交じり合う記憶
開け放たれた両開きの扉の前に立っていたのは、
細身の身体に濃い藍色のロングストレートヘアーを持つ、清楚なようでどこか妖艶な女性だった。
黄水晶のような瞳はあやしげで仄暗いあやしさをたたえている。
勿論、現実世界の母の姿とは似ても似つかない。
けれど、頭が。
彼女を母親であると認識している。
「きいているのですかっ。答えなさい。
未来の魔王后になる身のあなたが、
イクサーブ一族のトップに立つお父上をもつあなたがっ。
く、腐り豆を喰らいたいとは…」
「落ち着いてください、お母様。
そもそも魔王様に見初められるかもまだ決まっておりませんわ」
わなわなしている、という表現が当てはまる図というものを初めて見た気がする。
いや、初めてではないか。
彼女は昔、よく私にこういった表情を見せていた。
昔?
何故そんなことがわかるのか。
淫魔令嬢の過去なんて、小説には書いていないのに。
なのに…。
思い出そうとすると、さももとからの記憶のようにお母様との出会いの思い出が顔をのぞかせる。
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『今日からお前の母になる女性だよ。ミリアージュという名だ。さ、挨拶をしなさい』
いつも通りの朝をむかえ、
いつも通り父の仕事の合間に共にお茶の時間を過ごそうと向かった執務室で、
いつも通り、顎鬚がセクシーで、艶やかにつやめく銀糸のような髪を後ろに撫で付けたお父様が、
いつもとは違う少しだけ緊張した面持ちで幼い私に言った。
突然何を言っているのかと固まった私に、父の少し後ろに立っていた女性が先に挨拶をしてくる。
『ミリアージュでございます。本日より、イクサーブ家にご厄介になります』
まさに、同族の艶やかな笑み。
『お父様、お母様は亡くなられたのでは?』
一度も会ったことのない母親に思いをはせ質問する。
ミリアージュの挨拶には返事をしなかったが、父は咎めはしなかった。
『そうだよ、可愛い娘よ。そして今改めて、お前の母になってくれる女性が見つかったのだ』
『お父様は、私のお母様を愛していらっしゃいますよね?』
『勿論だとも』
『では、このお方のことは?』
多分、私の瞳は、とても冷え切っていたと思う。
『愛がなければ、婚姻は結ばぬよ。
我々は淫魔の一族だ、愉しむだけの相手を家族にはしないさ』
少し困ったように父が言う。
『愛がなければ婚姻は結ばない。その通りですわね。
だからこそ淫魔であり様々な方から性気をいただくイクサーブ家は問題が発生せぬよう……婚姻は一度きりしかせぬ決まりでございませんでしたか?』
小さな子どもではあるけれど、なんとか論破をしたくて、必死に頭を回転させて言い募る。
家庭教師に教えられた家訓をこの場で引っ張り出せた自分を褒めてやりたい。
『それとも、亡くなってしまったら愛は無効になってしまいますの?』
『愛しい娘よ。いいかい? お前の母のことは、今も昔も深く愛しているのだよ』
『では』
『けれど、訳あって、お前の母と婚姻は結べなかったのだ』
『え?』
『だから、お父様が婚姻を結ぶのは、今回が初めてなのだよ』
ショックの上にショックが重なり、頭がガンガンしてくる。
『旦那様、あまりにも急な話でございますわ。私は一度この部屋から出て…』
『良いのだ。娘はイクサーブ家次期当主か魔王后になる身。このような機会で、己に起こる予測外の事象を何度でも経験させねば、上に立つものとして強くならぬとお前にも伝えていた筈だ』
強い口調でミリアージュとかいう女に言い聞かせるお父様。
けれど、その瞳と口元の柔らかさが。
私を見るものにとても近くて。
そこに愛があるのだと、その愛が自分と自分の母以外に向けられていると知って。
良い娘でいようと日々努めていた、その鎧が砕け散った。
『そのような色気だけのアバズレ……っ!!』
最大限の怒りを込めてミリアージュを睨み付ける。
すると、大きく目を見開いた彼女は。
涙を瞳にためながら
『さ、最高の褒め言葉ですわ…!』と感極まって父の腕の中に倒れこんだ。
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子ども心にかなり強烈な思い出だったためだろうか。
その頃の記憶が鮮明に思い出せる。
その後、大嫌いなミリアージュは何故か嬉しげに構ってきたので、
しばらく嫌がらせを繰り返した記憶がある。
その嫌がらせがあまりに酷く耐えられなくなって、彼女が幾たびもわなわなしていた記憶もある。
そんなこんなで私達二人の仲が完全に凍りついたころ。
ある日彼女にも父との婚姻前に生まれた子がおり、別邸に預けてあることを知り。
母と離れることがどんなに辛いことかとお父様に説得をし、イクサーブ家に引き取った。
その子はミリアージュと見た目がそっくりな男の子だったけれど、初めて出来た弟が可愛くてしかたなく。
弟と仲が良くなるにつれ、ミリアージュとの仲も少しずつ変わっていって。
「あの女」→「ミリアージュ」→「義母」へと呼び方も変わり、
今では「お母様」と自然と呼ぶようになった。
お母様も、最初のうちは余所の子どもに気を使うように接していたのが、
本物の家族のようになった。
ただ、家のためにと超教育お母様に変わってしまったのは少し残念でもある。
育ってきた記憶が、なんの違和感もなく自分に存在している。
知っているというより、本当に体験して覚えている記憶。
勿論日本で生きてきた記憶もある。
2つの記憶で混乱が起きていないのが奇跡に感じられた。
世界があまりにも違うからだろうか。
それとも、夢だからそういう補正があるのだろうか。
そういえば、この世界で口から出る口調は、現実世界でのものとは違っている。
それにもなんの違和感も感じていなかったことにも驚いた。
融通が利かないと思ったけど、なんだかよく出来た夢だ。