い魔』は何かしら書くかもしれません。
リクエストありがとうございました!