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聖女レイア 03

 しとしとと雨が降り続く、空が暗く淀んだ日の朝。フランクール家の馬車で、セルジュとレイアは王都ツィーレから、東に位置する小さな地方都市カルタールへ出発した。カルタールへは、馬車で三時間程の距離だ。


 アンジェリーヌの非公式な依頼とあって、セルジュとレイアはあくまで個人的に出掛けなくてはならなかった。騎士の制服ではないレイアは、しかし淑女のドレス姿ではなく、多少女性用にアレンジされているとはいえ、セルジュとそう変わらぬデザインの服を身に着けていた。

 そんな格好をするから、アンジェリーヌに無駄に気に入られる。という内心の声を口にすることはなく、セルジュはレイアと向かい合って馬車に揺られていた。


「アンジェリーヌ殿下は、かわいらしい人だね」

「…………」

「従兄弟になるんだってね。アンジェリーヌ殿下はセルジュのことを、不器用だけど根は優しいって言ってたけど」

「…………」

「ずっと無視しているのも、疲れない?」


 セルジュはじろりと鋭い眼をレイアに向ける。レイアはそれを気にするどころか、その声に笑いを含んでさえいた。


「疲れるから、もう話かけるな」

「嫌だよ。まだ時間もあるし。せっかく二人きりなんだから」

「…………」


 これみよがしに大きなため息をついて、セルジュは不機嫌そうに、馬車に体を預けて両腕と両足を組んだ。レイアは相変わらず、からかうような表情でセルジュを見つめている。


「フランクール家があなたの妻に選んだのが、私で良かったね。そんな態度じゃ、普通の令嬢なら愛想をつかして出て行ってしまうよ」

「是非出ていってくれ」

「あいにく、離婚は一年後。もう忘れた?」

「…………」


 もう一度わざとらしく嘆息をして、セルジュは会話を強制的に終了するために、それっきり目を閉じた。さすがのレイアも、眠る人間を無理に起こそうとはしなかった。


 雨音だけが馬車の中を支配していく。道中、レイアはセルジュに話しかけるともなく、ぽつりとつぶやいていた。


「空が重い。こんな日は、闇が溜まりやすいんだ」


 アンジェリーヌの依頼は、以前彼女に仕えていた侍女のマノンについてだった。マノンは結婚を機に職を辞してカルタールに移ったのだが、お腹に宿った子供を早産で亡くしてしまい、それ以降どうやら普通の様子でないと聞く。心配なので見てきてくれ、というものだった。


 マノンの嫁いだブリュノ家を訪ねると、既に知らせを受けていた、マノンの夫であるカルタール男爵が真っ青な顔をして飛び出してきて、セルジュとレイアの前で何度も頭を下げた。


「大変申し訳ありません。このような場所までお越しいただき――」

「アンジェリーヌ殿下からお話はお聞きしています。夫人はどちらに?」


 屋敷に近づくにつれて、顔つきを厳しくしていたレイアが急ぎそう告げると、男爵は慌てて二人を中へ案内した。


「恐れ入ります。こちらに……」


 レイアが足早に進む。歩みを同じくしながらセルジュは、その部屋に近づくにつれて、なぜか息苦しくなるのを感じていた。


「医者もさじを投げてしまって。王都の聖女様に見ていただけるなんて、本当に何と感謝して良いか……」


 言いながら、男爵がその扉を開けた瞬間、セルジュは思わず息を呑む。なぜ男爵が平気な顔をして中に入っていくのか、理解できなかった。


「マノン。聖女様がいらしてくださった」


 部屋中に、黒い煙のようなものが充満していた。男爵にはどうやら見えていないらしい。部屋の中央で、男爵はベッドに横たわって虚空を見つめる夫人に声を掛けた。その蒼白の顔は、頬がげっそりと削げてしまっている。落ちくぼんだ暗い目をして、言葉にならない何かをぶつぶつとつぶやいている。


「見えてるんだね。瘴気だよ。セルジュは入らないで」


 と、隣で言ったレイアが、つかつかと部屋の中へ入り、マノンに近づいていく。


「カルタール男爵、離れて」

「はい、しかし……」

「これは病じゃない。闇に呑まれかけている」


 思わず喉を鳴らした男爵を下がらせて、レイアはマノンの額の上にその手をかざすようにして、聞き取れない何かを囁いた。


「Komm, du süße Todesstunde.」


 瞬間、マノンの頭上に光り輝く魔法陣が出現する。光は細かな粒を発生させながら波紋のように広がって、マノンを包む。と同時に、彼女の中から吹き出した黒い煙のようなものを吸い上げ、部屋中に重苦しく滞留していた瘴気さえも取り込みながら、最後にはレイアがかざした手のひらの中へ戻っていった。


 光が去った時、部屋の中の様子はすっかり変化していた。清涼な空気の中、ベッドの上のマノンの顔には、血色が戻っていた。


「……あ、なた」

「マノン!」


 マノンのか細い声を耳にして、男爵がマノンに駆け寄る。何が起きたのかを理解していなかった男爵は、しかし妻の顔を一目見て、何かが起きたことを理解したようだった。


「マノン、私が分かるのか?」

「は、い……」

「何てことだ! マノン!」


 覆いかぶさるように妻を抱きしめた男爵に、レイアが優しく声を掛ける。


「もう大丈夫。あとは栄養を取って、ゆっくり休んで、体力を回復すること」

「ありがとうございます、聖女様……!」


 聖女の力を見たのは初めてではなかった。かつてロザリーが、闇を祓っているのを見たことがある。だが彼女は時間をかけて祈りをささげ、そうすることでようやく、薄い霧のような闇が、徐々に晴れていったのだ。

 足が動かなくなるほどの重い闇を、囁きとともに一瞬で消し去ったレイアに、セルジュは言葉が出ないくらいには衝撃を受けていた。


 その時セルジュは、これまでの自分が大きな勘違いをしていたことを知る。

 フランクール家は、聖女の力を一族に欲したのではない。他の誰でもない、「レイア・アシュレ」の力を欲したのだ。

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