74.母鬼、娘たちにイジられる
いつもお世話になってます!
……それはジロたちのいる孤児院へ、桜華が来る前の出来事だ。
その日桜華は、川で洗濯をしていた。
この国の南部に広がる天竜山脈。そこから流れる大きな川が天竜川。
川の近くに桜華たちは家を建て、暮らしている。
桜華は川に衣服をつけて、汚れをごしごしと、洗濯板を使って落とす。
『おかーちゃん』
呼ばれて振り返ると、そこにいたのは自分が産んだ娘、長女の一花だった。
『一花……』
『…………』
長身に切れ長の瞳が特徴的な長女は、桜華を凝視して、つらそうに目を細める。
『……どうしたの?』
『んにゃ、なーんでもないさね』
一花は桜華の隣へ……否、背後に回ると。
『てい。ぱいたっち』
そう言って母の服の間に手を滑り込まし、両手で桜華の爆乳をもみし抱く。
『きゃぁっ!』
びっくりして大声を張り上げる桜華に、一花はまじめくさった顔で『ほほう、おかーちゃん良い乳してるねぇい。とても娘を5人も産んだおっぱいとは思えなさね』
一花にもみしがかれ、桜華は艶っぽい声を出しながら身もだえる。
ややあって、一花が手を離す。
『もうっ、もうっ、一花。どうしてわたしの胸をもむのっ』
『いやぁ、そこに美味そうな食い物が置いてあったらとりあえずつまみ食いしたくならない?』
『なりませんっ! もうっ!』
桜華はしかりながら思う。どうにも一花をはじめとして、自分の娘たちはセクハラが過ぎる。
『しかし本当に良いおっぱいさな。もう一回揉んでも』『だめです!』『けちだねぇい。別に減るもんじゃあるまいし』
ケラケラと笑う一花に、桜華がはぁと深くため息をついた。
『……それで、一花、あなたは何をしに来たの?』
時間は早朝。まだ娘たちも、孤児たちも眠っている時間帯だ。
『ん。なに珍しく早起きしちまってね。暇だからおかーちゃんのおっぱいもんで遊ぼうかなーって思ったのさ』
一花が両手を突き出し、わきわき、と指を曲げる。桜華は腕で胸を隠す。
『冗談だよ。もう揉まない。代わりと言っちゃぁ、なんだから、お洗濯ものでも揉もうかねぇ』
一花は立ち上がり、桜華の隣に置いてある洗濯物の山のそばへいく。
汚れた衣服を手にして、川のそばにしゃがみ込む。
『…………』
桜華はわかっている。この子は自分を最初から手伝いに来てくれていたのだ。
『……ありがとう、一花』
『なんの話してるんさね』
苦笑しながら桜華は自分の作業を続ける。
冷たい川に手を突っ込んで、ごしごしと洗濯物の汚れを落とす。洗濯洗剤などなく、流水と手洗いでの作業。時間がかかり、そのぶんだけ冷水に手を突っ込むことになる。
冷たさに顔をしかめながら、桜華は作業を続ける。
『おかーちゃんはさ』
ぽつり、と一花がつぶやく。
『どうしてお父ちゃん……あいつが死んでから、だれともつきあおうとしないんさ?』
夫が死んですでに何年も経過している。だのに桜華は再婚してなかった。
若く、美しい桜華ならば、すぐに次の夫は作れるだろう。
桜華が声をかければ、オス鬼などすぐに桜華を組み敷き、季節が変わる前に新しい子種が芽吹くことだろう。
『……怖く、なっちゃったんです』
言うか迷って、桜華は結局口に出す。
『怖い?』
『……男の人が』
一花が『ああ……』と同意したようにうなづく。
『確かに。お父ちゃ……あの男とずっと一緒だったんだ。そりゃ男性恐怖症になりかねないさね』
死んだ旦那は大変気性の荒い人物だった。腹が減ればすぐに人里へ降りて、食料を調達しにいこうとする。
桜華はそんなことはやめろといつも引き留めるが、そのたびに旦那に殴られていた。
【俺に命令するんじゃねえ!】
と桜華を殴り、蹴り、そして家を出て行く
腹を満たして帰ってきた夫に、桜華は涙を流す。食料として食われた人間たちに哀れみの感情を向けて。
桜華のそれが夫の気にさわるのか、なくたび桜華は殴られていた。
【俺たちは鬼だ! 人間は食料だ! 食われて当然のやつらに、心を痛めてるんじゃねえ!】
桜華に暴力を振るって満足したら、旦那は眠る。孤児院の手伝いも、家のことも何もしてくれない。
腹が減ったら食べて、眠くなって寝る。機嫌を損ねたら妻をサンドバッグに憂さ晴らし。
『そりゃ男不振にもなるさな』
憎々しげに顔をゆがめる一花。
『じぃちゃんみたいな優しいオス鬼っていないもんかね』
『……お父さんは、特別な鬼だから』
『……そっか。元々中身が人間なんだっけか』
一花の祖父。つまり桜華の父は鬼だが、転生者といって、別の世界の人間が鬼として転生した姿だった。
元々が人間だったので、祖父はとても穏やかな人だった。
桜華は、オス鬼がみんな、祖父みたいに優しい人だと思っていた。だから成人して大人になり、嫁へ嫁ぐことになったとき……夫もそんな優しいひとなのだと、期待した。
だがその期待は裏切られた。祖父は……異端だったのだ。オス鬼は、人間たちの間で広まっている噂通りの、【人食い鬼】だった。
『人間の男なら優しいひとも多いんだけどなぁ……』
と、一花がわかったようなことを言う。
『……一花』
きゅっ、と桜華が疑いの目を娘に向ける。
『なんさねおかーちゃん。怖い顔して』
『……あなた、たまに家からいなくなるときがありますけど、もしかして』
にやりと一花が意味深に笑う。
『ま、そーぞーにまかせるさね』
『……あぶないことしないでくださいね』
鬼は人食いであるという認識が、この世界には広がっている。ゆえに鬼は簡単に外を出歩けない。
駆除されてしまうからだ。
『ま、そのへんは気をつけてるさな』
『……一花』
『あ、でも安心しておかーちゃん。アタシまだだから』
ぐっ、と親指を立てる一花。
かぁっと顔を赤らめて、『そういうことは聞いてませんっ!』としかりつける。
『膜は固く守ってるさ。初めては大事なひとに捧げたいからねぇい』
『そういう話をしてはいけませんっ』
『おやどうして。アタシらもう初潮迎えてもう身体はメスになってるさ。性欲が抑えきれない今日この頃。困ったもんだねぇい』
この娘は……と桜華は吐息をはく。
どうにも娘たちは、性欲が強すぎる気がする。
『そりゃおかーちゃんの娘だからしょうがないさね』
『……それは、どういうことかしら?』
『え、だっておかーちゃんも性欲お化け』『わー!!』
桜華は顔を真っ赤にして、娘の口を手でふさぐ。
『だれも聞いてないさ』
『……だとしても変なこと言わないでくださいっ!』
ごめんごめん、と苦笑する一花に、桜華は深くため息をつく。
『しかしそっか……。おかーちゃんは新しい男を作れないでいるのは、あの人が原因なんさな』
……元夫のイメージが悪すぎて、桜華に新しい出会いへ踏み出そうとさせない。
どうしても二の足を踏んでしまう。どうしても、オスを……男の人を、怖く思ってしまう。
『優しくてすてきな人が近くにいれば良いんだけどねぇい』
『……いませんよ、そんな人。いても、わたしみたいな女に、見向きもしませんよ』
『そんなことたぁないさね。おかーちゃんがスケスケのエロい服を着て抱いて、っていえば、たいていの男は獣になるさ』
『……いやにリアルティありますけど、してませんよね?』
じとっとした目を娘に向ける桜華。
『さっきも言ったろ。まだだって。何なら目で見て確認するさね?』
ほれほれ、と一花がズボンを脱ごうとしたので『やめなさい!』としかりつける。
『……しっかしまっ、おかーちゃんにもきっと良い出会いがあるといいね』
洗濯物を終え、洗い終わったものを干しながら一花が言う。
『……あると、いいですね』
『そーんなあきらめ顔で言わなくても、大丈夫さね。いつかはきっとくる』
ね? と一花が明るく笑う。娘たちのこの明るさは、いったいどこを由来してるのかと不思議に思う桜華。
自分はそこまで前向きにはなれない。
『……けれど、一花は、いいの?』
『いいとは?』
『わたしが再婚して、新しいひとを作っても』
仮に旦那ができたとして、一花たちからみたら義理の父になる。
『そりゃあの元旦那みたいのが来たら嫌だけど、おかーちゃんが選んで、好きになって、この人に尽くしたいって人が見つかったら、アタシたちは全面的に祝福するよ』
『一花……』
『あ、できれば性欲旺盛なひとがいいさね。おかーちゃんだけでなく娘5人を抱いてもおっけーな絶倫がきたら言うこと』『一花っ!』『冗談だよ冗談』
苦笑する一花とともに、作業を終えて、桜華は家の中へ戻る。
『ま、何にせよ、おかーちゃんは早く新しい恋を見つけるといいよ』
『見つかる……でしょうか?』
見つかるさ、と一花は笑って答えるのだった。
☆
……桜華が目を覚ますと、眼前には見慣れた天井。
起き上がるとそこは、いつもの、自分の部屋。
「夢……」
数年前の出来事を、桜華は夢見ていたようだ。
「…………」
桜華は部屋の中を見回す。広い部屋にはベビーベッドが4つ並び、子供たちが眠っている。
桜華と赤ん坊たちは、この二階の西側の部屋をあてがわれているのだ。
「じろーさん……」
桜華は愛しい人の名前を呼ぶ。
……数ヶ月前。
川の増水で住処を失った自分たちを、ジロが助けてくれたのだ。
住処を作ってくれて、ご飯まで用意してくれる。仲間だろといってくれて、優しくしてくれる。
娘たちも、そして孤児のアカネとあやねも、ジロによくなついていた。
それはそうだ。彼はとても優しくて、魅力的で、そして頼れる男性なのだから。
「じろーさん……」
うずく下腹部を、桜華はなで回す。
彼を思うと腰のあたりがうずいてならない。
最近までその原因がわからなかったのだが、山での一件があってから、その正体に気づいた。
……自分の身体が、彼を迎え入れたいと叫んでいるのだ。
つまり彼を好きだと言うことを、山での遭難事件があってから、はっきりと自覚した。
子供たちと遠足へ行って、川に落ちた自分を助けてくれたジロ。
野宿することになったときの、落ち着いた、頼れる姿のジロ。
「…………」
彼を思うと身体がうずいて、顔が熱くなっていた。
ベッドに横になりしばし昂ぶった気持ちが静まるのを待つ。
「じろーさん……じろーさん……」
熱い吐息が口をつく。汗がじんわりと額に浮かぶ。身体に火がついてしまってどうしようもなかった。
と、そのときだった。
「……くく、おかーちゃんすごいねぇ」
「……せーよくおばけだもんねっ」
部屋の出入り口から、声がした。
慌てて飛び起きて、そちらを見ると……そこには自分の娘たちがいた。
「い、一花。に、弐鳥も」
長女の一花と、そして小柄な少女、次女の弐鳥がいた。
「アタシらのことは気にしなくていいさね」
「うんっ。だからどーぞ乱れちゃってっ」
桜華は顔を真っ赤にして、「ばかっ。ばかっ。もうっ」と憤る。
一花と弐鳥は母いるベッドまで来ると、彼女を挟んで腰を下ろす。
「いやぁしかし朝っぱらからとはねぇい」
「ここへ来たのがあたしたちじゃなくておにーさんだったらどうするつもりだったの~?」
くすくす、と両側から娘たちが母をからかってくる。
「う、あう……」
「部屋の鍵は閉めてからしないとね~」
「でないと兄ちゃんと鉢合わせになってとんでもないことになるさね」
しおしお……と桜華は身体を縮ませる。
「ま、おかーちゃんをからかうのはこれくらいにしとくか、な、弐鳥」
「そーだねいっちゃ。あんまりからかっちゃママかわいそうだもんね~」
ねー、と顔を見合わせる娘たち。
「さって……じゃあそろそろ本題といこっかね」
「本題……?」
顔を上げてハテと首をかしげる桜華。
「おかーちゃん、兄ちゃんのこと、好きなんだろ?」
娘の指摘に、桜華はびくぅっ! と身体を強く反応させる。
「ど、どうしてそれをっ?」
まだ娘たちには、ジロへの好意を打ち明けてなかったはずなのだが。
すると娘たちは、「見てれば一発さね」「あきらかに山から帰ってからのママ、おにーさんへの態度が違うもん」
そうだろうか?
「兄ちゃんと手が触れただけで顔真っ赤になるし」
「おにーさんと顔を合わせただけであうあうってなるの、最っ高にかわいかった~」
……どうやら娘たちにはばれてるようだった。
「さって……じゃあこれからの話をしないとね」
「そ、どーやっておにーさんとママをくっつけるか。作戦を練らないとね~」
娘がそんなとんでもないことを言ってきた。
「い、いいから……。わたしの問題だから」
わたわた……と慌てる桜華に、娘たちがにこりと笑って答える。
「そんな水くさいじゃないか。アタシらにも協力させておくれよ」
「そーだよ。だっておにーさんとママがくっついたら、おにーさんがパパになるんでしょ? あたしたち大歓迎!」
「そうそう。あんな優良物件ほかにないさね」
「ここできちんとものにしておかないとねっ」
桜華は「い、いいわよ……」と娘たちの申し出を断ろうとする。
「おや? じゃあおかーちゃんは兄ちゃんのこと、嫌いなのかい?」
「おにーさんが振り向いてくれなくっても、それでいいの?」
二人の問いかけに、桜華はしばし沈思黙考する。
……考えてる時点で、自分の気持ちは固まっているも同然だ。
嫌いなわけない。彼に振り向いて欲しい。
「んっ。ならやろう。幸いにして今日は兄ちゃん非番だ」
「そしてママもお休み。となると作戦実行は今日だねっ!」
娘たちが計画を作り出す。母である自分は、もういいからとは言わなかった。
ややあって作戦が固まったらしい。
「そんじゃ作戦決行といこうか」
「そだね~」
娘たちが両側から、母をつかんで抱き起こす。
……かくして、娘たちアシストの元、ジロへ思いを告げるべく、作戦が開始されたのだった。
お疲れ様です!
そんな感じで掌編です。3話くらいを予定してます。桜華さんのことに決着が着いてから11章へ行く感じです。
明日も更新します。
そして新連載を今やってます。下にリンクが貼ってますので、よろしければぜひ!
ではまた!




