72.善人、鬼の母と夕ご飯を食べる
いつもお世話になっております!
桜華が目を覚ましてから、10分後。
俺たちは滝壺の近くの湖、そのほとりにてキャンプしている。
山深く。明かりなど一切ないはずだが、俺たちにいる場所は明るい。
テントやら、飯ごうやら、ランプといったキャンプ道具一式は、あらかじめ、マジック袋に入れていたのだ。
地球製品強力なアウトドアランプのおかげで、光源は保たれている。
「ほら、桜華。スープ飲むか?」
折りたたみのイスに座る桜華に、俺はマグカップを手渡す。
お湯はたき火で沸かした。
さきほど近くの森で木材を調達してきて、火属性魔法で火をつけたのだ。
「……ありがとう、ございます」
桜華は両手でカップを包むと、中身をじいっと見やる。
「……この、スープ、じろーさんが作ったのですか?」
桜華が俺を見上げて言う。
「ああ。といっても、インスタントだけどな」
カップスープの素を袋に入れておいたのだ。
「……いんす、たんと?」
はてと小首をかしげる桜華。しぐさが子供っぽくてかわいい。
……というか、今の桜華は、薄化粧が川の水で流れてしまい、すっぴん状態だ。
いつもより少し若く……というか幼く見える。人間で言うと彼女は20歳だと、前に言っていたが、それより若く……へたしたら十代に見えなくもない。
「じろーさん?」
俺がじっと桜華の顔を見つめていたので、不思議に思ったのか、彼女が首をかしげる。
その頬が、なぜかちょっと赤く染まっていた。目をつつっとそらして、身体をもじもじとよじっている。
「あ、いや。ごめん。ちょっと。それでインスタントの話だったな」
俺はカップスープの素を取り出して、桜華に見せる。
「俺の世界にあった、誰でも簡単に、すぐにできる料理のことだよ。たとえば」
俺はスープのパウチ袋(銀色のあれ)を切って、中の粉末を、マグカップに入れる。
「ここにお湯を注ぐだけでスープができるんだ」
「……そんな、ことで?」
俺は頷いて、カップの中にお湯を入れる。スプーンで少しかき混ぜるだけで、コーンスープが完成した。
「飲んでみてくれ」
「……では、失礼して」
桜華はまず、先に手渡していた方のスープ(コンソメ味)をすする。
「…………」
桜華の目が、くわっと見開かれる。そして口を離して、ほうっと吐息をはいた。
「どうだ?」
「……おいしい、です」
ただ美味しいと言ってくれる割には、その表情は硬かった。固いというか、複雑そうにうむむむ、とうなっている。
「どうしたんだ? 舌に合わなかったか?」
「……あ、いえ! そうじゃ、なくて。そういうことじゃ、なくてですね」
わたわた、とあわてて桜華が手を振るう。
「……ほんと、そうじゃないんです。とてもおいしいのは本当です」
「そうか。良かった。鬼には地球の料理の味が合わないのかと思ったよ」
桜華は鬼という、人間とは異なる種族だ。味覚が俺たちとは異なるかと思ったのだが。
「……いえ、そういうことはないです。とってもおいしい。おいしいからこそ、その、」
桜華が俺をちらっと見て、もごもご、と口ごもる。口を開いて、やっぱりやめる。
「……なんでもないです」
「そ、そうか」
なんでもない、というわりに何か言いたげだった。まあ本人が言いたくないのなら追求はしないが。
桜華が両手でカップを包んで、こくこくとのどを鳴らしながら飲んでいる。
何度もほうっと吐息をはいては、こくこく飲む。どうやら美味しいって話は嘘じゃないみたいだ。
では何が気がかりだったのだろうな。
まあそれはさておき。
「スープだけじゃ物足りないだろ。もう少しでご飯できるから、待ってな」
俺が桜華にそういう。
桜華はスープの味にうっとりしていた。俺が言うと、ハッ! と正気に戻る。
「す、すみません! ご飯の準備はわたしがっ」
普段は桜華が、俺たちの孤児院の食事を作っている。だから彼女は、自分が今日も作ろう……としたのだろう。
「いや、大丈夫だぞ。もう用意できてるから」
「へっ い、いつの間に……?」
桜華が驚くかたわらで、俺はたき火のそばに座る。
適当な石を【形成】で形を変えて、キャンプ用の網を上にのせてある。
網の上には鍋と、そして飯ごう。
飯ごうはすでに泡を吹き終わっている。そして鍋の中には水が張っており、なかに銀色のパウチ袋が入っていた。
「……それも、インスタントというやつですか?」
興味深そうに、鍋の中のものを見て桜華が言う。
声のする方を見て……俺は声を失う。
状況的には、俺がたき火の前でしゃがみ込んでいる。俺の隣に、桜華が中腰になって、俺の手元をのぞいている。
……そうなると、どうなるか。
俺の顔の真横に、桜華の爆乳が、ぶるんと垂れているのだ。
な、なんだこれは。俺の顔より大きいではないか。その大きさに圧倒される。そしてミルクに蜂蜜を混ぜて煮詰めたような、気が遠くなるほど甘ったるいにおいが花をくすぐる。
「じろーさん?」
「あ、いや、すまん」
「……あ」
桜華は俺の視線が、自分のどこに向いていたのかに気づく。桜華は、はにかむと、
「……いえ」
と答えた。いえってなんだ。気にしないってことなのか。
い、いかん……だめだ。どうしても大きな胸には目がいってしまう。
「そ、それでインスタントの話だったな」
俺は意志の力を振り絞り、桜華から目線をそらして言う。
「この鍋の中に入っているのもそうだ。もう良いかな」
俺は菜箸を使ってパウチ袋を回収する。紙皿を袋から取り出す。
飯ごうを厚手の手袋をはめた手でもちあげて、蓋を開ける。
ぴかぴかの白米(昼に使った米)の白米から、しゃもじを使って紙皿にご飯をつぐ。
「じろーさん、何を作ったのですか?」
彼女の小さな声が、今日ははっきりと聞こえる。周りに誰もいない静かな森の中であることと、そして彼女が、すごく至近距離にいるからだ。
彼女の息づかいが耳を打つ。「んっ」「ん」「ふっ」とだいぶ色っぽい。むろん意識してやってるわけじゃないだろうが……。
俺はどぎまぎしながら、パウチ袋を切って、ご飯に【それ】をかける。
どろり……と飴色の液体が、米の上にかかる。小さく切った肉と野菜がスープの上に浮いている。
鼻腔をつくのは、スパイシーな香りだ。食欲をかきたてるにおいをかいでいると、
ぐぅううう~~~~~~~~~~………………!
と、大きな腹の音が鳴った。
「…………」
「えと、えとっ、あのあの、その……あぅ」
音の主は、桜華だった。
おしとやかな彼女からは、想像できないほど大きな音だった。
「……ち、ちがうんですじろーさん。これは……」
ぐぅううううう~~~~・……………………!!
さっきよりも大音量の腹の音に、桜華は顔を真っ赤にして、その場で黙り込んでしまう。
「と、とりあえずご飯食べよう。な?」
「………………………………は、はひ」
赤くなった顔の桜華は、いつもの大人なびた雰囲気はなく、普通の女の子のように思えたのだった。
☆
夕飯はレトルトのカレーにカップスープだ。
「……ふしぎです」
皿に盛られたカレーをしげしげと見ながら、桜華がつぶやく。
「……お湯であたためるだけでカレーができるなんて」
孤児院ではあまりレトルトは作らない。コレットと桜華というプロ級の料理人がいるからな。
それに子供たちも、小さいうちからレトルト食品を食わせるのはよくない。ということで、あまりレトルトのものは、家では作ってないのだ。
桜華が珍しそうにしているのは、そういうことだ。
「……いただきます」
桜華はスプーンでカレーを一口すくって、ぱくっと食べる。
「あむっ、はふっ、はふっ、んっ、はっ、はふっ」
熱そうにはふはふしながら、桜華が咀嚼する。
ややあって「んくっ…………。はぁ~」と幸せそうな顔で、吐息をはく。
……どうもこの人が食事してる風景は、エロいというか、なんだろうな。
「どうだ?」
「…………」
桜華の表情が、またむむぅ、と険しくなる。
「どうした?」
「……いえ。その」
また桜華が口ごもってしまう。スープの時と同じだ。
「桜華、何か言いたいことあるなら、遠慮なく言って良いんだぞ。俺たち仲間だろ?」
俺も桜華も、孤児院で働き、子供たちを養っていく、いわば仲間だ。
何か言いたいことがあるのなら言って欲しい。悩みがあるのなら打ち明けて欲しい、と思うわけである。
桜華は目線をきょろきょろとせわしなく動かした後、意を決したようにうなづいて、こう言った。
「ずるい、です」
と。
「ずるい?」
「…………」こくこく。
桜華はカレーの入ったお皿を、ずいっと俺の前に出して言う。
「……こんなに美味しいものを、ものの数分で作れてしまう。じろーさんは、すごいです、けど、ずるい、です」
すねたような調子で、桜華がそういった。
俺は……拍子抜けした。桜華は真剣な表情で続ける。
「……コレットさんもわたしも、美味しいご飯を作るためには、たくさん時間と手間がかかります。……なのに、じろーさんってば、美味しい料理をすぐに作ってしまいます。……ずるい、です」
妖艶な女性が、子供のようにすねているのが実に可愛らしかった。
苦笑しつつ俺は言い返す。
「いや、別に俺の手柄じゃない。これを開発したやつらがすごいんだよ」
それに、と俺は続ける。
「でもやっぱり、桜華たちの手料理にはかなわないって」
そう、結局はインスタント食品なのだ。たまに食うなら美味しく感じるが、毎日だとやっぱり飽きが来る。
そういう意味では、コレットや桜華の手料理は別格だ。毎日食べていても、ぜんぜんあきない。
それは桜華たちのたゆまぬ努力と、子供たちに美味しいものを食べさせたいという情熱が、結果として帰ってきているのだろう。
俺ではとうてい、彼女たちには、かなわない。
「…………」
桜華は顔を赤くして、自分の身体をぎゅっと抱く。そして下腹部をすりすりとなでて、「……だめ。がまんしないと」と何事かをつぶやいている。
ややあって桜華はカレーをぺろりと食べ終わる。
さて俺も食べるかなと思ったそのときだ。
「……あの、じろーさん」
「ん? どうした桜華?」
桜華はもじもじとしながら、俺と、そして飯ごうを見ている。
物欲しそうな視線に、俺は気づく。
「ああ、おかわり欲しいんだな」
「…………」こくこくっ。
桜華は大きくうなづいたあと、ハッ……! と我に返って、「は、はしたなくてすみません……」
と肩をすぼめて謝る。
「別におかわり求めるのってはしたないことでもなんでもないぞ」
「……そう、ですか?」
「そうだって。ほら、皿かして」
俺は桜華から紙皿を受け取り、米をついで、そこにルーをそそぐ。
「ほら」
「……ありがとう、ございます」
桜華は淡くほほえむと、スプーンをもちあげて、まぐまぐと食べ出す。
さて俺も「……あの、じろーさん」
……見ると、桜華の皿はきれいに空っぽになっていた。
「桜華? もしかしてもう食べ終わったのか?」
「……す、すみません。まだ、その……欲しくって」
上目遣いに欲しいという桜華が、なんだかいけないプレイを強要されてる若奥様に見えて、気まずくなって目をそらす。
「ま、まだご飯もカレーもあるから。遠慮なく食うと良いぞ」
俺は3杯目を桜華に注いで渡す。……今度は目をそらさないようにする。
桜華は神妙な顔つきでスプーンをもつと、しゃしゃしゃ! と光の速さで、皿の中のものを全て平らげた。
「…………ふぅ」
満腹になった桜華が、幸せそうに吐息をはく。カレーの油でテラテラになった唇が実にエロティックだ。
さて俺も食べるか……とおもったのだが、「…………」「もういっぱい食べるか?」「……はい」
結局桜華は5杯もおかわりをした。
意外と大食いなのだな。
使い終わった食器の片付けは、桜華とともに行った。湖の水で洗って、マジック袋の中に入れる。
「さて、飯も食ったし寝るか」
「…………!」
桜華の身体が、びくーん! と固くなる。耳の先まで朱に染まり、もじもじと身をよじり出す。
「……あの、あの、その、こ、こころの、準備がまだ」
わたわた、と桜華が顔を真っ赤にして慌てる。
「え?」
俺はマジック袋から、寝袋とレジャーシートを取り出す。
シートをテントの隣に引いて、その上に寝袋を置く。
「どうした?」
「……あの、じろーさん? ……それは?」
桜華が寝袋と、俺を見て言う。
「ん、ああ。俺こっちで寝るから。テントは桜華、おまえが使ってくれ」
テントはひとつしか持ってなかった。
複製をこの場で行いたいけど、魔力が足りない。地球の品のような、複雑なものは複製に膨大な魔力が必要で、竜の湯に浸かってる状態じゃないとできないのだ。
「……あの、えっと、わるいですよ」
「いや、気にしなくて良いぞ。使ってくれ」
相手が仲間とは言え、未婚の女性と同じテント寝るわけにはいかないしな。
「…………」
「それじゃ、桜華。おやす」み、と言いかけたそのときだ。
きゅっ。
と、桜華が俺の服の裾をつかんできたのだ。
「…………」
「桜華? どうした?」
桜華は服をつまんだ状態で、しばらく沈思黙考。顔を真っ赤にして、うつむいていた。
ややあって、こう言った。
「……あの、一緒に、寝ませんか? 外は、寒いです、から」
おつかれさまです!
おそらく次で10章おわるとおもいます。分量が伸びても、もあと2話くらいかと。
ではまた!




