7.訪問者
次の日の朝、フィアナは朝食を持って俺のいる部屋の前で立っていた。嬉しそうに鼻歌を歌いながらドアをノックして部屋へ入ると、寝ていると思っていた俺の姿はそこにはない。一瞬、姿が見えない事に頭の中が真っ白になり体が固まったのだろうか、窓際から外を見ていた俺を見つけるとホッとしたのか胸をなでおろした。
「おはよう。アシル」
「あっ、えっとー、おはよう」
挨拶をすると、緊張感が溶けたのか笑顔を見せたが怒った口調で言ってきた。
「ダメじゃないベッドから出たら、まだ起きられる体じゃないのよ」
「ごめん。昨日から窓の外の景色が気になって、早く目が覚めたから気分転換に見ていたんだ」
言われて素直にベットに戻るが、やはり無理に動かした体は重く歩けば傷が疼く。顔をこわばらせながら、ゆっくり歩いていると見かねたフィアナがテーブルに朝食を置き駆け寄って来た。
「もう、無理をして、ちゃんと歩けてないじゃないのよ」
「ごめん、今度からは気をつけるから」
肩を貸すフィアナに素直に従った。
「本当に気をつけてよね。意識がなかったときは重症だったのよ。目が覚めたからといっても、そう簡単に動かせる体じゃないからね」
「ごめん」
「ほら、そこに腰を下ろして!」
ベットに座らせようと肩から俺の腕を放した瞬間、支えていたフィアナはバランスを崩し、二人一緒に倒れ込む体勢になった。
「えっ!?」
「あぶない!」
注意を促すが時既に遅く、そのままベットに倒れこんでしまった。
「いててっ!」
「だっ! 大丈夫!?」
「お、俺は大丈夫…… キミは……」
立ち上がろうとベットに手を当て起き上がろうとしたが、手には柔らかい感覚が伝わった。
こ、これってもしかして……
恐る恐る手の位置を確認すれば、右手は豊満な双丘の左胸を鷲掴みし、左手はフィアナの右上腕を抑えていた。傍から見れば女性を押し倒している状況だ。
俺は顔が真っ青になり口がパクパクと声も出ず、ベットで仰向きになっているフィアナは顔を真っ赤になり慌てていた。状況から冷静を取り戻した俺は急いでフィアナから右手を退いた。
「ご、ごめん。わざとじゃないんだ!」
「スケベ」
謝るも、ジト目で見つめるフィアナに戸惑ってしまう。
「もしかして、わざとやっているでしょ!?」
「ち、違うよ!! 事故だって、幾らなんでも、キミにわざと触る理由がない」
起き上がり両手を振って強く否定したが、なぜかフィアナの顔が更にムッとなった。
「へぇー、私じゃなくて他の人ならわざとやるかもしれないんだ。目の前の可愛い女の子には、わざとやる理由も浮かばないのね!?」
「そ、そうじゃなくて、事故なんだよ…… だからゴメン」
「ふーん、私は可愛くないか、やっぱり魅力がないのかな」
「かっ、可愛くないなんて言ってないよ。可愛いと言うか…… どっちかと言えば綺麗というか……」
おどおどと言い返す俺に両腕を組みツンと怒りながらも顔を赤くしていたフィアナは、俺の言葉に鋭く反応した。
「キレイ? 誰が?」
「い、いや、だからそのー……」
確かにフィアナは綺麗だと思う。幼馴染みの悠稀の髪は赤毛で綺麗な顔立ちだが、フィアナの金髪も綺麗でそれを引き立てるように顔立ちも負けていない。ハッキリ言えない俺に、フィアナはからかうように肘でウリウリと突いてきた。
「えっとー、はい、キミは綺麗です…… 負けました。勘弁してください。」
「よろしい、よく言えましたー。今度またやったら仮に事故でも大変な事になるかもよー!」
「はっ、はい、注意します」
顔が引きつる俺に、さっきのことは気にしていないのかフィアナは笑顔で喜んでいた。
「さあ、朝食にしましょう。ここに運ばれて来てからまともに食事をしていないから最初は胃に刺激を与えないようにスープを持ってきたわ。徐々に普通の食事に戻していくけど、食事が足りなくてお腹が空いても最初は我慢してね」
「あ、ありがとう」
テーブルに置かれていたスープを渡してくる。
「自分で食べられるかな?」
「多分、大丈夫だよ」
皿を掴める事は出来たが、手は少し震えてスープが溢れそうになっていた。
「やっぱり、まだ無理そうね。それなら私が食べさせてあげる」
その言葉に固まった。
「えっ! そ、そんな、いいよ。大丈夫だから」
「はいはい、怪我人が無理しないの」
言い分など気に留めず、フィアナは楽しそうにスープを掬う。
「はい、口を開けて、アーン」
「あ、アーンって、誰かに見られたら恥ずかしいし……」
「大丈夫、誰も見ていないし来ないから、恥ずかしがることはないわ」
逃げ場はなかった。半ば諦め戸惑いながら口を開ける。
フィアナは嬉しそうに自分も口を開けてアーンと合図しながら子どもを扱うようにスープを飲ませてきた。
「どう、美味しい?」
「おっ、美味しい」
「へへーん、私が作った野菜スープよ。ちょっとは料理に自信あるんだ」
久しぶりに食べた食事は胃に染みるかのように伝わり、とても美味く顔も驚きの表情になった。
「キミが作ったんだ」
味が美味しいのもあったが、何日もまともな食事を取らなかった俺には新鮮さえ感じた。だが、フィアナはムッとした顔で覗き込んでくる。
「フィアナよ。さっきから『キミ』呼ばわりじゃない、名前で呼んでよね」
「そ、そのー、あ、ありがとう…… フィアナ…… さん」
「はい、そこ。『さん』はいらない。フィアナよ。もう一度」
「わ、わかったよ…… フィ…… フィアナ」
何だろう。気のせいか昨日、今日に会った相手とは思えない、どこかで会っているわけでもないし……、不思議な感じだった。
「はい、良く言えました。今度から私とは他人行儀な態度はダメよ。私もアシルと呼ぶから親しくしましょう。よ・ろ・し・く・ね」
「よ、よろしく」
一方的な申し出なのか、普通に親しくなりたいのか見当はつかないが、俺を見る微笑みに心を奪われたかのように素直に返事をするしかなかった。
「はい、口を開けてー! アシルは栄養も付けなきゃいけないけど、リハビリもしなきゃいけないから体力もつけないとね。はい、アーン」
結局、朝食は赤面しながら終わったのであった。
朝食後、横になって暫く休んでいると、アリスタ家の門前に人を乗せた一頭の馬が姿を見せた。
紺青の髪にオルシアン騎士団の正装をした男性。
門を潜りゆっくりと馬を歩かせ屋敷の前までくると、到着したのがわかっていたかのように屋敷の扉が開かれた。
「お待ちしていました。ディック隊長」
屋敷から出できたのは、サエラだった。ツインテールの髪をなびかせながら、玄関の階段を駆け足で駆け下りディックの前まで歩みよる。
馬上から降りたディックは、驚きの笑みでサエラを見た。
「ほうー、サエラちゃんだったか、これはまた一段と綺麗になって誰かと思ったぞ! 大きくなったなー、こんなに綺麗になっているとは、この分だとシェーンを超すのもそう遠くないな」
頷きながら自分の言ったことに納得しているディックに、サエラは両手を腰に当て頬を膨らまし怒っていた。
「『ちゃん』付け呼ばわりじゃ、褒めているのか貶されているのかわからないんですけど」
「そ、そうか、それは悪かった。前にあったときは中等学院に入学するときだったからな、どうもあのときの口癖で言ってしまった」
頭を掻きながら謝るディックにサエラは呆れ顔をする。
「今季からは高等学院に入学です! いつまでも子ども扱いしないでください」
「そっかー、この春からは高等学院へ入学なのかー、それでどっちの学院へ行くんだい?」
「それは、もちろんフィアナ姉さんが在籍しているヴァルト教会のカルデナ高等学院ですよ。目標はシェーン姉さんなので、その学院で姉さんを抜くのを目指します」
自慢するかのようにサエラは言うが、ディックは少し残念な顔をした。
「そうなのか? シェーンの後を追って国が運営するオルシアン学院に行くと思っていたが、まぁ、これはこれで他に楽しみが増えたな。それで、私はその目標であるシェーンに会いに来たのだが居るかな?」
「えぇ、もちろん居ますよ。さっき、隊長に渡す書類の最後の仕上げをすると言って部屋にいきました。それで迎えには出られそうもないので、私が出迎えで待っていたのです」
「書類……? 私は休暇を与えたが仕事は与えていないぞ? アイツは何をしているんだ?」
「さぁ、帰って来てからは部屋に立て籠もって真剣に机の前で何かを書いていましたが……」
二人揃って何をしているんだろう? と頭を悩ませながらもディックが口を開いた。
「まぁ、渡す書類であるのなら貰うとしてだ、そのシェーンは休暇を堪能しているのかい?」
「さあ、帰って来てからは部屋に篭もりっきりです。ディック隊長がお姉様に休暇を与えて下さった事については、私は隊長に感謝しています。しかし、あの怪我人は何ですか? アイツのせいで私は振り回させられて、たまったものじゃないわ!」
「その怪我人の件もあって来たのだが、サエラはその怪我人に不満があるみたいだな?」
「えぇ、不満もなにも早く出て行ってほしいです。それとも今日、ディック隊長が来たのはあの怪我人を引き取りに来てくれたのですか?」
「悪いが、そういう件ではないんだ。それで、部屋に篭ったシェーンには会えるのかな?」
「大丈夫です。私が呼んで来ますから。今、メイドも呼びますのでディック隊長は客室で待っていて下さい」
サエラは屋敷に先へ入ると、シェーンを呼びに二階へと上がり、ディックは後から現れたメイドに案内され客室へと案内された。
客室で紅茶を飲みながら一息ついていたディックだったが、ドンッと勢いよくドアが開きシェーンが後ろ向きに入って来たと思ったら、続いてサエラも入って来たに驚いた。
二人とも両手に何かを抱えている。
「お姉様! お尻でドアを開けるのは下品です」
「しかたがないだろ、両手が塞がっているんだ。それよりもテーブルの上にそれを置いてくれ、隊長に渡して持って行ってもらわないといけないからな」
「こんなに沢山の書類、今まで何を書いていたのよ、お姉様?」
ドカッとテーブルに書類を置いたサエラは息切れをしていた。
「重たかったわー」
そんなサエラにシェーンも書類を置くと言い放った。
「これしきの書類で息切れとは体力がないぞ、サエラ!」
「そんなこと、筋肉ムキムキのお姉様に言われたくないわ」
「私のどこが筋肉ムキムキなんだ? これでもスタイルには自信があるんだぞ! それにサエラは適度な運動をしないとこの前みたいに体重が増えてしまうぞ!」
「増えません、増やしません。そんなことは、まずありえないから大丈夫!」
姉妹の口喧嘩に、ディックはカップを持ったまま何も言えずにキョトンとしている。
そんなディックに気づいたサエラは顔を真赤したまま慌てて姿勢を正した。
「失礼しました。見苦しい所をお見せしてそまって」
「いや、別に気にはしてはいないから大丈夫だ。それよりもシェーン、俺に渡したい書類とは何だ? 仕事を与えた覚えはないのだが?」
「ふっ、ふーん」
シェーンは置かれた書類の上に手を置き、自信ありげに言った。
「これは私のもとに今まで届いたお見合い書類と、お断りの返事を書いた書類です。これをディック隊長が持ち帰って貴族に渡して下さい。そうすれば私の身は軽くなるし、隊長も上層部から何かと言われなくて済むでしょう。量が多いのなら、私が使いの者を出して運ばせますよ。一応、上層部のパイプ役みたいになっていた隊長に渡した方が良いかと思い全部持って来ました」
シェーンが不敵な笑みを浮かべるが、ディックは肩を落とし唖然とした。
「あのなー、それを俺が送ってみろ! 送った貴族全員を俺は敵に回す事になる。送るなら自分で送ってくれ、それなら相手側も本人から届いた事で諦めもつくだろう」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだ! とにかく貴族に根を持たれると後が面倒なのはお前も知っているだろう?」
「まあ、そうですが…… それならこれは私が送ります。それで解決するなら問題ないでしょう?」
「頼むから、そうしてくれ、それより本題の彼と話しはできるのか?」
ディックは話しを切り替えると真剣な眼差しで訊いた。
「それならフィアナが隊長が来たことを彼に伝えに行ってます。面会にはもう少し待っていて下さい」
「そうか、それなら少し待つとするか」
ディックは、この姉妹たちにはいつも振り回されているなと、自分自身に呆れていた。