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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第13章 最後の戦い,そして
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13-10 最終形態

 宝剣で左の胸を貫かれ,膝をついて倒れ込む.

 それでもなお,ベルトランは自らの魔剣を横に薙いだ.

 竜殺しの剣,べーオウルフがうなりを上げる.

 爆音とともに一つのキッチンシンクが吹っ飛び,壁に巨大な穴を開けた.

 衝撃波でシノノメも吹き飛ばされたが,体を空中で丸めて冷蔵庫の陰に飛び込み,直撃を凌いた.


「フウ,フウ……」

 ベルトランは肩で息をしながら,自分の胸を貫いていた宝剣,七支刀ナナツサヤノタチを抜き取って床に投げ捨てた.


 攻撃を畳みかけたいところだが,まだベルトランは攻撃力を持っている.

 シノノメもふと自分の体を見る.

 両腕とも擦り傷と火傷だらけだ.熱を使って攻撃している間に,自分も負傷していたらしい.

 シンクの陰に隠れつつ,匍匐前進で近づいてきたグリシャムが,回復呪文をかけた.

 「シノノメさん,大丈夫ですか? ランスロットさんは,あっちのシンクの陰です.ポーションは渡しましたけど……エクスカリバーの鞘による治癒能力を持ってても……戦えるようになるのは,おそらく無理です」

 グリシャムは顔をしかめた.

 「そう.ありがとう,グリシャムちゃん.ベルトランのHPは,あとどのくらい?」

 「残り三分の一くらいと見ました」

 「……もう少しだね」

 「……もう少しが途方もないけれど……」

 グリシャムとシノノメはため息をついた.


 しかし,ランスロットの回復が期待できないのであれば,シノノメ自身が頑張るしかない.

 本当は,一撃必倒の竜戦士の銃の力を借りたいところだけど……

 あれは,貸し借り不可能のアイテムの筈.竜騎士ドラグーンしか,撃つことはできない.

 今の,防御力の落ちたベルトランなら,必殺の一発で倒すことができるに違いないのだが……

 再び攻撃を開始しようとしたシノノメが,そっと冷蔵庫の陰からベルトランを覗いたその時だった.


 「ふわああああああ!」

 大きな欠伸が聞こえた.

 ヤルダバオートだ.


 「本当につまらない.剣を振り回すばかりか.だから,引きこもりは下らないのだ.ゲーム世界のチャンピオン? 狭い世界だ.社会経験もなければ,職能も技能もない.まあ,支配欲を見せてもらうのは面白かったが.最終ステージを台所に変えてしまう主婦の方がよっぽど面白いわ」

 ヤルダバオートは後ろ手にしながらウロウロと歩き始めた.すっかり口調が変わっている.

 「さて,そろそろ飽きてきた」

 ぴょん,と高く飛ぶと,膝をついたベルトランの頭上をやすやすと飛び越え,調理台の一つに飛び移った.


 「あ!」

 グリシャムが声を上げる.

 「あちらは,ランスロットさんがいるところです!」

 「あいつ,何する気!?」


 ヤルダバオートは屈んでシンクの下を覗き込んだ.

 「ランスロット,どうだ? ベルトランに成り代わりたくないか? お前がこのノルトランドの支配者になってはどうだ?」

 シンクに体を預け,体の回復を待っていたランスロットに,馴れ馴れしげに話しかけた.


 「く……白々しいぜ.この,黒幕野郎め」

 痛みに耐えながら,ランスロットはヤルダバオートを睨む.


 「奴はこの戦いが終われば,失脚するのは目に見えている.お前こそが,今度は王だ.俺が,それにふさわしい力を与えてやろう.ん? お前の願いは何だ? 叶えてやろうではないか」

 「……」


 「ランスロット! そんな奴の言うことを聞いちゃだめだよ!」

 シノノメは冷蔵庫の陰から叫んだ.


 「前にも声をかけたろう? お前が望めば,奴に成り代わることができると.お前もこの世界を支配してみたくないか? この世界を変えることで,現実の世界を変えたくないか? お前も勤め人だろう? 支配される側から支配する側に変わりたくないか?」


 ヤルダバオートは床に降り,しゃがんで上目づかいでランスロットを見ながらニヤニヤと笑っていた.

 ランスロットはじっと黙ってベルトランを見つめている.


 「く……貴様,ヤルダバオート……」

 シノノメの剣に胸を貫かれ,ベルトランの精神支配は若干弱まっていた.

 彼は剣の柄を握りしめた.

 無様な戦いの姿そのものだけではなく,実生活のことまでヤルダバオートに明かされたことに大きな屈辱を感じていた.

 コミュニケーション障害.

 社会的無能者.

 そんなことは自覚している.

 だからこそ,おのれのアイデンティティはこのゲームの中の活躍だったのだ.


 「さあ,俺が,回復させてやるぞ.ベルトランを殺せ.もう,奴は瀕死だ.お前の竜戦士の銃を使えば,できるだろう? そして,それを大々的に発表するんだ.そうすれば,お前は悪の王を倒した英雄王だ」

 ヤルダバオートは顎でベルトランを差した.

 「その後はシノノメだ.あいつも,かなりダメージを受けている.俺が力を貸せば,殺すことも造作ないだろう? 漁夫の利を得るというわけだ」

 ヤルダバオートの笑みと囁きは徐々に悪魔的なそれになっていた.

 「俺を,受け入れろ.そうすれば,すぐにお前に力を与えてやる」


 「お前が欲しい見返りは,何だ?」


 ランスロットはゆっくりとシンクに手をかけながら,立ち上がった.わき腹を押さえている.立つのもやっとなのだ.

 だが,もし回復すれば,最も有利なのがランスロットであるのは明らかだった.

 シノノメもベルトランも傷ついている.

 この中でただ一人,強力な‘長距離攻撃可能な’魔法が使えるのは彼なのだ.

 そして,シノノメにはランスロットを傷つけることができない.


 「そうだな……」

 ヤルダバオートは,意味ありげにニヤリと笑った.

 「シノノメは俺にくれないか?」

 「なるほど……」

 ランスロットがヤルダバオートの顔を見る.


 「ランスロット!」

 シノノメが叫ぶ.

 

 「さあ,剣を取れ! 俺が回復させてやるぞ!」

 「……」

 ランスロットは鞘からエクスカリバーを抜き,ゆっくりとその重みと感触を確かめるようにして持ち上げた.


 「それでいい!」

 ヤルダバオートがにんまりと笑う.


 「ぐぬ……ヤルダバオート,貴様,何が狙いだ? おれの理想に共鳴したのではないのか?」

 ベルトランが血を吐きながら言った.肺を損傷したため,呼気に血液が混ざっていた.

 「理想? ふふん,お前の頭の中では自分で考えたことになっているな.傀儡は,傀儡らしくしておればよかったものを.まあ,面白かったがな.だがいかんせん,脳の可塑性が不足しすぎている.所詮は,社会の負け犬だ」

 ヤルダバオートは鼻で笑った.


 「貴様! ベーオウルフ,第二形態!」

 ベルトランは力を振り絞って叫んだ.

 彼自身もいつからヤルダバオートに思考を支配されていたのか,どこからどこまで自分の思考なのか曖昧になっていた.

 彼を突き動かすものは,残されたわずかな矜持だった.

 自分は社会的落伍者だ.

 しかし,このゲーム世界にだけは真摯に生きて来たのだ.

 それしかないから.

 それだけが,自分がこの世界で為し得た唯一の物.

 自分に残されたたった一つの物だから.


 「ヤルダバオート! 貴様を殺す!」


 剣の鍔から先が,黒竜になった.

 剣から竜が生えているようだ.というよりも,黒い帯状の闇がそこにあり,竜の様に宙で体を揺らしているのである.先端には,巨大で凶暴な顎と,深紅の目があった.結膜――白目の部分がない.瞳も,結膜も全て赤だ.


 「ソロモンの魔眼を手に入れた時点で,お前の精神支配は始まっているのだ.それからずっと浸食は続いてきた.傀儡のお前が俺を殺せると思っているのか?」


 「貴様!」


 ベルトランは大上段から剣を振り下ろした.

 一刀両断.

 轟音が響き,爆風が舞う.

 シノノメとグリシャムは慌ててシンクの陰に隠れた.

 荒れ狂う闇の竜は,ヤルダバオートを直撃するはずだったが,広間の天井を削り飛ばしたところで,その軌道を大きく捻じ曲げられていた.


 「ギャハハハハハハハハハ!」


 ヤルダバオートが笑う.

 煌々と輝く月の光に照らされた道化は,腹を抱えて笑い狂っていた.


 「ただ殺すのももったいない,傀儡らしく最後の仕事を与えてやろう.ランスロット,お前はそれを倒せばいい.そして,シノノメを俺にくれ.ベルトラン,ベーオウルフの,最終形態に変化せよ」


 「最終形態だと! 何だそれは!? うわああ……やめろ!」


 黒い竜の刃はベルトランを巻き込み,彼の体は巨大に膨れ上がった.

 背骨が捻じ曲がり,巨大な尾が生え,腕には棘と鉤爪が生える.

 凄まじい黒い魔力の暴風が荒れ狂った.

 シノノメが作り出したキッチンが崩壊し,蒸散していく.

 ヤルダバオートは周囲に球形のバリアを張り,ランスロットと自分を守っていた.

 「フルーラ・バブル!」

 グリシャムはシャボン玉状の防壁を展開し,シノノメと自分の身を守る.

 

 暴風が収まった時,そこには巨大な黒い独角を持つ,竜が立っていた.

 翼はなく,代わりに鋭い鉤爪のついた四本の腕を持っている.

 身長は約二十メートル.

 全身が甲殻類の様な,ザラザラした突起のある甲羅で覆われているが,右の眼から肩に掛けては黒い金属質の甲皮になっている.

 もはや,どこまでベルトランの意志が残っているのか分からない.

 鳥類とライオンを混ぜたような声で,咆哮した.

 口の中には,青白い舌と鋸状の細かい刃を持つ巨大な牙が並んでいる.

 鼻先に屹立する角は,魔剣ベーオウルフの刃そのものの形をしていた.


 「こんな,出鱈目な!」

 グリシャムが目を丸くする.


 「ヒャヒャヒャ,どこから見ても明らかな悪だな! ノルトランドの悪王ベルトランは,悪魔に魂を売って暴政を行っていた.ついに正体を現しましたとさ!」

 その悪魔自身である,ヤルダバオートが笑った.


 「サマエル! あなたって人は! どこまで人を玩具おもちゃにする気なの!」

 シノノメは怒りに燃えて叫んだ.

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