恐怖の妄想力
消えていく意識の中で最後にぽつり口からこぼれた言葉。
「本当はしょうゆをかけるのが好み」
確かに、自分の口から発したはずだ。
けれど、何故だろうか。
自分の聞き慣れた声とは違う音が出た気がした。
初めて聴く響きなんだけれど、イメージしたことはあったような声。
それに。
口から漏れた言葉にも、なんだか既視感……。
それを意識した瞬間、真っ暗だったはずのまぶた越しに、うっすらとした明かりを感じた。
ああ、良かった。
意外と早めに意識が戻ったのだと、おそるおそるまぶたを開く。
「え」
身体は倒れる前と同じように、椅子に座ったまま。
目の前には机。
でも、その机は思っていた色ではないし、なにより上にはPCはなく。
さらにその奥には、まったく同じ色をした同じ机があって。
さらにさらにその奥の椅子に座り、自分と向かい合っている人がいた。
人…いや、人形だろうか。
窓から差し込む夕闇色をうつした白銀の髪をもつ
少女と女性の中間くらいの年齢の人。
タンザナイトのような、青にも紫にも感じられる深くきらきらした瞳が
自分を冷めたような表情で見つめている。
瞬きをするのをみて、生きている人間だと確認する。
どうみてもそこいるのは、自分が小説に書いた脇役の一人。
ちょうど倒れる前に手直しをしようと思っていた魔族令嬢だった。
そうだ、なおそうと思っていた台詞がまさに
「しょうゆをかけるのが好み」というものだった。
先ほどの既視感は、これか。
魔族の住む領域の雰囲気は冒頭に書いたものの、
改めて魔族の世界を説明しようとしたときに、
魔王の生活風景からスタートするのも芸がないと思い。
せっかくなら妾になる名も無い脇役魔族令嬢を先に登場させて、そこでの会話や部屋の様子、ため息をつきながら窓から眺める魔王城の見た目で説明しようと考えた。
メイドに、晩御飯の肉料理にかけるソースをどうするか質問された直後。
血のような赤いなんちゃらソースとか考えて、例えるにあたいするお洒落で官能的な色味説明を思いつかず、あとで直そうと思って忘れたまま放置した箇所。
あのとき、適当にしょうゆとか書いてしまったのだ。
まさに今、どうやらその魔族令嬢と向き合っているらしい。
これはもう、意識の混濁がまだ続いているに違いない。
倒れる直前に見た文章が、勝手にリフレインしているのだろう。
自分の小説への執念というか、妄想力の激しさに
ふと苦笑をもらした。
すると。
目の前の彼女も、ふと苦笑をもらす。
「え?」
自然と言葉がこぼれて。
それと同時に、目の前の彼女も口を少し開いた。
目の前の彼女の右奥からメイドが覗き込んできて
「おじょうさま、どうなさいましたか?」と声をかけてくる。
でも、待って、変だ。
メイドの声は、真後ろから聴こえてきた。
おそるおそる振り向くと、そこには目の前にいたはずの、メイド。
もう一度机の方を向きなおし、信じられない想像に、思わず机にひじをつき、顎に親指と人差し指を軽くあてる。
悩んだときや混乱するときの自分のその癖を、目の前の彼女が同時にしたのを目の当たりにして。
自分の想像通りだったことに気づく。
これは、鏡だ。
鏡のついた部屋の壁のことを思えば、気づくのが遅すぎたくらいだ。
だが、それくらい気が動転していたのだと思う。
急いで立上り、窓に駆け寄る。
外に広がるほの暗く赤くも青くもある空にかかる、黒い雲と、
そこを飛ぶ鴉とも思えない大きな骨ばった鳥の影を見て、
今度こそ、自分の妄想力に恐怖した。
どうやら、私は現実世界で意識を失っている中で、
自分の書いた小説の中の
一番好みの見た目の脇役になった夢をみているのだ。
――なんて、いたい。
やっと異世界部分がスタートしました。まだもう少しだけ序章のような感じです。よろしくお付き合いくださいませっ。