1.菊
1.
風はそよぎ、種は飛び。
水を吸い上げ、葉は生きかえる。
太陽の力を借りて、花開く。
「四宮様よっ。小鳥が肩にのっていらっしゃるわ!私、あの小鳥になってしまいたい。」
「まぁ!なんて、凛として麗しいお姿なのかしらね。」
「風にそよぐ琥珀色の髪。色っぽい目元のほくろがたまらないわ。」
「羨ましい。あの方に摘んで頂けるなら、私わたくし、野に咲く花になってもよろしくてよ。」
「私なんて四宮様のホクロになってしまいたい。そして、四宮様の涙を受け止めて差し上げるわ!」
涙ではなく、美しい汗の水滴が若く麗しい青年の首筋を流れたのをみて、多感な時期である令嬢たちは、ほぅとため息をつく。
私立 瑠璃宮学院高等学校。
閑静な高級住宅街から車で10分。自然豊かな場所にその高校はある。所謂由緒正しき家柄の者しか入れないためか、瑠璃宮にご子息をいれることは金持ち達のステータスになっている。
瑠璃宮には、家柄良し、素行良し、頭良しではないとまず入学できないため、おっとりとした淑やかな根っからのお嬢様や、生まれた時から帝王学を学んでおり十年後には時代を背負うお坊っちゃまなどが主たる構成メンバーと言えよう。
そんな高貴なお嬢様達が憧れている数人の中の一人に、琥珀色の髪と、ヨーロッパの王室の血が入っていると噂される絵画のような美しい顔立ちや8等身のバランスの良い体を合わせ持つ四宮洋太がいる。
周りの青年が帝王学を学び悪い言い方でガツガツして俺様化しているのに比べ、洋太はいつも優雅に背筋を伸ばし、長い足を組み、静かに佇んでいる。所作のはしはしに育ちの良さ、心のゆとりと、精神性の豊かさが伺える。
たくさん働いている人がたくさんお金をもらうのは当たり前だ。それは労働者階級の考え方である。
四宮家は沢山の不動産を所有しており、働かずしも数十億円とお金がはいってくる。根っからのインテリジェンス。支配者階級であった。
瑠璃宮高校の存在する土地も、四宮家が古くから所有しているものを無償で学校へ貸与しており、四宮家の一員である洋太には小さい頃からある程度の自由が許されていた。
昔から自然や花や草木が好きだった洋太にとって、学校の周りの許された面積を過ごしやすく整えるのは心の底からウキウキとすることであった。
大規模農家だった祖父、造園家であり登山家の父、生け花を教えている華道家の母、微生物による土壌改良について研究する姉。家族の影響を受け、洋太はいつしか自然大好きっ子になっていた。
玄関前の広い敷地は、ヴェルサイユ宮殿のような大きな泉と絶妙な配置で置かれた木立ち(ユニファー)や花壇など、平面幾何学的なフランス式庭園をクラシカルに仕上げている。
フランス式庭園を一から学ぶためその道の巨匠ルイ・パルガに教えを乞い、洋太自身が設計・作図したものである。
また、フランス式庭園のみならず、洋太は立体的な構造のイングリッシュガーデンの作成も天賦の才があった。面積はフランス式庭園より小さいが、黄・青・ピンク・白の四種類のガーデンがあり、一般にも公開しているそこは都会のオアシスとして周辺住民に熱烈なファンを持つ。
洋太に、伝手をたどり、庭の設計を頼みこむ人も現れる。
高木、低木、草花の絶妙なバランス。これは、母で華道家である明美から受け継がれた抜群のセンスと花木の知識によるところが大きい。日蔭の(シェード)庭もお手の物だった。
鳥のさえずり。
水の音。
洋太は、自然たっぷりの環境で息を吸い込むのが大好きだ。
小さい頃に小児ぜんそくを患い、父親と都内を離れ山間で生活していた洋太にとって、食べ物と同様に新鮮な空気はかけがえのないものであった。
あの土地で出会った人、この目でみた光景すべてが宝物だ。その宝物が手に入った瞬間から、目の前の森羅万象すべてがキラキラして見えるようになった。
山にいき、川のせせらぎに入り、透き通った水をのむ。その水は自分だけではない。森の生態系を育んでいる。
慢心せず雨に濡れた時はすみやかに下山する。自然は優しいだけじゃない。時におそろしいから。
昔から洋太は人間よりも自然を相手に共に生きてきた。もちろん、人間の文明もこなゆなく愛している。
花の散りゆく様。儚げな様子は洋太を切なく感じさせる。
「立派な菊ですね。」
ふと、珍しく見知らぬ女性から声をかけられ、洋太は目線をあげる。
目の前には、洋太と同じ制服を纏った藍色の髪を二つに結んだ女の子がいた。瞳は真ん丸で藍色だ。
洋太はその時、大菊の三本仕立てをしていた。一つの茎に一つの花を咲かせる。今年の菊は菊の先生に誉められるほど重厚感があり上質だった。
始めたばかりの昨年度は、茎が延びすぎてしまい失敗だった。
「ありがとうございます。」
洋太は嬉しそうに返事をする。自分のことを誉められるより、手塩をかけて育てた花を誉められるほうが何倍も何倍も嬉しい。
「あれ、錦糸卵みたいですね。」
少女に問いかけられ、洋太は伊勢菊というあの菊から派出したものですよと瑳峨菊を指す。
少女はあごに手をやりながら、「食べられますか?」と聞く。洋太は、それは食用ではないので食べられませんよと笑いながら答えた。あれとこれなら食べられますよと手を指すと、少女の薄紅色の唇の端から透明なヨダレがでる。
「あの、少し味見しても良いですか?」
見知らぬ少女の発言に驚いたものの、食用菊にできる紫色の延命楽と阿房宮の黄色い花弁をつみ水洗いして少女に手渡す。
瞬く間に紫と菊の花弁は少女の口の中に消え、少女は「新鮮で美味しいですね。菊花和えや酢の物にしたいのでもう少し頂けませんか。」と言葉を紡ぐ。
少女の口端からだらしなく涎がでており、少女は余程菊が好きなのだろうと思った洋太は、一緒に庭をいじってくれている川田さんにお願い、袋に食用菊を詰め、少女に手渡す。
少女は、朗らかな笑みでそれを受けとり、軽いステップで去っていく。
洋太は向けられた屈託のない笑顔に一瞬見とれていた。
健康的な頬にえくぼを浮かばせ、藍色の瞳はキラキラと馬眼のように潤い光っていた。
変わった子だな......。
「あんな生徒いたかな。」
記憶を探るが、見たことがない。
それ以前に、ここの生徒たちは自分に対して良い意味でも悪い意味でも丁寧に接してくれている。
こちらと話す相手は概ねいつも隠しきれないくらい緊張しており、そのためか洋太も肩肘張ることが多かった。
だからか、洋太には目を向けず、菊ばかりを気にしていた少女はある種、珍しい存在といえる。
「転校生だろうか。」
その素性を知る前に、彼女はまた洋太の前を訪問する。今日も少女は藍色の髪を二つに束ね、欲を隠そうともせず、洋太にゆっくりと近づいてくる。
洋太は、その欲はまた食欲なのかな?と、推測していた。
「こんにちは。この間の菊、とっても美味しかったです。」
「気に入って頂けて良かったです。」
洋太はにこやかに応対する。
少女の視線は洋太に向けられることはなく菊に向けられている。
「あの、地面に植えられている小さな菊って。」
少女は薄紅色の唇を人差し指で触りながら、洋太に問う。相変わらず少女は菊を一心に見つめている。
「あれは品評会にだせないものを植たんだ。」
形の悪いものや時期のずれたものをはじいている。しかし、何十本もの色とりどりの菊が固まって咲く姿は風情があるとも言える。
「へぇー。可愛らしいですね。....実は今から祖母のお墓参りに行こうと思っていまして数本いただけませんか?」
「いいよ。もう終わりだろうから、すべて抜こうと思ってたんだ。いくらでも持っていっていって。」
そう剪定ばさみを彼女に渡した時に、「校長がお呼びです。」とのことで席をはずす。
洋太は予想していなかった。
品評会に出す菊以外が見事に刈られていたこと。
そして、寺の前で、少女が刈り取った大量の菊を供花用に包み販売しお金を荒稼ぎしているなんて。