01.善人、引退する
新連載はじめました、よろしくおねがいします!
冒険者という職業がある。
ギルドから採取や討伐という依頼を受けて、それを完遂してその日の金を稼ぐ職業だ。
職業と言っても定額の給金をもらえない、クエストの成否によってはその日の収入がもらえない日もある、水商売のようなものだ。
危険も多い。なにせ依頼が、モンスターを倒してきてとか、モンスターが住まう場所に生えてるキノコをとってきてだとか。
とにかく、【一般人では危ない仕事を代行する】仕事が、俺たち冒険者の仕事なのである。
危険は多いが……まあそのぶん、当たると大きくもうけることのできる職業でもある。ダンジョンへ潜り、一攫千金という話しも、ないわけではない。
冒険者とは危険はあるけど、しかし夢のある職業と言える。
俺も農家の次男坊に生まれ、家を継ぐこともできないだろうってことで、大金を夢見て家を出て冒険者になったくちだ。
俺には生まれつき【特殊技能】と呼ばれる、特別な能力があった。
俺はそのスキルを使って、冒険者として頑張った。
16で冒険者となり、それから20年。
駆け出しだった俺も、今ではすっかりおっさんとなった。
20年もこの業界にいるので、いちおうはベテランと呼ばれるようになった。一流かと言われると疑問符が付くけどな。
この日も俺は、いつものように拠点の街近くの森へ行き、害獣である【モンスター】を狩っていた。
「お、いたいた」
俺は茂みに隠れながら、討伐対象である【クレイジー・ボア】を発見した。
猪型のモンスターだ。通常の猪の倍近くの大きさがある。
大変気性が荒く、あいつの突進攻撃のせいで、森に採取に入った何人もの人が被害に遭っている。
「気づいてないか。さて……さくっと倒しちゃいますか」
俺の狩りは基本的に奇襲しかしない。
昔は正面切って戦ったが……今は【とある事情】で近接戦闘ができないのだ。
クレイジー・ボアに向かって、俺は右手を差し出す。左手を地面に置く。
俺は脳内で特殊技能……スキルの発動を念じる。
「【複製】開始→魔法→無属性魔法・【滑】」
左手が光る。
するとーー
「ブギァッ!!!!」
つるん、と猪がその場ですっころんだ。
「おーし、奇襲成功」
無属性魔法・スリップ。これは対象物から摩擦を奪う魔法だ。
ようするに氷の上で立っているような状態になってるわけだな。
猪は仰向けになったまま、じたばたと脚を動かしている。さて、トドメといこう。
俺は差し出した右手を猪に向けて、
「【複製】開始→物体→銅の剣・2本」
すると俺の魔力を吸い取って、猪の上空に銅の剣が2本出現する。
1本剣は重力にしたがって落下、猪の胴体に突き刺さる。もう一本は猪のそばに刺さる。
猪を串刺して動けなくなったタイミングを見計らって、茂みから出てくる。
地面に突き刺さった銅の剣を引き抜いて、
「よっと」
猪の急所である心臓に、銅の剣を突き刺す。
心臓をひとつきされたクレイジー・ボアはそのまま「ぶぎゃあああああ!」と悲鳴を上げると、絶命した。
「ふぅ……これで依頼完了っと」
猪の死体を見ながら、一仕事終えてほうっとため息をつく俺。
「しかし戦法がこずるいことこずるいこと」
物陰に隠れ、スリップで横転させて、動けないところを剣でぐさーとか。卑怯極まる戦い方だった。
「騎士物語の主人公には、決してなれんな」
まあ俺は騎士じゃなくてしがない冒険者だ。安全に日銭を稼ぐためには、こういう手を使うのである。
「さてあとは死体を持って帰って依頼達成か」
【討伐クエスト】はモンスターの討伐し、その死体の一部を持って帰れば、それで依頼達成となる。
そう、1部分でいいのだ。だが俺はそうしない。
俺は死体のそばに立って、左手をクレイジーボアに向けて言う。
「【複製】開始→魔法→無属性魔法【素材化】」
すると魔法が発動。猪の死体が、【いのししの大皮】×1と【いのししの低級肉】×5になる。
素材化とはこのように、動物やモンスターの死骸から、素材アイテムを作り出す魔法だ。
まあ死体の一部(たとえば耳とか)を切って持って帰れば十分なんだが、残った死体が実にもったいないではないか。
腐らせるくらいなら、こうして素材にして持って帰る方がいい。
俺は右手を前に出してスキルを発動させる。
「【複製】開始→物体→大きな革袋」
俺の体から魔力が放出され、それが物体となり、俺の望んだとおりのものが複製される。
これこそが、俺の特殊技能、【複製】。
あらゆるものをコピーし、再現することができる。左手は魔法をコピー、右手は物体をコピーできる。
コピーするためには左手でコピー元の魔法を、右手で物体を一度触る必要がある。が、一度触ったことがあれば、何度も再現が可能なのだ。
一見チート能力っぽいこれなんだが、この【複製】には魔力を消費する。
俺の魔力量は、一般人より少し多いかな程度だ。ようするに、無限にバンバンと魔法や物体を作り出すことはできないのである。
現に2度の魔法の複製と、2度の物体の複製を行っただけで、俺は魔力が枯渇してしまった。
「スキルはチートでも、それを使う人間がチートじゃないからなぁ。ま、こんなもんだろ」
もしかりに無限に近い魔力を持っていれば、このスキルを存分に使えて、もっと高いランクの冒険者になれただろう。
だがまあ……これでいいのだ。
一日に必要な分の金を得る。帰ったらビール飲んでそこそこ美味い飯を食う。で、余ったぶんを貯蓄に回す。
そんな地味な生活が、俺には性に合っているんだ。
「けど……ま、そんな生活も、今日でおしまいだ」
俺は素材となったアイテムを回収し、街へ戻る。クエスト達成を知らせに行く。
そう……俺の冒険者としての、最後のクエストのだ。
☆
俺の拠点【カミィーナ】の街の冒険者ギルドへと、クエスト達成の知らせを告げるためにやってきた。
ギルド会館には、今日のクエストを終えた冒険者たちが、飲んで食べての大騒ぎをしている。
「あ! ジロさんじゃないですか!! お疲れ様です!!」
俺が受付へ向かって歩いていると、顔見知りの若い男が、俺に話しかけてきた。
「おう、ケイン」
俺はその男、ケインが座っている席へと近づく。年齢は確か19だったか、精悍な顔つきと、がっしりとした体格の……まあなかなかのイケメンだ。
「今日もおまえはイケメンだなケイン。羨ましいぜ」
「ありがとうございます! 師匠にそう言われると嬉しいです!」
ケインがパアッと表情を輝かせながら、実に嬉しそうに言う。
「よせよ、おまえの師匠だったのなんて、もう何年も前じゃないか。それに今では俺なんかより遙かに腕の立つ冒険者だよ、おまえは」
「そんな……そんなことないですよ! ジロさんは俺なんかより遙かに強いです! あの事故さえなければ、ジロさんだって今頃はきっと……!」
ケインが俺の利き手である左手を、悲痛な面持ちで見てくる。
「んなことねーよ。事故があろうがなかろうが、おまえは俺を超してた」
「……………………ありがとうございます。あなたにそう言われて、光栄です」
暗い雰囲気を払拭するように、「そう言えば」とケインが話を切り出す。
「今日ですよね?」
とケインが確認するように言う。事情を知らぬ第三者には、何のことだかわからないだろう。
だが俺には、ケインが何を指して今日だと言っているのか、わかった。
「ああ。今日のクエストで目標額に達成する。それで……おしまいだ」
俺の言葉に、ケインが「さみしくなります」と眉を八の字にして、今にも泣きそうな表情になる。
「なに、別に死ぬわけじゃない。またどこかで会えるさ」
「…………はい」
ケインはうなずくと、立ち上がって、頭を下げる。
「今までお世話になりました、ジロさんのおかげで、今のおれがいます。あなたから教わったこと、そして、あなたから受けたこの恩、絶対に忘れません!」
なんともまあ泣けるセリフを言ってくれるぜ、このイケメンやろう。
「困ったことがあったら、いつでも言ってください! おれ、いつでもどこでも、ジロさんのもとへ駆けつけますから!」
「おう、あんがと。まあもっとも、俺は田舎でのんびり過ごすつもりだから、困ったことなんてそうそう起きないと思うけどな」
俺はそう言ってケインと握手したあと、その場を離れ、受付へと向かった。
背後で「ねえケインさん、さっきのひとってだれなの~?」「俺の最も尊敬する冒険者さ」とか聞こえてきて、ちょっとこっぱずかしかった。
そんな尊敬できるひとじゃないんだがな。
さて。
受付には剣を腰に差した青年が、受付嬢に話しかけているところだった。
「なあマチルダさん、聞いてくれよ。この間な一つ目巨人をついに倒したんだよ」
「そうですね。存じております」
「でさでさっ、聞いてよマチルダさん。そのときの俺の活躍っぷり!」
どうやら青年は受付嬢・マチルダに気があるらしい。自らの武勇伝を言って聞かせていた。
まあマチルダはかわいいしな。たしか年齢は18だったか。ふわふわとした亜麻色の髪に整った顔つき。
なによりその大きな胸と尻が、男心を掴んでしまうのだろう。
かくいう俺もちょっとその胸には目が行ってしまうのだが……まあマチルダは妹みたいなもんなので、恋愛感情的なものは芽生えない
「巨人の豪腕をサッ……! とかわし、やつの懐に潜り込んだ俺はその一つ目に剣を突き刺す! そして倒れる巨人……」
「す、すごーい。さっ、さすがですね……」
「だろだろっー! いやぁB級冒険者のなかで、ソロで一つ目巨人を倒したのって俺が初じゃない? ねえマチルダさん? どう俺すごいっしょ? そんなスゴい俺と今晩飲みにでも行かない?」
青年からのデートの誘いに、受付嬢のマチルダは、困った顔で「ええっと」と言いよどんでいた。
と、そのときだった。
「あっ♡」
俺と目が合うと、ぱぁあっとマチルダの顔が明るくなる。
「げっ、【手品師】」
青年の顔が不快に歪む。
手品師とは俺のことだ。何もないところからものを出すことができるから、手品師と。言い得て妙だといつも思う。
「邪魔してすまない。クエスト完了の手続きをしたいんだが」
青年は忌々しげな顔をすると、「ちっ……」と舌打ちして受付を離れる。
青年が去ると、マチルダはホーッと安堵の吐息を吐く。
「ありがとうございます、お兄ちゃ……んんっ! ジロさん、助かりました♡」
マチルダが俺をお兄ちゃんと、昔の呼び方で呼びかけていた。すぐに言い直したが。
……そう言えばいつからだろうな。マチルダは俺のことを【お兄ちゃん】ではなく名前で呼ぶようになったのは。
たしかマチルダがギルドに就職したあたりだったか。
「あいかわらずマチルダは男どもから人気者だな-」
「そ、そんな……わたしとしては、ちょっと困ってしまいます。……特にジロさんの前では」
マチルダは視線を落として、腕を前で組み、もじもじと身じろぎする。うでに挟まれた2つの大きな果実が、ぷるぷると大変なことになっていた。
眼福だが目に毒だ。ってか、それよりもだ。
「え、なんで? 俺の前だと困るんだ?」
「うぇっ!? そ、それは…………そ、そんなことよりもっ!」
気を取り直すように、マチルダがこほんと咳払いをすると、
「ジロさん、クエスト達成の手続きを行います。モンスターの一部分を」
「ん、ああ、そうだな」
さっきの発言は気になるが、まあ今は仕事中だ。私語はつつしむとしよう。
俺は持っていた革袋を、どさり、と受付におく。
「ほい、クレイジーボアを倒して手に入る素材1式」
素材アイテムもモンスターの一部分だからな。
「はい……たしかに」
マチルダは素材アイテムを確認したあと、俺にギルドカードの提示を求めてくる。
カードをわたす。マチルダはクリスタルでできたハンコを取り出し、何かしらの呪文を唱える。ハンコの先端がぽわっと光り、そのままカードにハンコを押した。
「はい、クエスト達成となります♡」
マチルダの言葉がトリガーとなり、ハンコが小さな革袋へと変化した。
「こちらクエスト達成のお金と、あと素材アイテムのぶんのお金です。買い取り金額はこちらに」
そう言ってマチルダは革袋と小さな紙切れを渡してくる。まあ、適正価格だった。
「ジロさんにはいつも助かってます」
俺にものを手渡したあと、マチルダがそう言った。
「討伐クエストにいくたび、こうして素材アイテムまで持ってきてくれて、スゴく助かってるんですよ」
普通討伐クエストは、モンスターの一部分だけ持って帰ればそれですむ。だが前にも説明したが、それではもったいないのだ。
モンスターからは素材をはぎ取ることができる。だがそのためには無属性魔法の【素材化】を使うか、あるいは専門の解体業者の元まで、モンスターを運ばないといけない。
ようするにその作業が面倒なので、みんなモンスターを倒したら倒しっぱなしにするのだ。素材が取れるのに、放置するのである。
俺みたいに素材化してくるのは、この町では俺しかいなかった気がする。ああ、ケインは俺にならって素材化してたかもな。
「いや、別に感謝されることじゃないだろ。本来はやらなくて良いことで、俺は単に素材化の魔法が使えるからやってるだけだからさ」
「いいえ。それでも助かります。素材だって集めるのにクエストを受注しないといけませんし、ただでさえ素材採取のクエストは人気がなくて誰もやらないんです。……母の時もそうだったじゃないですか」
沈んだ表情でマチルダが言う。
「……10年前、母が奇病にかかりました。なおすのには【ワイルド・ベア】の胆嚢が必要でした。でもギルドにクエストを発注しても、誰もそれを取ってきてくれませんでした」
まあ、ワイルドベアはどう猛で、倒すだけでも一苦労だしな。そもそも討伐しようとする人間はほぼいなかったし、討伐したやつらも素材化せず耳とか牙とか一部分だけを取ってギルドに帰ってきたからな。
「でも……でもジロさんは違いました。わたしの頼みを聞いて胆嚢を取ってきてくれましたし、子供でお金なんてお小遣いくらいしかないわたしに、お金は要らないよと言ってくれました……」
なつかしい話しだ。マチルダはあのとき8歳とかだったな。
「わたし……ジロさんにはすっごく感謝してるんです。おかげで母は助かりました。今も元気にしてます。本当に、ジロさんのおかげです」
マチルダが目を閉じて、うつむき加減にそう言う。昔を思い出しているのだろうな。
「あのときは、本当にありがとうございました、ジロさん」
瞳に涙をたたえながら、背筋を伸ばして一礼する彼女は、本当にキレイだった。
あの小さな子がここまでの美少女に成長するなんてな。
「いえいえ、どういたしまして」
まあ感謝されて悪い気はしないが、なにぶん10年も前のことに対してありがとうって言われても、正直どうリアクションとっていいかわらかなかった。
「ところで……ジロさん」
すっ、とマチルダが目を伏せながら言う。
「あの……本当に、今日で……その……」
ああ、そのことか。
「ああ、うん。今日で冒険者をやめるつもりだよ」
俺が言うと、マチルダは「…………」きゅっ、と下唇を噛んだ。
「あの……どうしてですか? だってジロさんまだ36じゃないですか。早すぎ、ますよ……」
冒険者は10代から40代前半までの職業で、そのあとは貯蓄を切り崩して生活するというのが一般的だ。
なぜなら冒険者はきつい肉体労働だからだ。体が頑強な時期はいい。けど年を重ねるほどに体は衰えていく。ゆえにみんな40代くらいで引退するのだ。
そう考えると36でやめる俺は、マチルダの言うとおり、早すぎるかもしれない。
しかし……。
「いや、無理だよ。だって俺、左手がな」
俺はシャツの袖をめくって、左腕を露出する。そこにはモンスターの爪のあとが残っていた。
「5年前ですよね。ホワイト・ファングの攻撃を受けて重傷……」
「ああ。傷はこのとおり治ったんだが、神経が何本かいかれちまったみたいでな。うまく力を入れることができないんだよ」
俺の職業はいちおうは剣士だ。両手剣を使うにしろ、片手剣で戦うにしても、利き手に力が入らないのでは使い物にならない。
あの日傷を受けてから、俺はモンスターとの直接的な戦闘ができなくなった。さきほどのような奇襲攻撃での撃破が主になった。
「ジロさんの【複製】スキルがあれば、まだまだ冒険者としてやっていけます! だから、その…………」
やめないで、と小さくマチルダが続ける。それは幼い子供がだだをこねているようにしかみえなかった。
成長してると思ったけど、この子もまだ子供なのだなと思った。
「複製は確かに便利だ。うまく活用できれば、まだまだやってけるかもしれん」
「なら……!」
「だがまあ、無理だ。魔力が足りない」
複製は強力だが使用するたび魔力を消費する。俺の魔力量では、1日に複製は5回までしか使えない。
しかも5回目を使用し魔力がなくなると、精神力が疲弊し、気を失ってしまう。だから5回使えるが、5回目の使用はしない。できない。
1日に4度しか使えないのだ。正直言って、
「冒険者としては、今の俺は不適格なんだよ」
たとえばダンジョンなどには、俺は潜れない。敵と出会ったときに近接戦闘はできないし、複製によって魔法を使えても、4度しか使えないため、長期間にわたる冒険はできない。つまりダンジョン探索はできないのだ。
「なら……今まで通りフィールドでの狩りを続ければ?」
「確かにできるが実入りに乏しい。それに今までは上手く奇襲がはまっていたけど、今後も通用するかは不明だ」
モンスターだってバカじゃない。同じ手で同胞が屠られ続けたら、向こうも対策を打って出てくるかも知れない。たとえば集団ででてくるとか。そうやって襲ってこられたら対処できないからな、こっちは。
「ようするに、俺はもう限界ってことだ。体力も日々衰えていっているし、ここらが潮時なんだよ」
「………………そう、ですか」
マチルダは口惜しそうにぎゅーっと唇を噛んだあと、絞り出すようにそう言った。
「……引退後は、どうするおつもりなんですか? お金とかは、その」
ああ、優しい子だなこの子は。これから無職になる俺の身を案じてくれてるようだ。
「とりあえずどこかで湯治でもして、そっから考えようと思う。金の方は、まあいちおう貯蓄があるからな。そういうわけだマチルダ、ギルドに預けてあった俺の預金、全部出してくれ」
「…………はい」
そう言うとマチルダは奥へと引っ込み、しばらくして、大きめの革袋を持ってきた。
どちゃり、とカウンターの上で、重い金属音がする。
「今日の稼ぎとあわせて、ちょうど金貨10000枚。これくらいありゃ、まあ、死ぬまではのんびりできるかなって」
金貨1枚で菓子パンが100個買える。異世界人たちは「金貨1枚で1万円くらいかな」と確か前に言っていた。
「あ、そうだ。マチルダ。ほかにギルドに預けてる俺の武器とか防具とかも、売ってくれないか」
ギルドは冒険者たちの武器屋防具、金までもを預けておくことができる。
が、もう俺は冒険者を引退する身だ。武器はもう必要がない。
マチルダは悲しそうな顔になるが、顔をぱしっと叩くと、「わかりました、すぐに手配します」と言ってうなずいた。
「準備が整ったらお呼びしますので、少しお待ちください」
「うん、わかった。頼むよ」
マチルダに仕事を頼み、俺はケインの元へ行って時間をつぶすことにした。
そのとき妙なことを聞かれた。
ケインは「あれ、マチルダから何も言われなかったんですか?」と俺に聞いてきた。
「ん、引退するのは早くないかって言われたよ」
「え、それだけですか?」
「それだけって……それだけだけど? ほかになにかあんのか?」
「……あんにゃろ、ヘタレやがったな……。最後のチャンスだったのに」
「ん? どうした」
「あ、いえ。そう言えばジロさんは彼女っていないんですよね、今も」
「まあな、独り身だよ」
「ですよね。……うん、ジロさん。近いうちに3人で飲みませんか? おれと、マチルダと、ジロさんの3人で」
ケインとマチルダは旧知の仲だ。たまに食事しているところを目撃している。
「いいぞ。てか、いいのか、それで?」
「なにがですか?」
「いや……おまえとマチルダって付き合ってるんだろ?」
「……え、どうしてそういう話になってんですか?」
「だっておまえら結構な頻度で一緒に食事してんじゃん。てっきり」
「…………相談に乗ってるだけですよ」
「なんの?」
「ひみつです」
とかなんとか。こうして、俺は後日この3人で飲むことになったのだった。
少ししてマチルダが武器防具を売った金を持って俺とケインがいるところへやってきた。ケインが3人で飲むことを提案すると、「い、いきます! ぜったいにいきますからー!」となんだか興奮気味に同意してきた。
そんなにケインと飲むのが嬉しいんだな、マチルダのやつ。付き合ってなくても、こいつら昔から仲良いからな。
☆
なじみの宿屋で目を覚まし、世話になったオーナーのおやじにあいさつを告げると、俺は宿屋を出た。
時刻は9時頃だろうか。
普段は8時には起きていたのだが、昨日で冒険者を引退したので、ちょっぴり寝坊したというわけだ。
街を出て行こうとすると、門の前でケインとマチルダに出会った。
「おまえらなにしてんだ?」
「何って見送りですよ」「ですですっ」
何を言ってんだこいつ、みたいな感じでケインが言って、マチルダはこくこくと強くうなずいた。
「見送りっておまえらなあ。別に今生の別れってわけじゃないのに、大げさな」
「いやでも当分は帰ってこないでしょう?」
まあな、とうなずくと、マチルダがぎゅーっと下唇を噛んだ。ケインはぽん、と彼女の肩を叩くと、
「それで、ジロさんはこれからどうするんです? 湯治に行くっていってましたよね」
「ああ。天竜山脈の近くの温泉街へ行ってみようと思う」
とは言っても天竜山脈は活火山であり、あちこちに温泉が湧いている。温泉街といってもたくさんあるのだ。
「どこか良いとこ知らないか?」
「ああ、じゃあこっからだと【ズーミア】とかいいですよ。あそこの温泉って神経痛にきく温泉が湧いてるっていうし」
「ほう……」
俺にぴったりのところだな。俺は負傷している左手を擦りながら言う。
「んじゃそこにいこうかな」
「ええ。あー……ただあそこって結構貧富の差が激しいんで、気をつけてください。スラム街とかはいかないようにしたほうがいいですよ」
ケインは高位の冒険者なので、ここ以外の街にいくこともおおい。なので地理に詳しいのだ。
「治安は良いんですけど、奴隷商売が盛んに行われてまして、金持っているとおひとつどうですかとかしつこく聞いてくるんで。そういうときは無視で大丈夫だと思います」
「わかった。そうするよ。いろいろアドバイスさんきゅな」
俺はそう言ってケインと握手する。
ケインは手をほどくと、「ほれ、マチルダ」と隣でガチガチになっていたマチルダの背中を押す。
「あ、あのあの……えっとえっと……その、その……」
マチルダは顔を真っ赤にして、目をきょろきょろと視線をせわしなく動かす。背後でケインが「いけいけがんばれ」と小声で何か言っていた。
きゅっ、とマチルダは意を決したように下唇を噛むと、
「ジロさんっ。あの……わたし、わたし……す、すきっ、すきっ、です!」
となんか突然にそんなことを言ってきた。背後でケインが「よくやったー!」となんか嬉しそうにガッツポーズしている。
しかし好き、か。こんな美少女に好きって言われて、男としてスゴく嬉しい。だがまあ、あれだろ?
人間として好きってことだろ。ラブじゃなくてライク的な好きってことだろ、わかってるわかってる。
マチルダは昔からの顔なじみだ。俺にとってこの子は妹みたいなもんだ。向こうも俺を兄として慕ってくれている。
好きとは人間として、妹として、兄のことが好きだよと言いたいのだろう。
「ありがとよ、マチルダ。俺もおまえたちのことが好きだよ」
「わ、わ、や、やった! やったよケインわたし………………・……おまえ、たち?」
喜色満面だったマチルダの顔が一転、きょとんと目を丸くする。
「ああ、おまえとケイン、俺にとっておまえらは大事な弟と妹みたいなもんだ。どっちも好きだぜ、俺はよ」
ケインも幼少期から俺のことを兄として慕ってくれている。そんなかわいい弟妹のことを、俺は大事に思っている。
「…………………………」
「マチルダ、どんまい」
なんか落ち込むマチルダに、ケインが同情するように、肩をポンポンと叩いた。
「うう……お兄ちゃんの、ばかー!」
そう言ってマチルダが背を向けて走り去っていく。ケインは苦笑しつつ、
「じゃあ、お元気で。ジロさん」
「ああ、おまえらも達者でな」
「飲む約束忘れないでくださいよ。あと……帰ってきたら少しはマチルダのこと、女として見てやってください」
? マチルダは最初から女の子だろ? と俺が言うと、ケインは微妙な顔をして、それ以上何も言わず、街へと戻っていった。
「さて、そんじゃま……出発しますか」
こうして俺は冒険者を引退し、第二の人生を切ることになった。
……の、だが。
「離してっ! コレットを離しなさいよ!」
「ウルセえガキだな。借金を返せないならこの上玉をもらってくって約束だっただろ?」
ズーミアの街へ向かう途中の森の中で、俺はその子たちに出会った。
かわいらしい猫耳を生やした獣人の少女・アム。そして、金髪のハーフエルフ、コレット。
その子たちとの出会いが、俺の人生設計を大きく変えてしまうことになろうとは、このときの俺はまだ知るよしもなかったのだった。