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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第7章 邂逅
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7-1 一瞬の再会

 シノノメはゆっくり目を開けた。


 眩しい。

 確か、意識を失ったのは夜だったのに。

 睫毛の向こうに、だれか白い服を着た人がいる。

 もう少し目を開けた。瞼が重い。

 体が石になったみたいだ。

 指の関節も、足も、手も、体中がぎしぎしと音を立てている気がする。

 首と左の人差し指に違和感がある。

 ゆっくり左手を動かすと、左の人差し指から何かが外れてけたたましいアラームの音が鳴った。

 アラームのする方を見る。

 心臓の波形と、なんだかよく分からないグラフが写った液晶モニタ。

 良く見るとモニタの一番下の波形は、自分の呼吸と連動している。

 首のあたりがガサガサして、そこからは太いチューブが天井の方に伸びていた。

 チューブの根元を眼で追っていくと普通より大きな点滴のプラスチックバッグがぶら下がっていて、一〇〇〇という数字が書いてある。色はピンク色だった。ぽたぽたと点滴は落ちて、どうやらその液体は自分の体に入っているらしい。


 白い壁、白い天井。

 天井から吊り下げられたカーテン。


 病院?


「ゆ、唯さん! 分かりますか!?」

 シノノメ――唯は誰かに体を揺すられた。

 さっきの白い服の人――看護師だ。

 三十歳くらいの、眼の大きな女性の看護師さんだった。


「唯さん!? 唯さん? 今、黒江先生を呼びますからね!」

 看護師は手を伸ばし、唯の枕元に置いてあったスイッチを押した。

 小さな音で音楽が鳴る。

 ‘エリーゼのために’だ。

『はーい!』

 ナースコールのスピーカーから返事が聞こえる。

「唯さんの意識が戻った! 急いで先生を呼んで!」

『は、はい!』

 スピーカーの返事はなぜかとても慌てている。


「くろえ……せんせい?」

「そうよ、ここが分かりますか?」

 看護師さんが声をかけ続けてくる。唯がまた目を閉じてしまうのを恐れているようだ。


 わからない。

 どこだろう。いつの間に?

 唯は首を振った。

 

 部屋の外からあわただしい足音が聞こえる。

 引き戸のドアが荒々しく開けられ、白衣を着た男が入って来た。


「唯!」

 自分の名を呼ばれ、唯は頭をゆっくり動かした。


「僕が分かるかい?」

 白衣の男の人は唯に言う。

 よほど急いで来たようだ。荒い息をしている。

 

 分からない。唯は首を振った。

 それを見た男の人の表情が一瞬曇った。


「事故のことは……覚えている?」

「じ……こ?」

 男の人が頷く。

 眼鏡をかけた、誠実そうな人だ。

 とても悲しそうな眼をしている。その顔を見ると、何だかとても懐かしくて哀しい気分になった。何故だろう。唯には分からない。


 じこ。

 事故。

 不意に恐ろしい光景が脳裏に呼び戻された。

 割れた車のフロントガラス。

 フロントガラスについた血液。

 助手席に散らばったガラスの欠片。

 自分の手が血で真っ赤に染まっている。

 救急車のサイレンの音。

 瞬時にフラッシュバックしたそれらは、繰り返し目まぐるしく現れては消える。


「あ……」


 頭が痛い。

 割れるように痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い……。

 唯は頭を両手で押さえた。

 何、これは夢? すごく怖い夢だ。


「唯!」

「唯さん!」


 そして、唯の意識は再び暗い闇の中に落ちて行った。



                      ***



 シノノメは,ゆっくり目を開けた.

 変な夢だった.

 自分が病院に入院しているのだ.

 あれは,何だったのだろう.

 ぼんやりした頭で体を起こし,辺りを見回した.


 見知らぬ広間――というか,礼拝堂だった.

 アイルランド・ケルトの信仰をモデルにゲーム世界で作られたノルトランドの国教,トゥアサー・デ・ダナン教の小さな神殿である.

 自分は祭壇の上に寝ていたことが分かった.

 ちょっと罰当たりな気もする.

 シノノメの右手にはキリスト教で言えば十字架やイコンにあたる石板が置いてあった.

 方形の黒曜石にシンプルな線描で,白い女性の横顔が描いてある.

 トゥアサー・デ・ダナン教の信仰の対象,‘白い女神’だ.

 しばらく女神の横顔を眺めた後,シノノメは天井を見上げた.

 白い壁で、高い天井はアーチ状の柱に支えられている.

 窓もアーチ状で,赤と緑を基調にしたステンドグラスがはまっている.

 パーティーのあった祝祭の間に比べると随分簡素ではあるが,清潔感のある美しい建物だった.

 窓からは午前の明るい陽射しが射し込んでいる.太陽はすでに高く昇りつつあるようだ.


 どのくらい意識を失っていたんだろうか.


 最後に記憶に残っているのはヤルダバオートの不気味な顔と,ゴキブリ.

 何て気持ち悪い奴なんだろう,とシノノメは改めて思い出して身震いした.


 着ていた紫色のドレスはいつの間にか白いドレスに変わっていた.

 長袖で光沢があり,ややシンプルな作りのウェディングドレスに似ている.


「よう,起きたか」

 

 声のする方を向くと、長椅子に座ったランスロットがいた.

 祭壇に向かって長椅子の列が並んでいる.五人掛けの椅子が六つほどで,少し大きな家族の結婚式をしたらこの建物はいっぱいになってしまうだろう.

 ランスロットの座っていた場所は部屋の隅――出入り口の近くだった.ゆっくり立ち上がって長椅子の間の中央通路を,シノノメの方に歩いてきた.


「安心しろ,着替えはメイドたちがやってくれた」

 ランスロットはにやりと笑った.昔はこんな軽口を叩けなかったのに.

 だが,彼の雰囲気は少し和らいでいた.

 四大国公会議で会ってから,どこか険しい陰の様な物をその表情にまとわりつかせていたが,それがない.甲冑を脱いで軍礼服に着替えた今の彼の方が昔のランスロットに近い気がした.


「一体,これは……ここはどこ? 何がどうなったの?」

 シノノメは祭壇から立ちあがった.少しふらふらする.


「まず,ここはどこか?からだな.ここはベルトランの夏の別邸シャトー,フィヨルニル城の礼拝堂だ.窓の外を見てみろ」

 ランスロットに言われるがまま,シノノメは窓の側に歩いて行って外を覗いた.

 ステンドグラスの透明な部分から見ると,見渡す限りの銀世界である.城壁の回廊が見えるのでかなり高さのある建物らしい.

 高山の平原に建てられた離宮だった.離宮の中ほどに空中庭園が造られ,その庭園の中にさらに礼拝堂が設けられているのだ.


「じゃあ,ここは北方山脈の……」


 ランスロットは頷き,言葉をついだ.

「そして,どうなったかという質問だが――現在お前はこのシャトーに幽閉されている.そして,そのことはお前の仲間達には秘密になっている.拉致監禁という奴だ」


「幽閉? 拉致?」

 シノノメは慌てて右手をかざし,空中のウインドウを呼び出す操作をした.

 メニューバーのアイコンはアイテムからログアウトまですべて半透明の灰色で,ノン・アクティブを示していた.

「無駄だ,今のお前はアイテムもスキルも発動できないぞ.特に魔法はな」

「どうしてこんなことができるの!?」

 シノノメは何度かメニューバーの出し入れをしてみて,全く自分の意思通り動かないことを悟った.諦めてメニューバーを消す.

 ランスロットはシノノメの質問には答えず,しばらく黙っていた.

 何か話す言葉をじっくりと選んでいるようにも見える.

「……そこの窓から,右の方を見てみろ」


 シノノメは再び外を覗いた. 

 銀世界の向こうには,美しくそれでいて峻険な山々の稜線が見える.

 その右奥,鷹の頭の形をした山の向こう側から煙が立ち上っている.

 しかも,一筋やふた筋ではない.煙の色は毒々しい黒で,周りの景色には全く似つかわしくなかった.


「すごいモクモクした煙が見える.あれ,何?」

「ユーミール鉱山と,工業地帯さ」

「工業地帯?」


 ユーミール鉱山はシノノメも知っている.

 非常に良質の鉄や銅が採れる鉱山で,ドワーフの集落がある.腕のいいドワーフや人間の名工・鍛冶職人が競って武器や生活用品を作っており,シノノメの魔包丁の一本、魔法のパン切包丁もここで作ってもらったものだ.


「……何を作っているの?」

 悪い答えが返ってくる事を予想しながらシノノメは尋ねた.


「これだ」


 ランスロットは拝廊の隅に向かい,チェストの上に置いてあった物を取って持ってきた.

 黒光りする長い鉄の塊.

 銃だった.

 シノノメに銃の知識などない.彼女の頭の中ではハンドガンもマシンガンもまとめて‘てっぽう’である.しかし,戦国時代の火縄銃に似ていることくらいは分かった.礼拝堂にこんな物が置いてあるはずはないので,ランスロットが話をするために持ってきた物という事になる.


 昔,長野の松本城で見た様な……

 ふと頭に松本城の黒い天守閣が浮かんだが,すぐに消えた.

 あれ……私,いつ信州に行ったんだっけ.

 誰かがすぐそばにいた気がする.

 誰と?

 ズキン.

 それを考えると,少し頭痛が始まった.

 VRMMOの世界で頭痛なんておかしい.

 シノノメは頭を振って頭痛と疑問を追いやった.


「種子島銃っていうの? ペリーが持ってきたやつ!?」


「いや,種子島のような火縄銃ではなく,フリントロック式の先込め銃だし,ペリーは時代が違う……って,お前はホントに興味のない事は何も知らないんだな」

 ランスロットがため息交じりに,それでいて微笑を浮かべながら言った.


「選択科目は地理だったので……あ,そうか.織田信長が使ったやつだ」

「だいぶ近くなってきたな.海賊が持っていた奴なら分かるか?」


「うん,でも,今までもあったでしょう? ほら,ノルトランド最高の騎士,竜騎士は魔弾を放つ詠唱銃を持ってるじゃない.あれくらい強力な武器でないなら,いっぺんに一発しか撃てない鉄砲なんかより剣や魔法,弓の方が強いって言ってみんなあまり使わないよね」


 ユーラネシアは魔素が濃すぎるため,精密機械の生産には向かない.連発銃を作ろうとする者もいるが,一個一個の部品を鍛冶職人が作るならば,シノノメの言った通りのスキルを鍛える方がプレーヤーにとって効率がいいのだ.

 ノルトランドの最高位を意味する竜騎士――ランスロットが使用を認められる銃は,形は先込め式だが魔法の術式を封印した弾を放つ事が出来る.火薬は不要で,別名,詠唱銃キャスターと呼ばれる.この銃から打ち出される魔法は強力で,最強の剣技と組み合わさった時はまさに無敵の威力を発揮する.


「銃というのは,特別な武器だ.槍や弓と違って,使うに当たってはほとんど訓練がいらない.銃を持った人間はある日突然兵器に変わる.一兵卒が,農夫が,民間人,子どもでさえも」

「……セキシュウさんもそれは言ってた.どんな武術を覚えても,現実世界では一丁のピストルを持った人間には敵わないって」

 シノノメの言葉にランスロットも頷いた.

「そして,もう一つ銃が凄いのは殺す感覚が麻痺することだ」

「麻痺?」

「剣や刀,槍は,人を傷つけた時にその感覚が手に残る.しかし,銃は引き金を引くだけで相手は死ぬ.遠く離れていてもな.お前は銃を撃った事があるか?」

「ない.ないと思う」

「思う?」

「う,うん」


 シノノメは少し以前から思っていた.

 自分の記憶にはところどころ曖昧なところがある.

 いつもは気にしていないが,自分でも不思議に思う事がなくはない.

 特に,いつも忘れてはいけない大事なことがあると思っているのに,それが思い出せない.

 ずっとそれは心の隅に澱の用に沈んでいる.

 それを誤魔化して振る舞ってしまうと子供っぽく見えるのを自覚している.

 周りの人は天然とか天真爛漫とか好意的に解釈してくれているようだけど……


「まあいい,銃が当たった手ごたえ,っていうのも無くはないんだが,人の生命や体を傷つけているという実感に非常に乏しいんだ.」


「そうだね,人の命を簡単に奪うようになるかも……」


「これが五万丁あったらどうだ?」

「五万? そんなにたくさん? いったいどうやって? 」


「そもそも銃とは,大量生産で意味をなす武器だ.轟音が馬や魔獣の耳をつんざき,大量の銃弾が無差別に兵士を撃ち殺す」


ランスロットがさらりと恐ろしい事を言ってのけたので,シノノメは顔をしかめた.


「そして,機械を使わない大量生産は,無尽蔵に安価な労働力があれば可能だ.奴隷とか」

「あっ!」


 アスガルドの街で,兎人の老婆は子供夫婦が徴用されていると言っていなかったか.

 それはこういうことだったのだ.

 若い労働力が強制的に兵士や工場労働に使役されているという事なのだ.


「それで……五万丁? NPCの市民の人たちも,みんな駆り出して軍隊を作ってるのね?」

 シノノメの脳裏に閑散としたアスガルドの街,そして宮殿の前庭に控えていた巨大な軍勢が蘇った.


「そうだ,近代的な軍隊だ.これまでユーラネシアにあったような,騎士団や傭兵団じゃない.名乗りもあげない.戦士の一騎打ちもない.だらだらした攻城戦もなくなる.もう,個々の決闘も,騎士道も,武士道もなくなるだろう.殺戮のゲームが始まる」


「また侵略戦争を起こす気?」

「いや,気があろうとなかろうと,こうなったらもう止まらないだろう.ユーラネシアは未曽有の戦国時代に突入する」

「そんな! 自然に起こるっていうの?」


「強大な暴力装置を手にすれば人は必ず暴発するからな.大きい力は使ってみたくなる.それが人間の本性だよ.」

 ランスロットは銃を長椅子の上に置き,腕組みをして話していたが,最後の方は半ば呟きにも聞こえた.


「ベルトランがそんなことを考えているの!? ランスロットはどうしてそれを止めないの!? マグナ・スフィアは小さな子供も参加しているし,戦いがしたい人ばかりじゃないんだよ.どうしてゴブリンやモンスターと戦っているだけじゃ気が済まないの?」


「それがしたい人間もいる,ということだ.お前は,今度海外に那由多型サーバができるのを知っているか?」

 那由多は,VRMMOマグナ・スフィアを管理している世界最高速度のスーパーコンピュータの名前である.


「はあ? そう言えばワイドショーでやってたような」 

 突然ランスロットが現実世界の話を語り始めたのでびっくりした.一体それに何の関係があるというのか.


「ロシア,上海,EUに導入されるんだよ.スパコンとゲームシステム込みで,VRMMOの世界基準OSになる可能性があるから政府と産業界が今随分盛り上がっている.先行してアメリカではもう試験運用が始まっているが,そうだな,昔のリニアの輸出のときみたいな感じだ」

「うーん……それが何?」

「魔素が多いとか少ないとかの設定を外せば,現実世界の戦争の代わりに本格的な戦争のシミュレーションができるだろう.現にアメリカサーバや,マグナ・スフィアのアメリア大陸では凄惨な戦いが繰り広げられているらしい」

「そんなのは,ファンタジーじゃないよ!」

「そうすれば,ベルトランは,現実世界の戦争が無くなると考えているようだよ」

「えっ!?」


 VRMMO世界で犯罪を犯せば犯罪者の欲望が満たされて,現実世界の犯罪が減る.

 罰則や刑法もない世界だから,どんなにひどい犯罪を犯しても問題ない.

 戦争もしかり.

 戦争をしたい国々がウォーゲームで勝敗を決めればいいではないか.

 それで現実問題の利権を決定するのだ.

 領土問題も,資源問題も.

 この世から戦争が無くなる.


「その第一歩にこのユーラネシア大陸を掌握するそうだ.あいつは中国の墨子の思想だと言っているがね」

 ランスロットはゆっくり歩いてシノノメの隣にやってきた.遠くに立ち上る黒い煙を眺めている.ランスロットはシノノメより頭二つほど大きいので,美しい横顔のラインが逆光になる.

 彼の中でどこまでその思想を受け入れているのだろうか.シノノメには見当がつかなかった.


「そんなの上手くいくはずないでしょ! そんなに上手くいくんだったら,今頃とっくに世界から戦争も犯罪も消えてるよ! それより,楽しいゲームの世界があって,みんなが笑顔になる方が良いに決まってるじゃない!」

 シノノメの声が凛と礼拝堂に響いた.

 背にした祭壇の上で白い女神が自分を見つめているように感じる.

「ランスロット,ベルトランの言う事に何故従うの? 間違っている事は正さなくっちゃ!」


 しかし,その問いかけにはランスロットは答えず,シノノメに体を寄せた.

 頭越しに壁に手をつき,顔を寄せて端正な口を開いた.

息でシノノメの睫毛が揺れるほどの距離だ.


「……だったら,シノノメ,お前は俺と結婚すべきだ」


「えぇっ!?」

 シノノメはびっくりして目を瞬かせた.

 だが,ランスロットの目はどこまでも真剣だった.

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