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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第16章 憂愁の眠り姫
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16-4 罠

 「わあ,すごい! 大繁盛じゃない!」


 翌日ログインしてすぐ,新しい商品を搬入しに自分の店に来たシノノメは,思わず歓声を上げた.

 小さな屋台の前に人だかりができている.心なしか女の子が多かった.


 「あ! 社長! えらい事になってます!」

 顔を真っ赤にしながらニャハールが手を振る.

 「お早う,ニャハール.お客さんが沢山だね!」

 「違いますって.これ,俺を見に来た見物客です.社長,写真をばらまいた時に何かしたでしょう?」


 店の売り上げに手をつけたニャハールへのお仕置きとして,普通の猫扱いされている恥ずかしい写真をシノノメはばら撒いたのだ.さすがにメッセンジャーで写真を一斉送信することには気が引けたので召喚獣を使ったが,サンサーラの町中くらいには広まったはずだ.

 猫成分の多い猫人であるニャハールは,外見上身長百五十センチほどの二足歩行の猫だ.シノノメのありあまる魔力でお風呂に入れられ,力なく耳と髭が垂れてしょんぼりした彼の姿は大いに愛猫家の心をつかんだらしい.


 「あ,そう言えばお店の宣伝を紙の裏に書いておいた.マグナ・スフィア中に写真を一斉送信するのは流石に気がひけたけど,ただばら撒くのはもったいないし」

 「ニャハーっ! 何てことしてくれたんですか!」

 ニャハールがじたばたと手を振り回すと,集まった見物人は喜んだ.

 「わーっ! 大きい猫!」

 「モフりたーい!」

 「おお,ムクっとした良い毛並だ!」

 「肉球の臭いが嗅ぎたい!」

 シノノメのお菓子目当てでなく,ただの猫好きが大量に集まったのである.

 「いいじゃない,減るもんじゃないし.お客さんが集まれば相乗効果で売り上げが上がるかもしれないよ?」

 「おお! 確かに! そういうことなら,一肌脱ぎまっせ!」

 売り上げという言葉はニャハールの商魂に火をつけたらしい.

 「それでは愛猫家の皆さま! お菓子購入の方にはもれなく私,ニャハールが握手します! ただし,セクハラは禁止でっせ! 並んで下さい!」


 猫好きプレーヤー達はゾロゾロと行列を作り始めた.

 普通の猫風ニャハール写真はもっとある.ばらまいたら,もっと売り上げが上がるのかな,と思うシノノメである.

 店は今日もニャハールに任せ,ナディヤと一緒に子供達の行方を捜しに行こう……そう思った矢先のことだった.

 

 息を切らせながら,一人の男がシノノメに向かってまっしぐらに走って来た.

 「ちょっと,通してくれ!」

 「割り込みか? 並べよ」

 「違う,俺は客じゃない.シノノメさんに用があるんだ! 緊急事態だ.シノノメさん! シノノメさん!」

 人ごみに飲み込まれそうになりながら,必死で手を振っている.

 「はい,あなたどなた?」

 プレーヤー達が道を譲り,やっとのことで男はシノノメのところにたどりついた.

 「わ,私はアヒンサー.ナディヤさんの隣に住んでます」

 アヒンサーはぜいぜいと息を切らせて肩を上下させ,やっとのことで口を開いた.

 「アッヒン……さん.どこかでお会いしましたっけ?」

 ニャハールの言葉‘心の目で見る事’を意識して,一生懸命シノノメは名前を聞きとった.眼が三白眼で,ネズミに似ている.頭の中にそのようにインプットすることにした.

 「いいえ,初めてですが,シノノメさんは子供達を一緒に探しているんですよね? ナディヤさんが,ナディヤさんが大変な事に!」

 「どうしたの? 今日もこれから会いに行こうと思っていたんだけど」

 「隣の家で,大きな物音がしたので,様子を覗ったら……二階のテラスにナディヤさんがいて,これを」

 アヒンサーは震える手で,丸めた紙片を差しだした.

 「私に気付くと,投げてよこしたんです.何者かが家にやって来て二階に避難したのは良いけれど,逃げ場を失った,という感じでした.一刻も早くこれをシノノメさんに渡してくれって叫んだので,ここに飛んできました」


 ごわごわした紙片は握りこぶしくらいだ.シノノメは開いて中を見た.


 『ナジーム商会 密貿易』


 走り書きだが,紙には黒い墨でそう書いてあった.


 「何か手掛かりをつかんだのかな!? それで,ナディヤさんはどうなったの?」

 「さあ,私もその後の事は分かりません.とにかく早くそれをあなたに渡さなければいけないと思ったので……」

 アヒンサーはうなだれた.

 「大変だ! きっと,誘拐犯の一味が襲撃してきたんだ! 急いで助けに行かなくっちゃ! ラブ!」

 シノノメは屋台のカウンターの上で丸まっていたラブを呼び出した.


 「大きくなれ!」

 空飛び猫はあっという間にライオンほどの大きさになると逞しい翼を広げた.

 シノノメは飛び乗り,ラブに命じた.

 「ナディヤさんのお家! ラブ,分かるね!」

 「にゃあおー!」

 ラブは長鳴きすると,声とともに上空に舞い上がった.

 「シノノメさん! くれぐれも気をつけて!」

 そう言ってシノノメを見送るアヒンサーの口元には,何故か不気味な笑みが浮かんでいた.


  ***


 ナディヤの家は,港に近いゴミゴミした住宅街の一角にあった.

 空から見ると,白壁の四角い建物が,所狭しと身を寄せ合うように並んでいる.

 美しい街並みとは言い難い.漆喰塗りの壁はあちこちが剥げて,灰色の基礎が露出している.曲がりくねった道は一応石で舗装されているが,補修工事はされていないようだ.凸凹があり,ところどころ水たまりができて痩せた犬が水を飲んでいた.


 ナディヤの家の前に降り立ったラブの背中から,シノノメは飛び降りた.

 家の鎧戸が僅かに開いている.あまり治安が良いとは言い難い地区なので,戸締りには十分注意している筈である.

 中からの攻撃に気を配りながら,ゆっくりと戸を開けた.


 「ごめん下さい……」


 返事は返って来ない.

 静かに家の中に入ると,廊下に物が散らばっていた.

 割れた花瓶や,皿もあった.

 家具の引き出しは引き抜かれ,床に転がって中身はぶちまけられている.

 何者かが物色したに違いない.

 しかも,徹底したやり方だ.

 床の上に,写真立てが落ちていた.

 写真といってもユーラネシアでは魔法使いが羊皮紙に画像を念写するものなので,カラーではなくくすんだセピア色である.

 日に焼けた筋肉質の男とナディヤ,そして二人の腕に一人ずつ抱かれた赤ん坊が映っていた.ナディヤの夫は漁師で,大きな漁で命を落としたという.生前に撮影した家族写真に違いない.

 シノノメはそっと飾り棚に写真立てを置いた.ダイニングルームを見渡せる場所で,そこが最もふさわしいと思ったのだ.


 「これは……!」


 寝室とリビングダイニングだけの小さな家なのだが,その境界に血痕があった.シノノメはしゃがんで確認した.


 「ナディヤさんの身に,何かあったんだ……」


 絨毯の上には大きな足跡が入り乱れている.大きな足跡が踏み消すように小さなサンダルの靴跡があるが,これはナディヤの足跡だろう.

 ナディヤの姿はどこにもなかった.彼女を誘拐した襲撃者がいた事は間違いない.おそらく,子供達を連れ去った者と繋がっている筈だ.聞き込みを行っていたために眼をつけられたのかもしれない.


 「ここから,二階に逃げて……えっ!?」


 その時,シノノメは気づいた.

 ナディヤの家に,二階は無い.二階は外から階段で上がるようになっていて,別の家族が住んでいる.

 夫が生前家を遺してくれたので,その賃貸収入がささやかな生活の支えになっていると言っていたのを思い出した.


 「まさか……!?」


 飛んでくる直前に視界の隅に残ったアヒンサーの顔.それは,まぎれもなく――邪悪な笑顔ではなかったか. 

 シノノメは立ち上がって,呆然とした.


 ……これは,罠だ.


 「そこまでだ! 止まれ!」

 玄関の方からシノノメの背中に,野太い声が浴びせかけられた.


 シノノメはゆっくり振り向いた.

 部屋の間取り――退路を確認するのと,素早い動きで相手を刺激することを避けるためである.

 黒い服に,黄色い布帯を着けた男が,玄関に続く廊下を塞ぐように立っていた.圧倒的な質感だ.肩も胸も腹も,腕も脚も全てが太い.

 樽の様な体だが,太っているという印象はない.筋肉で固めた巨大な岩塊と言えばいいのだろうか. 男が立っているだけで部屋が狭くなったような気がする.

さらに,後ろをすり抜けるように,同じ服装の男が二人現れた.一人は肘から先程の長さがある棒を二本手にしており,もう一人の方は一見素手に見えた.だが,握った拳の陰に動物の爪の様な形をした鋭い刃が見えた.カランビットナイフだ.手に握り込み,回転して使う事もできる強力な小型武器である.


 「我らは聖堂騎士団.お前は東の主婦,シノノメだな.カカルドゥアの正義の名の下に,逮捕する」

 獅子の咆哮とも言うべき声だ.気弱なプレーヤーであればこれだけでダメージを受けてしまいそうだ.


 「ええっ! 私?」

 聖堂騎士団はカカルドゥアの軍隊であり,警察だ.

 てっきり誘拐組織が襲って来たと思っていたシノノメは驚いた.

 「子供たちとこの家の住人を誘拐したと通報があった」

 「そんな,だったら聞いてみてよ.最近ナディヤさんと二人で,子供達の行方を捜していたんだよ.自分が犯人だったら,どうしてそんなことするの?」

 「申し開きは監獄で聞こう」

 「あなた,だるまさん……ダナンとかいう人でしょ! 前に素明羅スメラで会ってるよね? 私がそんな事をする人に見える?」

 「問答無用……」


 三人の男は,軽く腰を落としてジリジリとシノノメとの距離を詰めた.

 玄関を塞がれれば,残る出口は,浴室の窓とリビングの窓だ.

 だが,浴室に向かう方向には,さきほどの二本の棒――カリ・スティックを持った男がいる.二つの棒を高速で操るフィリピン武術の技である.


 「窓は全て固めてあるぞ」

 シノノメの意図を察し,ダーナンは言った.

 言葉通り,リビングの窓の向こうにターバンをつけた男の顔が覗いた.鋭い目で家の中を睨んでいる.


 「抵抗するなよ,東の主婦」


 聖堂騎士団――警察なのだから,大人しく連行されてきちんと説明すれば分かってくれるだろうか.一瞬シノノメはそう考えた.

 しかし,ナディヤの失踪,ここに自分がいる事,そして,タイミング良く彼らが現れた事――全ては誰かの企みだ.捕まればこちらの訴えなど聞いてもらえる保証はない.

 もしかしたら――かつてノルトランドでユグレヒトがされていたような――何度ログアウトしてもログインしたら牢屋の中に戻ってしまう,ループ状のシステム操作も仕組まれているのかもしれない.


 「あなた達がちゃんと探さないから,こんなことになるのに……」


 いや,それとも彼らも犯罪組織とグルなのだろうか.

 ……聖堂騎士団に近づくな.

 そう言っていたのは,ヴァルナだ.

 シノノメはゆっくり右手の親指と薬指の先を合わせた.


 つ……と,ダーナンの足が半足長近づいた瞬間,シノノメは叫んだ.


 「お掃除サイクロン!」

 シノノメを中心に,巨大な竜巻が発生した.

 十二本の竜巻は家の天井をぶち破り,さらに二階の天井もぶち破った.風の壁がシノノメを守り,ダーナン達は容易に近づく事が出来ない.

 シノノメは右手を頭上に掲げた.

 

 「秘技,自分吸引!」

 

 竜巻はシノノメを吸い上げ,家の外からさらに下町の上空へ吹き飛ばした.

 

 「ラブ,大きくなれ!」

 空中ですかさずラブに指示を出す.

 自分が出したとはいえ,激しい上昇気流のなかでは空飛び猫も上手く飛べない.とりあえず背中にしがみついて,近所の家の屋根の上に軟着陸した.

 このあたりの家の構造は全てナディヤの家とほとんど同じで,四角い屋上が飛び石の様にずっと続いている.屋根伝いに歩いて行く事もできそうだった.


 「ふう……あっ!」


 だが,息をつく暇もなく,黒い衣装の騎士団員が屋根に上って来た.隣家で張り込みをしていたのだろう.手に鞭の様にしなる長い剣――鋼鞭剣ウルミを持っている.


 「お,おのれ!」


 家の屋根をぶち抜き,上空から降って来たシノノメに度肝を抜かれていた男は,一瞬躊躇いながら剣を振った.

 生き物の様に空気を切り裂き,毒蛇にも似た剣先がシノノメに襲いかかる.

 「えい!」

 だが,ベルトランの魔の触手に比べれば,どうという事はない.

 シノノメは軽く体を開いて曲線状の軌道を避け,一瞬でアイテムボックスからフライパンを取り出し頭を殴った.


 「ふぎゃっ!」


 男はカエルの様な声を出して気絶した.

 だが,団員は次々と屋根の上に上がって来る.

 シノノメ一人に何人を繰り出して来たのだろう.ふと見ると,路地裏にも黒服の男たちがひしめいていた.シノノメの嫌いなゴキブリの集団に少し似ていた.

これでは切りがない……飛んで逃げよう.

 そう思った矢先,空から羽音が聞こえた.

 巨大な鳥の影が足元に落ちる.

 「あっ! ロック鳥だ!」

 小型の飛行機に匹敵する翼長を持つ,巨大な鳥である.

 騎士団員が召喚したのだった.

 アラビアンナイトで,ゾウを餌にすると物語られている鳥だ.カカルドゥアでは比較的メジャーな召喚獣である.炎をまとい,竜を餌にするというガルーダよりは幾分ましだが,これでは空を飛んで逃げる事も出来ない.


 「えいっ!」

 とりあえず屋根伝いにシノノメは走り出した.


 ギエエエエエエエ……


 ロック鳥が怪獣じみた声で鳴いた.小刀の様に鋭い鉤爪と,巨大な口ばしが獲物――シノノメを狙っている.


 「どこか,身を隠さなくっちゃ!」

 走りながらシノノメは,路地の向かう先にバザールを見つけた.

 魔法用品アイテムではなく,どちらかというとNPC向けに日常品を販売している下町のバザールである.四角い天幕が並び,人でごった返している.

 「あれだ!」


 後ろに迫って来た黒衣の集団に手を向けた.

 「当たったらごめん,グリルオン!」

 ボカンと爆発音がして,屋根の上に青い火柱が噴出する.

 追手の目をくらませたことを確認しつつ,シノノメは屋根の上から天幕の上に飛び降りた.

 トランポリンの様に飛びはね,シノノメは素早く八百屋の木箱の後ろに隠れた.だが,市場の雑踏の中にも追手がやって来る.四つん這いになって猫のようにこっそり移動した.


 「困ったな……」

 魔法職がいないらしいのが幸いだが,このままではいずれ捕まってしまう.


 「シノノメ殿,シノノメ殿!」

 「ひゃっ!」


 路地裏から自分を呼ぶ声がする.

 振り向くとそこには,追手と同じ黒い服を着たシンハがいた.ダーナンと並ぶ聖堂騎士団の実働部隊の長である.ダーナンとは対照的に,手足がひょろりと長くて細い.だが,クヴェラの言葉によると強力なムエ・ボーラン(古式ムエタイ)の使い手だという.


 「シンさんだっけ? 私を追って来たの?」

 「シンハです.シノノメ殿.助けに参りました.さ,これを使ってください」

シンハは辺りを注意深く見まわしている.差し出したのは,体をすっぽり覆うチャードルだった.

 「ありがとう」

 シノノメは受け取って,頭からかぶり,襟元を引っ張り上げて口を隠した.

 「私を信じてくれるの?」

 「当たり前です.シノノメ殿が誘拐など,馬鹿馬鹿しい! 第一,あなたが子供を誘拐して,何の利がありましょう?」

 シンハは不愉快そうに顔を歪めて言った.

 「さ,こちらへ.こちらなら安全です」


 路地裏の道をシンハは案内した.ゴミ箱が並び,残飯を漁る野良犬がうろついている.お世辞にも清潔と言える場所ではなかった.

 痩身だが長身のシンハは,体を斜めにしてすいすいと進んでいく.さすが武術の達人らしい,淀みの無い動きだった.


 「シノノメ殿,真犯人に心当たりはありませんか?」

 「これを見て.ナディヤさんが私に残した手紙だよ」

 シノノメは畳んだ紙片をシンハに渡した.

 「む……ナジーム商会……密貿易.やはりか.いや,私どもの内偵でも,怪しいとは思っていたのです.大公殿下に隠れて何か違法な商売に手を染めていると推測してはいたのですが……」

 シンハは歩きながら書きつけの内容を確認し,眉をひそめて唸った.

 「やっぱり,そうなんだ.マユリちゃんのお父さんが,何か悪いことしてるのかな」

 「マユリさんとは,ハメッド会長のお嬢さんですね.実の父娘と聞いています.……これは,重要な証拠ですね.私が預かっても良いですか?」

 「いいよ」

 「必ずや,シノノメ殿の潔白を証明して見せます.それまでは,わたしが仕事で使っている隠れ家で隠れていてください」

 狭い路地なので振り返る事は出来ないが,シンハは力強く言った.

 「ありがとう,シンハさん」


  ***


 通りを一つ抜けると,また別のバザールがあった.商業立国カカルドゥアといえばカカルドゥアらしい.どこで何が売られているか,市民もプレーヤーも分かるのだろうか.

 このバザールは先程と少し変わっていた.

 杖や宝玉,水晶玉や不思議な形のガラスの管が並んでいる.

 ガラス容器の中には小さな人間――合成人間ホムンクルスが入っている物もあった.


 「ここは,何のバザール?」

 「マジックアイテムですね.錬金術や魔法の使い手が多い場所です」


 行き交う人も,プレーヤーが多いようだ.

 フードを被った精霊使いや,ウェスティニアの魔法院の正装であるとんがり帽子の魔女が歩いている.

 水煙草をポコポコとふかしている蛇人の店主と一瞬眼が合ってドキリとしたが,向こうはシノノメの事など興味無さそうに客あしらいを続けていた.


 「ああ,あそこ,もうすぐです」

 シンハは周囲の人々から目立たないように,さりげなく指差した.


 路地の少し奥まった場所に,日干しレンガで造られた家が見える.

 この家は防御魔法用具の店らしい.軒先には特殊な文様の入った盾や,キラキラ光る魔よけの品がたくさんぶら下がっていた.

 青と白の目玉模様が特徴的な,ガラス細工が多い.畑の鳥よけがズラリと並んでいる様子を彷彿とさせる.

 ナザーウ・ボンジュウ.

 トルコの名物,お守りだ.お土産としても売られていて,シノノメが小さい頃に家で見た事があった.

 人を病気にしたり,時には死に至らしめるという魔の視線――邪眼(邪視)を避ける事が出来るのだという.

 シノノメは自分がたくさんの目に見つめられているような,違和感,本能的な不快感を覚えた.


 ……この感じ,どこかで……


 「あそこに入れば安全です」

 シンハが微笑を浮かべて言う.


 ポン.

 その時,メールの着信を告げるメッセンジャーが視界の中に起動した.

 シンハには見えない.

 差出人は,ヴァルナだ.


 『お前,カカルドゥア全土で広域指名手配になってるぞ.絶対に騎士団には近づくなよ』


 ヴァルナらしい簡潔で素っ気ないメッセージだ.

 だが.

 なぜ,ここまで自分が所属している騎士団に近づくなというのか.


 「シノノメ殿,どうなされたか? 急がねば」

 シンハがシノノメを急かす.視線が左右に動いているのは,周囲を警戒してのことだろうか.それとも……?


 チリチリ……

 左手の薬指がチクチク痛む.

 チャードルの裾からそっと指を出して見てみた.

 エクレーシアの指輪が,うっすら光っている.

 何かを教えようとしている……? 


 「ごめんなさい,ちょっとあの目玉模様が怖くって.格好悪いけど,シンハさん先に入って.私,ついて行くから」

 「ははは,無敵のシノノメ殿にもそんなところがあるんですね.いや,これは失敬」

 シンハは先に立って歩き始めた.

 シノノメも後に続く.

 「ほら,大丈夫ですよ.店内に入ればもう安全……」

 店のドアを開けたシンハが振り返ると,そこにはシノノメの姿は無かった.

 「シノノメ殿? シノノメ殿?」

 地面にはシンハが渡したチャードルが落ちていた.

 「シノノメ殿……」

 シノノメは忽然と姿を消していた.


  ***


 きょろきょろ見回して自分の姿を探すシンハを見ながら,シノノメはゆっくりと店を離れていた.


 「もしかしたら,ごめんなさいだけど……」


 チャードルの下でこっそり取り出したアイテム,透明ショールを羽織っている.東北大戦の直前に,にゃん丸に返してもらっていたのを思い出したのだ.

裏返しに羽織るとただの綺麗な薄緑の肩掛けなので,風にあおられると見えてしまう.海風の強い街なので,そっと注意しながら被っていた.


 シンハが自分を陥れようとしている一味なのかは分からない.

 だが,シノノメは直感を信じる事にした.

 かつて,ヤオダバールトが操っていた,赤い宝玉を持った銀の騎士.

 プレーヤーを強制ログアウトさせてしまう技を持っていた.自分もその技によって意識を失い,行動不能になってしまったのだ.その時見た不思議な夢――自分が病院に入院していた――を,良く覚えている.

 宝玉が自分に向けられ,技が発動するときの感覚と,たくさんの目玉模様が自分に向いていた時の感覚はそっくりだったのだ.


 メッセンジャーの受信ボックスには,にっこり笑う自分の写真が使われた,プレーヤーへの一斉送信メールが入っていた.

 ‘カカルドゥア広域指名手配犯シノノメ ’

 一体どうしてこんなことになったのか.

 ログアウトすればとりあえず逃げられるが,次回ログインした時にはセーブポイントであるサンサーラの自宅アパートに出現する筈なのですぐつかまってしまうだろう.

 ログアウトしっぱなしにして,ほとぼりを冷ますか.

 だが,ナディヤと子供を誘拐した組織と,自分を陥れた人間はきっと繋がっている.

 絶対に投げ出してしまいたくなかった.


 『ヴァルナ! ヴァルナ!』


 少し離れた路地の隅に隠れ,シノノメはメッセンジャーを立ち上げてチャットモードで呼びかけた.


 『おー! お前,無事だったのか』

 『どこに逃げたら良い? きっと,お家や店は見張られてるよね?』

 『苦行林に逃げろ』

 『苦行林?』

 『マップを送る.行者サドゥの,ナーガルージュナをたずねろ』

 『分かった!』


 シノノメは透明の姿のまま,足早にバザールを去った.

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