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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第16章 憂愁の眠り姫
97/334

16-9 月の路(みち)を飛べ

 暗く細長く,かび臭い通路をシノノメとマユリは走っていた.

 シノノメはデパートでアルバイトした事がある.従業員用の通路・倉庫ヤードが華やかな売り場の陰――壁際にぐるりと巡らせてあるのだが,この屋敷もそのような構造になっているらしい.

 単純に窓から逃げたのでは,すぐに逃走経路が分かってしまう.窓を開けてそこから逃げたと偽装し,別のルートから逃げる.マユリの機転と知恵に,シノノメは感心していた.

 だが,こんな暗い通路を良く見通せるものだ.

 暗闇に目が慣れてきたとはいえ,曲り道を間違うことなく進んでいく.

 もしかすると,これも第六世代のナーブ・スティミュレータによる能力なのだろうか.マユリの後姿を追いながら,シノノメはふとそう思った.


 「こちらです.ここなら私の部屋に行くのとは別の階段に出られるし……それに,もう一つ見せたいものも……」

 マユリは屈んで通路の壁を押した.

 ボコンと音がして,腰から下の高さに茶室のにじり口のような小さな入口が開いた.壁のドアは通路の反対側――つまり,部屋側に開くような仕組みらしい.暗い通路が部屋の灯りに照らされる.

 マユリとシノノメはしゃがんでドアを潜った.


 「良かった.誰もいないわ」


 体を起こし,二人は部屋の中に立った.

 部屋はかなり広く,ダンスホールかボールルームのようである.床は磨いた大理石で,天井にはシャンデリアがぶら下がっていた.パーティを開くための部屋なのだろう.壁にはカカルドゥアの神話物語を描いた大判のタペストリーが飾られ,海側は天井から床まである大きな一面のガラスになっていた.

 窓からは,月に照らされた暗い海が見えた.凪は続いているらしく,波は穏やかで鏡面の様に静かだった.

 月は中天に昇り,海面には輝く光の道――月の路が出来ている.


 「綺麗だね」

 「シノノメさんが王子様なら,ダンスをお願いするところです」

 マユリはクスリと笑った.

 窓を通して降り注ぐ月明かりの中,二人の影は床の上で交錯している.それはまさにダンスを踊っているように見えた.

 「マユリ姫は少し元気を取り戻しましたね?」

 「……泣いてすっきりしました」

 マユリははにかみながら小さな笑みを浮かべた.


 「こちらだ! 急げ!」

 だが,ほどなく廊下の方から荒々しく叫ぶ声と大きな足音が聞こえ始めた.複数の人間が走る音だ.追手に違いない.


 「もう気づかれちゃった!」

 「今度はこちらです! さっき言った,もう一つ見せるものがあるんです!」


 マユリは壁に飾られたタペストリーをめくり,裏側に潜り込んで壁を押した.

今度は壁がスライドし,入口が開き,暗い部屋が現れた.


 「すごい! こんな所にも隠し部屋が!」

 「感心するのは後です!」


 マユリとシノノメは部屋の中に駆けこんだ.

 間一髪,照明が灯され,一気に広間は明るくなった.

 追手が灯りをつけたのだ.

 タペストリー越しならば隠し部屋の入り口は見えない.

 引き戸を完全に閉めず,少しだけ開けてシノノメは広間の様子を窺った.

 織物の織り目の間から,広間の様子が透けて見える.

 追手は四人だった.

 聖堂騎士団の制服――黒い服に黄色の布帯を締めた人間の男が二人と,白いゆったりしたズボンを履いた獣人が二人である.豹人と虎人の二人は逞しい上半身の上にベストだけ羽織っていた.ふと見ると,二人とも太い上腕に見覚えのある黒い腕輪をはめていた.


 「マユリちゃん,あの人たちは誰?」

 「うちのお屋敷の,護衛をしている人たちです」

 「あの腕輪は,みんなつけているの?」

 「ああ,アメリア語の翻訳腕輪でしょう? 大体うちではみんな装着してます.あれ,実際には,第五世代までのVRシステムを第六世代にバージョンアップするアプリケーションなんだってお父さんが言ってました」

 「じゃあ,みんなアメリア語が喋れるんだね」

 「それに,体も強化するみたいです.神経の伝達が何とか,っていう理屈は私には分からないんですけど」

 「ふーん……」

 シノノメは聞き耳を立てた.


 「ハメッド会長の屋敷に東の主婦がいる筈ないだろう」

 「いや,確かな筋からの情報だ」

 「それより,お嬢様がお部屋にいらっしゃらなかった」

 「東の主婦がお嬢さんをさらったんじゃないか? 何せ,誘拐犯だからな」

 「ぬう……」


 追手たちはそんな会話をしている.

 豹人と虎人の耳を見てシノノメの心臓は躍り上った.

 猫が警戒する時と同じだ.四方に聞き耳を立てる様子――せわしなく耳が動いているのだ.

 マユリの言う通り黒い腕輪が身体能力を強化するのなら,自分たちの小声など聞こえてしまうのではないか.

 取りあえず,犬人や狼人がいなくてよかった.イヌ科の動物の嗅覚は人間の数万倍だ.あっという間に自分たちの居場所を嗅ぎ当てられてしまうだろう.

 シノノメは細心の注意を払って音を立てないように引き戸を閉じた.


 「あの腕輪,こちらにもありますよ.ここ,探検中に見つけたんです」

 真っ暗になったので,マユリは灯りをつけた.


 「これは……」


 シノノメは隠し部屋の光景に圧倒された.

 図書館にも似て,ずらりと書架のような棚が並んでいるのだが,その棚に置かれているもののほとんどが武器だった.

 半月刀,青竜刀,蛇鉾じゃぼう,日本刀,直刀,西洋式の大剣,五指剣などの刃物.

 あるいは,大小様々な銃があり,黒鉄色に鈍く光っている.ライフルやマシンガン,中にはグレネードランチャーまであった.

 銃など興味が無いシノノメにとっては,まとめて‘鉄砲’なのだが,海賊が持っているマスケット銃とは違い,いずれも近代的な銃であることは理解できた.

 武器の中に入り混じるように装身具のようなもの,そして大きなガラス瓶が置いてあった.


 「これ,アメリア製の武器なのかな?」

 「私にも詳しいことは分からないんですけど……多分,そうだと思います」

 「それとも,この会社で共同開発したものなのかな……でも,アメリア製の機械なんて,ユーラネシアで使えるのかな?」


 シノノメは考え込んだ.

 通常,大気中の魔素濃度の違いからアメリアの複雑な機械は使えない――という,マグナ・スフィアの鉄則がある.


 「でも,きっと……こうやって大事に置いてあるんだから……」


 問題なく使えるに違いない.シノノメはそう思った.

 ニャハールが言っていた.アメリア大陸には,高度な工作機械がある.ユーラネシアのような生物生産品が作れない代わりに,極めて強度の高い金属を作ったり,加工したりすることができるのだと.

 ユーラネシアの文明は中世だ.優れたドワーフの鍛冶師はいるが,鍛造できる金属の種類は限定される.アメリアでは,オリハルコンやヒヒイロカネ,ミスリルといった伝説上の金属よりもっと硬度が高い金属を作り,それで非常に硬い刃物を作ることもできるのではないだろうか.

 銃も多分そうなのだ.

 鋼板を機械で曲げたり鋳造したりして,中の精密な機械仕掛けを組立てているのかもしれない.シノノメは詳しくないが,歯車やバネならユーラネシアでも動くはずだ.魔法工学師や技師が,魔素で動く水車や回転ノコギリなら作っているのだから.


 「こんなにたくさん,父は一体どうする気でしょう?」

 「実際の商品にしては,数が少なすぎるよ.この部屋に保管してある物は,商品見本なんじゃないかな.こういう物が手に入りますとか,この武器はユーラネシアでも使えますとかいう感じの.ちょうど広間の隣でしょう? すぐに隠せて,商売相手に見せられるもの」

 「ナジーム商会で武器も売っていたなんて……」

 「きちんと届け出していれば,販売できるけど……普通,武器は専門の武器屋さんか,鍛冶屋さんしか扱ってない筈.ましてや,アメリアの武器なんて……」

 とても認可されるとは思えない.シノノメは最後の言葉を飲み込んだ.


 ファンタジー世界では,システムが武器を管理しなければ,成り立たない物語――クエストがある.

 例えば,連射銃を手に入れたとする.

 雑魚キャラのモンスターなら,剣を使うよりも遥かに効率よく倒すことが出来るだろう.あるいは,剣を使う敵との戦いは,圧倒的に有利だ.

 非常に硬い特殊な合金の弾丸を手に入れれば,固い甲皮を持つ,ハイレベルのモンスターもやすやすと攻略できるかもしれない.

 どんな格闘技,武術を学ぶよりも拳銃を持てば人間は最速で強くなる――と実戦志向の武術家は言うが,それと同じように近代的な武器はレベル1のプレーヤーを簡単に強力な戦士に変えてしまうことになるだろう.

 ユーラネシアにそういった武器を使うプレーヤーがいなかったのは,容易に手に入らないからだ.

 強力な武器はレアアイテムであり,クエストを攻略し自分自身のレベルを上げなければ手に入らない.魔法や錬金術で作るにしても,精密な武器を作るのであれば,直接魔法のレベルを上げる方が手っ取り早かったからである.

 もし,それが簡単に入手できるとすれば――誰しもが欲しがるだろう.レベル上げも修業も必要ない.お金を貯めて買いさえすればいいのだ.ノルトランドの戦争で,銃や大砲で人々を蹂躙したのと同じようなことを考える人間が出たとしてもおかしくない.


 「ファンタジー世界が終る……」

 シノノメはふと呟いた.

 主婦ギルドの団長マスター,ミーアに世界を救いなさいと言われて久しい.エクレーシアことソフィアにも世界の救い手と呼ばれている.


 「マユリちゃんはこれを私に見せたかったのね.お父さんはとても危険な商売をしているみたいだね……」


 ナディヤの残したメッセージ,『ナジーム商会 密貿易』は子供の誘拐でなく,このことを意味していたのだろうか.

 シノノメは考え込みながら見回した.

 腰ほどの高さの棚には,黒く輝く腕輪が並んでいた.

 シノノメがニャハールに貸してもらい,砂になって壊れてしまったもの――第六感シックスセンスに間違いなかった.

 その隣には象牙の様な質感の白い腕輪が並べてある.もしかしたら,これは機械アメリア語をユーラネシア語に翻訳するアイテムなのかもしれない.

 ふと,黒騎士の姿がシノノメの脳裏に浮かんだ.


 これを持って行ってあげれば……お話ができるかもしれない.


 シノノメは手を伸ばしてそれを取ろうとしたが,ふと指先を止めた.

 左の薬指にはめた指輪――エクレーシアの拒絶の指輪が光っている.


 危険な物なのかも……


 その時,シノノメは気づいた.白い腕輪の隣,ガラス瓶の中に薬のカプセルが入っている.白と赤の楕円形に見覚えがあった.

 ハヌマーンがアーシュラの船の上で飲まされていた薬だった.この薬を飲んだ後,ハヌマーンのアバターはベルトランの様に変化し,正気を失ったのである.


 ここにある物は……危険だ.


 少なくとも,ソフィアの愛する幻想世界に反する存在に違いない,とシノノメは確信した.


 でも……黒騎士さん,あんなに欲しがってたし……


 もう一度手を伸ばすと,そんなシノノメの迷いを押しとどめるかのように,薬指がちりちりと痛んだ.


 「何のために,こんな危険を冒してお金を稼ごうとするんでしょう.ゲームの世界のお金だから,現実のお金には替えられないのに……」

 白い腕輪の上で手をさ迷わせていたシノノメは,この言葉で我に返った.


 仮想世界の商売が好きで面白いから? いや,マユリのために人生を使うと誓ったという父親である.

 それに,マユリの話から推測すると,ナーブ・スティミュレータを製造販売しているような大企業の社長らしい.

 現実世界でも十分裕福な人間の筈だ.

 娘と時間を過ごすためだけにこの幻想世界にいるのならば,こんな危険な商売に手を出す必要は無い.

 一体,何のために?

 それはまさに,黒騎士が言っていたような――どうしても手に入れたい何かがあるのではないか.このVRMMO世界でしか手に入らないもの.

 それは何なのか.

 子供達を誘拐する事と,どう関係があるのだろうか.

 ……とりあえず今はここから脱出しなければならない.シノノメは一旦思索を中止することにした.

 

 「この部屋から,どこかに続いているの? 出口はある?」

 「いいえ,ここはもう行き止まりなんです.あの人たちがいなくなってから,そっと抜け出して逃げましょう」

 「マユリちゃんも巻き込まれるよ」

 「もう巻き込まれているというか,自分で巻き込まれたんです」

 マユリは悪戯っぽく笑った.

 「こんな体験,お父さんに止められていていつもできません.私,どきどきしてます」

 シノノメは頬を紅潮させたマユリを見ながら,いざとなれば自分がこの娘を脅して案内させたことにしなければならない,と考えていた.

 「シノノメさん,ここにある武器を何か使うのはどうですか? 強い武器なら,あの人たちをやっつけられますよ」

 マユリはそばにあった大口径の銃を指差した.

 「無理だよ.私,鉄砲なんて撃ったことないもの.水鉄砲しか使ったことないよ」

 「そうですか……でも確かに,弾がどこにあるか分からないですもんね」

 弾丸が見つかれば自分が援護射撃するのに,とでもいうようなつまらなそうな口調でマユリは言った.

 シノノメは刃物の棚を眺めた.


 一番扱いやすそうなものは……


 「じゃあ,これをもらうね」

 シノノメがそう言って手に取ったのは,棚の一番上に飾ってあった白鞘の日本刀だった.


 「刀ですか? それでいいんですか?」 

 マユリは他に並んでいる大きな槍や鉾と,何の装飾もない日本刀を見比べた.ギラリと銀色の光を放つ青竜刀や,二メートル近くありそうな蛇鉾に比べれば,あまりに貧相に見える.

 そもそも白鞘は保存用で,鍔や柄の拵えをつけて使うのが日本刀の本来の使い方だ.

 「えーと,ステイタス……わっ!」


 Mag5*@\\-/@@@ tojh@90j0@h@::\\@\@;@\……


 シノノメはステイタスを立ち上げて武器の情報を知ろうとしたが,アメリア製の物らしく文字化けして全く読めなかった.


 「うーん,マグロ包丁に似てるって思って選んだんだけど…….棚の一番上にあったから,直感的にはきっと良いものだと……」

 シノノメは鞘を払って刀身を見た.

 「あれ,この刀,……変わってる」

 

 マグロ包丁とシノノメは言ったが,確かに軽く湾曲した細い刀身は典型的な日本刀の作りである.だが,刀身が不思議な色をしていた.黒鉄くろがねという言葉があるが,それを通り越して完全に黒い.鋼鉄としても表面の輝きに乏しかった.

 シノノメは指の背で軽く刀身に触れてみた.金属というよりも,陶器のような,亀の甲羅のような不思議な感触である.

 ……これ,黒騎士さんの鎧の手触りに似ている.

 シノノメは密かに思った.


 「金属っぽくないですね.本当にこれ,切れるのかしら?」

 マユリは首を傾げた.

 「和包丁と日本刀の作りは同じって言うけど……触った感じはセラミック包丁に似てるかな.じゃあ,これもらうね.」

 セキシュウに習った通り,くるりと刀身を軽く振って鞘に納め,腰のベルトに刀を差した.

 ちょうどその時,壁の向こうから人が争う激しい物音が聞こえてきた.


   ***


 広間では豹人の男と聖堂騎士団の男が言い争っていた.

 「こんな捜査は横暴だ」

 「情報提供者がいるんだよ.平和を乱す犯罪者を捕まえるためだぞ.お前達もプレーヤーだろ.協力しろよ」

 「いくらなんでも,やり方が強引すぎる」

 豹人の男は今にもとびかかりそうな勢いだ.

 「おう,やるか?」

 聖堂騎士団は一騎当千の強者ぞろいだ.頑強な体を持つ戦闘型の獣人にも怯むことはなかった.

 「ここから逃げたんじゃないのか,鍵が開いている」

 虎人の男がテラスにつながる大窓を開けた.

 潮の臭いの混ざった海風が部屋の中に流れ込む.窓から身を乗り出し,辺りを見回した.

 「といっても,この狭いテラス以外,こちら側は断崖絶壁だがな.飛んで逃げたか,海に飛び込んだか.東の主婦ならそのくらいできるんじゃないのか?」

 「ほう,なるほど.この僅かな時間の間に,屋敷の外に逃げたということなのだな.騎士団にも獣人がいる.足音と気配がこちらの方に移動したようだということだったが」

 その時,野太い声とともに一人の男が広間に現れた.

 圧倒的な質感を持っている.胴も胸も腕も脚も,全てが太い.

 聖堂騎士団で一二を争う実力者,ダーナンである.

 ダーナンは岩を固めた様な顔に,不敵な笑みを浮かべていた.

 「ダーナン様!」

 聖堂騎士団の二人が,ダーナンに向かって一礼する.

 「バロン,ラーマ,御苦労」

 ダーナンは軽く手を上げて礼に応えた.

 「音に聞くいわおのダーナン自らのお出ましか……」

 豹人と虎人は顔をしかめた.ダーナンの武勇,武術スキルの高さはよく分かっているのだ.

 「この度のこと,俺も色々考えることがある.一刻も早く東の主婦の身柄を押さえたいのだ」

 太い眉を寄せ,眉間に縦皺を作って獣人を睨んだ.

 圧倒的な気迫に押され,虎人の男は半歩後ずさりした.豹人はかろうじてその視線を受け止めている.しかし,額にうっすら汗が浮かんでいた.

 「お前達,何を隠している?」

 「何のことだ……?」

 ダーナンはじっと二人の眼を見つめていた.豹人の縦長の瞳が,ほんのわずか左に振れている.ほとんどあるかなしかの動きだったが,ダーナンは見逃さなかった.タペストリーを飾った壁の方を見て,ぼそりと言った.

 「あちらに,何がある?」

 「な,何も……」

 「ならば,良かろう?」

 ダーナンは重厚な足音を隠す素振りもなく,壁に近づいてタペストリーを剥ぎ取った.あるのは,何の変哲もない壁板だ.

 「何も無いだろう?」

 虎人の言葉に何も返事せず,ダーナンは右拳を振り上げた.拳の先はまっすぐ壁に向かっている.

 「くっ! やめろ!」

 豹人がダーナンの右腕に飛びかかった.ネコ科の猛獣らしい,軟らかく素晴らしい跳躍力だ.騎士団の二人は反応できなかった.

 豹人の逞しい腕がダーナンの腕に絡み付いたが,ダーナンはものともせずに腕一本で豹人を持ち上げ,床に叩きつけた.背中を打ちつけた豹人は床の上で呼吸ができなくなり,もがき苦しんだ.

 「何をする!」

 虎人が飛び横蹴りを放った.

 十分な速さと重さを持った技だったが,ダーナンはこれまた空中で受け止めた.

 「ば,馬鹿な……俺の体重は百二十キロあるのに……」

 ダーナンはそのまま体を翻すと,反り投げの要領で虎人を床に叩きつけた.

 「ぐぬっ!」

 虎人は空中で一回転すると,四つん這いで床に着地した.

 「ほう,猫のように敏捷だ」

 「第六世代のバージョンアップは,伊達や酔狂じゃねぇ! カカルドゥアで強いのは,聖堂騎士団だけじゃないんだ!」

 ダーナンの応援に駆け寄った騎士団の二人は,虎人が立ち上がりながら放った‘あおり蹴り’――外回し蹴りで吹き飛ばされた.

 「やるな! 名を聞こう!」

 「戦士クシャトリヤのナミール!」

 だが,最後まで名乗り終わる瞬間,ダーナンは神速のタックルでナミールの懐に入っていた.上背はナミールの方が高い.下半身にタックルして諸手刈りをしていたら,膝蹴りを入れられていただろう.ダーナンは上半身に組みついて胸を密着させ,もろ差し――腕を脇の下から背中に回していた.

 「くそっ!」

 ナミールはダーナンの背中に爪を立てようとしたが,がっちり肩甲骨をロックされてしまっているので腕が届かない.肩が上手く動かせないのだ.

 「でやっ!」

 ダーナンはそのまま体を回転させ,腰投げでナミールを床に叩きつけた.同時にダーナンは自分の体重を浴びせかけたので,床は地震の様にびりびりと震えた.凄まじい衝撃だったようだ.ナミールはこの一撃でピクセルになると,バラバラと分解されてログアウトして行った.

 「ここに何があるというのだ……?」

 ダーナンは強引に壁に手をかけると,半ば引きちぎるように隠し扉を開けた.


   ***


 シノノメとマユリはすでに灯りを消し,奥側の棚の陰に隠れていた.

 二人は声を潜めながら話をしていた.

 「あの声,聞き覚えがある.聖堂騎士団の,ダルマみたいな太い人だよ.あの衝撃……今,虎人の人が床に倒されたみたい」

 「外の様子が分かるんですか?」

 「うん,だいたいね」

 「すごい……さすが,シノノメさん……」


 暗闇になると,シノノメは耳で‘見る’ことが出来る.ノルトランドの時に身につけた,エコーロケーションの力だ.

 唯の強化された脳機能のなせる特殊能力なのだが,本人は全く自覚なく使っていた.


 木の板と漆喰が壊れる音がして,隠し部屋の中に広間の灯りが入って来た.

 「これは……」

 「バロン,灯りを探せ」

 シノノメの方からは黒い人影にしか見えなかったが,聖堂騎士団の一人が魔石のランプを灯した.隠し部屋が光に照らし出される.

 「何ということだ! ダーナン様! これは,禁制のアメリアの武器ですよ!」

 「アーマー・ピアシング弾にダムダム弾,何だ,貫通性の高いフルメタルジャケット弾を撃ち出すライフルに,グレネードランチャーまである!」

 部屋に男たちの驚きの声が響き渡った.

 さすが男の子,鉄砲に詳しいな,とシノノメは少し呑気に感心していた.かなり危険で強力な‘鉄砲’らしい事が分かった.

 「武器の密輸か……ナジーム商会め,さっきの獣人たちはこの部屋を隠していたんだな!」

 「だから捜査に非協力的だったのか!」

 「誘拐事件も問題だが,これも大問題ですよ!」

 「そうだな.こんな武器が大量に輸入されて使われたら,ファンタジー世界のユーラネシアは成り立たん.俺たちの武術や剣は勝負にならない.ノルトランドで大量の銃が生産された時ですら,どう対抗するか議論になったというのに」


 シノノメがそっと覗くと,ダーナンが腕組みをしながら棚の武器を睨みつけているところだった.シノノメとマユリは視線を避けながら棚の裏手に回り,ゆっくり移動した.横板の隙間から様子を窺いつつ,部屋の奥に入っていく三人と逆方向,入って来た隠し扉の方に近づいて行った.

 だが,困ったことに騎士団の一人――ラーマと呼ばれた男が出入りを見張っている.広間の中で腕組みをしながらウロウロと歩く――哨戒していた.


 「どうしましょう……」

 ラーマが腰帯に差した長大な湾曲刀を見つけ,マユリが呟いた.

 シノノメはラーマの肩越しに広間の様子を窺った.豹人が一人,床の上で呻いている.幸い,ラーマ以外の騎士団員に招集がかかった様子はない.


 戦って切り抜けるしかないのだろうか……しかし,帰宅ログアウトの時間も迫っている.特にダーナンという男は簡単に倒せそうにない.

 ふと広間の奥に目をやると,窓が開いていることにシノノメは気づいた.


 「じゃあ,マユリちゃん,私行くよ」

 「え,もしかして,あの窓から?」

 シノノメは頷いた.

 「マユリちゃんも気を付けてね.もし聞かれたら,私に人質に取られたって言って」

 「そんな……」

 だが,信用できる人が少ない今,それが一番の方法なのかもしれない.賢いマユリはそれを悟ったようだった.

 「また必ず会おうね.今度はもっと楽しい冒険をしましょう.じゃあね!」

 「シノノメさん,気を付けて!」

 シノノメは隠し部屋から広間の中へと飛び出した.


 「貴様! 東の主婦か!?」

 シノノメの突飛な――ファンタジー世界にそぐわない恰好に,一瞬躊躇ってはいたが,ラーマは素早く腰の剣を抜いた.

 「何,東の主婦だって!?」

 シノノメの後ろ,隠し部屋の方から慌てるダーナンとバロンの声がする.だが,シノノメは振り返らない.窓目掛けて一直線に走った.


 「くっ! 待たないか!」

 ラーマは追いすがると,シノノメに斬りかかった.

 ゲームプレーヤは死ねばログアウトしてセーブポイントに移動してしまうので行方が分からなくなる.致命傷を与えないようにするためか,肩口めがけて湾曲刀の刃は振り下ろされた.


 「えい!」

 シノノメは,腰に差した刀を抜き放ち,抜きざまに振った.セキシュウに習った居合抜きのタイミングである.黒い刀身は月の光をも吸収するらしい.影が走ったかと思うと,ラーマの湾曲刀は真っ二つに切断されていた.

 両断された刃が高い音を立てて床に転がる.


 「ば,馬鹿な! 準レアアイテム,クリシュナの剣が折れるなんて!」

 ラーマは手に残った柄を見て,呆然とした.

 シノノメにとっても,想像以上の威力だった.剣を払おうと思っただけなのに,剣が切れてしまったのである.


 やっぱり,この刀って……

 

 シノノメの中で推測が確信に変わる.しかし,感慨にふけっている暇はない.走る勢いそのままに刀を収め,窓の向こう――月光の降り注ぐ夜闇に身を躍らせた.


 「おいっ! ここは崖だぞ!」


 ラーマの声を後ろに聞きながら,シノノメは海面に向かって垂直に落下していた.下には波に浸食された岩が海面から鋭い尖端を突き出している.激突すれば命はない.

 「ラブ!」

 シノノメは叫んだ.

 にゃん,と小さな声がすると,空飛び猫が屋敷の屋根を駆け下り,飛んできた.

 シノノメは脱出に備え,あらかじめラブを屋根の上で待機させておいたのだ.

 空飛び猫は逞しくもフワフワした翼を広げ,急降下して落下するシノノメを追う.

 さすがに背中に乗る余裕はない.シノノメはラブの前足につかまった.


 「にゃお!」


 まさに岩肌に激突する寸前,翼が海風を捉え,シノノメの体はふわりと浮きあがった.

 夜風に乗り,グライダーの滑空の様に空飛び猫とシノノメは飛んだ.

 羽ばたきは要らない.風はシノノメとラブを沖へ沖へと運んで行く.

 見る見る間にハメッドの屋敷は後ろへと遠ざかって行った.


 シノノメが少しだけ後ろを振り返ると,屋敷の窓からこちらを見ている三人の人影が見えた.おそらく聖堂騎士団の三人だ.

 そして――壁際の窓に小さな人影が見える.マユリはこっそり抜け出してシノノメを見送っているのかもしれない.


 「ふう,危機一髪だったな.マユリちゃん,またね」

 シノノメは吹き抜ける海風の心地良さを味わいながら,小さく呟いた.


 ポン.


 唐突に電子音が頭の中に響き,メッセンジャーが立ち上がった.

 『おい,シノノメ,大丈夫か?』

 送信者はヴァルナだった.

 『うん,海の上を飛んでいるところ』

 『分かってるよ.こっちから見えてる.お前,これからどこに行く気だ?』


 そう言えばそうだった.沖に向かって風に乗るのは気持ちいいが,行先は決まっていない.


 『どこに行こうか?』

 『全く,お前は何も考えてないんだな』

 『ヴァルナに言われたくないよ』

 『……いいから,とにかくこっちに来いよ』

 『こっちって,どっち?』

 シノノメは首を廻らせてヴァルナを探した.

 『月の道を飛べ』


 すこし面倒くさそうなヴァルナの声が響いた.


 「月の道……?」

 シノノメは海面を見下ろした.

 暗い墨のような海面の上に,黄色い月影が滲むように浮かんでいる.

 穏やかな波の上,それは長く細い光の道を作っていた.

 月の道を辿り,シノノメは飛んだ.


 やがて,海上をゆっくり移動するマッチ箱ほどの大きさのものが見えてきた.

 見覚えのある船影だった.


 「アーシュラさんの船だ!」


 アーシュラの移動レストラン,‘紅い鯨亭’号が外輪を回しながら月の道を横切るように航行していたのだ.

 シノノメは高度を落とし,ゆっくりと近づいていった.

 甲板の上で,青い髪の少年――クヴェラが手を振っている.

 横で気怠そうに見上げているのは,ヴァルナに違いない.

 腕を組んで豪快に笑っているのは,アーシュラだ.


 シノノメは白銀に輝く月をもう一度眺めた.

 地上の汚濁を洗い流すかのように光が降り注ぐ.


 闇の中照らされる月の道は,自分の進むべき道を示しているかのようでもあった.

 月の道――現実世界で,あの人と二人で見た.

 いつだったか,何処だったか思い出せないけれど……間違いない.

 それは微かで,とても大事な記憶だ.

 けれど,きっとあの人に繋がっている.


 記憶を取り戻せない哀しさ.

 大事な人の顔を思い出せない苦しさ.


 それは熾火おきびの様に胸の奥にくすぶり,時折熱く鋭く身を焦がす.

 だが,そんな想いを月光と海風が洗い流してくれる.

 微睡まどろみの中,頬に感じる風のような心地よさ.

 喉を降りるレモン水にも似た爽快感.

 海風が前髪を揺らす.


 この夢のような素晴らしい世界を,今だけはゆっくりと味わっていたい.

 月の光を全身に浴びながら,シノノメは少しだけ憂愁を忘れた.


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