表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第16章 憂愁の眠り姫
90/334

16-2 カカルドゥアの五聖賢

 「マグナ・スフィアの世界へようこそ」


 男は,涼やかな女の声で,目を醒ました.

 ベッドから上体を起こし,所在無げに辺りを見回す.ふと見ると,自分は古代ペルシア風の貴族の装束に身を包んでいることに気付いた.銀糸の縫い取りのある黒いベストを羽織り,白いズボンに白いゆったりしたシャツ.ベストの下は健康的に日焼けした素肌が覗いている.


 「ここは……どこだ?」

 「マグナ・スフィアのユーラネシア大陸南方,カカルドゥア公国ですわ」


 それは,息子が夢中になっていたゲームの名前ではなかったか.

 自分も何度かやってみた事はあったが……


 声の主――自分を見つめるその女は,ペルシャ風の踊り子の姿をしていた.

 真珠の様に光沢のある肌と,夜闇を映したような艶を持つ漆黒の髪.折れそうなほど細くくびれたウエストに,豊かな胸.男の好みではない東洋系だが,絶世の美女であることは間違いない.一見たおやかでいて,体の内に何物をも寄せ付けない刃物のような厳しさを隠し持っている気がする.

 「君は……?」

 「しがない‘物語の語り手’,踊り子にして吟遊詩人,シェヘラザードと申します」

 シェヘラザードは鈴の音の様な声でそう言うと,妖艶に笑った.


 男が辺りを見回すと,林立する白い大理石の柱の向こうに,碧い海が見える.

 カモメの鳴く声.

 暖かくも心地よい風が頬を撫でる.

 自分がいるのは,天蓋のある広間に設けられた午睡用のベッドの上だった.

 部屋の中には植え込みと噴水があり,川が流れている.極彩色の鳥が木々の間を飛び交っていた.

 大理石の巨大な円卓が設えられ,会議も行えるようになっている.

 昔ハワイのリゾートホテルに宿泊したときに使ったコテッジ型のスイートルームに似ていたが,それ以上に豪奢な作りだった.


 「サンサーラ宮殿の,空中庭園です」

 「ああ……えーと,私はどうなったんだ? ジミーが突然銃を構えて……」


 男はゆっくりと記憶を反芻した.

 胸にひどい熱を感じ,ゆっくり視界が暗くなって……

 最後の確かな記憶は,部屋の絨毯に自分の頬が触れる感覚と,血,そして硝煙のにおい.

 遠くに聞こえた妻の悲鳴と,駆け寄るボディガードの足音.


 「私は……?」

 思わず胸に手を当てた.

 裸の肌の向こうから,力強い心臓の拍動が伝わってくる.

 だが……


 「閣下は,より高次の存在となられたのです.あらゆるしがらみを離れ,世界を俯瞰できる自由を得たのです」

 「自由……?」

 「スピリチュアルの人々はアセンションなどと言っているようですね.ですが,これはもっと具体的で,科学的.実体のあるものです」

 美しい踊り子はベッドに腰を下ろした.薄紫色のベールの下で,紅い唇が動いているのが見える.男は強く魅惑された.唇の動きが,まるで魔法の様だ.女自身にも,その言葉にも引き込まれてしまう.


 「ホモ・オプティマスという言葉をご存知ですか? 今世紀の初めにはすでにその概念が知られていましたが……」

 「ホモ・オプティマス……至高の人間?」

 「ええ,科学技術の革命を経て,人間はかつてないほどの情報に触れ,それらと直結し,あらゆる欲望を叶え,自分自身すら思いのままに作り替える偉大な存在に進化する」

 「まるでサイエンス・フィクションだな……サイバーパンクか?」

 「物語が事実になった時,それはもうフィクションではありません.法律や自然法則に従うことなく,病も,そして死すら超越した存在です」


 「それに……私がなったと?」

 「……その意志さえあれば」

 女はゆっくり頷いた.金の耳飾りと首飾りが軽くて高い音を立てる.

 「あちらにいらしている方々――カカルドゥアの五賢聖の皆さまをご覧ください」


 いつの間に広間に入って来たのか,柱の間に五人の人影が立っていた.

外の明るい日差しで逆光――シルエットになっていたが,ゆっくり男のいるベッドへと近づいてくる.それとともに,男の眼に姿がよく分かるようになった.

 三人は男性で,二人は女性だ.

 全員カカルドゥアの王族,貴族――すなわち,古代ペルシアやインドの王族,貴族の姿をしている.白を基調としたゆったりとした服に,きらびやかな装身具を身につけていた.

 男女を問わず――とても美しい人々だった.

 ギリシア彫刻を思わせる整った顔立ちに,均整の取れた体格.

 いにしえの神々が地上に降りて,その姿を現したような錯覚を覚える.

 五メートルほどの距離まで優雅に歩いて来ると立ち止まり,やはり美しい笑みを浮かべた.


 「今はカカルドゥアの名前を皆さん名乗っておられますが……閣下がよく御存じの方もいらっしゃいますよ」

女は妖艶に笑う.

 美しい人々はゆっくりと優雅に会釈した.

 男の眼が泳ぐ.

 「やあ,お目覚めですな.おはようと言えば良いかな? それとも,お久しぶりと言えば?」

 「あ,あなたは……?」

 右側の一際背の高い男が口を開いたが,なんと答えていいか分からない.

 身長は百九十センチほどで,逞しい胸筋が服の襟もとから覗いている.盛り上がった上腕の筋肉からすると,戦士と言っても差支えのない体格だ.

 「私はバリシコフ.ウラジミール・バリシコフ.今はハデスと名乗っています」

 「えっ!」

 男は慌ててベッドから飛び降り,立った.

 バリシコフ――それは,ロシア共和国前大統領の名前である.たぐいまれなカリスマ性をもつ辣腕の政治家だ.北の皇帝ツァーリーの異名で呼ばれていた.

立ってみて,いつの間にか自分の背も高くなっている事に気付いた.しかも,五体を覆う逞しい筋肉が備わっている.二十歳は若返っているだろうか.自分の腕を,脚をあらためて見ると,まるで幼いころに憧れたスーパーヒーローのそれだ.

 

 「私も御無沙汰していますね.今は嫦娥と名乗っていますが……劉,劉恩平です」

 ハデスの隣の女性が頭を下げた.東洋式の礼だ.アーモンド形の濡れた瞳に,通った高い鼻筋.口元は杏子の様にふっくらとして可憐である.西洋と東洋の特徴が調和した顔立ちはまさに女神だった.

 「ええっ? でも,あなたは?」

 「ふふ,あなたの知っている劉は男だと仰りたいのですね」

 嫦娥は口に手を当て,クスクスと笑った.

 劉恩平――内乱の続く中国の北京軍区を総べる,軍閥の長――しかし.


 「やあ,マイケル.私はヴォーダン.カミラ・ティルコーンと言った方が良いですか? サミット以来ですね」

 長い顎鬚をたくわえた人物が手を差し出してきたので,思わず男は手を握った.ミケランジェロの彫刻,モーセ像を彷彿とさせる.顔つきはやや年かさな印象を与えるが,体は引き締まって逞しかった.古代ギリシアの賢人風である.

 「え……ええ……ですが……」

 間違いない.ドイツ訛りの英語……その名前は旧知の人物,ヨーロッパ連合の巨頭――だが……女性だった筈だ.男は完全に混乱していた.

 

 「こちらの方は,もっと驚かれるでしょうね」

 が切れ長の目を細めて右手を差出し,紹介する.

 「こちらの美しい女性は,イシュタル様です……イスマイール・アリ・タシュカンディ氏と言った方が宜しいですか?」

 「な,何だって!?」

 男の頭に火花のような衝撃が走った.国防総省と情報局から,何度も聞かされた忌まわしい名前だ.

 「そんな,馬鹿な! そいつは,我が国に敵対する勢力の首魁だぞ!」

 男は激高したが,金髪碧眼の女性,イシュタルははにかむように頬を染めて笑うだけだった.

 「本当にそうなのか……? そうだしたら,お前たちのテロのせいで,どれだけ我が国の若者が命を落としたと思っているんだ!?」

 イシュタルは男の怒号を受け止めるように,優雅に片手を上げた.

 「全ては,宗教やイデオロギーの違いによるものです.あなたの国の軍隊は我々の命も奪ったのですよ? 我々の宗教は男性原理の強い宗教.あなた達の国も軍隊主導――男性原理の国ですね.私は今,自らが女性になることですべての束縛から放たれ,古き預言者たちに近づけた気がするのですよ」

 怒りが受け流されてしまう.

 男はそれでも納得できず,怒りで体を震わせた.

 「そして最後に,ジャガンナート殿――チャンドラ・シン氏」

 「カカルドゥアは私の故郷に似ている.ようこそここへ,閣下」

 彫りの深い顔立ちに浅黒い肌で,口髭を生やしている.彼の姿は以前現実世界で会ったときの物に最も近かった.大国インドの前首相だった男だ.


 「こ,これは,どういうことだ? 一体何が起こっている?」

 シェヘラザードに向かって男は怒鳴った.

 「どうなさいましたか? 閣下?」

 「どう,だと!?」

 シェヘラザードも五人の賢人も平然として静かに笑っていた.

 これは悪夢なのか.

 男は叫んだ.


 「全員,もう死んでいる人間じゃないか……!」


 そしてその時,男は恐ろしい事実に気付いた.


 「まさか……私も……?」


 男は,急激に体温が下がっていくような錯覚を感じた.

 最後に見た息子の顔――まるで誰かに操られているような――硝煙の向こうで静かに笑っていた口元が,脳裏に浮かぶ.

 仮想世界の体の筈なのに,心臓が早鐘を打ち,じわりと汗が体中から吹き出す.

 ……では,私は息子に射殺されたのか……

 ……ならば,この私は,私という意思は……?


 「そうですね……あちらの言葉で言えば……あなたは亡くなったのです.アメリカ合衆国大統領,マイケル・ジョンストン閣下」

 シェヘラザードがゆっくり頷きながら言った.

 悲しんでいるのか儚んでいるのか――少しだけ目を細めている――しかし,表情からその真意は読み取れない.


 「私の意識をデジタル化して,この世界に移し替えたというのか? 一体,何のつもりだ? 誰がこんなことを頼んだ? そいつらが,こうしろと言ったのか?」

 

 合衆国国旗が自分の亡骸を収めた黒い棺をゆっくりと覆う.

 墓地に鳴り響く礼砲と,喪服の家族.

 ――そんな光景が浮かんだ.頭を抱え,再びベッドに座り込んだ.


 「どうか,お気を確かに.ここにいらっしゃるのは皆さん立場は違えど,偉大な指導者です.現実世界を離れて至高の存在となった今,是非お力をお貸しください」

 「力……だと?」

 「政治献金も,利害関係も関係ありません.自然活動家も,動物愛護団体も,圧力団体も,自分の欲望ばかり吐き出す民衆も,もう何もないのです.この仮想世界をより良くし,そして,現実世界をよりよく変えるために働きかけていきましょう」

 「現実世界を?」

 「そうです,より神に近い存在になられたとは思えませんか?」

 「だが,この私は……いわゆるデジタルデータにすぎないのではないのか?」

 「その体の感覚全てが嘘だと仰いますか? それでは,この体も?」

 シェヘラザードはゆらりとその美しい体をジョンストンに寄せた.

 潤んだ瞳でジョンストンを見つめる.

 柔らかい肢体が胸に触れ,芳香が鼻に届く.

 「だが……これは,これは……偽物ではないか? 所詮,仮想世界の……?」

 一切の心の寄る辺を無くしたジョンストンは,シェヘラザードの体を抱きしめたい欲望に駆られた.だが,抱きしめる自らの腕とて仮想の物なのだ.

 

 「ああ,これは,これは! お目覚めになられたのですね!」

 その時,広間に一際通る快活な声が響いた.

 黒髪の青年だった.整った眉に大きな目で,一目で育ちの良さと明るい性格が見て取れる.白いゆったりしたズボンに,金の刺繍の入った上着を着ている.腹には複雑な模様をあしらった手織りの布帯を締め,額に宝玉のついたターバンを被っていた.

 

 「大公殿下自らのお出ましとは……ご足労感謝いたします」

 シェヘラザードだけが床にひざまずいた.

 「何の,シェヘラザード.我が国のためにいらして下さる客人に自ら挨拶せずして,大公といえようか」

 大公と呼ばれた青年は大股で広間を横切り,ジョンストンの両手を取ってベッドから引き起こした.

 「お目にかかれて光栄です.カカルドゥア大公を務めます,シンバットと申します.閣下はつ国で最も強大な国の主でいらっしゃるとうかがいました.どうか政策顧問として若輩者の私にお力をお貸しください」

 「いや,しかし……?」

 VRMMOゲーム,マグナ・スフィアの登場人物たちは,プレーヤーの事を異世界からの来訪者と考えている.

 どうしたらよいか分からず,ジョンストンは他の人物の姿を求めて眼を泳がせた.五人の死んだ政治家たちは,その様子を見て微笑を浮かべるだけだ.

 やがて彼の目は,自分を見つめる二人の人物と視線が合った.

 それぞれ赤と黒の頭巾をすっぽりとかぶって顔を隠している.同じ色の,判事が着る法服に似た外套でゆったりと体を覆っていた.二人とも大公につき従って広間にやって来たようだ.

 

 「初めまして.ジョンストン大統領.私は大公陛下付きの政策顧問,イブリースと申します」

 赤い頭巾の人物は恭しく頭を下げた.男とも女ともつかない,独特の声と抑揚だった.

 「同じく,特務官のラーフラです」

 黒い衣装の人物は合掌して頭を下げた.こちらは声ではっきり男であることが判別できた.かなりの長身で,マントから覗いた腕は一見細いが鋼線の様な筋肉で覆われていた.


 「ジョンストン殿,ユダによる福音書を読んだことはありますか?」

 イブリースが不思議な声で語りかける. 

 「こ,こんな時に何を? いや,あれはキリスト教異端の書物だから……」

 混乱しているジョンストンはやっとのことでそれだけ言った.

 「グノーシス思想はキリスト教最大の異端ですからね.人間の体は,偽の創造主が作りし汚れた存在.その体からの解脱を手助けしたユダこそが,その秘密の神秘思想を受け継ぎ,キリストの最愛の弟子であったという……」

 「そんな思想は,狂ってる!」

 「あなたは共和党でキリスト教原理主義でしたか.では,何故偉大なる神自らが創造した聖なるものである人間が,罪を犯すのです?」

 「それは……」

 ジョンストンは口ごもった.ふと自分を撃ち殺した息子の姿が頭をよぎる.政務に忙しく,構ってやる暇は少なかったとはいえ,三男は歳をとってからの息子で,眼に入れても痛くないほど可愛がっていたつもりだ.

 なぜ,あの子が私を……

「宗教論争をここでするつもりはありません.ただ,様々な物の見方を見につけるべきでしょう.現にあなたは,肉の体を捨て去った存在になったのだから.広がる電子情報の海と,この惑星マグナ・スフィアこそが今やあなたの住処」

 「たかが,ゲームじゃないか!」

 「その体,その実感をもってしても,ゲームとおっしゃいますか? あなたもゲームの中の登場人物,NPCにすぎないと? いいえ,ゲームの中の人々と違い,あなたは今や無限に近い寿命を手にしているのですよ.不老不死です.その言葉は,あなた自身の否定に他ならない.自我を持つあなたと,現実世界の肉を持ったあなた.何が違うのですか? 我思う,ゆえに我あり……自我こそが人間を人間たらしめるものではないのですか?」


 「私は……私という存在は……」

 ジョンストンの自我は今や大きく揺らいでいた.血の気が引き,軽いめまいがした.まさに,肉の体を持っているようにはっきりそれを感じる.

 

 「皆さま,今日のところはここまでと致しましょう.イブリース,あなたもお話はまたの機会に.宜しいですね?」

シェヘラザードが口を開くと,イブリースは口をつぐんだ.

 「ジョンストン様は疲れておいでです.現実を受け入れるのには時間がかかるでしょう……しかし,いずれカカルドゥアの聖賢の一人に列席して頂ける事と信じております」

 シェヘラザードは熱のこもった眼でジョンストンの目を見た.ジョンストンは視線を受け止めきれず,思わず目をそらしてうつむいた.


 「ジョンストン殿の新しいお名前は何とする?」

 「生まれ変わられたのだから……」

 「ご自身に希望はありますか?」

 五聖賢達は,嬉しそうに相談し始めた.

 「こんなものは……茶番だ……」

 「エジプトの冥界の王,オシリスはいかがですか?」

 「……何でもいい,君たちに任せるよ」

 ジョンストンは投げやりな口調で言った.

 「では,オシリス様とお呼びします.オブザーバーとして,で結構ですので,私達のお話にお付き合いください」

 シェヘラザードがここでは司会進行役のようだ.

 大公と五聖賢が円卓を囲んで席に着いたのを見届けてから,シェヘラザード,イブリース,ラーフラが席に着いた.三人は下座である.

 美麗な人物たちが白大理石の円卓につき,天板に彼らのシルエットが映し出される.それは一幅の絵画の様だった.さながら,ギリシア神話のオリンポスの神々,あるいは北欧神話のアスガルドの神々が会議を行っている光景だ.

 シェヘラザードの美しい声が広間に響く.

 「ヴォーダン様の事業は如何ですか?」

 「カカルドゥアはますます大きな国になっている.内乱状態のノルトランド南部も,我々の商業圏に編入することができた.戦争による恐怖政治ではなく,経済活動による豊かな暮らしを提供している」

 ヴォーダン――北欧神話の神々の父,オーディンのドイツ語名を名乗る男は満足そうに髭を撫でながら言った.

 「難民の流入問題で悩まされていた現実世界の事は嘘のようだな」

 ハデスとイシュタルが笑った.

 「その原因の一部を作っていた,貴殿らに言われたくないよ」

 ヴォーダンは苦笑した.

 バルカン半島と中東からの難民流入問題で,ヨーロッパは混乱している.

 だが,どこかまるで対岸の火事,他人事といった口調である.


 「武力ではなく,富による繁栄と支配.素晴らしいですね.これも聖賢の皆様のご協力の賜物です」

 カカルドゥア大公,シンバットは満面の笑顔で褒め称えた.高貴の生まれだが,愛嬌があり好感が持てる――ように,設定されたキャラクターだ.


 「他の課題はどうなっていますか? これは,ラーフラと嫦娥様の担当でしたね」

 シェヘラザードが言うと,それまでずっと黙っていたラーフラが口を開いた.

 「目下のところ,進行中です.子供達は随分集まっています」

 寡黙な男というよりも,必要最小限なことしか言わないのだろう.実務的な喋り方だった.

 「ですが……一つ目の課題は,難しそうですわ」

 嫦娥は艶然とした笑いを浮かべてラーフラの言葉を継いだ.

 「なかなか上手くいきませんの」

 「創薬ですか」

 「前にシェヘラザード殿と一緒に行動していた,薬学者の男はどうなった? 彼も転生しているのだろう?」

 ハデスが腕組みして尋ねた.

 「練金工房であれこれしているのですが,もっと子供が必要と言っていました」

 シェヘラザードの顔は終始微笑を湛えている.

 「子供?」

 自分を射殺した現実世界の息子に想いを馳せていたジョンストンは,気になって尋ねた.

 ジョンストンの質問に,五聖賢は顔を見合わせたが,やがてジャガンナートが口を開いた.

 「今現在,我々はカカルドゥアの商業活動を通じ,現実世界で苦しむ子供達を助ける事業をしています」

 「ほう……どのような?」

 ジョンストンは少し興味を惹かれた.

 ジミー.ジェイムス.

 自分の子供も,今は警察に身柄を拘束されているのだろうか.出来ることならば,ここにいると告げて安心させてやりたい.とりあえず,自分は無事――そう言っていいのか分からないが――なのだと.お前を恨んでいないのだと,伝えたい.

 そして,どうしてこんな凶行をしてしまったのか,話をしたい.もしかしたら,誤射ではないのか.銃の暴発なのか.精神科医かカウンセラーがついているのだろうか.きっと苦しい思いをしているに違いない.


 「具体的には少しずつ説明をするとして……病気の子供達を救う新しい薬を開発する事業.オシリス様のいたアメリカ大陸に相当する‘アメリア’との交易事業.そして,この世界に参加しているプレーヤーとしての子供達を救う事業です」

 シェヘラザードが解説すると,五聖賢はにこやかに笑った.

 「薬の開発とプレーヤーの子供云々はともかく,何故交易が子供達のためになるんだ?」

 「アメリア大陸では,マグナ・スフィアのお金を現実のお金に換金するシステムが発達しているのです.商業立国カカルドゥアで収益を上げ,アメリアで換金する.あるいは,アメリアで直接収益を上げて現実世界で役立てる方法を探っています」

 「ふむ……」

 シェヘラザードの言葉は,声音も相まって耳には蜜のように甘く感じられる.しかし,その実何か苦く重いものを飲み込んだような後味を腹に遺した.

 「ありがたい事です.カカルドゥアの経済が発展し,民衆が豊かになる.さらにそれが外つ国の人々,子供達も幸せにするとは.私も大公家の人間として鼻が高いというものです」

 シンバットは嬉しそうに笑った.

 「ですが,皆さま.一つ面倒な不確定要素,不協和音が紛れ込んできましたぞ」

 黒い頭巾を揺らし,ラーフラが発言した.

 シェヘラザードが頷き,眉をひそめる.ラーフラは懐から石板を取り出し,掌を当てた.現実世界で言えばタブレット端末の様なものらしい.石板はぼんやりと緑色の蛍光を放ち,宙に立体映像を映し出した.

 宙に映し出されたのは,亜麻色の髪をした東洋系の少女だった.

 ゲームのファンタジー世界なのに,どういうわけか現実世界のような格好をしている.白い五分袖Tシャツに濃紺のサロペット(オーバーオール)を履いていた.どこか幼さを残した愛らしい顔立ちで,鳶色の瞳が大きく黒目がち――正確には黒目ではないのだが――である.右の肩には銀灰色の縞の子猫が乗っていた.


 「この娘が何か問題なのか?」

 五聖賢は首を傾げた.

 「何やら我々の事を嗅ぎまわっています」

 「ラーフラ,これは……東の主婦だな?」

 大公が映像を見て呟いた.

 「かの北東大戦の英雄,素明羅皇国最強の戦士.カカルドゥアにいたとは」

 「左様です.通称東の主婦,シノノメです」


 「主婦? 主婦が最強なのですか?」

 イシュタルが笑いながら尋ねた.その笑い方にはどこか蔑むような――嘲笑が入り混じっている.それを合図にするように,一斉に五聖賢が喋り始めた.

 「ははは,ゲームだからな」

 「たかが主婦を何故警戒する?」

 「たった一人だろう,何ができるのだ?」

 「フフフ,なかなか可愛い娘ねぇ.食べちゃいたいわ」


 「油断は禁物です.ベルトランとランスロットが不参加の今,レベル90以上のプレーヤーは彼女と聖騎士ヴァルナ,そしてウェスティニアの魔法院のマギステル・クルセイデルしかいないのです.ユーラネシア最強の三人の一人.その戦力は一国の軍隊にも匹敵するでしょう.もちろん,明確なレベルというものが存在しない御身方,五聖賢の方々とは比べ物になりませんが……」

 通常は表情が読めないシェヘラザードだが,この言葉を発するときの顔は明らかに不快そうだった.

 「この小娘が一国の軍隊だと? 笑わせる.だが,強い女を屈服させるのもいいものだ.なあ,シェヘラザード?」

 ハデスが下卑た笑いを浮かべシェヘラザードを見たが,シェヘラザードは微笑を浮かべて涼やかに視線を受け流した.

 「サンサーラ市中で子供の行方を探っています.今のうちに手を売った方がよろしいかと」

 ラーフラは五聖賢の反応などまるで興味がないというように,淡々と報告を続ける.

 「ふむ……もしや,素明羅の間諜スパイだろうか? ノルトランドが分裂した今,各国がその領土を狙っている.その隙にカカルドゥアに何かしかける気なのか……」

 シンバットは腕組みして考え込んだ.

 「大公殿下,もしよろしければこの件,私にご一存下さい.上手く取り計らいます」

 ラーフラは合掌して頭を下げた.

 「いいだろう.ラーフラ,カカルドゥアのために,宜しく頼む」

 シンバットは大きく頷いた.

 「かしこまりました.カカルドゥアのために.必ずや」

 ラーフラの双眸が,黒い頭巾の奥で危険な光を放った.

 席を立ち,広間の円柱の間を抜けて走り去る――ただその動きが凄まじく速く,そして気配がない.うっすらと残像を残し,かき消すように姿を消した.


 「まるでニンジャだな!」

 「ラーフラに任せておけば,間違いあるまい!」

 「さあ,宴だ.飲み食べ歌おう.この体はすでに老いる事も知らず,病む事もない.ジョンストン,おっと,オシリス殿! 貴殿もそうしようではないか」

 「ともに永劫の春を楽しもう」

 「シェヘラザード,何か音楽をやれ! 舞もだ!」

 五聖賢達の明るい笑い声が広間の天井に響く.


 極楽鳥の鳴き声と,涼やかな風.


 なのに,何故だろう……どす黒い不安が,胸の奥の闇から後から後から湧いて出る.

 今やエジプト神話の冥界の王――オシリスとなったジョンストンはひきつった笑みを浮かべた.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ