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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第13章 最後の戦い,そして
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13-9 叛撃の主婦

 ベーオウルフの凶刃がシノノメに迫る.

 四本のうねる触手も,それに先行する様に首をもたげて襲い掛かる.


 シノノメがやいばに引き裂かれる!

 そう思ったグリシャムは思わず目をつむった.


 ガツン,とひどく大きな音が響いた.


 だが,その後は不思議な沈黙が続いた.


 変だ.

 あのまま行けば,巨大な牙――爪の生えた触手は,シノノメを貫いて,確実に自分も切り刻む軌道だった.

 だが,届いていない.

 自分は無傷だ.

 グリシャムは恐る恐る眼を開けた.


 「な……何これ?」


 シノノメとベルトランの間に壁が出来ていた.

 銀色だ.大理石の床から,そのまませり上がってきたようだ.

 剣はこの壁に三分の一ほど刺さって止まっていた.そのせいで二人には届かなかったのだ.

 爪も,壁に突き刺さって止まっている.

 壁には引き出しと両開きの扉がいくつか,それに,センサー付きのスイッチとコンセントがついていた.


 「これは……」見覚えがある.


 熱線――レーザーの傷は,現実世界でも黒こげになるので出血はない.大腿の鈍い痛みに耐えながら,グリシャムは立ち上がった.

 隣でシノノメは壁越しに向こうを覗いている.


 「な……何だ,これは?」


 ベルトランが剣を振りおろしたまま呟いた.

 自分の前に突然出現した,大きな構造物に目を疑っている.


 「システムキッチンだよ!」

 「は!?」

 「人工大理石オール一体型シンク,主婦の憧れアイランドキッチン!」


 確かに,剣が刺さった天板の部分,爪を受け止めた鋼板は極めて固いようだ.

 だが,魔剣ベーオウルフは刺さった場所を次第に侵食していく.剣に宿った闇の黒竜がその体内にあらゆる物を喰らっていくのである.

 

 「自己修復機能付き! バイオマテリアルだから,細かい傷は治るんだよ!」


 ベーオウルフが喰らうのと同じ,あるいはそれ以上のスピードでキッチンの台は再生していた.実質,食い込んでいるだけで切れていないのと変わらない.

危うくキッチンの方が剣の刃を飲み込もうとしているのを見て,ベルトランは慌てて剣を引いた.爪のついた触手も,自身の動揺を反映するかのように引っ込む.


 「こ……これは何だ? 何が起こっている?」

 

 ベルトランがあたりを見回すと,次々といろいろな構造物が床からせり出して作られていくところだった.

 食器棚.

 大型業務用冷蔵庫.

 電子レンジに炊飯器.

 オーブン.

 グリル用のサラマンダー.

 分別用ごみ箱.

 キッチンの調理台は四台もある.ホテルかレストランの厨房のようである.

 あるいは,住宅内装品のショールームだろうか.

 

 広々としたベルトランの広間は,物がごちゃごちゃと置かれた台所になっていた.人間の骨を模した不気味な彫刻は姿を消して普通のパイプになり,アイランドキッチンから走る配管が,生き物のように天井に向かう.

 まだ壊れていない天井部分にも,換気扇のフードとキャビネットができた.両開きの扉がついている.


 「キッチンは,主婦の戦場だよ」

 シノノメはシンク越しに,腰に手を当てて言った.

 右手の薬指で,一際青く鋭く指輪が光る.


 「貴様! ふざけているのか!」

 

 ベルトランは,アイランドキッチン越しにシノノメの頭を狙って,横薙ぎに剣を振ったが,シノノメはひょいっとシンクの陰に隠れてしまう.グリシャムも真似をして隠れた.

 

 「ふざけてないよ!」

 

 「隠れても無駄だ! 俺の目は熱源探知もできる!」

 

 大剣を一旦引き,眼に意識を集中したところで,シノノメはいきなり調理台の天板に手をついて飛び出した.


 「そこ!」


 熱線レーザーがまさに出ようとする瞬間,シノノメはシンクについた蛇口を取って熱湯を出した.


 「えい!」


 シャワーのようにホース状になった蛇口の先を伸ばして,金属の眼に熱湯をぶちまけた.濛々と蒸気が立つ.

 

 「ぎゃあっ!」

 

 直撃した熱湯はすでに火傷を負っている顔面をさらに焼き,鎧の隙間に入り込んだ熱湯はベルトランの体を焼いた.特に生身の部分は焼けただれ,皮膚がめくれ返っていく.

 それに何より――レーザ―が使えない.


 「レーザーは,水蒸気の中では駄目になるんだよ!」


 レーザー光線は,大気中,さらに言えば蒸気の中では減衰して威力を失う.

網膜を破壊し視力を奪う武器として使われることはあるが,破壊兵器としては大気のある場所で使うのには向かないのだ.


 「すごい! シノノメさん!」

 グリシャムが思わず歓声を上げる.


 「グリルオン!」

 アイランドキッチンについたガスレンジから,通常の数倍の威力の青い炎が噴き出した.ベルトランの鎧がそのまま加熱される.

 炎は,容赦なくベルトランの鋼鉄の甲冑を加熱した.

 同時に天井のレンジフード――換気扇が動き出した.炎ごとベルトランは天井に向かって吸引される.必死で鎧の触手を伸ばしたが,そうするとさらに高熱の炎が体を焼く.

 対魔法装甲の鎧は高熱に耐えられても,中の人間の体は鎧が帯びる高熱に耐えられない.装甲の薄い部分は重症の火傷となり,鎧にへばりついた.

 「ぐぬううう! くそう! これしき!」

 ベルトランは焼けただれた右腕の装甲を無理矢理ちぎり取り,投げ捨てた.


 「貴様……!」

 

 激怒したベルトランは再び大剣をふるってシノノメを追いかけた.

 が,うまく剣が振れない.

 剣に勢いをつけようと振りかぶると,そこかしこにある物に体が当たってしまう.冷蔵庫に肘が当たる.肩が食器棚にぶつかる.

 さらに,爪のついた触手はもっと使い物にならなかった.障害物が多すぎて,物を壊すのに十分な反動がつけられず邪魔になるばかりである.

 一方のシノノメは,ちょこまかと物の間を走り回っていた.

 

 「何……この戦いは……?」

 グリシャムが唖然とする.

 それは,彼女が見た事のあるどんな戦いとも違っていた.

 力と力のぶつかり合い,剣の激突.

 そんなものは全く見られない.

 キッチンを走り回る少女を追い回す,甲冑姿の大男.


 ……これでは,冗談だ.

 アニメの,猫とネズミの追いかけっこを見ているようだ.

 とても最終決戦の決闘には見えない.


 それは,武術に対する理解の違いだった.


 シノノメの脳裏には,かつてセキシュウが授けた教えが繰り返されていた.


  ***


 『圧倒的な体格差があっても,あえて同じルール,土俵で戦う.それは,あくまで競技スポーツの話だ』

 『礼儀を守って,正々堂々と戦うのはだめなの?』

 『それは,精神修養としての武道ならば正しい.だが,それは武術ではない』

 『テレビの格闘技みたいに,全力の技を,バシーンって受け止めて,全力でヤーって返すのは?』

 『それは,プロレスなら名勝負だろうな』


 だが,本当の戦い,生命のやり取りをしなければならないのなら――

 路上の喧嘩,戦場の実戦ならば――


 生き延びるための戦いならば――


 体格が不利であれば,より長い武器を持てばいい.

 武器がないのならば,周囲の環境を味方にすれば良い.

 足が速ければ,逃げればいい.

 生き延びるための方法.

 それが本来の‘武術’だ.


  ***


 シノノメはエクレーシアの指輪の力を使って,自分が最も有利に戦える環境を作り出したのだ.


 食器棚の一番下は,収納兼足台になっていた.シノノメは足台を引き出し,とび跳ねたかと思うと冷蔵庫のドアでベルトランを殴った.


 「くぬう!」


 ベルトランが剣を一閃すると,大型の冷蔵庫が引きちぎれながら両断された.中に入っていた食品や飲料がぶちまけられる.

 卵,バターやジャム,牛乳にジュース,はてはポン酢まで.

 物は散乱し,床に転がった.

 だが,その時にはすでにシノノメはさらに奥に移動していた.

 追うベルトラン.

 

 シノノメはシンクの蓋を開けて脛を払い,麺棒を取り出して脛を思いっきり殴った.


 「えい!」

 「効かぬわ!」


 確かに,脚の骨が折れるわけではない.だが,足がもつれてバランスを崩す. 剣を振ろうとしても,狭すぎて十分な踏み込みができない.


 ベルトランは爆発的なパワーで,邪魔なシンクを切り飛ばした.しかし,その時にはシノノメは別の調理台のところに移っていた.

 そこではいつの間にか,ハイカロリーガスレンジの上で中華鍋が加熱されていた.


 「中華鍋ウォック!」


 シノノメはベルトランに中華鍋を投げつけた.

 中身は煮えたぎった油だ.


 「させるか!!」


 剣でかろうじて鍋の直撃を防いだものの,液体を避けることはできない.高温の油はベルトランのむき出しになった腕を焼いた.


 「ぎゃあああああ!」


 鬼の形相でベルトランは痛みに耐えていた.

 肉を焼く臭いが部屋に漂い,鎧のあちこちから湯気が出ている.

 そんな中,右目の機械の光だけが炯炯と光ってシノノメの姿を追っていた.

 狭い環境では,甲冑を着けたベルトランの巨体はただ不利なだけなのだ.

 剣に力をため,必殺のスキルを放つ空間が作れない.

 鎌鼬を放つスペースもない.

 黒い牙状の触手も,引っかかるばかりでその威力を発揮できない.

 究極奥義の力を溜める時間は作れない.

 おまけに,鏡面仕上げの機材が多いのでレーザーは乱反射してしまう.

 ベルトランにできることは,ただ剛剣の威力に頼ることのみとなってしまった.


 「くそっ! ちょこまかと逃げおって! 正々堂々,向かい合って勝負しろ!」

 「そんなことしたら,私が不利に決まってるでしょ! ウィートボール!」


 シノノメは小麦粉の球を出して,ベルトランにぶつけた.

 とにかく,眼を狙っている.

 特殊機能のついた眼のレンズは汚れて曇り,徐々に視界を失いつつあった.

 「マヨネーズ!」

 冷蔵庫からマヨネーズのチューブを取り出してかける.マヨネーズは油膜が広がるので,レンズに付着するといくらこすってもとれない.


 魔眼はほとんど視力を失い始めていた.

 現在ベルトランに見えているのは赤外線映像で,熱源の様子――シノノメの人型が動くのを追っているだけである.しかしこれも,台所のあちこちから立ち上る蒸気やガスの熱で,正確に敵の姿を捉えることが難しくなっていた.

 彼にできるのは,盲目的に剣を振り回すことだ.

 動く物に反応しながら,圧倒的なパワーで剣を振り回し,なぎ倒す.

 その度に様々な物が壊れていく.

 大型冷蔵庫が,食器棚が切られるというよりも引きちぎられ,破壊される.

しかし,再び床から現れるのだ.

 剛剣の煽りを食らった広間の天井や壁も,一太刀ごとに爆音とともに吹き飛ばされ,ボロボロになっていく.


 「私たち主婦は,こんなに危険なものを毎日扱ってるんだよ!」

 「うるさい! 夫の愛人件家政婦だろうが!」

 「言ったな! そんなこと言う人が,頂きますもせずに,ご飯を食べるんでしょ!」


 滑稽ではあるが,シノノメもふざけているわけではない.

 必死である.

 狭い場所では,動きが早くて体が小さいものが有利な反面,捕まってしまえばどうにもならない.

 おそらく,ベルトランに捕まれば,片手で彼女の頭蓋骨は握りつぶされてしまうだろう.

 しかし,だからこそのアイランドキッチンだった.

 アイランド,つまり島状に部屋の中に設置されるタイプのキッチンは,調理台が壁についていない.つまり,追い詰められる袋小路がないのだ.

 シノノメはとにかく逃げ回り,物を投げつけていた.

 皿,ナイフ,食材,鍋.お玉.

 魔法の皮むき器で鎧を削り,ハンドミキサーで小手を狙う.

 オーブンを開ければ,噴出した火がベルトランを焼く.

 大したダメージではないが,少しずつダメージを積み重ねていくのだ.


 「柳刃包丁!」


 シノノメは刃渡りの長い細身の魔包丁に持ちかえた.

 鎧の隙間をすりぬけ,刃はベルトランの体を傷つける.刺突剣レイピアの効果に似ている.

 細身の刃物なので,大きなモーションはいらない.


 「三枚おろし!」

 「微塵切り!」

 「賽の目切り!」

 「隠し包丁!」


 シノノメの高速の突きは,着実にベルトランの手を傷だらけにしていた.

 ベルトランの攻撃は,すべてモーションが大きい.

 彼はシノノメのスピードについていけなかった.

 恵まれた体格と装甲の性能によって,攻撃を受けとめ,それ以上の威力の攻撃で相手を倒す――それが彼の戦闘のコンセプトだ.

 武術的に,どんな小さなダメージも回避して倒す考え方は,彼にはない.


 「小癪な攻撃をしおって! 鬱陶しい!」

 「小さな毎日の努力を積み重ねて,毎日を良くするの!」

 「くだらん,小人しょうじんの発想だ!」

 「毎日が少しずつ良くなれば,いつか世界も良くなるんだよ!」

 「五月蠅い!!」


 焦れたベルトランは,剣技の’ため’を作る暇を惜しみ,拳を振り回していた.

 シノノメの魔包丁は,ついに触手の一本をそぎ落とした.

 黒い甲殻に覆われた触手は,床に転がってウネウネと蛇のように動いていた.


 シノノメとて無傷ではない.

 すでに着物の片袖は引きちぎられ,エプロンはズタズタだった.むき出しになった右肩には傷がついているし,腕のあちこちに火傷ができていた.


 「ぬおっ!」


 こっそり這ってベルトランの後ろに忍び込んだグリシャムが,床にサラダ油をまいていた.

 足を取られてベルトランはバランスを崩す.慌てて左手を流し台につき,倒れまいとした.


 居付いた!


 攻撃を回避する柔軟な動きを失ったと見たシノノメは,叫んだ.


 「天井キャビネット!」


 バカン,と音がして天井収納の扉が開く.

 そこからバラバラと落下してきたのは,これまでシノノメが集めてきたアイテム――それも,刃物ばかりだった.


 「いけぇ!」

 シノノメが叫ぶ.


 アメノオハバリ.

 クサナギノツルギ.

 トツカノツルギ.

 フツノミタマ.

 デュランダル.

 報復者フラガラッハ.

 ロンギヌスの槍.


 百振り近い,聖剣,宝剣,魔剣の雨.

 はては普通の包丁から果物ナイフ,テーブルナイフまで,数百本の刃物がベルトランの頭上から落下してきた.

 いや,落下ではない.

 シノノメの意志を受け,高速で射出されてくるのだ.

 降り注ぐ白銀の流星群.

 空間を切り裂く,刃の豪雨だ.

 そのうちいくつかは当れば確実にベルトランの鎧を貫く威力を持っている.


 「ぐおおお!! おのれ! おのれ!」


 ベルトランはベーオウルフを振り,必死で剣を打ち落とした.

 しかし,剣の雨は次から次に降り注いでくる.

 中には甲冑の装甲で受け止めれば大丈夫そうなものもあるが,どれがどれと判別するのが難しいのだ.

 次第に剣は大振りにならざるを得ない.


 「くそうっ!」


 彼が,テーブルナイフの一本を叩き落とし,体が斜めに傾いたその時だった.

 一本の大剣がひときわ輝いて,落下してきた.


 「しまった!」


 ――素明羅スメラ伝説の宝剣,六つの枝刃を持つ七支刀ナナツサヤノタチである.

 慌ててベーオウルフで切り返そうとする.

 しかし,金色に輝く巨大な剣は,邪剣で切り払うことができなかった.

 振動する刃の表面を滑り,美しい光が天井から走り抜ける.

 鋭い切っ先と曲がった枝刃は甲冑を貫き,ついにベルトランの左胸を貫いた.


 「ぎゃあああああああああ! 」


 口から大量の血液を吐くベルトラン.

 宝剣は肉に食い込み,骨を断ち割り,左の肺を切断したのだ.

 ベルトランの巨体が,一瞬痙攣する.


 「やった! シノノメさん!」

 グリシャムが,歓声を上げた.


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