11-7 剣舞
フレイド究極の一撃は,セキシュウの日本刀――長曽根虎徹をへし折っていた.
しかし,必死の攻撃に精力を使い果たし,肩で息をしているのはフレイドの方だった.
思えば,セキシュウの刀はこれまで一度も対手の剣に触れた事がない.
音無しの剣である.
初めて剣で防御した――防御の必要のあった攻撃が,フレイドの渾身の一撃だった.
「見事!」
セキシュウは一言つぶやいた.
「ありがとうございます」
フレイドはもう一度青眼に構える.
彼が息をするたびに剣先が揺れた.
セキシュウに残された武器は脇差しのみだ.
だが,動じることなく半身に構え,逆に攻めの気を発していた.
フレイドには,もう通常の剣撃しか放つ力は残されていない.
ならば……
彼は,青眼に構えていた剣をゆっくり引き上げ,上段に構えた.
火の位――上段からの一撃に,渾身の力と技を込める覚悟である.
全てを叩き斬る剛剣に,自分の体を変えるのだ.
セキシュウは脇差を抜かない.
右半身――右前の半身の姿勢で,手は軽く開いている.
体のどこにも力みがない.
転のセキシュウ.どのような態勢にも,どのような攻撃にも転ずることができる無心の構えである.
目はぼんやりとフレイドの後方――さらには彼の心の深奥を覗いているようであった.
全ての騎士と武士たち,兵士達が二人の戦いを固唾をのんで見守っている.
す……と,無造作にセキシュウは右足を半歩だけ踏み出した.
「きええええええええぃ!」
撃尺の間合いに入った.
半歩の動きに反応し――吸い込まれるようにフレイドは飛び込んだ.
左右の足で思い切り大地を蹴り,剣先に全ての力を結集する.
しかし,剣先がセキシュウの頭に届くと思った瞬間.
その半歩こそがセキシュウの狙い――誘いの気であったことに,フレイドは気づいた.
セキシュウは自ら間合いを詰めると,柄頭に右手を当てていたのだ.
フレイドの体が一回転する.
同時に,剣が奪い取られる.
セキシュウの体は真綿のようだ.自分の体の力が吸収されてしまう.
気付くと,フレイドはうつ伏せに地面に倒れていた.
受け身を取らせてもらえなかった.
背中を石畳に打ちつけ,甲冑を着ているといえど肺に衝撃が響いて息が出来ない.
ぴたりと首筋に冷たい金属が押し当てられている.
セキシュウはフレイドの剣を奪い,切っ先を持ち主に突きつけていた.
「良い太刀筋だった.しかし,真の武術は柔中の柔.降参しなさい.フレイド君」
二人の決着を合図にしたように,戦場が再び動き始めた.
セキシュウが見回すと,ややノルトランド騎士団,黒竜隊が優勢なようだ.武士たちも奮戦しているのだが,防御の面で西洋甲冑にかなり利がある.練度においても,戦闘に明け暮れているノルトランドプレーヤーは優れていた.
‘兜割’を繰り返し,甲冑ごと相手を叩き斬る技を連続で放っているのは不二才組の副長ヤクマルであるが,彼の息も上がって来ている.
「きええい!」
フレイドを助けるべく,一人の騎士がセキシュウの後方から突きを放った.
敵わないと知っての,半ば捨て身の攻撃である.
セキシュウは軽くそれを避け,左掌を鎧の胸あてに押し当てた.
「ふん」
当てた左手の甲を,右掌で打つ.
「がはっ!」
騎士はその場に崩れ落ちた.
鎧の上から内部に衝撃を与える打撃法――柳生心眼流柔術の,‘鉄砲’である.
「うおっ!」
黒竜隊がセキシュウの強さに目を剥く.
各々武士たちを仕留めた騎士達が五人,円陣を作ってセキシュウを取り囲んだ.
同時攻撃は同志討ちの危険があるため,意外に難しい.
新撰組の近藤勇が修めた流派,天然理心流には上下段を同時に二人で攻撃する技があるが,動きまわる敵―-ましてや,セキシュウほどの手練にそれを行う事は容易でなかった.
セキシュウは一番右側の敵に無造作に近づいた.
膝をほぼ伸ばしたままの,姿勢が良すぎるような歩き方だ.
「やあっ!」
一瞬気を削がれた最右翼の騎士は,右手で剣を振りかぶって斬りおろした.
セキシュウの歩くスピードが突然上がる.
踵から着地していた歩き方が,つま先歩きに変わる.ほんの少しの変化だが,突如としてスピードが変わった――ように騎士は思った.
セキシュウは騎士の右側に体を滑り込ませ,脇差で軽く首を薙いだ.
薙いだ瞬間,次の敵に向かっている.
倒した敵はピクセルになって砕け散っているのだが,その結果にはまるで無関心であるように見ない.
円陣を組んでいた筈が,セキシュウの突然の体移動で彼の前に一列に並んだようになってしまった.騎士達は一人ずつ切りかかるしかなかった.
双剣使いの打ちこみ.
突き.
下段からの跳ね上げ.
胴への払い.
全てが当たらない.
セキシュウが歩くだけで,次々と倒れて行くように見える.
セキシュウはすれ違いざまに全て一撃で倒しているのだ.沖縄古武術,御殿手の体捌きである.
神業だった.
倒れていたフレイドは,ようやく体を起こし,呆然とそれに見とれていた.
騎士団の残りは,五名.
武士たちはヤクマルとセキシュウを含む残り三名である.
将軍シュウユを倒され,五十人近くいた武士団はほぼ壊滅状態だった.
倒した相手の数だけでいえば,ノルトランド黒竜隊の圧勝である――が,まだ,セキシュウがいた.彼一人でこの場の戦況は完全にひっくり返されかねない.
フレイドが全軍の突入を考え始めたとき,白虎門の崩れたアーチの下に一人の男が現れた.
騎士達が全員振り返る.
ランスロットその人が,一人で立っていた.
黒い甲冑に,黒いマントを揺らしながらゆっくりと歩いてくる.
兜をかぶっていないので,その端正な顔が露わになり金髪が揺れている.
自分を傷つける者などいないという,絶対の自信の表れのようだった.
「団長!」
「お一人では危険です!」
「ランスロットさん!」
騎士達とフレイドが叫ぶ.
「将が自ら一人でお出ましとは,どういうことだ? ランスロット?」
セキシュウは半身でランスロットを睨む.
「ほう……なるほど,城の中に城を作ったのか.飛行船と飛竜隊があらかたやられた今,籠城戦としては有効な作戦だな」
ランスロットはセキシュウの言葉に応えず,周りの土壁を観察した.
ランスロットの左側,土壁の上には,彼を狙撃しようとしている弓兵が密かに隠れていた.
巨大な土塁の上ならば,ランスロットからは絶対の死角である.
弓兵はクロスボウを構える.クロスボウなら,弓を引き絞る音とてない.
照準――銃星にランスロットを入れて,引き金を引いた.
ひゅん,と小さな音をたてて矢が飛んでいった.
しかし,ランスロットは背中の大剣を瞬時に抜いて矢を斬りはらい,また瞬時に鞘におさめた.
切れて二つになった矢が,地面に転がる.
まるで,一瞬ランスロットのマントがはためいただけにも見える早業である.
土壁の上の弓兵は,あわてて壁の裏側に駆け下りた.
「ふむ……」
ランスロットは右腰に差した短銃を抜いた.
黒いマスケット型の先込め銃で,銀の彫刻が銃身に施されている.
ランスロットはほとんど無造作と言っていいほど適当に,土壁に銃を向けて撃った.
ドン……と発砲の音がしたかと思うと,土壁の表面に黒い渦が発生した.
黒い渦は空間を捻じ曲げ,土壁を飲みこんでいく.
魔法弾だ.
魔法弾の一撃はブラックホールのような時空の穴――黒い球を作ると,周囲二十メートルほどの全ての物をえぐり取って消えた.
コの字状だった土壁は寸断され,二つの土の山になった.土壁の裏に待機する素明羅軍と洗脳を解かれたプレーヤー達が露わになる.
突然巨大な構造物,自分達を守ってくれていた遮蔽物が一気に消失し,彼らの顔には動揺と恐怖が浮かんでいた.
「闇魔法まで使うのか……しかも,なんという規模と威力だ……」
プレーヤー達の間に立っていた黒衣の魔女,ウェスティニアのリリスが,歯噛みをしてランスロットを睨んだ.闇魔法の達人だけに,彼の魔法の威力がいかほどのものかよく分かるのだ.
ノルトランド最強の戦士,竜騎士.
魔弾の射手.
最高の剣技と,強力な魔法を放つ竜戦士の銃を持つ男.
ランスロットは無表情に素明羅の軍勢を眺めた.
「見たところ,怪我人とNPCがほとんどだな,セキシュウ」
「お前一人で十分だと言いたいのか? しかし,我々は最後の一兵まで戦うだろう」
ランスロットは目を細めて,セキシュウの背後に見える本陣の幕屋を見た.
「本陣に人の気配がないな……空城の計か……」
その通りなのだが,セキシュウはそれには答えない.
「こうやって,土壁の砦も崩れた.城塞の中,この人数なら,俺一人でも十分殲滅することができるな」
「そうはさせんよ」
「脇差一本でか? 自慢の胴田貫でも,備前長船でも,関孫六でも,何か大業物の刀でも準備したらどうだ?」
「くそっ!」
生き残りの武士の一人,ソウコンがランスロットに飛びかかった.
彼は琉球武士で,ウェークという船の櫂型の特殊な武器を使う.
鋭い一撃だったのだが,ランスロットは軽く体をねじって避けると,左の拳で腹を殴った.
たったの一撃だった.
「ぐわっ!」
琉球空手で鍛えぬいたソウコンの体は,ピクセルになって砕け散った.
黒竜隊の騎士達は,当然の結末を見るように平然としている.
騎士の一人に剣先を向けられたまま,ヤクマルは驚愕していた.
「これほどまでか……これほどまでに,竜騎士とは,強いのか……レベル95……想像もつかない……」
おそらく,一国の軍隊の戦闘力にも匹敵するだろう.
残った素明羅兵全員でかかったとしても,この男一人に敵うのだろうか.
南都の城壁が破られた今,どうやって彼を止められるというのか.
「ご心配,痛み入る」
ソウコンの敗北は,セキシュウにとっても当然の帰結であった.ソウコンには悪いが,彼を守ってランスロットと戦う余裕は全くない.しかし,彼のおかげで剣を新たに準備するわずかな時間が出来た.
胸の中で密かにソウコンに感謝する.
セキシュウはアイテムボックスから一見質素な剛剣――胴田貫正国を取り出し,腰に差していた.すでに鯉口を切り,抜き即斬の姿勢をとっている.
「それでいい.」
ランスロットは頷いた.
「ところで,ガウェインはどうした?」
「ガウェイン?」
「空から降りて来た,超再生スキルを持つ餓鬼だ」
「奴なら――気を失って本陣に捕えられている」
カゲトラとミーア達の奮戦によってガウェインが倒されたことは,すでにメッセンジャーでユグレヒトから報告を受けていた.
「ほう!」
ランスロットはやけに明るく笑った.
「ランスロットさん! 彼らの狙いは……」
ふらふらになりながらも立ち上がったフレイドが叫んだ.
「分かっている.ここにシノノメがいない今,明らかだ」
ゆっくりとランスロットは背中に差した剣に手を伸ばした.
「なればこそ,しばしここで剣舞に興じようじゃないか.旧い友よ」
大剣を抜き放ち,ランスロットは上段に構えた.




