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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第16章 憂愁の眠り姫
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16-7 名も無き墓標

 「これからする話は……子供たちには聞かせたくないのでな」


 ナーガルージュナは家を出るとガジュマル林――榕樹精舎の裏手へとシノノメを案内した.

 森の切れ目はびっくりするくらい明るい日差しに満ち,下草の生えた小高い丘になっていた.

 丘の上には,拳ほどの大きさの石がズラリと並んでいた.

 緑色の草の中に,白い丸い石はとても目立つ.十個や二十個ではない.見える限りでも五十個以上あった.

 

 「ここは……何?」

 「墓じゃよ.……子供達や,年寄りの」

 「お墓?」

 「うむ.NPCは死ねば,亡骸が残るからな.プレーヤーはピクセルになって解体してしまうから,そんなことは考えもしない連中が多いのだが」

 「ナーガルージュナさんは,お墓の番をしているの?」

 さらさらと風が吹き抜け,シノノメの髪をそよがせた.

 「そうじゃな……儂はここの,墓守でもある.シノノメ殿はこのカカルドゥアをどう思うかね?」

 「みんな商売が大好きで,賑やか,っていう感じかな?」

 「そうじゃな.商売というより,全て価値観は金というべきか.こんな中世世界で,どんどん経済が発達すれば,経済格差が広がっていく.何故なら,社会保障の概念がほとんどないのじゃから.健康保険もないし,貧しい人たちの生活を救うのは,僅かに富豪や貴族が時々行う喜捨や,施し物,炊き出し程度じゃ.ファンタジー世界とは名ばかり,現実世界の最もひどい現実を縮図にした状態かもしれん」


 ナーガルージュナはため息をついた.

 シノノメはアフリカや東南アジアのこと,そして,ヨーロッパにいた時に見た中東難民の子供たちの事を思い出していた.

 仮想世界に現実世界の残酷を持ちこむ――それは,形は違えど,かつてのノルトランドと同じではなかろうか.


 「この苦行林と言うところは,もともとカカルドゥアの社会で脱落した人間を受け入れる場所なんじゃ.働けなくなった者が自分でやって来る.あるいは,養うことのできない家族が,病人や子供達,老人を森の端に捨てていく」

「捨てるの? ひどい! 姨捨山みたい!」


シノノメの言葉を予想していた,というようにナーガルージュナは目を細めた.


「だって,シノノメ殿.さっき言った通りじゃよ.現代の先進国の様に,そんな人たちを助けるシステムがないのじゃ.いや,先進国,北欧型の福祉国家も今やどうかな? ヨーロッパや中国,アメリカがガタガタになってしまったせいで,相対的に富裕な国になっておるが,弱者救済の方法は日本だって以前からずっと問題になっていたじゃろう? 養いきれずに虐待して殺すのよりもよほどマシではないかな?」


「それは……うん」

シノノメの母も,それが理由で自分と弟をフランスから日本に連れ帰った事を思い出した.ヨーロッパは犯罪と社会保障の破綻で,大変な事になっているのだ.考えてみれば,危うく自分たちも難民になるところだったのかもしれない.


「行者たちもあんな苦行マニアばかりではなかった.そもそもは,苦行林で育ったNPCの子供が修業僧となり,托鉢して市民から寄付を募る,一種の弱者救済システムだったんじゃ.プレーヤーも,鉢と布一枚が財産だったという原始仏教の釈迦の様な生活に憧れた人間や,塾の講師なんかが多かった.そして,現実世界で行き場を無くした子供たちがここで一緒に勉強したりしておった」


「ここで?」

「何やら,緩やかで伸び伸び,いい加減な感じがいいのかもしれん.南国ムードで,試験も何にもないからのう」

「じゃあ,ナーガルージュナさんは孤児院の院長先生?」

「老人もおるから,老人ホームも兼ねておるよ.貧しいなりに平和な共同生活体コミューンじゃ.ヴァルナも時々遊びに来るが,あやつは本当に面白い.自分が儲けたお金やアイテムやらをごっそり全部置いて帰ってしまう.どうせ現実世界で使える金じゃないから,持っていても仕方がない,と言ってな.風の紡ぎ手という二つ名だが,まさに風の様に自由じゃ」


「そうだったんだ……」

シノノメはヴァルナが無駄遣いして一文無しになったと勘違いしていたので,少し反省した.


「自殺まがいのことを行う苦行者が増えても,まだ何とかしておったのだ.だが……それも壊れてしまった」

ヴァルナの話で少し口元がほころんでいたナーガルージュナの表情が,一気に曇った.


 「今回の誘拐ね?」


 先ほど料理を作ってあげた子供が,‘人さらい’に怯えていたことをシノノメは思い出した.

 

 「そう.そして,実は,誘拐された子供のうち,十人ほどはもう帰って来た……」

 「え? 本当に? みんなどこにいるの? え? ちょっと待って! 嫌!まさか?」


 シノノメは,墓石の一部が,とても新しい事に気付いた.新しい石の近くには,萎れた白い小さな花が立向けられている.一気に自分の身体から血の気が引いて行くのを感じた.

 ナーガルージュナは頷いた.


 「セム,ハム,ヤペテ,ククリ,ハリハラ,ジブライール,アヒム,エステル,サライ……みんな,殺されて森に捨てられていたんじゃ.しかも,ほとんどの子供が体にひどい傷をつけられておった」

 

 「傷!?」

 「このたびの誘拐じゃが,目的は全て同じではない.おそらく,三種類ある」

 「三種類? えーと,NPCと,プレーヤーじゃなくて?」

 「一つは,生きたNPCの子供が目的のもの.もう一つは,プレーヤーの子供を連れ去るもの.そして最後は,NPCの子供の‘身体’が目的のものじゃ」

 「身体!?」

 「さっきひどい傷と言ったじゃろう.傷と言うより,正確には外科手術の跡じゃ.内臓が奪われておったよ……可哀想に.みんなまだ三歳か四歳だというのに.痛かったろうな」

 ナーガルージュナは自分の痛みの様に感じているらしく,泣きそうな顔になった.


 「ひどい! 絶対に許せない!」シノノメは怒りに燃えていた.「でも,そんなことして何になるの!?」

 「ここからは儂の推測じゃが……アメリアの機械人には,生体部品が必要なのは知っておるか?」

 「コア……!」


 ナーガルージュナは眉をひそめて頷いた.

 シノノメは黒騎士のコアを触らせてもらった時の事を思い出していた.少し温かい,不思議な手触りの縫いぐるみ状の物体.

 あの下に息づいていたのは,間違いなく人間の臓器……

 そして,あの大きさ.ちょうど,三,四歳の子供の体くらいではなかったか.


 「何てことを……」

 「おそらく何者かが,子供の体を商品にすることを思いついたのだ.NPCなどただのゲームキャラと考えるプレーヤーが多いが,しかし,これは余りにもむごい……」

 「帰ってこない子供たちは?」

 「儂にもわからん.もしかして,五歳以上の子供は,大きすぎて臓器としての商品にはならないと判断されているのだろうか? だが生きていても,まともな扱いをされているとは到底思えん……奴隷か何かにされているのか……」

 

 “ナジーム商会 密貿易”

 

 ナディヤが残した書付の文句である.

 シノノメの頭の中で,その言葉は疑惑から確信に変わっていた.

 思えば,ニャハールが手に入れていた機械アメリア語の翻訳機もナジーム商会の物だった.

 ナジーム商会は,子供を誘拐して商品に仕立て上げ,密かにアメリアと貿易して儲けている.そして,その罪を自分になすりつけようとしている.

 背後に,間違いなくサマエルとデミウルゴスがいるに違いない.

 シノノメはナディヤの書付のことを含め,自分の推測を一気にナーガルージュナに説明した.


 「ナジーム商会がすべての犯人ね!」

 「むう……そう考えるか? だが,ヴァルナは,そう簡単でないと言っていたがのう……」

 ナーガルージュナは首を傾げた.

 「そのヴァルナも,ナジーム商会に気をつけろ,って言ってたもの!」

 「うむむ……だが,その言葉はそういう意味か分からんぞ.ヴァルナはもっと大きな闇,それこそ,さっき言った通り今のカカルドゥア公国をひっくり返すような陰謀が動いていると言っておった.確かに,これだけの犯罪が行われるには,巨大な政府機関や資本が動いているに違いない.密かに証拠集めをしているようじゃったが」

 「そんな悠長なことしてちゃ,駄目だよ! こうしている間にも,子供達の命が危ないかもしれない!」 

シノノメは地団太踏んで叫んだ.

 「こうなったらナジーム商会に突入して,社長を捕まえて絞り上げるとか……」

 「突入? ば,爆撃でもする気かね? そんな,それこそ敵の思う壺じゃぞ.おぬし,暗殺者アサシンや泥棒のスキルはあるまい?」

 「うーん,でも,何とか捕まえて,洗濯して脱水にかけるとか,物干し竿に干して布団叩きで叩くとか……」

 「そ,そんなもの,拷問のうちにも入らん.それで口を割るものなど,到底巨悪とは言えんわい」

 シノノメの突飛な発想に,ナーガルージュナは目を白黒させていた.

 「うーん……私に魅了チャームの魔法が使えたら,メロメロにさせて真相を白状させるのに……そうだ,おじいさん,一緒に行こう! あの不思議なスキルで,テレポートして忍びこめない?」

 「あれは,身を守ることにのみ使えるスキルじゃよ.儂の知る限り,壁を抜けて忍び込んだり,敵を攻撃する事には使えん」

 「じゃあ,私がおじいさんのスキルを習って,応用しちゃうとか……」

 「うーむ,できんとは言わん……が,いくらレベル96.8でも,職業ジョブは主婦じゃろう? すぐに身につけるのはどう考えても無理じゃわい」

 

 ポン.


 シノノメが悩んでいると,メッセンジャーが突然メールの着信を告げた.


 『もしもし,シノノメさんですか? マユリです』


 送信者の名前を見たシノノメは驚いた.

 ちょうど話していたナジーム商会社長ギルドマスターハメッドの娘,マユリだったのだ.

 いつも自分のお菓子を買いに来るので友達登録していたのだが,まさかこんな時にメールが来るとは思いもよらなかった.


 『私,シノノメさんが子供を誘拐するなんて,信じられません.きっと,何かの間違いだと思っています.実は,折り入って相談したいことがあります』


 読んだメールは‘既読’通知されるので,マユリにはシノノメが内容を確認していることが分かる筈である.逃亡者であるシノノメの立場をよく理解していた.


 『お返事は結構です.私,今晩はお部屋の窓を開けています.家の地図を送りますので,いらしてください.海側の二階の角部屋で,赤いランプをつけておきます.もちろん,父や他の人には内緒にしてあります.宜しくお願い致します』


 マユリの外観は中学生ほどだが,非常にしっかりした内容のメールだった.

 シノノメはメールの内容をナーガルージュナに告げた.


 「夜か.賢い子だなぁ.それなら,ロック鳥は夜眼が効かないから飛べないし,こっそり行きやすいね.でも,相談したいことって何だろう?」

 「……うむ,もしこのメールが罠でなければだが……それこそ子供の行方に関する手がかりを持っているのかもしれん.だからこそ,知り合いのお主が犯人に仕立て上げられた今,連絡を取ろうとしているのではなかろうか?」

 「なるほど……じゃあ,お家の中に子供が……いたとか?」

 「それはどうかな? 本当にナジーム商会が誘拐していたとしても,ギルドや社長の家の中にそのまま隠しておくような馬鹿ではあるまい? それに……子供たちの臓器を取り出す,手術室か処置室か……何かの施設がある筈じゃ」

 「そう言われてみれば,そうね.町中でそんなことをしてたら,すぐにばれちゃうよね」

 「だが……これはやはり罠かもしれんぞ.お主が行けば,聖堂騎士団が待ち伏せしているのかもしれん」

 ナーガルージュナは腕組みして唸った.

 「私……マユリちゃんは信頼できると思う」

 「また直感かね?」

 「そう.でも,私の直感は良く当たるよ.それに,罠をしかけたいんだったら,もっと騎士団が動きやすい場所……例えばサンサーラ市内のどこかで待ち合わせしよう,って言うんじゃないかな? 部屋にずらりと騎士の人がいても,いざとなったら私強いもん.みんなお家ごと吹っ飛ばしちゃうよ」

 「なるほど,確かに一理あるな.もしかして,この娘は正義感から父親の犯罪を告発しようとしているのだろうか?」


 ナーガルージュナは考え込んだ.しかし,最悪の場合ナジーム商会が裏で騎士団と繋がっている可能性もある.二つの組織がシノノメをスケープゴートに仕立て上げようとしているのかもしれない.マユリを疑ってはいないが,操られている可能性もゼロではない.


 「いずれにせよ,飛び込んでみない事には分からないよ.今までずっと調べて来て,何の手がかりもつかめなかったんだもの.これでハメッドさんの家に入れれば,何か証拠が見つかるかもしれない」

 「虎穴に入らずんば,虎子を得ずということか.だが,シノノメ殿,その直感も一つ外れておるよ」

 「何?」

 「儂ら竜人には,性別が無い.雌雄同体なのじゃ.じゃから,正確には儂はお爺さんではない」

 「えっ! ごめんなさい! おばあさん? ……って言うのも変だよね?」

 シノノメは真っ赤になって慌てた.

 ナーガルージュナの方は皺だらけの緑色の顔を歪めて微笑んでいる.あまりに皺くちゃなので,竜人と言うよりも猿の様にも見えた.

 「そういうわけじゃ.じゃから,お主の良く当たる直感もあまり過信しては危険じゃ.良いかな?」

 「はい,わかりました,ナーガルージュナさん.夕方になるまで,私いっぺん家に帰るね.じゃあ,こっちの時間で夜に会いましょう」


 シノノメはそう言うと,ログアウトして姿を消した.

 緑の丘――墓地の上には,ナーガルージュナだけが残された.

 南国の風が音を立てて吹きわたる.


 「ソフィアよ……あの娘は,本当に我々の救世主となり得るのだろうか……」

 ナーガルージュナは風の中,独りつぶやいた.

2017年1月12日一部修正しました。

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