13-7 望郷の戦士
黒いグリフォンに乗って移動要塞に飛び去ったランスロットを見送り,フレイドは全軍の装備点検,戦闘の再開に向けた計画的な休眠の指揮を執っていた.
ランスロット自身は移動しながら休眠を取る予定だ.自軍の上空,高速で移動するグリフォンの上なら入眠・覚醒ともに安全である.覚醒したころには本陣についているはずだった.
部下達の状態を確認してから,副官である自分は最後に休眠を取る予定である.とりあえず従軍魔法使いに回復を依頼してから,陣形の確認に移った.
ノルトランド軍の各所に人間大の金色の繭ができ始めている.
南都の城内でも同じに違いない.
黄金の蚕があちこちに誕生するような,不思議な風景である.
だが,マグナ・スフィアの世界ではNPC達にとっても,まだ起きているプレーヤーにとってもいつもの風景だった.
繭の中にはプレーヤーが透けて見える.
この繭に包まれたプレーヤーには,武器や魔法は通用しない.姿が消えるログアウトとは違う,一時停止である.
開発当初は人間がそのまま凝固したように止まるだけだったが,それでは戦闘系のクエストでは圧倒的な不利になりかねないという問題が起きた.
相手が止まっている間に武器を突きつけておいたり,魔法陣で囲んでおくこともできるわけだ.
また,折角進んだクエストをすぐに再開したい場合にも便利だ.繭に入っているのでモンスターに食べられることも無い.
その他にも,女性プレーヤーへのいたずら防止などの目的で,繭を作る設定になったという.
NPC達は,プレーヤーという人々は異世界からやって来る人間で,超人的な力を持っているが繭に入って蛹のように休眠する人種だと思っているのだった.
「さて,俺もそろそろ休まなくっちゃいけないが……」
ランスロットに後を任されたフレイドは,そう呟いて辺りを見回した.
瓜畑のように黄金の繭がごろごろと並ぶ中,NPCの兵士や竜,魔獣が座り込んでいる.
どの兵士も疲れ切った顔をしていた.
長時間の戦闘で疲弊しているのだ.
超人的な能力を持つプレーヤーに無理やり合わせさせられるのだから,逆の立場ならたまったものではないだろう.
座り込んで支給された固い黒パンをかじるもの,竜にもたれかかって皮袋の水をちびちびと飲み続けるもの,様々だ.
碌な食糧も支給されていない.
欲しければ奪え,戦えと言われている.
ランスロット隊だからこそまだ規律が保たれているとはいえ,無理やり徴集された農民兵などは,暴徒化していつ略奪を始めるかわからない状況だ.
あくまでゲームを盛り立てる存在とはいえ,悲惨な状況と言わざるをえない.
これだけ国民を疲弊させているのはノルトランド,いや自分たちの戦争政策であるわけだ.
シノノメのように感情移入し同情することはできないが,現実世界なら人権問題である.その状況を‘理解’することはできる.
「フレイド様,お休みください」
NPCのヴォルクがすっかり煤けた顔で笑顔を作って言った.
階級は少尉,なかなか味のあるいいキャラクターである.
フレイドが黒竜隊の下級騎士であるころから知っている,言ってみれば顔なじみ,戦友だ.
だが,どこまで設定された人格なのか……人間のように話していいものか……今一つフレイドは距離感をつかみかねていた.
「ああ……しかし……」
「兵士たちですか.みんな,疲弊していますよ.我々の様な軍属ではなく,農民も徴兵していますからね」
フレイドが兵士を見つめる視線を察し,ヴォルクは言った.
「お前も,故郷に帰りたいか?」
「それは……」
「家族がアスガルドにいる……だったな?」
フレイドは,‘設定’という言葉を飲み込んで尋ねた.
「妻と二人の子供がいますが,今の政府の状況では何も言えますまい」
ヴォルクの言葉に,フレイドは頷いた.
いつから,こんな風になってしまったのだろう.
ノルトランドの一般人を,ゴブリンやオーク,モンスターから守るために作られたのがノルトランド軍でなかったのか.
ベルトランはこの世界で代理戦争を行えば現実の戦争が無くなると言っている.
しかし,バーチャル・リアリティとはいえ,こんな悲惨な体験を積み重ねることが参加者の情緒に悪い影響をもたらさないのだろうか.
もしかして,現実の戦争や犯罪が,より凄惨なものになるのではないか.
「おや? 何でしょう?」
ヴォルクが崩れた白虎門の方を指差した.
何者かが,白虎橋を渡ってノルトランド軍陣地にやって来る.
荷物を載せた荷車を引いているようだ.
「これは……」
何か,いい匂いがする.
フレイドとヴォルクは顔を見合わせ,走って行った.
すでに,兵士たちが荷車の周りに集まって包囲していた.
「何者だ? 休戦協定を破る気か?」
人垣を割ってフレイドが前に出ると,見覚えのある顔がそこに立っていた.
「やあ,隊長さん」
南都城内で剣を白刃取りしてみせたゴツイ体格の女性――ミーアである.少林寺拳法の高段者が着る法服に似た服を着ている.
横にはシノノメのような恰好――和服にエプロンドレスをつけた,猫人の女性が立っていた.猫人は少しおびえて,ミーアの陰に隠れている.
荷車の上には蓋の閉じた巨大な鍋が置いてあった.二人でこれを運んできたようだ.と言っても,様子から見て荷車を引っ張っていたのは主にミーアだろう.
「よっこいしょ」
自分に向けられた槍衾を気にすることなく,ミーアは荷車から鍋を下ろした.
こうしてみるととてつもなく大きい.マンションの浄化槽,貯水槽並みの大きさがある.
ミーアは逞しい腕で怪力を振い,蓋を開けた.たちまち湯気が立ち上る.
とんでもなくいい匂いがした.
肉と野菜が加減良く煮込まれた,食欲をそそる匂いだ.
フレイドまで思わず唾を飲んだ.
それに反応するように,視野の隅に‘休息を推奨します’の文字が浮かび上がった.
匂いが脳の空腹中枢を刺激したのかもしれない.
「これは何のつもりだ?」
「俺たちへのあてつけか?」
「奪っちまえ!」
「毒入りかもしれんぞ!」
ノルトランドの兵士はギラギラした目でミーアと猫人の三毛美,鍋を睨んだ.
殺気立った男たちに囲まれ,三毛美は猫耳の毛を逆立てて震え上がっていた.
ミーアの方はものともせず平然とお玉で鍋をかきまぜている.
ますますいい匂いが辺りに漂った.
ゴクリ,と唾を飲む音がそこかしこで聞こえる.
「待て,控えろ.俺が話をする」
軍団副長フレイドの一喝で,兵士たちは突き付けていた槍を収めた.
「これは,どういうことですか? あなたは休眠しないんですか?」
「私は,後から遅れてログインしたからね.まだ大丈夫なのさ.それより,これはシノちゃんからのお届け物だよ」
「シノちゃん?」
「シノノメさんのことです」
三毛美が補足説明した.
「と言いますと?」
「あんたとこの兵士達は,悲惨だからね.ご飯のおすそわけだよ.今頃,南都の城内で,うちの連中も食べてるよ」
「敵に食事を振る舞うというんですか? 一体何のために……この赤っぽいスープみたいなのは何ですか?」
「みんなもう分かっているみたいだけどね」
「?」
フレイドがヴォルクの顔を見ると,懐かしそうな顔で目を細めている.
「ヴォルク?」
「この香り……ボルシチですな」
「そうそう.当り.何千人か分あるよ.この鍋は魔法の鍋だからね.少しだけ残しておいて,トゥ・アサー・デ・ダナンって唱えてお鍋のふちを叩いたら,またいっぱいになるからね.全部食べつくしちゃ駄目だよ」
「トゥ・アサー……」
それは,ノルトランドで信仰されている神族の名前だ.
殺気立っていた兵士たちの顔がわずかに緩んだ.
「毒なんか入ってません.この鍋は,シノノメさんとミーアさんだけが持ってる,レアアイテムなんです」
三毛美は赤褐色の液体をお玉ですくって,飲んで見せた.
喉が上下するのを見ると,口の中に思わず唾が湧いた.
兵士達も注視している.
「美味しい.とてもいい出来です」
「では,本当に頂いていいのか?」
「もちろん.そのために作ったんだから」
「だが,ですが,何故?」
「あたしも,シノちゃんの考えることはちっとも分からないんだけどねぇ.アンタとこから来た,ユグレヒトって人がいるだろ?」
「え……ええ」
「多分,上杉謙信みたいなもんじゃないかって言ってたよ」
「謙信……? 戦国最強,毘沙門天? 北天の竜?」
「あれですよ,ほら,敵に塩を送った話!」
再び補足説明する三毛美である.
「あ……」
思い当ったフレイドは思わず手を打った.
「フレイド様,失礼ですが,それは何の話ですか?」
「ああ……ヴォルク,俺たちの世界の有名な武将の逸話だよ.戦国時代――群雄割拠の,戦争に明け暮れた時代の有名な話さ」
「ほう,プレーヤーの方々にもそんな時代があったのですね」
「当時最強の騎馬軍団を持っていた武将で,武田信玄という人がいたんだ.山間部の領地を治めていたので,塩の供給は他国からの輸入に頼っていた.ところが,敵対する武将,今川・北条に塩の流通ルートを止められてしまった」
「塩! 生命線じゃないですか! その,イマガワホウジョウという男,なかなかえげつないですな」
ヴォルクの頭の中では今川氏と北条氏が合体していたが,説明が面倒くさいのでフレイドは話の先を続けた.
「うん,ところが上杉謙信という武将が,信玄に塩を送ってやったんだよ.二人は五回も大合戦をしたライバルであったにもかかわらず,だ」
「おお! それは何故ですか?」
「上杉謙信という男は,義に厚い男で,信玄と戦うのは戦でのことであって,米や塩ではない,領民の苦しみを捨て置けない,としてね」
「領民の苦しみを……なんと熱い漢,義侠心に溢れた武将か!」
ヴォルクは素直に感動していた.
周りの兵士まで感動している.
剣の王国ノルトランドらしい反応だな,とフレイドは思った.
本当は謙信が塩を送った記録はないとか,積極的に塩の輸出を止めなかっただけだ,とか貴重な収入源を失いたくなかった,とかの説があるのは知っていたが,黙っていることにした.
「あらやだ,あんた達男の子は本当にそういうのが好きだねえ」
ミーアは豪快に笑った.
「では,これは本当にシノノメさんが?」
「そうだよ.なに,あの子はそんな難しい事なんて考えちゃいないよ.お腹をすかせた人がいれば,食べさせてあげたいだけさ」
グウウウウウ……
そのとき,誰かの腹が鳴る音がした.
「くっくくくくく……」
一人が忍び笑いをすると,もう止まらない.
「はっはっはっはっ!」
笑いが伝染して,兵士たちは爆笑した.
「ははは,そうだな.シノノメさんらしいと言えばシノノメさんらしい.ありがたく頂こう」
フレイドは会った時のシノノメの姿を思い出して,頷いた.
……天衣無縫,確かに,人の裏を読んだり,懐柔したりというタイプではない.
「それでは,本当に……頂いてもよろしいですか? フレイド様.確かにみんな大いに喜ぶと思いますが……」
ヴォルクと各部隊の隊長クラスが,恐る恐る尋ねてきた.
「ああ,腹ごしらえしてくれ」
「おおっ!」
兵士達はフレイドの返事に歓声を上げた.
「じゃあ,並んでください. 器がないから……兜に注いだのでいいですか?」
三毛美が言うと,あっという間に長蛇の列ができた.
兵士達は脱いだ兜を両手で抱えている.
三毛美はすり切りいっぱい,たっぷりスープをよそった.
「熱いから気をつけて下さいね」
「おお」
「押すな,押すな」
「順番だぞ」
「お代りもあるから,腹いっぱい食べな!」
「しかし,何故……こんなことを?……敵に食事など……?」
「だから,シノちゃんはお腹をすかしている人は放っておけないだけだよ.大方,ノルトランドに捕まってた時に,お腹をすかせた子供でも見たんだろうさ」
「ノルトランドに捕えられていた? 東の主婦が?」
兵士達は何も知らされていなかったらしく,顔を見合わせた.
「ほら,何も考えずに食べりゃいいよ! ちゃんと座って食べるんだよ! 次,来な!」
気風のいいミーアは半ばしかり飛ばしながら,スープを兜に注ぐ.おとなしい三毛美とは好対照だった.
食堂のおかみさん,と言うか母親のようだ.
周囲の草むらに座り込んだ兵士達は,装備品のスプーンやナイフをうまく使いながらスープを食べ始めた.
初めは空腹のためガツガツとむさぼるように食べていた兵士も,徐々に味わいながらゆっくりのペースで口に運ぶようになっていく.
「こんな食べ物らしい食べ物,何日ぶりだ?」
「いや,何ヶ月振りだろう?」
「ビーツなんて,本国じゃ俺たちの口には入らないぞ」
「家を思い出すな……」
「シッ,それを言うな!」
「あんた,隊長さんは食べないのかい?」
「えっ!? 俺?」
不意に声をかけられたフレイドは驚いた.
「俺は,プレーヤーなので……」
「そんなの関係ないよ.素明羅じゃみんな一緒にご飯食べてるよ.ほら,あんたも兜をお出し!」
フレイドは雑兵ではない.栄えあるランスロット隊の副長である.兜に注がれては,格好がつかない.それはともかくとしても,スープが入った後の兜をかぶるのは抵抗があった.戦国時代の足軽ならともかく……
「フレイド様,いけますよ.まあ,私の妻の作ったものには及びませんがね」
ヴォルクがスープをすすりながら言った.
「お,あんた言うじゃない」
「では,妻の次にしておきます」
「フフ」
三毛美が笑った.
有無を言わさぬミーアの調子に,知り合いの食堂のおばちゃんを思い出したフレイドは苦笑した.
「えー……じゃあ,これに」
「あいよ」
フレイドはゴブレットをアイテムボックスから取り出し,それにスープを注いでもらった.いつぞやのダンジョン攻略で手に入れたもので,本来は宝飾品である.ルビーとサファイヤがちりばめられた金のカップはたちまち熱を帯びて熱くなった.
「あちち……あ……うまい!」
一口飲んで,フレイドはうなった.
本格的なロシア料理の店で食べたものとはまた一味違う.もっと家庭的な味かもしれない.が,牛肉のコクと野菜の旨みが良く出ている.それでいてビーツの僅かな酸味が,後味を爽やかにさせる.
「そうでしょう? シノノメさんのレシピですよ.でも,本当はサワークリームを入れてあげたいって言ってました」
三毛美はスープを注ぎながらフレイドの方を見て言った.
「スメタナですか! 懐かしいなあ.かみさんと坊主と娘と,四人でテーブルを囲んだのが昔のようだ」
ヴォルクがはるか遠く,北の山々を見ながら言った.気のせいか目尻に涙が浮かんでいるようにも見える.
「おや,残りあとちょっとだね.ちょっと待ってな.トゥアサー・デ・ダナーン!」
ミーアが鍋の縁をお玉で叩くと,再び鍋は一杯になった.
ノルトランドの兵士達が再びどよめく.
アイルランドの伝説,トゥアサー・デ・ダナン神族の三種の神器の一つ,無限に食物を与える鍋.
ノルトランドの宗教はアイルランド・ケルトの伝承や北欧神話をモデルにして設定されているので,NPCの兵士たちにとってはまさに神の恵みに見えたのだった.
「おかわりはどうだい? 隊長さん? 兜と違って,チョッポシしか入らなかっただろ? 男の子ならもっとこう,大盛りでザブザブと食べなよ!」
「い,いや,結構です.一時停止,いや,休眠してきますので」
NPCだけでなく,フレイドもすっかりミーアのペースに巻き込まれていた.
「そうかい,じゃあ,またね.あたしたちは休戦時間中ずっとみんなにご飯を配っているから」
「は……はあ」
空腹中枢の活動が活発になっている,つまりプレーの一時停止を勧める表示が,さっきから視野の隅で赤く点滅している.
早く昼食を摂って軍に帰還せねば.ランスロットが本陣に戻った今,軍の采配を握るのは自分なのだ.ぼやぼやしていると休戦時間が終わってしまう.
食事に喜ぶ兵士達を横目に,フレイドは慌てて休眠した.
***
フレイド――陽斗は布団から飛び起きた。
VRMMOマシン、バーチャステーションを頭から外し、慌てて体を起こす。
時計を見る。
「うわっ! まずい!」
急いでキッチンに向かう。と言っても、ワンルームマンションなので小さなシンクとIHクッキングヒーターが二つ付いているだけの物だ。
シンクにはまだ洗っていない食器が雑然と並んでいる。典型的な独身男の汚い台所だ。
こんなこともあろうかとレトルトのカレーとレンジ加熱用米パックを準備してある。水を張った鍋にカレールーのパックを放り込み、火をかけると同時に、米 パックを電子レンジにかける。
調理と呼べない調理だが、あっという間に終了するので便利だ。
米パックの蓋を外してカレールーをぶちまけた。
スプーンはまだ洗っていない比較的きれいなものを使うことにする。
布巾で適当に汚れを拭い取り、スプーンと容器を持って、卓袱台に走った。
卓袱台の上には六法全書とペットボトルの水が並べてある。
本を適当に床に放り投げて食事スペースを作った。
カロリーゼリーやプロテインも考えたが、腹持ちがしないので米がいいと思って準備した。
ただし……水分をあまり補給すると、尿意でまたゲームの進行が止まってしまうので、水を飲むのはなるべく最小限にしなければならない。
あわててカレーをかきこんだ。
「う……不味い」
半煮えなので不味いのは当たり前なのだが、いつも食べているものよりも一段と不味い気がする。
「何故だろう……そうか!」
思い当った。シノノメのボルシチのせいだ。あれが美味すぎたのだ。
口の中にまだ味の余韻が残っている。想像すると唾が湧いてきた。
「困ったもんだな。あれもシノノメさんの武器なのか?」
陽斗は記憶の味をおかずにして不味い食事を片付けることにした。
戦闘に戻るときは、今日最大の山場に戻る時だ。
ランスロットとの会話を思い出しながら、陽斗はバーチャステーションを睨んだ。
いよいよこの時のために……
***
腹に食物を放り込み,フレイドは慌ててゲーム世界に戻った.
辺りを見ると,悲壮な軍隊はすっかり牧歌的な風景に変わっていた.
どの兵士も腹を膨らませ,笑っている.
昼寝する者もいれば,カードゲームを始めている者までいた.
「あ! フレイド様! おかえりなさいませ!」
ヴォルクがにこやかに挨拶した.
「これは……」
「ああ,みんなおかげさまで元気が出ました.東の主婦……なかなか慈悲と騎士道精神に富む戦士ですね」
「それはちょっと言い過ぎかもしれないが」
普通の可愛い女の子にしか見えないシノノメの姿を思い浮かべ,フレイドは苦笑した.
「今からあの南都の城塞を攻めると思うと複雑な気分です.が……これで,正々堂々戦えるというものですね.」
ヴォルクは半壊状態にある南都の城壁を眺め,感慨深げに言った.
「うん……そのことだが……」
「どうかなさいましたか?」
「ヴォルク,貴様は俺について来てくれるか?」
「は? 何を今さら? フレイド様が黒竜隊の下っ端騎士だった時からの付き合いじゃないですか.ランスロット隊全員が,あなたが死ねと言えば死ぬ覚悟で戦っていますよ」
会話を聞いていた兵士たちも,慌てて姿勢を正して敬礼する.
「東の主婦に飯を驕られても,その決意は変わりませんよ」
NPCの兵士たちは全員爆笑した.
こいつら,こんなに気のいい奴らだったんだな,とフレイドは改めて思った.
NPCをどこまで信用していいのか測りかねていたが,ついに決心した.
そろそろ時間だ.プレーヤーが戦闘に戻ってくる.
黒竜隊の騎士たちは,腹心の部下だ.騎兵隊の連中も信用が置ける.
問題はベルトランとパーシヴァルに押し付けられた,機甲部隊だ.
だが,セキシュウが隊長を倒してしまったので,力のない副官クラスを押さえてしまえばそれでいい.
「戦車部隊の副官クラスを全員拘束しろ」
「えっ!?」
「ガイラム,拘束を手伝え.魔法使いたちと一緒に行け!」
「はっ!」
黒竜隊の生き残り,ガイラムがちょうど目覚めて戻ったところだった.
ガイラムはあらかじめ分かっていたことと言うように,行動する.
二名の魔法使いを連れて,金の繭から出て来たばかりのプレーヤー達を即座に縛り上げた.
「な,何だ,これは!? どういうことだ! フレイド!?」
「モーゼル,悪いな」
主を拘束された草竜が不思議そうな目で見ている.体はゴツイが草食竜なので,竜使いモーゼルの指示で興奮していなければ,ただの草を食む巨大な障害物にすぎない.現時点の竜部隊で最も階級が高いのはモーゼルだ.
フレイドは剣を鞘から抜き,モーゼルの喉元に突き付けた.セキシュウとの死闘で失った体力は,回復呪文のおかげでほぼ元通りである.
「共闘か,それとも反抗するか,選べ」
「貴様,裏切る気か? ベルトランが怖くないのか? ユグレヒトがどんな目にあったか知っているだろう? たかがゲームの中で,奴に逆らったばっかりに幽閉されてログアウトできなくなったんだぞ!」
「ああ,知ってるよ.あいつは現実世界で病院送りになったらしいな」
フレイドとユグレヒトは現実世界でも知り合いだ.オフ会で顔を合わせたこともある.開戦前にアイエルとグリシャムから,ユグレヒトがどんな目にあったかは聞いていた.
「ならば,何故!?」
フレイドの行動を,NPC達も固唾を飲んで見守っている.
「お前は,たかがゲームとは言え,ヤルダバオートにいいようにされて,こんな戦いがしたいのか?」
「それは……」
したいはずがない.
ゲームの中なのに,言論と行動が常に監視されて,自由意思で行動が取れない状態なのだ.しかも訳の分からない方法で罰せられると体の危機まで及ぶという.
そもそも,民間人を巻き込む戦いなど戦争としては邪道である.そういう無差別戦闘が好きなわけではない.
ノルトランドは基本的に戦闘マニア,軍事マニアのプレーヤーが多いが,現在行われている戦争は近代戦形式のため,個人がほとんど活躍できない.
現実世界でなれない英雄になりたくてみんな参加しているのに,ゲームの中でまで一平卒で何が面白いのか.
「だが,お前たちだけでどうすると……」
「俺たちだけじゃない」
フレイドはメッセンジャーを立ち上げた.
「いいか,俺たちの行動を監視しているクソガキ,ガウェインはいない.本陣にのろまな飛竜で向かっているから,すぐに引き返しては来られない.そして,東の主婦がベルトランの首を取る一歩手前だ.今,おそらくヤルダバオートはシノノメさん……おっと,東の主婦にかかりっきりの筈だ.ランスロットさん曰く,奴は東の主婦にひどく執着しているんだとよ.何とかして手に入れたいと思っているらしい.俺たちに構っている暇はないだろう」
「もしかして……」
モーゼルとヴォルクの呟きが重なった.
『第三部隊長ヘッケラー,第四部隊長グロック,第七部隊長ルガー,第九部隊長デリンジャー! こちら,フレイド!』
『おう!』
『来たか!』
『待ってたぞ!』
『了解!』
各部隊の隊長が即座にメッセンジャーで応えた.
すべて近衛部隊でない,中央戦闘部隊である.ランスロット隊の後に続いて南都に進軍している部隊だった.
「時は来た! 敵は本陣にあり! 竜騎士ランスロットの名の下に集え! 本能寺作戦開始!!」
フレイドが雄叫びに近い声で叫んだ.
ランスロット部隊のプレーヤー全員が武器を振り上げて応える.
鬨の声が上がった.
全てはこの時のためだった.
ランスロット達はベルトランに反旗を翻すためにサボタージュ的な戦いをして見せていたのだ.
本来はもっと早くに開始する予定だったが,彼らの誤算はガウェインの参戦だった.
ベルトランに心酔している彼は決してこの反乱に乗って来ない.
謀反の気配を見せれば,味方の兵士達を惨殺し,ベルトランにすぐ密告するに違いなかった.
ガウェインがランスロットの傍,そして南都から離れるまで,行動が起こせなかったのである.
NPC達は突然の事態にうろたえている.
「フレイド様! わ,私たちはどうすれば……」
「ヴォルク,俺たちについてこいとは言わない.だが,もう一度故郷の土を踏んで……家族と食卓を囲みたいんじゃないのか?」
「……」
「農民兵よ! 徴収された一般兵たちよ! 俺たちとともに,暴君を倒せ!」
フレイドが叫んだが,もともと軍人でない一般兵たちはあまり良い反応を示さなかった.やはり,プレーヤー達はノリが違う.戦士の本能というべきか,一大反攻作戦となれば,全員血が騒ぐ.
たとえこれまで虐げられていたとはいえ,彼らはあくまで農民であり,家庭の良き夫や父親に過ぎない.
「フレイド様……私に言わせて下さい」
「ヴォルク?」
「魔法使いの方,私の声を拡声してください」
「私がやろう.縄を解いてくれ」
モーゼルがヴォルクの隣に立って竜使いの杖を振った.
「みんな,私達は平凡な人間だ.プレーヤーの方たちの様な,不思議な力もない.この戦いに巻き込まれた,被害者と思っているだろう」
うつむいていた兵士たちが顔を上げた.
「しかし,今我々のために立ち上がろうとしてくれている人たちがいる.さあ,懐かしい故郷を思い出せ.収穫の季節までに帰ろう! 黄金の稲穂が,家族の笑顔がお前たちを待っている.また……家族と一緒に,ビーツの入ったボルシチを食べよう! 我々から幸せを奪った,あの王をともに倒そう!」
ヴォルクの声は朗々と響き渡った.
全員の脳裏にそれぞれの故郷が浮かんだ.
シノノメの作ったボルシチの味覚が口いっぱいに広がる.
懐かしい家庭の味.
帰りたい場所……
「駄目か……?」
静まり返った聴衆に,フレイドが諦めかけた瞬間,一斉に歓声が沸いた.
歓声は音の塊となり,爆発した.
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
「帰ろう!」
「帰ろう!」
「ベルトランを倒そう!」
「フレイド様,僭越でした」
ヴォルクの目には涙が光っていた.
「いや,ありがとう,ヴォルク」
フレイドは出会ってから初めて,ヴォルクの手を取って礼を言ったのだった.