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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第16章 憂愁の眠り姫
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16-3 笛吹き男と黒い騎士

 「行方不明の子供の行方? 知らないな.機械人? いや,大人しい奴らばかりだがね」

 魚屋の店主ハッサンは,でっぷりと太った大きな腹をゆすりながら答えた.


 店先には色とりどりの熱帯魚が氷に冷やされて並んでいる.魚の棚の下には水を張ったたらいがあり,その中には生きた二枚貝が入れられて口を開けたり閉じたりしながら空気の泡を吐き出していた.


「そう……」

 

 シノノメは今日も店をニャハールに任せ,ナディヤと一緒にサンサーラの港街を歩いていた.

 これで何軒目だろう.機械人が誘拐に関わっていると見て,アメリアの船が発着する港町周辺で聞き込みを行っているのだが,なかなか手掛かりが見つからない.


 「子供がいなくなったという噂は知ってる?」

 「ああ,それはもちろん.うちの子供にも最近は出歩かないように注意しているよ.この前,漁師街でまた三人ほどいなくなったとか聞いた」

 「親御さんたちは,区長様や大公様に訴え出たんですか?」

 シノノメの後ろで聞いていたナディヤも,口を開いた.濃紺のチャドルで身を包んだ姿は大人しそうに見えるが,自分の子供のこともあって必死なのだ.彼女の双子の子供達が姿を消してからすでに三日である.

 「いや……多分,してないだろうな」

 「え! なんで? 子供がいなくなったのに?」

 シノノメは驚いた.

 「まあ……口減らしで生活が楽になったと思っている親もいるのさ」ハッサンは顔をしかめながら答えた.「それに,その……御上おかみは金持ちの味方だから……大富豪の娘さんでも攫われたなら本腰を挙げて解決してくれるんだろうけれど……」

 「そういうものなの? でも,自分の子供だよ!」

 「北の軍事大国ノルトランドが分裂した今,カカルドゥアの金持ち達はさらにバンバン儲けてるからな.下々の者なんて眼に入らないよ.経済格差,ってやつがどんどん広がっているのさ.子供がいる金持ちは自警団やボディガードを子供のために雇っているそうだぜ」


 ハッサンは港町を見下ろす山の手,崖の上の高級住宅街の方を指差した.裕福な商業ギルドの主たちが邸宅を構えている地域である.

 

 「俺が扱っている魚なんて,アメリアの奴に売れる筈ないからな.逆に,大手の漁業会社が進出してきて,商売あがったりだ.すっかり痩せちまった」

 ハッサンはため息をついたが,シノノメは大きなお腹を見て首を傾げた.

 「あんたのところも,女手一つで子供を育てているのかい? 子供がいなくなって厄介払いになったんじゃねえのか?」

 「何て事を言うんですか! 二人とも,漁に出ていなくなった主人の大事な忘れ形見です!」

 ナディヤは憤ったが,ハッサンはどこ吹く風だ.

 「漁……? そう言えば,子供ばかりの冒険者パーティが南西諸島のお化けクジラ退治に行ったけど行方不明に……」

 「え,そんな話があったのなら,何で言ってくれなかったの?」

 「だって,あんたは外つ国人プレーヤーのことは,何も聞かなかったじゃないか.だが,ここから先は興味があるなら金を払ってくれよ.こっちも商売,情報料だ」

 

 ひょっとすると,ゲームのクエスト的に情報料を支払う設定ストーリーになっているのかもしれない.だが,さっきからの度重なる暴言に,シノノメの怒りは爆発寸前であった.

 

 「そんな! 子供がいなくなって悲しんでいる親もちゃんといるんです! あなたも子供がいるのなら,ここは協力し合うのが筋でしょう!」

 ナディヤはハッサンの腕をつかんで声を荒げた.

 「へへへ,そうは言っても金には代えられねえよ」

 嫌らしい笑いを浮かべたハッサンは,ナディヤの腕を振り払った.


 「あっ! お店が大変な事になってる!」

 そのとき突然,シノノメがハッサンの後ろを指差しながら叫んだ.何故か棒読み口調だ.


 「ぎゃあっ! なんじゃこりゃ!?」

 自分の背後,店の中を見たハッサンは絶叫した.

 

 いつの間に入って来たのだろう.牛ほどもある猫が店の棚に両の前足をかけ,商品を食い荒らしていたのだ.

 銀灰色の縞模様で,巨大化したアメリカンショートヘアーといった外見であるが,賢い猫だ.ブダイの仲間やマグロ,アカムツ,キンメダイ,ハタの仲間など,値が張る高級魚ばかりムシャムシャと食べている.この大きな猫が連れて来たのか,普通サイズの猫も大量に集まっておこぼれに預かっていた.多分,五十匹はいるだろう.

 ハッサン魚店は猫だらけ,猫溜まりになっていた.


 「おーい,みんな,イカは食べちゃ駄目ですよ.腰が抜けるよ」

 ターバンを取って頭をかきむしるハッサンを尻目に,シノノメは呑気に猫に声をかけていた.

 「いや,そんな呑気な……! お嬢ちゃん,あんたはプレーヤーなんだろ? あのモンスターを何とかしてくれよ! 猫王ケット・シーなんじゃないのか?」

 ハッサンは大きな猫を指差して叫んだ.

 

 大きな猫がハッサンの方を向くと,一斉に小さな猫達も振り向く.猫を操るモンスター,‘猫の王’というのはあながち間違いではないらしかった.


 「えー? だって,私の職業,主婦だもの」

 「主婦? で,でもプレーヤーなんだろ? 頼むよ!」

 「じゃあ,商売.さっきの情報をちゃんと話してくれる?」

 「……分かった,分かったから,頼む!」

 「商談成立だね」

 シノノメはコクリと頷くと,右手の中指と小指を立て,その他の指先をギュッと合わせた.

 「洗濯トルネード! すすぎ!」

 シノノメが叫ぶと,貝を入れていたたらいの水がほどほどに巻き起こり,小さな竜巻を作って猫達をずぶぬれにした.


 猫達は慌てて逃げ去っていったが,齧りかけの魚の上に貝と水がぶちまけられた店内は滅茶苦茶である.これでは猫を追い払ったのか店を荒らしたのか分からなかった.


 「とほほ……」

 大損害にハッサンは肩を落とした.

 「さ,約束通り話してね.子供たちはどうなったの?」

 シノノメは清々しい顔で質問を繰り返した.


  ***


 足早に魚屋から離れたシノノメの肩に,子猫の姿に戻ったラブが羽根をはばたかせて戻って来た.

 ハッサンを懲らしめて情報を聞き出すために,シノノメが空飛び猫を使って一芝居打ったのだった.シノノメの召喚獣,空飛び猫ラブはケット・シーの仲間だ.猫達を呼び集めることなど造作もないのだ.


 「シノノメさん,どうもありがとう」

 「ううん,ナディヤさん,早く子供達を見つけようね」

 

 だが,聞き込みをすればするほど,いなくなった子供の数は増えるばかりだった.

 集団誘拐はもう市民の間ですっかり噂になっている.

 郊外の村では,村中の子供が一晩でいなくなったのだという.


 「ですが,冒険者の人たちまで攫われるなんて,やっぱりおかしいですね」

 「うん,子供でもスキルを持ってるから,その辺のモンスターには負けないもの.むしろ,子供の方がゲームが上手……じゃなくって,すごい技を持っている事もあるくらいだよ」


 シノノメは頷いた.

 レベル40から50位の冒険者が姿を消した,というのがハッサンの話だった.

 だが,どこにも誘拐犯との間で戦闘が行われたという形跡がないという.

 NPCならともかく,プレーヤーなら必ずそのスキルを使って抵抗する筈だ.

 余程強力な魅了チャームの魔法使いでもいるのか……例えば,知り合いの遊び人アキトとアズサみたいな.

 それともまさか,自分から誘拐犯について行ったとでも言うのだろうか?


 だが,ハッサンは気になる事も言っていた.

 行方不明になった子供達のパーティ名は,‘リニアックス’.

 男の子が三人と,女の子が二人.男の子は剣士と騎士,精霊ジン使いで,女の子は錬金術師と魔法使いだった.

 クエストに出発する前に,装備品をナジーム商会でそろえ,聖堂騎士団の寺院で修業すると言っていたらしいのだ.そうアドバイスした人がいるから,と.


 ナジーム商会.

 ヴァルナが気をつけろと言われていたギルドだ.

 聖堂騎士団.

 カカルドゥアでスキルアップするなら,うってつけの修行場所だ.

 だが,おかしい.

 クヴェラは,戦士の寺院は基本的に‘女人禁制’だと言っていた.

 一体誰がそうアドバイスしたのか.

 ヴァルナは聖堂騎士団にも近づくなと言っていた.

 考えれば考えるほど謎が増える.

 一見平和で賑やかなカカルドゥアで何が起こっているのだろう.

 格差社会……

 ハッサンはそう言っていた.確かに,攫われるNPCの子供は貧しい家庭の子供が多いようではある.

 カカルドゥアの光と闇.

 まるで,ハーメルンの笛吹き男だ,とシノノメは思った.

 子供の時に見た,ハーメルンの街の市民劇をふと思い出した.


 春から秋にかけての毎日曜日,ハーメルンの市民が野外劇を上演するのだ.小さい子供達がネズミの服や中世の服を着て演じている様子はとても可愛らしいのに,子供の自分は得体のしれない恐怖を感じたのを覚えている.


 「それでは,今日はこのあたりで.私も仕事がありますので……シノノメさん,ありがとう.この後もう少しいろいろな所に聞いてから帰りますね」

 「それではナディヤさん,また明日」

 港町の角で,二人は別れた.だが,もう四日になる.誘拐事件では,四日以上経過すると人質の生存率はぐっと下がる.

 もう一刻の猶予もないとシノノメは思っていた.

 何度も振り返って頭を下げるナディヤを見ながら,シノノメも自分の母親の事を思い出していた.


 フランスで父親が失踪してから,たった一人で自分と弟,そして義母を連れ,日本の実家に帰った母.

 どうしても彼女の姿をそれに重ねてしまう.

 あきくん,元気かな. 

 ふと弟の明雄の事を思い出した.

 最近ずっと会っていない気がする.もう一年にもなるだろうか.前は新居に遊びに来てたのに……

 子供の時,どうだったっけ.

 記憶はまだらにかすれている.

 何だか,大事な事をたくさん忘れている気がする.

前はそんなに気にしていなかったが,考えてみれば何故気にしていなかったのだろう.


 取り戻さなくっちゃ.

 行方不明の子供達は,まるで無くした自分の記憶の様だ.

 手掛かりはいつまでたっても見つからない.

 ……苦しい.

 胸が締め付けられるようだ.

 誰かと話がしたい.

 せめて,聞いてもらえば心が楽になると思う.

 でも,この事情を誰かに打ち明けるべきだろうか.

 セキシュウさん?

 グリシャムちゃんや,アイエル?

 ……でも,変に思われないだろうか.


 シノノメの足は自然に港の方へと向かっていた.

 

 アーシュラの店で,気分転換に料理でもさせてもらおうか……

 

 サンサーラの港は今日も魚の臭いとカモメの鳴き声で満ちている.

 南国の美しい海は茜色の夕日を受けて輝いていた.

 自分の気持ちと全く反対で,それがなんだか悲しくなるのだ.

 猫人の漁師や,大きな木箱を抱えた機械人間とすれ違った.

 ウッドデッキの隙間から,陽射しを受けて反射した魚の体がキラキラ光るのが見える.

 うつむいても,また眩しい.

 ふと顔を上げたシノノメは,漁師小屋の向こうにやたらとカモメが集まっているのを見つけた.


 「あれ?」


 その中に,何だか見覚えのあるシルエットが見えた様な気がする.

 シノノメは近づいて行った.

 その大きな黒い物は積み重なった木箱の上に座って海を眺めていた.

 下の方の木箱は潰れて壊れている.

 青白い光る目がゆっくりと左右に動いていた.

 カモメはただの物体としか認識していないかのように,‘それ’の頭の上や肩の上に気ままにとまったり飛び立ったりしていた.

 シノノメが歩いて行くと,足元にいたカモメたちは慌てて逃げ,道を作った.


 「黒騎士さん?」


 名を呼ばれた黒い金属人間はその頭をゆっくり動かし,シノノメの方を見つめた.

 黒騎士の足元には,この波止場に住み着いているらしい太った猫が丸くなって寝ていた.カモメはこの猫を全く警戒していなかった.多分それぞれ魚をたっぷり食べているからだろう.


 「ブゥン?」

 黒騎士は相変わらず言葉が喋れないらしく,電子音声で答えた.

 「ここ,隣,座っていい?」

 「ブン」

 黒騎士は頷いた.

 カモメにどいてもらい,黒騎士の隣にあったトロ箱の上に座った.

 「はあ……」

 シノノメはため息をついた.黒騎士はどうしたのか,というように首を傾げる.

 この場所は日当たりが良かった.

 それで,猫とカモメが集まっているのか……と納得したシノノメは空飛び猫を膝の上に載せて日向ぼっこをさせることにした.ラブはきょろきょろとカモメを見ていたが,やがて真ん丸に丸くなって昼寝を始めた.柔らかい毛を撫でていると,癒される気がする.

 頬を心地よい潮風が撫でた.

 凪が近いようだ.柔らかな潮騒が聞こえる.


 「まだ,こちらの言葉は話せないんだね」

 「ブン……」

 

 アメリアの機械人は,魔素が濃いユーラネシアではほとんどの能力を失う.言葉もその一つだ.メールも文字化けしてしまって,公式会話ソフトである‘メッセンジャー’も意味を為さなくなる.


 「あ,お礼を言うのを忘れてた.ノルトランドの戦争の時,助けに来てくれてありがとう」

 シノノメは慌てて頭を下げた.

 「ブン……」

 黒騎士は律儀に礼を返した.頭が下がったので,頭の上にとまっていたカモメがあわてて飛んで行った.

 こうして見ると,やっぱりユーモラスで怖くは見えない.ヤルダバオートに操られたランスロットと対峙している時に見せていた,鬼の様な姿は何だったのだろう.


 「お話ができるようになったらいいね」

 話したくても話ができない黒騎士と,話したいことがあっても話せない自分.どこか似ているとシノノメは思った.


 「ビュブン……」

 

 黒騎士はきょろきょろとあたりを見回し,棒状の石を拾い上げた.ろう石の欠片だった.漁師小屋の壁に黒板があり,天気や波の高さ,潮の干満に関する情報が書かれていたので,誰かが書くときに折れて地面に落ちたものだろう.

カモメを驚かせながら立ちあがった黒騎士は,さらに壁から黒板を引き剥がそうとした.

 

 「わわ,だめだよ! 小屋が壊れちゃうよ! 地面に書けばいいじゃない!」

 「ブーン!」

 

 黒騎士は感心したように首を大きく縦に振り,また同じ場所に座った.

 人のことは言えないけど,少し天然ボケなのかな,とシノノメは思った.

 黒騎士はしゃがみこんで地面の敷石に字を書き始めた.

 マグナスフィアには国外の人間も参加しており,しかもその数はどんどん増えている.

 英語とフランス語なら何とかなるけど,中国語やスワヒリ語だと困るな,とシノノメは思ったが,黒騎士が書いた文字は普通の日本語だった.


 “アメリア語を翻訳するアイテムが販売されているそうです.”


 癖のある,あまり上手いとは言えない文字だったが,読みやすかった.


 「そうなんだ.それを手に入れれば,話ができるじゃない.良かったね」


 “どこで売られているか知っていますか?”


 「ごめん,知らないよ.あそこの船に乗っている人に聞いてみたら?」


 シノノメは入り江に停泊している強化プラスチックの船を指差した.カカルドゥアとの交易のために訪れている,アメリアの船だ.先日銀色の機械人間が出入りしているのを見た.


 “あの人たちには相談ができません”


 「どうして?」


 “私は,嫌われ者なので”


 この返事にシノノメは首を傾げた.そう言えば,アルタイルが黒騎士はアメリア大陸最凶最悪の戦士って言ってたっけ.こんなに大人しくて温厚そうなのに,何故だろう.

 黒騎士は地面の字をこすって消し,また別の文字を書いた.


 “見つかると戦いを挑まれます”


 「ふーん……大変だね.でも,機械の人って,傷つけられないんじゃないの? 壊れても,部品を取り換えたら復活できそうだし.あなたも,すごく丈夫だったでしょう? ランスロットの究極奥義が全然効かなかったもの」


 ノルトランド最強騎士の一撃を体で平然と受け止め,さらに聖剣エクスカリバーがその衝撃で真っ二つに折れたのだ.


 “コアを傷つけられれば死にます”


 「コア?」


 黒騎士の体から電子音が連続して起こった.鍵が開く音に似ている.

 最後にブシュッと音がして,彼の胸から上の装甲が左右に開いた.騎士の兜に似た頭部の装甲も上に跳ね上がる.

 中には青白色の柔らかそうな人形が収まっていた.三歳くらいの子供並みの大きさがある.

 眼の役割をするのか,黒い丸が顔に二つ並んでいたが,それは縫いつけられたボタンにそっくりだった.

 頭には耳とも角ともつかない突起が二つあり,少し垂れている.

 下手くそな作り手が作ったせいで,熊かウサギか分からなくなってしまった大きめの縫いぐるみ――シノノメはそんな印象を持った.


 「これがコア? 触ってもいい?」

 「ブーン……」

 

 甲冑のような形の外殻の方から声がした.人形の方は無表情――というか,口も何もないので表情は分からない.外殻の声と連動して唸るような小さな声がした.主な発声や運動は全て外側の機械の部分が受け持っているのだろうか.

 否定の意味なら装甲が閉じる筈なのでいいという意味なのだろう,と思い,シノノメはそっと‘コア’のお腹に触ってみた.

 

 「温かくって,柔らかい……」


 手触りは芯に粘土が入ったビーズクッションという感じだった.手の向こうから心臓の鼓動の様な拍動が伝わって来る.強靭な体の中に守られている本体の脆弱さに少し驚いた.

 

 「ありがとう,いいよ」

 

 間違いなく致命的な弱点になるはずなので,普通は他人に絶対見せないに違いない.そっと手を離すと,ガチャガチャと音がして装甲が閉じた.


 再び元の姿に戻った機械人間はろう石を取り上げ,地面に文字を書いた.


 “部分改造するより,全身サイボーグの方が有利です”


 「ふーん.でも,そんなのあまり可愛くないね.熱いとか寒いとか分かるの?」


 “一部を除き,触覚もありません”


 「うーん,やっぱりユーラネシアがいいなあ」

 シノノメはラブの背中を撫でながら言った.

 黒騎士はそれに対して曖昧な頷き方をした.

 ふと,シノノメは思い出した.素明羅にいた時,黒騎士はちょくちょく主婦ギルドの和カフェ‘マンマ・ミーア’に訪れていた.食べ物を食べていたけれど,味覚があるのだろうか.見る限り,あるとは思えない.それなのに,一体何のためにカフェに来ていたのだろう.


 「いろいろな感覚が無くなるんだね……それでも戦いが好きなの? 」


 黒騎士は静かに首を振った.


 「だから平和なユーラネシアに来たの? 初めからアメリアじゃなくって,こっちを選べばよかったのに」


 自分にその気持ちは理解できないが,アメリアのプレーヤーは基本的に戦闘第一主義だという.命をギリギリまで削るようなスリルが味わいたいのだと,アルタイルも言っていた.

 黒騎士はしばらく考えていたが再び地面に文字を書き始めた.


 “失わなければ,得られない物もあります”

 

 「……それは,何?」

 

 失うという言葉はシノノメの胸を突いた.

 黒騎士はまた考え込んだ.ろう石は随分ちびているし,筆談なのであまり難しい事は伝えられない.


 “どうしても取り戻したいものです”


 堂々巡りの,謎の様な回答だった.

 プライベートな事なのかもしれない.少し立ち入って聞きすぎただろうか.

 

 「ごめんね,あまり言いたくないことだったんだね」

 「ブウン……」

 少し悲しそうな電子音が響いた.


 「……私にも,どうしても取り戻したいものがあるよ」


 黒騎士は首を傾げた.


 「私,好きな人がいるの」


 黒騎士は,驚いたように背筋をまっすぐ伸ばした.


 「その人の事は,大好きなのに,その人の名前も顔も思い出せないの」


 親友だけれど,アイエルやグリシャムにはどうしても気を遣ってしまう.

 寡黙というより言葉が喋れない,この見知らぬ機械人間の方が何故か気負いせずに告白できる気がした. 


 「……取り戻したいのは,その人の記憶」


 黒騎士は黙ってシノノメの顔を見ていた.機械の顔は同情も悲しみも,何の表情も作らない.その事がむしろ今のシノノメにとっては楽だった.


 「黒騎士さん,こんなの,変だよね?」

 シノノメは笑顔を作った.笑顔を無理に作らないと,涙が落ちそうだった.


 「ブウウン」

 黒騎士はゆっくり大きく首を振った.それは誤魔化しや愛想ではない,本心からの返事のように思えた.


 「本当に?」

 シノノメはそれでももう一度尋ねた.今度ははっきり首を縦に振った.


 「でも,どうして?」


 黒騎士は巨体を小さくするように腕組みして考え込むと,やがて再び文字を書き始めた.

 

 “本当に大事なものは,記憶でなく気……”

 

 だが,最後のところで,ろう石が削れて無くなってしまった.

 黒騎士は続けて指で字を書こうとしたが,敷石が機械の指に負けて砕けてしまう.彼の手は戦闘用のマニピュレータで,もともと細かい動作をするようにできていないらしい.仕方なくそのまま両手でガリガリ続きを書こうとしたが,地面が掘り下げられて穴ができただけだった.


 「ブウン……」

 がっかりして肩を落とす黒騎士の様子は,骨を埋めた場所を忘れた犬の姿にそっくりだった.


 「そんなに掘ったら,水が出てくるよ!」

 気持ちが落ち込んでいたシノノメも,これにはさすがに噴き出した.


 「ブブン!」

 大事なところで言いたいことが言えなくなってしまった黒騎士は,少し不満そうだったが,胸を両手で押さえた.


 「本当に大事なのは,気持ち,ってことね」

 くすくす笑いながらシノノメは黒騎士の言いたかった言葉を継いだ.

 眼にたまっていた涙が,笑い涙に変わって零れる.


 「笑ったら何だか気が楽になったよ.黒騎士さんは,じゃあ,当分サンサーラにいるの? その,翻訳アイテムを探しているんだよね?」


 「ブウン」

 黒騎士は頷いた.


 「じゃあ,もし,分かったら教えてあげるね.私,今お店をやっているから,色々な人に聞いてみるよ……それに,ちょっと心当たりを思い出したから」


 「ブビュウウン」

 黒騎士は礼を言うように頭を下げた.


 「それじゃあ,早速聞きに行くね.私,お店に帰る.中央広場の近くで屋台のお菓子屋さんをやってるから,また来てみてね」


 シノノメは元気よく立ち上がると,大きくなった空飛び猫に飛び乗った.

空飛び猫は一言‘にゃおん’と叫んで羽根をはばたかせ,上空に舞い上がった.


 「またね! ありがとう!」

 シノノメは黒騎士に手を振った.

 黒騎士は飛び去るシノノメに小さく手を振り,その姿が見えなくなるまでじっと見送っていた.


  ***

 

 シノノメは空飛猫ラブの背の上で,この前のニャハールの会話を思い出していた.

 

 確か,ナジーム商会のハメッドさん――マユリちゃんのお父さんとの話の中で,翻訳アイテムの話が出ていたと思う.カカルドゥアとアメリア大陸は交易を始めたが,どんな商売が儲かるかとか何とか,話していた……

 

 ラブは軽く羽ばたいて港町と下町の上空を横切り,くるくると旋回しながら中央広場に降り立った.

 夕日が広場を照らし始めている.

 ドーム型の尖塔や幾何学模様の壁が茜色に染まり始めていた.

 ラブは地上に降り立つとたちまち小さくなり,シノノメの肩に飛び乗った.

 中央広場は中央にゲートと噴水があり,剣を呑んだり火を吹いたりといった手品を見せる芸人,物売りたちが集まっている.ゲートから迷宮ダンジョンに出発するプレーヤーを目当てに武器や装備品を売る者,パートナー募集をしているものもいた.

 そろそろ現実世界では会社や学校が終わって夜の時間にゲームに参加するプレーヤーが集まる時間帯なのである.逆に自宅に帰らねばならないシノノメにとっては,店じまいの時間であった.

 時々シノノメに気付いた者から声がかかったが,人いきれをすり抜け,シノノメは北の大通りの方に向かって走った.

 中央広場からは同心円状,東西南北に道と街が広がっている.

 北の大通りには様々な露店が並んでいる.これから開店する物,閉店を始めている物様々だ.通りに入ってすぐに自分の店が見えた.


 「あれ……?」

 

 幸いまだニャハールは店を開けていたが,不思議な客が立っている.

 二人の機械人間だった.一人はずんぐりしていて,白にオレンジ色の線が入っており,所々に銀色の機械が露出している.もう一人はひょろりと背が高く,金色の下地に青い線が入っている.

 ‘客’と思ったのは,ニャハールが身振りを交えながら屋台のカウンター越しに彼らと会話していたからだ.


 「tai@ norpチニuangpiニハurhaw@roc94038h59」

 「☆@ewp @@wrqj4@9q」

 「ニャハ,それはteui nepi,q@rnq@r@ ! でんなー」

 「grqepppwbep!」

 「いやいや,そこはtwqnup brpkp@@」


 聞いてもさっぱりわからないが,何とニャハールはアメリアの言葉らしいものをしっかり喋っていた.

 機械人間の方も,頷いたり首を振ったりしているので,きちんと意思疎通できているらしい.


 「それじゃあどうも,お買い上げありがとうございます! \\$@@@@!」

 「ピュフフフフウン!」


 細長い顔を揺らして,金色の機械人間が首を上下させる.笑っているのかもしれない.白とオレンジの機械人間が金貨を渡すと,ニャハールはシノノメ印のクッキーを二袋渡していた.

 機械人間は買い物を済ますとシノノメとすれ違い,中央通りの方へ歩いて去って行った.


 「ねえ,ニャハール!」

 「あっ! シノノメ社長!」

  猫人のニャハールが猫なで声を出し,肉球の手を揉み合わせた.何かを誤魔化そうとしている仕草である.


 「店番ご苦労様.でも,いつの間にアメリアの言葉が喋れるようになったの?」

 「え? それは,社長がいない間に特訓してですねえ……駅前留学とか,夜間学校とか,スピード何とかとか……」

 あからさまに怪しかった.

 

 アメリアの言葉が通じないのは,そういう他の国の言語が通じないレベルの話ではないのだ.動物や鳥の言葉が分からないというのに近い.もっと具体的に言うと,コンピュータのプログラミング言語を音声として聞いているのと同じなのである.


 「嘘仰い! あなた,売上げを誤魔化して何か買ったんでしょ!」

 「ギク! そんな,人聞きが悪い! 大恩ある社長を裏切り,そんなことするわけないですやん! ああ,社長は僕のことを信じてくれないんやね! 何という悲劇ですやろ! ねえ,お隣のニャスミーンさん,どう思う?」

 ニャハールは嘘泣きをしながら隣の露店にいた召喚獣売りの女の子に声をかけた.

 

 明るいピンクの髪に,三毛猫模様の耳が生えている.ドラゴンの幼生が入った籠をたくさん屋台につるして売っていた.そろそろ暗くなってきたところなので,夜間営業用に大きな蛍の入ったホタルブクロの灯りを屋台の屋根にとりつけているところだった.

 

 「いや,ウチに言われてもねえ……」

 ニャスミーンは肩をすくめ,ニャハールの言葉を受け流した.

 

 シノノメは屋台の裏側に回り,売り上げを入れていた金袋の中身を見た.

 

 「だって,今日売れた数と金貨の枚数が合ってないよ」

 「え!? そんな筈はないでしょ.何かの見間違い……だって,こんなに商品があるし……少し暗くなってきたし」

 ニャハールはしどろもどろになった.

 「だって,私,物の数を覚えるのは得意だもの.そこの台の籠の中,クッキーの包みが四十二個.その下の棚の上,ミルクバターが二十三個.ばら売りのクッキーの箱の中には六十五個と,欠片になって砕けたのが五個.売り上げが……二百五イコル.三十五イコル足りないよ.昨日も三十二イコル売り上げを誤魔化したでしょ」

 「げげっ……そんな,見ただけで分かるんですか?」

 「うん,昔,素明羅スメラのお城で,大金庫のお金を数えたことがあるよ」

 「うう……」

 ニャハールは全身から汗を拭きだし,青くなったり白くなったりしていた.

 「どうかお許しくださいませーっ!」

 ついに,突然五体投地――地面に身を投げ出して土下座し始めた.


 「ほんの出来心でございます.男ニャハール,新しい商売のためにと焦る欲がそうさせてしまったのでございます! 社長,どうかこの不始末をお許しください!」

 「まあ,いいよ」

 おんおんと声を上げて泣き始めるニャハールを見るシノノメは意外や意外,ケロリと許しの言葉を口にした.

 「ほ,ほんまでっか!」

 

 ニャハールは顔を上げ,驚いた顔でシノノメを見た.ちなみに,さっきの泣き声は嘘泣きだったらしい.顔には涙の痕跡すらなかった.

 

 「だって,どうせお給料から天引きすればいいんだもの」

 「ひーっ! は? 給料がもらえるんですか?」

 「当り前じゃない.奴隷じゃないんだから.だけど,使った分は引いちゃうからね」

 「で,でしたら,社長! ここはニャハールを男と見込んで,投資と思って今回の分は貸して頂けませんでしょうか!」

 許されると分かると,突然厚かましい要求を出すニャハールである.


 「すっごい! 何て図々しいの……」

 さっきから経緯を見ていたニャスミーンまでこれにはあきれていた.思わず餌付けしていたドラゴンの幼生の餌を取り落とした.

 

 「えー,それは駄目よ.そういうことしてるから,ニャハールは破産したんだよ.じゃあ,恥ずかしい写真をばらまくよ? ねえ,みんな,ニャハールが……!」

 シノノメはいきなり大きな声で叫んだ.

 

 「え,何,何?」

 ニャスミーンだけでなく,近隣の歩き売り,屋台,商店の商人がぞろぞろと集まってくる.ニャハールは落ちぶれたとはいえカカルドゥアの有名人なのだ.

 

 「うっわー! いや,みなさん,何でもございません! 社長がちょっと歌を歌っただけですんで! さー,商売に戻ってくださいね!」


 ニャハールは必死で誤魔化した.恥ずかしい写真とは,ニャハールが普通の猫の様にシノノメに体を洗われている写真である.ニャハールは猫成分が多い猫人だ.ずぶ濡れの全裸でしょんぼりシャンプーされている姿は可笑しくも屈辱的であった.


 「うう,社長は鬼! 鬼や!」

 肩を震わせて嘘泣きするニャハールである.こうなるとニャハールの感情は何が本当なのかさっぱりわからない.とりあえずシノノメはニャハールのノリに付き合わず,無視することにしていた.


 「どこが鬼よ.だったらとっくにクビにしてるよ.ほら,関西弁が出てるときは要注意でしょ.全くもう.それより,本当のこと言いなさい.お金は何に使ったの? ……もしかしてその翻訳アイテムを買うのに使ったとか?」

 「はあ……そこまで御見通しでしたか……すいません.その通りです.このまま小商いをするのも大事ですが,何とか手広くやりたいと思いまして.シノノメ社長のポーションは,持ち運びができるし,回復効果は機械人にも有効らしいんです」

 「機械人にも?」

 「あの人たちにも,生身の部分があるんですよ.そこに作用するんですね」

 「へー…….そうなんだ.確かに,アメリアでは戦闘ゲームをしてるんだから,回復用のポーションもあるはずだよね」

 シノノメは黒騎士に見せてもらったコアのことを思い出していた.

 「アメリアではエネルギーレーションとか,缶詰や液体状のものはあるんだけど,ああいう固形でかさばらないのは珍しいって言ってました.けっこう喜んでましたよ.さっきのお客さん.エイブラムスさんとメルカバさんっていうんですが,アメリアに持って行って売りたいそうです.どうです! 大きな取引をゲットしたでしょう? 賢いニャハール君にボーナスは如何でっか?」

 「ブラームスさん,止めろカバ? よくあんな機械の人の見分けがつくね?」

 ニャハールの厚かましい要望は全く無視してシノノメは尋ねた.

 名前を憶えないのは相変わらずである.

 「あーっ,社長,俺の要求をガン無視しましたね? 何ですか? その作曲家と河馬? ボケ? もう! この,突っ込みたくなるやない! エイブラムスとメルカバ! ずんぐりした方がエイブラムスで,細長い方がメルカバ!」

 「だって,みんな同じような形してるじゃない」

 「そんなこと言ったらダメ! ジョブチェンジとかする人もいるでしょ? 商売は顔を覚えるところから始まるの! 目の大きさや位置だけでなく,その人の声,喋り方,性格,臭い,しぐさ.その人の全部を心の眼で見て覚えるのが大事なんです!」 

 「あ,何だかニャハールがいいこと言った」


 心の眼か……

 ふと,竜人アドナイオスの言葉を思い出した.

 『本当に大切なものは,目に見えない.真実は,目に見えないところにある』


 「でも,私のお菓子が戦争に使われるのはやだな……少しだけ自分のために買う分には良いかもしれないけど」

 「うーむ,社長の反戦平和主義ですな」

 「その取引は,ちょっと待って.またこっそり勝手なことしたら許さないから.それより,さっさとどうやって話ができるようになったか教えなさい」

 「えー? どうしようかなー?」


 ニャハールは勿体着けてボーナスを勝ち取ろうとしたが,再び写真をばらまくと脅され,あっという間に陥落した.


 「これです」

 ニャハールは左手首にはめた腕輪を見せた.

 オニキスのような素材で,黒く艶々と光っている.シンプルな半円筒状で,装飾は何もない.表面にシノノメの顔が映った.

 「第六感シックスセンスっていう商品です」

 「これが翻訳アイテム……」

 シノノメは腕輪を受け取り,しげしげと見つめた.

 手触りは金属というか,硬質ガラスの様だった.どことなくユーラネシアの‘魔法’の香りがしない.もっと機械的な印象を受ける.

 「そうです.とにかく自分で使ってみようと思って.一個手に入れたんです」

 「機械の人がはめたら機械語がユーラネシアの言葉になるのかな?」

 「それはちょっと聞いて来なかったな……」

 「すごい技術だね.どうやって作ったんだろう? サマエルシステムに承認されたのかな?」

 「うーん,魔法の様な魔法でないような?」


 これこそが黒騎士の探していたものかもしれない.

 シノノメは少し淋しそうな黒騎士の姿を思い出した.この腕環を使えば,彼も会話ができるのではないだろうか.


 「ちょっと私にも貸して」

 シノノメは右手に腕輪を通した.

 「これ,どうやるの?」

 「そのまま,アメリア語を喋ろうって思うだけで話せますよ」

 「じゃあ,いくね.あーあー,テスト,テスト.こほん,『ニャハールはお風呂嫌い』.あれ?」

 「誰がお風呂嫌いやねんって,社長,全然機械語に聞こえませんよ」


 反射的に突っ込みを入れるニャハールだが,誰がどう聞いてもシノノメの言葉は翻訳されていなかった.先程から二人のやり取りを聞いてクスクス笑っていたニャスミーンが,ついに爆笑した.


 「おかしいな.『ニャハールはカリカリが好き』.あれ,やっぱり翻訳されないね?」

 「あー,もう,そういう人を猫扱いする言動はやめて下さいよ.でも,変だな.故障かな? アイテムの故障なんて聞いたことないし.ちょっと返してみて下さい」


 シノノメは首を傾げながら,手首から腕輪を抜き取ろうとした,その時.

 パキ……

 軽い音とともに,腕輪が割れた.


 「あーっ! 社長!」


 ニャハールが全身の毛を逆立てて叫んだが,黒い腕輪はシノノメの左手の中で砕けていった.まるで線香の灰が崩れるように,さらさらと砂になっていく.


 「え? どうして?」


 砂になった腕輪は,風に乗って空気に溶けて消えた.シノノメ自身も何が起こったのか分からず,呆気にとられていた.


 「ああ……俺のビッグビジネスチャンスが……」

 「あー,ごめん,ニャハール……でも,もともと横領したお金で買ったんだから,仕方がないじゃない」


 ニャハールはさめざめと泣いていた.肩を落としてうなだれている.今度は本当に悲しんでいるようだ.ほんの少しだけシノノメの良心が痛んだ.


 「仕方がないなあ,じゃあ,私が手に入れてくるよ.どこで買ったの?」

 「ナジーム商会です……」

 「あ,やっぱり.この前話してたものね.でも,あそこは問屋さんなのに小売もしてくれるの?」

 「いや,そこはいろいろと頼み込んで……」

 泣いていた筈のニャハールの語尾が,再び怪しくなった.

 「ははーん.私のお菓子を卸すとかで交渉したのね.独占契約とか」

 「ギク!」

 「ということは,昨日と今日,合わせて無くなった百二十イコルは株にでもつぎ込んだという事だね」

 「ギクギク!」

 「先物取引?」

 「ギクギクギク!」

 「一文無しになったくせに,そんなハイリスクな商品に手を出すなんて! もー,怒った! ニャハールの恥ずかしい写真を部分的に公開します!」

 「うぎゃー! ほんの出来心で! お代官様!」

 「ニャスミーンちゃん,ニャハールの写真をその‘ムクハチドリ’の群れにばら撒かせて! お金は出すから!」


 「はーい,シノノメさん,毎度あり! と言いたいところだけど,この時間ならプチコウモリがお勧めです」

 ニャスミーンは一際大きな鳥かごを抱きかかえて店から出て来た.


 ムクハチドリは,ウズラの卵ほどの大きさの鳥の群れだ.大きめの籠の中に何十匹も群れを作って生活している.熟練すれば集団で攻撃させたり,手紙を一斉に送信したりすることに使える召喚獣である.

 プチコウモリも同じような性質を持っているが,夜眼が効くので夜間飛行ができるのだ.ちなみに数千匹集めると空も飛べるといわれている.


 「ぎゃああ! 社長! 堪忍して!」

 

 叫んでも無駄だった.

 ニャハール恥ずかしい写真集の一枚目,‘ずぶぬれお風呂ニャハール’はこうして何十枚にも複製され,夕暮れのサンサーラの空へと飛び立っていった.


 「あああ! お婿に行かれない! プチコウモリ,カムバック!」

 ニャハールが夕暮れの空に叫ぶが,小さなコウモリたちは元気よく去っていく.

 シノノメとニャスミーンはお腹を抱えて笑った.

 「おっと,もう帰らなくっちゃ.明日ナジーム商会に行ってみるよ.じゃあね,ニャハール,ニャスミンちゃん」

 「お疲れ様! シノノメさん,また明日」

 少しだけ気持ちが楽になったシノノメは,手を振りながらログアウトした.

 左手の薬指にはめた指輪が,かすかに青白く光っていた.

PM4時更新を続けているシノノメの物語ですが,おかげさまで4月4日,シノノメの日?を迎えることができました.今後ともよろしくお願いいたします.

尚,これを機会にご評価いただければ幸いです.

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