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花の記憶  作者: 真向香緒
本編
5/7

 ミアナの言った次の機会は翌々日にやってきた。

 アルダは朝から仕事に、エレイアは遠方に住む叔母が怪我をしたとのことでそのお見舞いに朝一で出かけていった。アルダは夜遅くに、エレイアは翌日でなければ帰らないとのことだった。

 エレイアが出かけたのを見計らって、ミアナはある場所に寄り、それから部屋で待つシュリエラの元へと向かった。

 コンコン、というノックの音が聞こえたかと思うと、覚えのある甘い香りがシュリエラの部屋に流れ込んでくる。


「ミアナ……それは」


 大きな花束を持って現れたミアナにシュリエラは驚いた。

 ミアナはその両手に溢れんばかりのサネノアの花を抱えていたのだ。


「蕾も併せて庭にある分だけ切ってきました」

「いつの間に咲いていたのね」

「一昨日辺りからちらほらと。お見舞いには花束が相場でしょう? サファラス様のところに持って行きましょう?」


 はい、と言ってミアナは花束をシュリエラに持たせた。

 甘い香りがシュリエラの腕から溢れかえる。


「今日は……会ってくれるかしら」

「会っていただくんですよ。今日はわたくしもお供いたしますから。きっと……そのお花を持って行かれれば、サファラス様のお気持ちも和らぐはずです。濃紫色のサネノア……お二人の約束の花でしょう?」


 シュリエラはミアナの言葉にしっかりと頷いた。



 ◆ ◆ ◆



 アムスレット家の屋敷に着き、使用人にサファラスへの取り次ぎを頼むと前回同様すぐにレナンシュアがやってきた。

 今日ばかりは引くわけに行かないと、シュリエラはその拳に力を入れたが、意外にもレナンシュアは二人をあっさりとサファラスの元へと通してくれた。


「サファラス……調子はどう? わたしね……もう一度サファラスとお話しがしたくて来たの」


 部屋に入ると、サファラスはベッド上に座っており、窓の外を見ていた。

 その肩は二日前にシュリエラが見た時よりもさらに細くなってしまったような気がした。

 サファラスはシュリエラが来たにも関わらず、視線を動かそうともしない。

 前回の冷ややかなサファラスがシュリエラの脳裏に急にフラッシュバックし、ズキリ、と心が痛む。


「あのね、今日はお花を持ってきたの。今年はもう、うちの庭でサネノアが咲いたのよ。ほら、見てサファラス。綺麗でしょう?」


 シュリエラの言葉にサファラスはその視線をゆっくりと花束へと向ける。

 しかし、その瞳に力は無い。

 シュリエラはベッドサイドに近寄り、花束をサファラスの顔の近くに持って行った。


「良い香りでしょ。甘くて優しくて……わたしこの香りが大好きよ。サファラスも好きでしょう?」


 シュリエラはニコリと微笑む。

 その時だった。


「…………い……」


 サファラスが呟くように何かを言った。


「え?」


 シュリエラは慌てて聞き直す。


「……気分が悪い、と………言ったんだ」


 サファラスの声は冷たかった。


「あ、ごめんなさい。……そうよね、濃紫色のサネノアは他のよりも少し香りがきついから。ごめんなさい、わたし気が利かな…………」


 グシャリ………


 ――気が利かなくて


 シュリエラのその言葉と同時に嫌な音がする。


((――――))


 シュリエラもミアナも、目の前の光景に言葉を奪われた。

 花束のうち、いくつかの花をむしり取ったサファラスがそれを掌で潰し忌々しそうに床に投げつけたのだ。

 何が起こったのか、シュリエラもミアナも一瞬理解できない。

 唖然とする二人に対し、サファラスは大きなため息をつく。


「レナ」


 その呼びかけと共に部屋の隅で控えていたレナンシュアがサファラスの元へやってくる。


「全部捨てろ。それから窓を開けて欲しい。こんな忌々しい臭い……吐き気がする」


 レナンシュアは、はい、と言ってシュリエラから花束を取ろうとした。

 しかし、シュリエラは花束を離そうとはしない。


「……して? ……どうしてなの? サファラス」

「どうして? ……まだ分からないのか? この前も言っただろう。もう全て終わったんだ」


 サファラスは吐き捨てるように言った。


「ねぇ……サファラスお願い。もう嘘はやめて。あなたはそんな酷いことを言う人じゃないでしょう? 何か……何か訳があるのよね? その訳を話して。わたしは……あなたの婚約者でしょう?」


 シュリエラの必死の訴えをサファラスはフッと鼻で笑った。


「婚約者? それはついこの前までの話だろう? そんなもの、とっくに解消したよ」

「!?」

「嘘だと思うなら君の父上に確認してみればいい。正式に解消させてもらったから、その意を伝える書面も一昨日君が帰った後に送った」

「お父様が……そうしろと言ったの? 王太子殿下との結婚のために? そうでしょう? お父様がサファラスに強要して…………」

「違う」


 サファラスは鋭くシュリエラの言葉を遮った。


「随分と都合よく考えたね、シュリ。でもそうじゃない。私から解消させてもらった。君とはもう結婚する意思はない」

「なぜ……? どうして? ……結婚するって約束したじゃない。サネノアの花が咲く頃に一緒になろうって」


 あまりのショックからか、シュリエラの声は震えている。


「いい加減にしてくれ。そんな子供の頃の口約束をいつまでも……。もう、うんざりなんだよ。君にもサネノアの花にも! 病気になって君に看病してもらってようやく分かったんだ。私が一緒になりたいのはこんな女じゃないってね。本当はいつ婚約解消を言い出そうか迷ってた。そんな時にシュリに王太子殿下の元へ上がる話が来て……好都合だったよ。言ったろう? 私のことなど気にする必要はない、と。……そういうことなんだよ」


 サファラスは言って冷たい笑みを浮かべた。


「さぁ……話はそれだけだ。これでもう分かっただろう。私はシュリのことなどもう……」


 そこまで聞いて、いや、それ以上は聞くことができなくて、シュリエラは花束を落とすように離して走り去った。


 ――シュリのことなどもう……愛シテイナイ


 愛するサファラスの口からそれを聞くことは耐えられなかった。

 シュリエラの心をボロボロにするにはもう十分すぎたのだ。


「シュリ様!!」

「ミアナ……待ちなさい」


 すぐに追いかけようとしたミアナをサファラスが呼び止めた。


 が、


「ゲホッ……ゲホゲホッ………」


 サファラスは激しく咳き込んだ。

 同時に、シーツにいくつもの赤い花が咲く。

 レナンシュアは突然のことにも動じることなく、咳き込むサファラスの背中を懸命にさすった。

 血という名の赤いインクで花が次々と咲いていく光景に、ミアナは自らの目を疑わずにはいられない。


「すまない……ミアナ。嫌なものを見せたね」


 少し落ち着いてそう言ったサファラスの表情は今までシュリエラに見せていた冷徹なものとは異なり、酷く寂しそうだった。


「呼び止めて悪かった。でも……君には頼みたいことがある」

「…………」


 ミアナは返事をしなかった。むしろ、できなかった。

 構わずにサファラスは続ける。


「私がシュリにしたことは謝らない。分かってくれとも言わない。ただ……ただ一つだけ……私の代わりにあの子のそばにいてやってはくれないか。あの子が辛いとき、悲しいとき、もちろん、嬉しいときもずっと一緒に…………これが最後のお願いだ」


 サファラスは身を乗り出してミアナの手を握りしめ、懇願した。

 その手は恐ろしいほど冷たくて、ミアナは動くことができなかった。

 サファラスのそれはまるで死人の様で。


「賢い君なら……私の言いたいこと、分かってくれるね?」


 力なく微笑んだサファラスに、ミアナは答えられない代わりに何度も何度も頷いた。

 そして、返事をするようにサファラスの手を強く握り返した。



 ◆ ◆ ◆



 それから、シュリエラは自室に籠もったきり出ては来なかった。

 日に何度かミアナの訪室だけは受け入れたが、それ以外は全て拒絶した。

 食事も睡眠もほとんど取らずに泣き続け、このままではいつかシュリエラが壊れてしまうと皆が心配するほどに。

 アルダとエレイアには、ミアナから事情を話した。ミアナが計画し、二人の目をかいくぐってサファラスへ会いに行ったことも。そこであったことも。

 サファラスから最後にミアナだけに伝えられたことも二人には伝えたが、夫妻はただ黙ってその話を聞いていた。エレイアは静かに目頭を押さえていた。

 もちろん、ミアナはこうなってしまったことの契機を作った身として、どのような処分も受けるつもりだと申し出た。

 しかし、夫妻はそれを望まなかった。ただ、娘のそばにいてやってほしいと言ってくれた。

 サファラスが望んだとおり、ずっとそばに寄り添ってほしい、と。

 シュリエラは泣き続けた。自身でも、涙が枯れないことが不思議に思ってしまうほどに。

 しかし、時が解決する以外、誰もどうしてやることもできなかった。ミアナもただ無言で震える背中をさすってやるのが精一杯だった。



 それは、シュリエラが籠もって五日目のこと。

 ミアナが朝一番にシュリエラの元へ飛んできた。


『サファラス様が、お亡くなりになりました』


 その訃報を持って。

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