10-4 空からの来襲
「メガフレーマ!」
「不動明王火炎呪! ノウマクサンマンダ,センダマカロシャダ,ソハタヤウン,タラタカンマン!」
「ノウマクサマンダバサラダンカン!」
「十二神将式王子,さかしまに返すぞ!」
「臨兵闘者,皆陣列在前!」
南都城内では,ウェスティニア五大の魔女の一人,紅のヴァネッサを筆頭に,魔法使い達の呪文詠唱が始まった.
火炎系の呪文が使える術者は,火柱を立ち上げる.
陰陽師は飛行型の式神――鳥や蝶を大量に南都上空に飛ばす.
ノルトランドの戦闘用飛行船を迎撃するためだ.
弓矢の射程距離より,魔法の射程距離の方が長い.
低空までパラシュートで敵兵が降りてきたら弓矢の出番だが,そうなる前にできるだけ敵戦力を削ぐのだ.
時折飛竜が爆弾を落として来るので,その度に地響きが伝わってくる.
「いいか,怯むな! 呪文の詠唱をやめるな! 石弓部隊は魔法使いを援護しろ!」
シュウユが檄を飛ばす.
その間にも大将であるシュウユを狙って,飛竜とその乗り手が急降下してきたが,鉾を一閃して切り捨てた.
簡単な盾を重ねて作った防壁の陰に隠れながら,魔法使い達は呪文詠唱しているのだが,敵を狙うためには目標を見る必要がどうしてもある.魔法を発動する瞬間には,特に無防備になってしまうのだ.
先頭の飛行船の先端部分が燃え上がった.飛行船には高密度の魔素が充填してあるので,魔力を帯びた火が引火するとひとたまりもない.爆発的に燃焼する.もちろん防御魔法はかけてあったのだろうが,これだけの魔力による対空砲火は想定外であった.
「いいぞ!」
飛行船からわらわらと地面に落ちていく兵士たちが見える.哀れだが,この高度でそれなりの装備がなければ,例えレベルの高いプレーヤーでも助からないだろう.
二隻目から五隻目までは高度をそこそこに維持して,飛行船の下部――腹の部分に張り付いた貨物室を展開し始めた.飛行呪文や落下傘が使えるプレーヤーを降ろすつもりである.
「ユグレヒトの読み通りだな.騎兵隊,聞こえるか? 地上に降下した場合の準備を! チューイは不二才組を待機させろ! ユグレヒト,次の指示を頼む!」
シュウユは水晶玉とメッセンジャーに向かってどなった.
***
「シュウユ将軍から連絡.降下部隊の落下地点は,中央本陣を囲む半径百メートル以内と予測されます.中央モニターに投影します.」
猫人の巫女が,メッセンジャーで送られてきた情報を報告した.それとともに,彼女の前に置かれた水晶玉から敵部隊の映像が壁に投影された.
「了解.クズハ君,褐色のクマリさんに連絡」
ユグレヒトが映像を確認し,頷いて指示を出す.
「分かりました,クマリ様,土魔法の準備をお願いします」
クズハと呼ばれた女性の陰陽師がメッセンジャーを立ち上げ,五大の魔女の一人に連絡を取る.「クマリ様,準備完了とのことです」
「同時に灰色のレラさんに連絡」
「分かりました,レラ様,風の魔法で上空の大気のコントロールをお願いします」
ユグレヒトの指示を受け,兎人の魔法使いがメッセンジャーウインドウを立ち上げた.
『こちらレラ.風の方向と強さを指示して下さい』
「ユグレヒト様,方向と強さの指示をお願いします,とのことです」
「北北西から気流をやや強めに」
ユグレヒトは次々と冷静に,淡々と指示を出していた.
「こ,これはすごい……こんなやり方があるなんて……」
NPCの将軍である布都主は驚愕していた.
ユグレヒトは,いわゆる近代的な情報統合本部を設営したのだ.
南都市内の某所――大きめの広間に,戦闘力は高くないが水晶玉が扱えるプレーヤー,つまり魔法職を六人集め,オペレーターに任命した.
彼女らは今,広間に準備した各々の机に座っている.机の前には水晶玉が各々数個.東西南北と市内の映像をそれぞれが担当して監視しながら通信を行っている.
ちなみに女性が多いのは,別にユグレヒトの好みではない.市街戦に向かないプレーヤーに相談したところ,このような人選になったのみである.
また,念波中継で送られてきた南都市内と城壁外の映像は四方の壁に投影されている.プロジェクターの原理で,さながら監視モニターとなっている.
「にゃん太さんと日光十勇士から連絡.敵本陣を肉眼確認できる距離です」
猫人の呪禁道士が報告すると同時に,中央テーブルの上で青い石が動いた.
テーブルの上には魔法で描かれた大きな周辺地図が置いてあり,随時戦況が記録されるのだ.
ユグレヒトは南都周辺と市内から上がってくる情報を,この場所ですべて統括して扱えるようにしたのだ.
「近代戦の装備で襲撃する連中には,せめてこのくらいやらないと.近代戦の作戦司令部を作って対決です」
「あなたは,まさに今,素明羅軍の頭脳ですな!」
「布都主どの,その賞賛の言葉はこの困難な戦いに勝ってからお受けします……もともとノルトランドでやろうとしていたことですがね.筋肉馬鹿が多くて献策しても聞き入れてもらえなかった」
「あなたが敵でなくてよかった!」
ユグレヒトは,テーブルの上の魔法地図を注視した.ホウテン山の後ろに置かれた赤い丸石が,ゆっくりノルトランド本陣の上に移動する.赤い石は,シノノメ達の位置を示すものだ.
「敵要塞に到達したか.あとは,シノノメさんの時間をいかに稼ぐかだ」
ユグレヒトはつぶやいた.
***
「いいか,第一群から飛び降りるぞ.騎士隊長に続け!」
ノルトランド軍飛行船のカーゴベイの中では,指揮官の指示が飛んでいた.
カーゴベイの扉が開くと勢いよく素明羅上空の逆巻く風が吹き付けてくる.
プレーヤーの騎士隊長に,各々20人ほどのNPC兵士が付き従っている.
落下傘による降下を前提としているので,いずれも軽装である.
重装備の鎧や武器は別便の落下傘で降ろし,地上で回収して組み立て,装着して戦闘を行う計画なのである.
「行け!」
「ですが,シュルツ指令……」
「何だ? コメート?」
率先して飛び降りるはずの,騎士隊長が怖気づいているのだ.
かなりの高度だ.カーゴベイの搬入口から見える南都の街並みは,おもちゃのように小さい.しかし,十分な訓練を積んできたはずである.
「あれを,ご覧ください」
コメートは家屋の屋根を指差した.
屋根から何本も,何かが突き出している.
錐のような形をした柱が,大量に空に向かって突き出されていた.見ると,南都の家はすべてそうなっているようだ.市内は上空から見ると,まるで巨大な剣山の絨毯である.
パラシュートでの降下に失敗して,屋根に引っかかれば,落下の速度で即死することは間違いなかった.
「あれが,どうしたというのだ! お前は,誇りあるノルトランド軍人だろうが! 何もない街路の部分に着陸すれば良いではないか!」
自分でも無理を言っているのは分かっている.ごくり,とつばを飲み込みながらシュルツは怒鳴った.
「馬鹿野郎! じゃあ,自分がやってみろよ! 本職の空挺部隊がそれだけの精度で着地できるのにどれだけかかるか知っているのかよ! あれはな,昔,台湾政府が国境の金門島に作っていた仕掛けだぞ! 死んでもプレーヤーだから生き返るが,柱に腹を突き破られて死ぬなんて御免だ!」
「貴様,上官に向かってその口のきき方は何だ!?」
「知るかよ! そんなのゲームの中の話だろ! こんなの聞いてねえ! 絶対向こうにもかなりの軍事マニアがいるぞ!」
ノルトランド兵は知る由もないが,指図した軍事マニアはユグレヒトで,屋根に多くの構造物を作ったのは,土の魔法戦士‘褐色のクマリ’を筆頭に,造形魔法の得意な魔法使い,そしてNPCの南都防衛兵たちだ.
「だから何だ?」
「もともと俺たちはなあ,剣の決闘が好きでノルトランドに参加してるんだ.名乗りを上げて,戦士同士の男らしい戦いで武勲を上げたいんだよ! こんな個性の欠片もない戦いで死んでたまるかよ!」
「何だと!?」
二人が仲間割れしていると,飛行船が大きく揺れて傾いだ.
「何事だ!?」
シュルツは操舵室につながる伝声管に怒鳴った.
『指令! 風です! 突風が! うわあああ!』
伝声管いっぱいに操舵手の悲鳴が響く.
大きな衝撃とともに,カーゴベイの搬出口いっぱいに燃え盛る飛行船が近づいてきた.コントロールを失った一号艇が風に流されてぶつかったのだ.
無論,風の魔法使い‘灰色のレラ’が作り出した突風と,絶妙の気流コントロールによるものだった.飛行船は,突風に弱い.その弱点を突いたユグレヒトの作戦である.
南都の上空には巨大な火の玉ができた.
高密度の魔素に引火して,二隻の飛行船が大爆発を起こしたのだ.爆炎を回避するため,一隻が回頭して撤退していく.
残る二隻にも飛び火で引火した.一隻は先鋒軍の上空まで下がったところで爆発し,大いにその破片をノルトランドの兵士の頭に降り注いだ.
もう一隻も燃え盛りながら南都の外壁に墜落し,炎上した.しかし,墜落する前にその任務を果たし,――カーゴベイから,なかば脱出という形ではあるが――兵士を降下させた.
しかし,落下傘でゆっくり降下してきた兵士たちは,突風にあおられて民家の屋根に激突した.
***
「おお!」
「やった!」
念波映像を見た布都主と,作戦司令部のオペレーターたちの歓声が上がる.
「よし,いいぞ.レラさんの風魔法が上手く働いている」
ユグレヒトも拳を握りしめた.
灰色のレラ――五大の魔女の一人,風魔法の達人は南都の上空に乱気流を作っていたのだ.
「ユグレヒト様! シュウユ将軍から緊急報告!」
降下部隊を監視していた巫女が,猫の耳をピンと立てて叫んだ.
「何だ!?」
「墜落した落下傘部隊が数名,生存している模様!」
「前面モニターに出せ!」
「了解!」
モニターとは言うが,広間の壁である.
落下の衝撃で派手に破壊された民家が大写しになった.
瓦礫の中で何かが動いている.
「拡大できるか? 環君?」
「はい,現地付近の陰陽師に頼んで,式神に映像を中継させます.もしもし,マキビ? 式神を飛ばして下さい」
猫人の巫女は,てきぱきとメッセンジャーを立ち上げて連絡を取った.
ほどなく民家の拡大映像が映し出された.
太い梁が折れ,漆喰と壁土,煉瓦が屋内に散乱している.数人の兵士の手足が積み重なった建材の合間から覗いて見えた.
「これは……しかし,この衝撃なら,重傷でまともに動けないんじゃないか?」
布都主は様子を見て若干胸をなでおろしていたが,ユグレヒトは食い入るようにモニターを見つめている.
「いかん! やっぱりか,予想はしていたが……」
「何ですかな? ユグレヒト殿?」
瓦礫がガラガラと崩れ,中からゆらりと何者かが立ちあがった.
淡い紫色の軽甲冑をつけた小柄な男だ.
男というよりも,少年といった方がいい.
金色の巻き毛に白い肌.色の薄い碧眼のあどけない表情は中性的で,西洋絵画の天使を思わせる.
まさに天から落ちてきた――堕天使というべきか――.
驚いたことに,少年は騎士らしい兜も,重厚な甲冑も,楯も身持っていなかった.かろうじて甲冑で覆われているのは胸だけで,腕と脚は普通の布地の服である.
落下傘で降下する以上,軽量である方が安全とはいえ,あまりにも無防備すぎる.現に,彼の大腿には折れた垂木が突き刺さっていた.
少年は垂木を無造作に抜き取ると,投げ捨てた.太ももから血が噴き出し,大腿四頭筋の白い筋膜と赤い肉が露出していたが,それはすぐに肉が盛って塞がってしまった.
良く見ると,左肘も逆方向,つまり背中側に向かって曲がっている.左手の先は力なくぶらりと下がっているだけだ.少年は右手で強引に左腕をぐるりとねじり曲げ,もとの形に戻した.ほどなく左手も動くようになった.
屈託のない笑顔で動くようになった自分の手を見つめている.
「きゃあ! 気持ち悪い!」
「嫌だ! 何あれ?」
オペレーターの女性プレーヤー達から悲鳴が上がる.
「何だ,こいつは?」
布都主の目はモニターの光景に釘付けとなった.
「高度数百メートルから落ちても,絶対に死なない奴を送り込んだんです.奴は,不滅のガウェイン.ユニークスキル,‘不死身’と‘超再生’を持つ男!」
「あれが,あんな幼い,美しい少年がガウェインなのか! ノルトランド騎士,四天王の一人!」
布都主の顔に冷汗が一斉に噴き出した.
拳を握りしめるユグレヒトの手にもじっとりと嫌な汗が浮かんでいる.
ガウェインはゆっくり辺りを見回した.自分の武器である戦斧を見つけると,拾い上げた.彼の身長よりもまだ大きな戦斧を軽々と振り回す.
戦斧の下には虫の息になった自軍の兵士がいた.ガウェインは興味無さそうに戦斧を一回転させ,兵士の頭に振りおろして止めを刺した.
美しい顔に血が飛び散る.
頬に飛び散った血の滴に構わず,息が絶えていく部下をにこやかに見つめている.
「うわっ!」
「やだ!」
「味方なのに?」
気分の悪くなったオペレーターが一人,口を押さえて部屋を飛び出して行った.
再び顔をあげる.
色の薄い碧眼が式神を捉えた.
ガウェインは天使のように美しい笑みを浮かべた.
戦斧を振り上げ,そして,画面は唐突に暗くなった.
「いかん! 第九地区に急いで誰かを行かせろ! シュウユに緊急連絡!」
「はい!」
環は恐怖でほとんど涙目になりながら,メッセンジャーを立ち上げた.
『シュウユ将軍! 第九地区に侵入者! 侵入者は一名,ただし,不滅のガウェイン! 急いで戦士を派遣して下さい!』
『何? こっちも手が足りない.白虎門に急襲だ!』
白虎門の映像が出た.
白虎橋の上に倒れていた竜は消失していた.
大砲の一斉射撃が再び始まったのだ.時間はかかるが,門扉への遠隔射撃を積み重ねて集中させ,破壊する方法に切り替えたのだった.
城壁がビリビリと震える.衝撃は作戦本部にも伝わって来た.
『守りの魔法も限界だ! どうする? ユグレヒト?』
「門の前の作戦は,第二段階へ.破られたら速やかに作戦二に移行.そして,ガウェインは……」
ユグレヒトは迷っていた.門が破られれば,必ずフロイドとランスロットが突入してくる.ガウェインに対峙しうる,最も強力な戦士はセキシュウだろう.しかし,彼を門の前から動かすわけにはいかない.かといって,ガウェインの相手は通常のプレーヤーには無理だ.
「ぬう,私が兵を率いて駆けつけたいところだが……」
布都主が唸った.
布都主は現在南都の全権を持っている.彼を殺されることは南都陥落とほぼ同義だ.
そんな危険を冒させるわけにはいかない.もちろん,NPCの自分たちではとても敵わない相手なのは布都主自身も良く分かっていた.
『拙者が行こう!』
「カゲトラさんから連絡です!」
陰陽師の娘,クズハが叫んだ.
人虎(ワ―タイガー)のカゲトラは,メッセンジャーで呼び掛けるだけでなく,水晶玉で映像も送って来た.頼もしい虎の顔が広間の壁に大写しになった.
『不二才組を何人か貸してもらった,というかチューイが副官に指揮を任して行くと言っているでござる』
「チューイさん?」
念波映像の端――水晶玉映像は,端に行くほど魚眼レンズのように歪むのだ――に,髭のドワーフが映った.
「ここは,ヤヒチローとヤクマル,ヘーハチローもいるから大丈夫じゃ.じゃっどん,ガウェイン相手となれば黙っちゃおれんわい!」
「任せるでござる,ユグレヒト殿! これは,我々皆の戦いでござるよ! 作戦参謀とはいえ,貴殿だけが背負う必要はない!」
「分かりました!では,お任せします!」
映像は切れた.
ユグレヒトの胸が熱くなる.彼は,素明羅の一員となった喜びを心から感じていた.