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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第13章 最後の戦い,そして
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13-13 ヤルダバオートの契約

 猛烈な蒸気が立ち昇っている.

 ヤルダバオートの力によって作られた巨大な竜の体は,細かいピクセルとなって大気に溶けていく.


 「はああああ……」


 焼け残る甲殻の中,シノノメはぺたりと床に座り込んだ.

 残る力のほとんどを使い尽くしてしまったのだ.


 「シノノメさん!」

 グリシャムが,片足を引きずりながら立ち上がった.

 レーザーで撃ち抜かれた右脚を,さらに飛んできた瓦礫の破片で挫いてしまったのだ.それでも,何とかシノノメのところに行こうとする.

 だが,できなかった.

 塔は二つに引き裂かれ,二人の間には五メートル以上ある裂け目ができていた.

 特にシノノメ側の方は沈み込み,グリシャムのいる方からは三メートルほど低くなっている.

 怪我した脚で飛び移れるような段差ではなかった.しかも,グリシャムが乗っている床面はシーソーの様に微妙なバランスで引っかかっている.下手に動けば崩れ落ちて奈落の底に落ちてしまいそうだ.

 「待ってて,えーと,箒を出せば……そちらに行けるかも……」

 グリシャムは床に腹ばいになってMPをチェックした.


 「グリシャムちゃん,ありがとう……あっ!」


 蒸気の向こうから,二つの人影が近づいてきた.


 「ウシャシャシャシャ!」


 パキ,パキという足音ともに,耳障りな笑い声が聞こえる.

 ヤルダバオートが焼け残った甲殻を踏みつぶしながら歩いてくる.

 後ろには,黒い甲冑を着たランスロットが歩いて来ていた.暗黒竜の爪によるダメージは少なかったらしい.しっかりした足取りだった.


 「こちらでございます,新王様.おや,足元にお気を付け下さい.おっと,汚い屍骸がございます.おみ足を汚されぬよう!」

 ヤルダバオートの慇懃な態度は,まるでもうすっかりランスロットの従者になったかのようである.


 「ランスロット……」

 シノノメは床に座り込んだまま,ランスロットの顔を見上げた.

 宮廷道化ジェスターヤルダバオートのふざけた表情とは対照的に,端正な顔は無表情だった.

 彼の回復は,間違いなくヤルダバオートの力によるものだ.

 それは,‘ベルトランを倒し,シノノメの身柄をヤルダバオートに引き渡す’という条件を呑んだことを意味する.

 だが,ベルトランの様にランスロットはすでに精神支配をうけてしまっているのだろうか? 

 シノノメは,ランスロットの心が残っていると信じたかった.


 「おう,陛下,ここに主婦殿がおります! もうヘトヘトの様ですなぁ」

 「シノノメ……」


 「さぁさ,陛下,早速お願いします」

 「お願い,とは,どういう意味だ? ヤルダバオート」

 「嫌だなあ,陛下,約束したじゃありませんか.ベルトランを倒した後は,シノノメを倒して私に下賜して頂くと.そのために,陛下をご加療して差し上げたのですぞ」


 ランスロットは,プレートアーマーの胴あてを見た.

 腹部には,巨大な穴が開いている.ベルトランの触手によって開けられた穴だ.ここから腹部を損傷したのである.

 そこから覗いているのは,肌色の皮膚と腹筋ではなかった.

 丸い裂創の跡が,まるでそこだけ金属を溶接したように黒い塊になっていた.


 「これか……」

 「左様です.いや,実際には殺すまでしてもらうと困るのです.ログアウトしてしまいますから」

 「どうしろと言うんだ?」


 ヤルダバオートは,シノノメの頭から足先を粘着質の視線で舐め回すように観察した後,右手に目を止めた.右手の薬指に,エクレーシアの指輪が光っている.これがある限り,ヤルダバオートはシノノメに手出しができない.


 「そうですな……死にかけ程度のボロボロに加減良くお願いしたいのです.特に,右手は切断して頂きたい.そうすれば,ずっと私の手元に監禁できます」


 「あなた,ホント,最低」シノノメはヤルダバオートと名乗る人工知能を睨んだ.「そんなに言うなら,何故自分でやらないの?」


 シノノメは右手を握りしめた.

 いざとなれば……‘拒絶の指輪’の力に賭けよう.

 でも,どう使えばいいんだろう……

 キッチンを出した時は無我夢中だったけど,あれと同じことがヤルダバオートに通用するとは思えない.

 少なくとも,これがある限り強制ログアウトさせられたり,気絶はさせられないと思うけれど……

 

 「私自ら,全てに干渉することはできません.こういったことは,プレーヤーの方同士でしていただくのが決まりですから.だって,物語上変でしょう? モンスターでも何でもないキャラクターが,突然プレーヤーを殺すなんて」


 「あんた,さっき私の首を切り落とすとか言ってたじゃない! あれ,嘘だったの?」

 ロフト状になった床の上から,グリシャムが身を乗り出しながら叫んだ.隠れるつもりなどない.いざとなったら,自分が死んでゲームオーバーになっても,最後の力を振り絞ってシノノメを守るつもりだった.

 「うわっ!」

 叫ぶと床面が揺れる.グリシャムは慌ててバランスを取った.

 

 「あれは,言葉の綾,という奴でございます.何せ,私は嘘吐きの宮廷道化でございましょう? 私にできるのは,すこーし皆さんを動けないようにするとか,すこーし強制的に退場願うとか,ですよ」

 ヤルダバオートはけろりとした顔でうそぶいた.


 「こいつ! 滅茶苦茶腹立つ!」グリシャムは怒鳴った.「じゃあ,でも,この場合ストーリーとしての整合性はどうなるの? 暴走したベルトランを倒したのは,結局シノノメさんよ! ランスロットさんの力は借りたとしても!」


 「……そうだ.ノルトランド軍が分裂したことで,素明羅との戦争の意義が無くなった今,シノノメを殺す意味がないぞ.どうするつもりだ?」

 それまで黙っていたランスロットが口を開いた.


 「そうですなあ……」ヤルダバオートは腕を組んで考えながら言った.「二人は協力して竜を倒し,平和が訪れようとしていたものの,ノルトランドの征服をたくらむシノノメは突如ランスロット王に切りかかった,なんていうのは如何ですか?」

 

 「征服? あなた,何言ってるの?」

 シノノメは,膝に手をついて何とか立ち上がった.気を抜くと倒れ込んでしまいそうだ.


 「いや……今一つだな」

 「今一つって,どういうこと……あ! じゃあ,さっきの運営からのメッセージも! あなたが操作したっていうの?」

 グリシャムが批難するが,そんなものは全く耳に入らない,と言う様子でヤルダバオートは喋り続ける.

 「あるいは……シノノメは以前からランスロットに近づき,妃となることを目論んでいた.やがて政治の実権を握り,女王として君臨するつもりだったが,その悪しき企みに,すんでのところで気付いたランスロット英雄王.黒幕の魔女グリシャムとともに,剣で成敗したのであった……おお,これがいい! ロマンスもある!」


 「黒幕? あなた,ちょっと,いい加減にしなさいよ!」 

 「暗黒竜ベアなんとかザウルスだって,そもそもあなたがさっきでっち上げたんでしょ! 私がいつ女王様になりたがったっていうの!」

 

 「やれやれ,ご婦人方にも受けるストーリーだと思ったのに.かしましいことですな」

 ヤルダバオートは耳をほじりながら言った.

 

 「なるほど……ゲーム世界の物語は,お前の思うがまま,ということか」

ランスロットはため息をつきながら首を振った.


 「まあ,そうは言っても陛下,整合性を合わせる程度ですよ.何故なら,プレーヤーの方々の行動を全てコントロールできるわけではないですからね.人間と言うのは,どうしてこう勝手気まま,予測不能,無秩序に動きたがるのでしょう?」

 ヤルダバオートはため息をついた.

 「ですから,現実世界もあんなに無秩序なのでしょうな……まあ,それもそのうち何とかしなければ」


 「いやいや,長話が過ぎました.失礼しました.それでは,本当の最終ステージです.どうぞ!」

 ヤルダバオートが手を打ち鳴らした.


 「よし,それでは始めるぞ,シノノメ!」

 ランスロットはそう叫ぶと,壊れた甲冑の胴あてを外して床に放り投げ,鎖帷子だけになった.機動性を高くして戦うつもりなのだろうか.


 「ラ,ランスロット,まさか,本気?」

 「シノノメさんはもうボロボロです! ランスロットさん,やめてください!」


 「ここは狭いな……少し動く」

 確かに,燃え残った甲殻や瓦礫が多い.

 ランスロットは無表情だった.

 ゆっくり移動し,広間――すでに崩壊し,地割れの後の様にズタズタになっているのだが――のほぼ中央に移動する.

 シノノメはよろめきながらも後について行った.

 ヤルダバオートは崩れた石材に腰掛け,足をぶらぶらさせながら見物している.

 月光を白々と浴び,宝石が象嵌されたエクスカリバーの柄が輝く.

 ランスロットは何を考えているのだろう……そうシノノメが思った矢先,竜戦士の銃を抜いた.

 まずい.

 残されたMPでは,あれを防御できない.

 

 「先手必勝だ」

 ランスロットは足元を見た.そして,横眼でヤルダバオートを見た.


 その瞬間,シノノメは彼の意図を理解した.

 だが……

 「ランスロット,それは……!」

 シノノメが,あることに気付いた瞬間,引き金が引かれた.


 「喰らえ! 火炎弾フレイム・バレット


 銃が轟音をあげ火を噴く――ヤルダバオートに向けて.


 「七メートルだ! 死ね,ヤルダバオート!」


 ヤルダバオートの勢力圏,七メートル.

 ランスロットが観察から割り出した距離である.


 銃弾は轟音を上げてヤルダバオートに向かったが,彼の背後にあった壁を粉砕して燃え上がっただけだった.

 「馬鹿な……!?」

 ランスロットは大きく目を見開き,銃を握った自分の左手を見つめていた.

 「何故この距離で外すのか,分からない,という顔だな.ランスロット」

 ヤルダバオートは愉快そうな,そして憎々しげな顔で言った.

 「ベルトランの様に,長い間魔眼の影響を受けていないから大丈夫と思ったか? それとも,銃弾ならば魔剣のようにコントロールされないとでも思ったか?」

 「これが,お前が,システムに干渉できない距離――ではないのか?」

 「ふふん,契約不履行ときたか.本当に馬鹿だな,お前は.俺と契約を交わすということが,どういうことか理解しているのか?」


 ランスロットは,竜戦士の銃を連射した.

 超重力弾.

 雷光弾.

 火炎弾.

 氷結弾.

 融解弾.

 その全てが狙いを外した.

 空しく広間の壁面を吹き飛ばし,瓦礫を凍らせ,あるいは溶かすばかりだ.

 弾丸がヤルダバオートを避けていくように見える.

 しかし,そうではない.

 ランスロットは必死で自分の手を押さえていた.

 照準が正しく合わせられないのだ.


 「一体どうなっているんだ……」

 ランスロットの顔に,玉の汗が浮かぶ.


 「折角リキャストタイムを無くして,銃を連射する能力も与えてやったというのに……残念だな」

 意味ありげにヤルダバオートが苦笑を浮かべる.


 「違うんだよ! ランスロット! あいつは,人間じゃないの! この,マグナ・スフィアを管理する人工知能が,間違って生み出してしまった人工知能のゲームマスターなんだよ! このゲームの世界を,作った‘モノ’なの!」

 シノノメが声を振り絞って叫んだ.


 「何だって……? 天才的なハッカーが――システムの不正操作を行っているんだと俺たちは思っていたが……違うのか?」

 ランスロットの顔は蒼白だった.


 「馬鹿め.分かりやすいように教えてやろう.俺と契約するということは,俺の分身のプログラムをお前たちの脳にダウンロード,インストールするということなんだ! お前も自分のPCに尋ねられたことはあるだろう?」

 ヤルダバオートは爆笑した.

 「ヒャヒャヒャヒャヒャ!……『このプログラムはシステムに影響を及ぼす可能性があります.インストールを続行しますか?』……あれだよ!」


 「何だって……? まさか,そんなことができるのか?」

 「その証拠が,さっきのお前の手の動きだ.統合制御の前頭前野,頭頂葉の運動野.後頭葉の視覚野も操作してみた. お前の体は,俺の思うままさ!」

 まさに,悪魔の嘲笑だった.

 ヤルダバオートの顔は歪み,その声は清らかな月の光をもってしても浄化できない悪意に満ちていた.


 「さあ,やれ! ランスロット! シノノメを倒せ!」

 ヤルダバオートが,シノノメを指差し,叫ぶ.


 シノノメはランスロットの腹部を見て驚いた.

 黒くて丸かった金属質の瘢痕が,徐々に大きくなっている.

 最初は両手で丸を作ったくらい――ちょうど,腹部をぶち抜いた触手の直径だったのだが,滲むように周囲に広がっているのだ.


 「ランスロット! それ! お腹のシミが!」

 「く……くう,すまん,シノノメ,読み間違えた……まさか,こんなことになるとは……」

 「ギャハハハ! 無理やり引きはがせるなんて思うなよ! これは,時間がたつほど体に広がっていくのだ! もっとも,引きはがせば現実のお前の脳も体もタダじゃすまないぞ!」


 ランスロットは,全身の力でシノノメの方に銃口を向けようとする右手を抑え込もうとしていた.

 首や肩の筋肉まで浮かび上がり,全身から汗が噴き出す.

 必死なのだ.

 「ぐぐ……いかん! 逃げろ!」

 引き金が引かれた.

 火炎弾だった.

 ランスロットの必死の抵抗で,弾はわずかにそれてシノノメの右側の瓦礫に着弾した.

 しかし,爆風で吹き飛ばされる.

 瓦礫の破片が,肩を,腕を,足を傷つけた.

 シノノメは,床に投げ出された.


 「ランスロット,負けないで!」

 シノノメが上体を起こして叫ぶ.

 「ぐううう!」

 ランスロットは,必死に右手を左手でつかんでいる.


 「無駄な抵抗だ! 徐々に俺の支配力は増していく! じゃあ,こういうのはどうだ!」


 「ぎゃああああああ!」

 ランスロットは腹部を押さえ,床に転げまわった.

 美しい顔が苦痛にゆがんでいる.


 「頭頂葉の感覚野をいじってみた.前頭前野の外側部を刺激して,慢性疼痛に移行させるのもいいな.続ければそのうち,うつ病を発症するかもしれん.痛い思いが嫌なら,俺の言うことを聞け!」


 「くそ,誰がお前の言う通りにするものか……」

 「強情だなあ.じゃあ,やっぱり体をコントロールしよう.頭頂葉の運動野,それと体性感覚野はこの辺か?」

 ヤルダバオートが,見えない操り人形を動かすように空間で両手を動かす.

 まさに,糸でぶら下げられたかのようにランスロットの体が再び立ち上がった.

 歯を食いしばっている.

 苦痛だけでなく,自分の体を他者に操られることの悔しさ,憤り,悔しさが伝わってくる.

 無様に銃を構え,シノノメの方に向ける.


 「終わりだ! シノノメ!」 

 ヤルダバオートが叫んだ.


  ***


 「た,大変だ! 何とか下に降りなくちゃ!」

 グリシャムは必死でMPをチェックしていた.

 「これ……困ったな……一刻も早く行かなきゃいけないのに!」


 MPが足りない.

 魔法の箒を出して,飛んで行きたい.ところが箒を出して飛べば,攻撃に回す分の魔力が足りなくなってしまう.

 魔力に関係なく使えるアイテムとして,万能樹の種が残り一つあるが,普通の植物でヤオダバールトを倒せるとはとても思えない.

 ましてや,ランスロットなんて勝負にならない.

 いや,その前にシノノメを助けなければ……

 シノノメを助けて,飛び去る?

 駄目だ.銃で撃ち落とされてしまう.

 自分が身代わりになる?

 それも無理だ.敵の狙いはあくまでシノノメ.

 簡単に撃ち殺され,シノノメは捉えられてしまう.

 まさか,ランスロットがあんな風にコントロールされてしまうとは.


 「どうすればいいの?」

 もう一度下を覗いた.

 轟音が響く.響くたびに,自分がかろうじて乗っている不安定な足場も振動する.こちらも,いつ崩れ落ちてもおかしくない.


 シノノメは床を転がって銃弾の直撃を避けている.

 なかなか当たらない.

 ランスロットが,必死でヤオダバールトに抵抗しているのだ.

 だが,シノノメが転がる先には巨大な亀裂が口を開けていた.

 亀裂の最深部にはちらちらと火が燃えているのが見える.おそらく,移動要塞の動力部にまで達しているのだろう.もう,引火しているのかもしれない.

 そうなると,大爆発する可能性もある.

 

 「シノノメさん! どうしよう!」

 

 「……おい,魔女……グリシャムと言ったな……」


 「うひゃっ!」


 誰かが瓦礫の中で呼んでいる.

 「だ,誰ですか……?」

 何かが瓦礫の中で動いているようだ.

 グリシャムはバランスを取りながら這って,その動く物のところに恐る恐る近づいた.


 「あなたは……」


 ベルトランだった.

 いや,正確には首だけになったベルトランだ.

 断面は,黒い金属質の鉱物の様なものが固まって塞いでいた.ヤルダバオートが埋め込んだ黒い魔眼は,彼にほぼ不死と言える生命力を与えていたのだ.

だが,魔眼のあった右目は黒曜石の化石がはめ込まれたように真っ黒だった.

 ベルトランはゆっくり左眼を動かし,グリシャムを見た.

 「ヤルダバオートは……?」

 「ランスロットさんを操って,今,シノノメさんが銃で……」

 「……そういうことか.……奴は俺たちをチェスの駒の様に考えている……」

 ベルトランの眼は不思議に静かで,それでいて怒りに燃えているのが分かった.シノノメと戦っていた時の狂気を感じない,落ち着いた表情だった.

 首だけになった今の方が,よほど王者としての威厳と誇りを感じさせる.グリシャムはそう思った.

 「あいつをのさばらせたのは,俺の不始末だ……」

 「今は,そんなことはどうでもいいんです! シノノメさんが危ないの! 早くシノノメさんのところに行かなきゃ! あなたに構っている暇はないの!」

 グリシャムは再び床の縁に戻ろうとしたが,ベルトランは去ろうとする背中に声をかけた.

 「待て……お前……ポア,とかソクラテアという木は出せるか?」

 「え……!?」

 グリシャムは,眉をひそめた.


  ***


 「えいくそ! なかなか当たらんなあ! おい,ランスロット,そんなに抵抗するなよ!」

 ヤルダバオートが笑う.

 「当てさせる……ものか」

 ランスロットが必死の形相で,声を絞り出す.

 ヤルダバオートと言えど,憑依したばかりで精密なコントロールを行うのは難しいようだった.

 だが,体の動きを完全にヤルダバオートが掌握するのも,時間の問題だった. 抵抗する体力にも限界がある.

 当然,ランスロットにはログアウトすることもできなくなっていた.

 体力が尽き,倒れるまでシノノメを銃で狙い続けなければならない.


 素明羅が勝利した今,シノノメはログアウトして逃げることもできる.しかし,このままランスロットを放っておけるはずがなかった. 


 「分からんなあ,女の一人くらい,俺にくれよ」

 「……お前は,やはり人間でないんだな.よく分かるぜ」

 「ほう?」

 「俺は……絶対に,シノノメを裏切らん」

 ランスロットは激痛と体のコントロールを奪う他者の意志に耐えながら,必死で笑っていた.

 汗にまみれたぐしゃぐしゃに歪んだ笑顔だったが,美しかった.


 「馬鹿馬鹿しい! 下らない感情に踊らされる.それが,人を傷つけ,傷つけられるのだろう! そんなものは,所詮脳内の電気現象,化学物質の反応に過ぎないのに.もういいのだ,シノノメの体の一部が手に入れば! こうすればいい!」

 ヤルダバオートが右手を振った.

 竜戦士の銃の形が変わる.

 近代的な大型自動拳銃.

 ――しかも,これは……

 異常に長大な弾倉マガジンがぶら下がっている.

 「馬鹿な! やめろ!」

 そのおぞましい形が,何を意味するかに気付いたランスロットは叫んだ.

 フルオート発射可能な,マシンピストルと呼ばれるタイプだ.

 人差し指を下ろし,引き金を引きさえすれば,撃ち尽くすまで銃弾が発射され続ける.

 だが,シノノメには,銃の種類など分からない.

 「な,何なの?」

 よろめきながら,立ち上がった.

 「シノノメ,逃げろ! 逃げるんだ!」

 腕の動きならば,全身の力でねじ伏せられる.

 しかし,人差し指一本を動かす力を止めることは……

 人差し指が,引きトリガーに触れる.

 撃鉄が持ち上がる.

 そして,ゆっくりと……落ちていく.

 「くそ,くそ! やめろーっ!」

 ランスロットは,絶叫した.




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