さらに気づいてしまった
「お嬢様、本当にどうかなさいましたか?」
窓辺にたたずむ私に、メイドが声をかけてきた。
そうだよね、挙動不審だよね。
「えっと、ごめんなさい。少し気になることがあったのだけれど。
でも、もう大丈夫よ」
「さようでございましたか」
無表情のままのメイドは、何を考えているのか
いまいち分かりづらいけれど、
余計なことを話さない教育の中でわざわざ声をかけてくれたのだ。
心配をしてくれたことはわかる。
「それで、なんの話だったかしら」
「お料理にかけるソースのお話でございました」
そうそう。
間違って「しょうゆ」とか口にしてしまった所だ。
確か私が書いた小説では、
メイドの答えは「かしこまりました」で、
その後頭を下げて静かに部屋を出ていく設定だ。
ここは静かに去ってもらって、自分の、というか、
淫魔令嬢の行く末についてゆっくり考察したいところだ。
「ごめんなさいね。えっと、そうね。ディナーには…」
「はい。肉料理のソースはしょうゆでございますね」
「え? しょうゆ?」
多分とっても間抜けな顔をしていると思う。
いや、たしかにメイドは了承の意を表しているのだけれど。
え。
しょうゆでございますね、なんて書いていない。
そもそも、この世界にしょうゆがある筈ないじゃないか。
中世ヨーロッパのイメージに近いファンタジー世界を意識して書き始めた小説なのだ。
「変更なさいますか?」
まさかの疑問系で返され、メイドもおかしく思ったらしい。
「いえ、いいの。しょうゆがあるなら、しょうゆで」
「はい、ございますが…」
未だメイドは怪訝そうだ。表情は無表情だけど、わかる。
けれど、私の方こそおかしいなと感じている。
まぁ、でも夢なのだから、自分の好きな方向に動かしていけるということか。
それなら、せっかくなのでディナーのメニューに注文をつけてみようか。
「それじゃあ、あとはお味噌汁とお漬物、それから納豆を用意しておいて」
この世界の食卓の上に並んだら違和感があるかもしれないけれど、
あえて和食を食べてみたいなっていう遊び心が生まれた。
「は?」
「え?」
「オミソシルトオツケモノ、ナットー…で、ございますか?」
まさかの。
メイドの表情筋が困ったように少し動いて、固まった。
何を言っているのとでもいうように、わずかに身体も前かがみになっている。
味噌汁や漬物のイントネーションもなんだかおかしい。
いやいや、さっき「しょうゆ」はちゃんと醤油のイントネーションで普通だったのに。
あれ?
「味噌は、あるわよね?」
「ミソとは、食材のことでございますか?」
「…調味料、かな」
「存じ上げません」
えー!?
「漬物は、えっと、野菜がしんなりしてる、漬けてあるもので…」
「サラダでございますか?」
「えっと、おかずになるのかな」
「ナットーとは…」
「えっと、大豆。豆がネバネバしてる、えっと腐ってる感じに見えるやつなのだけれど」
すると、メイドは少し考え込む素振りをみせてから、
背筋をスッと伸ばし、
「確認して参ります。少々お待ちください」
そう言って、部屋をそそくさと出て行ってしまった。
いや一人になりたかったから良いのだけど。
なんだか、腑に落ちない。
本当に融通が利かない夢だ。
しょうゆがあるのに、味噌が無いなんてことあるだろうか。
同じ大豆原料の調味料なのに…。
しょうゆはあって、他の和食関係が無い。
その理由を考えて、あることに思いいたった。
「小説に、書いた言葉?」
しょうゆは、適当に、後から書き直すつもりではあったけど小説に書いた。
他の食材や調味料は、当然書き込んでいない。
もし、それが原因だったとしたら?
だって、どうやらこの夢は、私の書いた小説の中の世界なのだから。
私の小説で文章化されたものは存在するけど、それ以外は無いということになる。
つまり、小説に書かれていることはおかしなことでも正確に起こるということ?
でも、本来メイドは
「かしこまりました」だけ言って出て行くはずだったし、
淫魔令嬢は「しょうゆ」と応えたあと窓に駆け寄ったりしない。
小説に書いた通りにだけ物事が動くとなると、それはおかしくはないか?
もっと、走馬灯の時のように
自分で動かせない事象を俯瞰的に見る夢であれば
小説通りに物事が進むはずなのに…。
この後起こることが、小説ではどのようなことだったか思い出しておいて、
実際に起こることと比べて検証してみたら、もっと詳しくわかる気がする。
仕事でプレゼン能力が上がった成果なのか、
ここ数年は原因追求への意識が高まっているらしい。
頭をふる回転させて、小説の続きの文章を思い起こす。
「しょうゆが好み」だと言ったあと、メイドは「かしこまりました」って言って…
あれ?
頭に浮かんだPCの映像が変だ。
「かしこまりました」という台詞が書かれていない。
続きの文字が、読めない、とういかどんどん消えていく?
まるで、ずっとデリートキーを押しっぱなしにしているような…。
「あーーーーーっ!!」
倒れた時、私、自分の指がデリートキーに乗ってて、
この辺から文章どんどん消えていったんだった!!
え、どこまで消えたんだろう、どこのストーリーからまた存在しているの!?
意識がもうろうとしているなか、力を振り絞って指をずらした、その感覚しか覚えていない!!
っていうか、PC画面から消えちゃっている文面は再現されないって、
どれだけ融通利かない夢なの!?
いや、私が見ている夢なんだから、融通が利かないのは自分自身ということかもしれないけれど。
近くにあったベッドに脱力してしまう。
この夢が始まってから、何かを思いつく度に落ち込んでしまうことに少し疲れてきたようだ。
もう、少しでも気楽に感じて過ごした方が、元の身体に心的ストレスがかからなくて良いかもしれない。
夢の中でも眠ることが出来るのか不安になりながら、少し身体を休めようと瞼を閉じたその時。
廊下からカツカツと足早なヒール音がきこえてきた。
どんどん近づいてきて、扉の前でピタリと止まる。
バン!!
ドアを開く音と同時に、女性の声が鳴り響いた。
「腐った豆を食べたいとは、どのような了見なのですか!?」
驚いて顔を上げ、そこに立つ女性を見て、
何故か自然と自分の口が動く。
「お母様…」
次回から登場人物が増えます。連休中は小説更新出来ない予感です。あと、次回からはよほどのことが無い限り、あとがきはやめようと思います(笑)