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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第6章 囚われの主婦
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薬物第0相試験(2)

 簡単に早めの夕食を摂って,グリシャムは再びマグナ・スフィアにログインした.

 薬物投与の結果が気になる.ゲームの世界でも仕事をするなんて,何てワーカホリックだ,と思いながら目を開けると,再び兎人の公民館で執務机の上に座っていた.

 赤々と燃える暖炉で,薪の火が爆ぜる音がする.


 「ごくろうさまです,グリシャムさん」

 先に戻って来たらしいシェヘラザードは,暖炉の前のラグの上で休んでいる.


 「あ,シェヘラザードさんもお疲れ様.食事はもう摂られましたか?」


 「こうしていると,なんだか不思議ですね.このバーチャルリアリティと言うものは.この暖炉の火も,この体も全部作り物,いや,私たちの脳が受け取っている電気刺激の産物だというんですから」

 シェヘラザードはグリシャムの問いに答えず,呟いた.グリシャムが返事することを期待していないように聞こえる.グリシャムもこの問いには何も答えられなかった.


 「寒いですね」

 「窓の外は雪でしたよ」

 「本当に?」


 グリシャムは可愛らしい丸窓に近づいて外を覗いた.吹雪とまでは行かないが,かなりの勢いで雪が降り積もり始めていた.


 ドアの外で,ドカドカと音がした.

 荒々しく戸がノックされる.


 「魔女様! 魔女様!」

 グリシャムが慌ててドアを開けると,ふらふらしながら兎人が入って来た.

 「助けてください! うちの子供の様子が変なんです!」

 兎人の夫婦だった.子供を毛布にくるんで連れてきたのである.父親の方も熱があるらしい.

 子供をソファの上に下ろすと,見覚えのある愛らしい顔が出てきた.

 「あ! ピーター!」

 グリシャムが最初に注射した子供だ.体中真っ赤な発疹が出て,息が苦しそうだ.頭から突き出たウサギの耳が力なく垂れている.

 「助けて……くだ……」

 ピーターを降ろした瞬間にほっとしたのか,父親はその場に倒れこんだ.病を おして必死で子供を抱えて来たのだった.

 「あなた!」

 母親はおろおろしながら子供と夫の手を握っている.


 「魔女様! 魔女様!」

 再びドアがノックされる.

 数名の兎人が喉をぜいぜいと言わせながら,倒れこんで入って来た.

 ドアが開け放され,外の雪が室内に舞い込んでくる.

 兎人の一人は村長だった.村長の顔も赤い.


 「魔女様!」

 次から次へと兎人達がやってくる.みんな同じような症状だ.体が赤く腫れ,ケンケン,ゼイゼイと変な空咳をして息苦しそうである.


 「これは……薬物毒性? それとも,アレルギー!?」

 外から入ってくる冷たい空気とは別に,グリシャムの背筋に冷たいものが走った.


 「大変だわ! シェヘラザードさん!」

 「一体何が起こったんですか?」

 シェヘラザードが駆け寄る.


 「何らかの薬の副作用です.おそらく,見る限り薬物Aの投与群です! 急いで対処しないと!」

 「急いで?」

 シェヘラザードはちょっと不思議そうに兎人を見つめている.

 

 ……場合により,命に関わる状況だ.医療関係者でないので,薬剤師の自分とは事態の受け取り方に温度差があるのだろう,とグリシャムは思った.


 「急性のアナフィラキシーとかだと,命に係わります! みんなをとりあえず,ひどいようですが床に並べて寝かしてください!」

 「は,はい!」

 血相を変えているグリシャムの様子を見て,シェヘラザードは動き始めた.

 もともと機転がきく性格なのだろう.シェヘラザードはグリシャムが何をしたいのか察知したようで,ラグとカーペットを並べてその上に兎人たちを寝かせて行った.

 きちんと頭と足の方向をそろえて寝かせている.こうすれば並んで症状を診ることができると判断したに違いない.


 全員,呼吸困難と皮膚の発赤――薬疹!? こんな高い確率でアレルギー症状が起こる薬剤なんて!

 一体どういう分子設計をしたんだろう!基本的な構造設計がおかしいとしか思えない!

 グリシャムはカルカネス――カニオの特徴のない顔を思い出した.

 しかし,その薬を投与したのは,間違いなく自分のこの手なのだ.

 グリシャムの手は怒りと動揺で震えた.


 「何とかしなくっちゃ! ウンディーネとニンフよ,力を貸したまえ!」

 若木の杖を取って回復呪文を唱えた.

 杖から放たれた青と緑の光が,倒れた兎人たちを包む.しかし,事態は一向に改善しなかった.


 「どういうこと?」

 グリシャムはうろたえた.


 「これは,私の予想ですが……」しゃがんで一人の脈をとっていたシェヘラザードは立ち上がって言った.「もともとマグナ・スフィアにない物質が原因で起こった病状なので,既存の魔法では効かないのではないでしょうか」


 「あっ!」

 そうか……そうだった.グリシャムは途方に暮れた.じっとりと嫌な汗が背中に浮かぶ.

 そんなグリシャムを妙に冷たい目でシェヘラザードは見つめている.


 「じゃあ,ポーションも効かない?」

 「おそらくは……」


 異変が起きた兎人は全部で二十人ほどだ.病院で見る,重度の薬剤アレルギー――アナフィラキシーショックの症状によく似ている.特に恐ろしいのは気道浮腫――のどや気管が腫れてくると,窒息して死に至る.

 特に症状がひどいのは子供のピーターで,体をひきつらせて苦しんでいる.

 哀れな母親は涙を目に浮かべて子供の手を握ることしかできなかった.


 「どうしよう,どうしよう……」

 血圧計や体温計,血液検査で体の状態を調べたくても,ここは中世時代のユーラネシアだ.そんなものがあるわけがない.

 聴診器,ない.

 酸素モニター,ない.

 人工呼吸器も心電図も何もない.


 そうだ,とりあえず点滴をとって……そこまで考えてグリシャムは気づいた.

 点滴製剤も,点滴をつなぐチューブも,注射針もない.

 エピネフリンも,メイロンも,ソルコーテフもない.

 いや,そもそも自分は看護師でも医師でもないのだ.

 あったとしても点滴ができるはずがない.

 いつも看護師さんの傍で見ているだけなのだから.


 自分はこのままみんなが死んでいくのを見ているだけなのだろうか.

 そして,その原因を作ったのは自分だ.

 恐れで膝が震え,それを見る視界は涙で歪み始めた.

 その場にしゃがみ込んで考えるのを放棄してしまうか,いっそログアウトしてこの状況から逃げ出してしまいたい.

 誰かに助けてほしい.


 ……そうだ,シノノメなら.

 シノノメならどうするだろう.

 彼女の亜麻色の髪と,優しい笑顔が浮かぶ.

 圧倒的な力を持ちながら,人一倍誰にも優しい.


 グリシャムは歯を食いしばって顔を上げた.

 きっと,彼女ならどんな状況でもファンタジーを起こすために全力を注ぐに違いない.

 考えるのだ.知識の限りを尽くして.

 そうだ.あれは確か面白半分で呼んだ海外の文献にあった.


 グリシャムの頭に稲妻のように考えが閃いた.


 「プラントボックス!」

 グリシャムはアイテムボックスであるカバンから木の箱を取り出し,中から大粒の種を取り出した.

 「万能樹! ヤシの木よ育て! ノームとウンディーネよ,祝福せよ!」

 グリシャムが部屋の隅に種を放り投げると,たちまちヤシの木が生い茂って実をつける.

 成長速度と高さを調整し,天井ほどの小さなココヤシの木を20本近く部屋の中に生やした.

 「万能樹の種,吸血樹ツェペシよ育て!」

 長い蔓を持った不気味な食人植物の一種,吸血樹が生い茂り始めた.赤い蔓と葉を持ち,動物や人間をその不気味な蔓で捕まえて吸血する恐ろしい植物である.

 「次! ゴムの木育て!」

 兎人の公民館のホールはさながらジャングルのようになった.


 「シェヘラザードさん,ナイフはありますか?」

 「ええ,護身用に一本ありますが?」

 シェヘラザードがグリシャムを見る目が変わった.情欲に燃えているようにどこか潤んで,好奇心に満ちた目だ.


 「分かりました! 吸血樹ツェペシよ,蔓を伸ばせ!」


 ツェペシはするすると触手にも似た蔓を伸ばし,兎人達にからみついて先端の棘を血管に突き刺した.たちまち吸血が始まり,もともと赤かった蔓が毒々しい血の色に染まり始める.


 「ええっ!」

 ピーターの手を握っていた母親は驚いて蔓を振り払おうとした.

 「魔女様! ひどい! 悪魔! 何てことをするんですか!?」


 「信じてください! お母さんも手伝って! いいですか,シェヘラザードさんも,蔓をなるべく根元で切って!」

 シェヘラザードはグリシャムの指示に従い,なるべく幹に近い部分で蔓を切断した.ピーターの母親もシェヘラザードを見て慌てて手伝い始めた.執務机の上の鋏で蔓を切断する.

 グリシャムはいつも持っている護身用の銀のナイフを取り出した.

 彼女は攻撃系の呪文は得意でないが,そんなことは言っていられない.

 渾身の風の魔法と火の魔法をナイフの先端に乗せて,ヤシの実の底に穴をあけた.

 「蔓を全部こっちにつなぎます! 急いで!」

 

 蔓と実のつなぎ目はゴムの樹液でコーティングし,液漏れを防いだ.

 こうして出来上がったのはヤシの実の点滴である.

 ヤシの実の果汁が吸血植物の蔓を通して兎人の体内に送られていった.


 「こ,これは!?」

 シェヘラザードが目を瞬かせた.


 「ココナッツジュースの成分は,点滴の成分に近いんです.緊急時には点滴の代用になるんです!」

 シェヘラザードに説明する間にも,グリシャムは考え続けた.

 「ワイルドボーアの魔石! 解毒のビーゾー石!」


 アイテムの中から使えそうなものを取り出し、薬効鑑定のスキルで迅速にチェックする.

 「魔獣の豚ボーアの魔石は,副腎に近い場所から取り出されます.副腎皮質ホルモンに近い薬効があるはずです.調べます! 間違いありません!」


 副腎皮質ホルモン――ステロイドホルモンである.

 過剰に働いた免疫系,アレルギーを強力に抑制し,炎症を抑える性質がある.

 魔石調合用の乳棒と乳鉢を取り出し,粉末状にして薬を作り,ヤシのジュースを少し混ぜて溶解した.

 これを薬Bが入っていた空瓶に詰めて無針注射器にセットした.


 「ヤシの実の殻,貫けるでしょうか?」

 「皮膚に注射するのではないのですか?」

 「直接静脈に注入した方が早いです! これですね,ガス圧を調節して最強にすればいいんですね!」

 グリシャムはシェヘラザードの答えを聞くより早く注射器を調整し,ヤシの木の点滴液の中に注入した.


 グリシャムは必死でヤシの木と患者の間を往復し,呼吸と点滴の状態を確認した.


       * * *


 丸窓から薄く朝の光が射し込みはじめた.

 雪はもう止んだらしい.

 窓の外はやけに静かだ.


 次第にぜいぜいと言っていた兎人の呼吸は穏やかになり,安らかな寝息に変わり始めた.

 「ああ,魔女様! ピーターの息が楽になって来たようです! 良かった,良かったわね,楽になったのね!」

 ずっと夫と息子の手を握りしめていた母親は泣きながら叫んだ.

 一時は家族の死を覚悟したのかもしれない.一気に緊張の糸が切れたのだった.


 「良かった,喘鳴が止んだ……容態は落ち着き始めたのね.でも,インフルエンザの増悪とステロイドの副作用のことも……」

 グリシャムは安堵と疲労とで,執務机の椅子に倒れこむように座った.

 魔女の帽子と杖を投げ出し,背もたれに体を預けた.


 「私,ちょっと皆さんの着替えを取りに行ってきます.水とタオルも持ってきます.ピーターと主人をお願いしますね――ありがとうございます,魔女様」

 ピーターの母は栗色の耳がついた頭を深々と下げてドアを出て行った.


 胸にあたたかい物がじわりとこみ上げ,思わず涙が出そうになる.グリシャムは少しの間だけ目をつぶって休むことにした.


 疲労困憊しているグリシャムとは対照的に,シェヘラザードは立ち上がってホールの中を見回していた.

 兎人の公民館の中は木が生い茂り,滅茶苦茶だ.

 ジャングルの中に何人も人が倒れているように見える.しかも,全員木の蔓でヤシの実につながっているのだ.

 そんな様子をシェヘラザードは興奮で紅潮した顔で眺めていた.


 「素晴らしい! 極限状態での判断力,発想,想像力! グリシャムさん,あなたは私の想像通り,いや,それ以上の方です!」


 シェヘラザードの感嘆の言葉が終わるか終らないかのタイミングで,ドアが開いた.

 入って来たのはカニオだった.彼もそれなりに疲れているように見える.

 グリシャムは目を開けてムクリと頭を上げた.

 カニオは入って部屋の中の光景を見るなり言った.


 「うわ,何だこりゃ?」顔をしかめた.


 グリシャムは疲労も何もなく,飛んで跳ね起きた.

 「ちょっと! あんたねぇ! こんな薬設計して投与するなんて,何考えてるのよ!」

 我ながらシノノメに似ていると思う口調でカニオに食って掛かった.


 「何? 何って,薬物試験なんだからこんなものだろ? NPCなんて,どうなってもいいじゃないか」

 「は!?」

 「あれは,ヤシの実点滴か.20世紀の英文文献にあったな.クラッシクな手法だな.実際にやってるのは初めて見たぞ.あああ,こんなにして助けちまったら,最後どうなるか分からないじゃないか」

 「な,何ですって?」

 グリシャムは自分の耳を疑った.


 「死ぬまで観察してくれなきゃ.薬として使えないなら,毒物として叩き売ったっていいだろ」

 カニオはつまらなそうに言葉を接いだ.

 グリシャムは執務机まで取って返すと,愛用の若木の杖を振り上げ,カニオに突き付けた.

 「何だよ,爆破でもする気か? へへ,いいぜ.どうせもう俺の体はガタガタなんだ.俺の脊髄には慢性疼痛制御用の脊髄電極が入っている.主婦にやられたこの左手が痛くて,もう使い物にならないんだ」

 ずっと上着のポケットに突っ込まれていた彼の左手は,皮膚のしわがなくツヤツヤして,不気味なまでに赤くなって縮んでいた.

 「そ,その手は反射性交感神経性ジストロフィー? CRPS? カウザルギー?」

 グリシャムが病院で見たことのある患者の手にそっくりだった.

 「俺の脳が作り出す印象が強すぎるのか,壊れているのか,電脳世界でもこうなんだ.ははっ,愉快だろう!?」

 カニオの顔は狂気に満ちていた.

 突きつけたグリシャムの杖の先が震える.


 「なるほど……では,貴方は初めから薬剤になる可能性の乏しい物質を試験したということですか?」

 そのとき,シェヘラザードのぞっとするほど冷たい声が響いた.


 「ああ? それがいけないか? いざとなればデミウルゴスの化学兵器として使ったらどうだい?」


 冷静か,あるいはいつも微笑を湛えていたシェヘラザードの顔がぴくり,と動いた.美しい眉が少しだけ歪んでいる.


 「蟹江博士,あなたはもはや不要です」

 シェヘラザードの手には,この異世界に最もそぐわないものが握られていた.小型拳銃,デリンジャーだ.しかも,近代的な二連装のレミントン・ダブルデリンジャーである.銃口はピタリとカニオ――カルカノス――いや,蟹江の額に突き付けられていた.

 「脳に銃弾が撃ち込まれる痛みは如何でしょうか.お元気で」

 シェヘラザードは引き金を引き,高い銃声が響いた.


 「ぎゃあああ!」


 蟹江が断末魔の悲鳴を上げる.

 とっさに目を閉じていたグリシャムはゆっくり目を開けた.

 頭のない蟹江の体が床の上に横たわっている.

 死んだ蟹江の体はゲームオーバーとして,バラバラのピクセル状になって分解され始めているのだ.


 「お騒がせしました.グリシャムさん.どうやら私達の人選ミスだったようです」

 シェヘラザードは大腿の隠しホルスターに拳銃を収め,にっこりと笑った.花が咲きこぼれるような笑顔だ.つい今しがた人間を一人――ゲームの中とは言え――殺した人間の笑顔とは思えなかった.


 「シェヘラザードさん,一体貴女たちは……? デミウルゴスとは何ですか? ギルド名ではないのですか?」

 シェヘラザードの得体の知れなさに,グリシャムは思わず後ずさりした.

 

 「私たちは……そうですね,造物主デミウルゴスの意志に従う同志たちです.私は,ぜひあなたを同志に迎えたいのです.あなたこそ我々にふさわしい人間です.今回の行動を見て確信しました」


 「造物主? 同志? 私が?」


 あまりに唐突な内容に混乱しているグリシャムの質問には答えず,シェヘラザードは言葉を続けた.


 「私たちは,現実世界をこの異世界に実現し,さらに現実世界を改変していくことを目標としています.……少々抽象的過ぎる答えですが」


 「現実世界をこの異世界に……?」

 その言葉を聞いたとき,グリシャムはシノノメと話した時のことを思い出した.

 

 『現実世界の残酷をこの異世界に持ち込むことが正しいのでしょうか? それが,何になるのでしょうか?』

 

 マンマ・ミーアのギルド長ミーアと,西の魔女クルセイデルが言っていたという言葉である.

 今回の事態は,まさに現実世界のエゴがもたらした不幸ではなかったのか.

 夢は,夢のままであるべきだ.

 きっと,それは.

 「それは,ファンタジーじゃない,私の親友ならきっとそう言うでしょう!」


 グリシャムは強い信念を込めてシェヘラザードの目を見た.

 しかし,その言葉は逆にシェヘラザードの目の奥に怪しい灯をともしたように見えた.


 「ふふん,それは東の主婦の言葉ですか?」

 「そうです」


 「今頃,主婦殿はどうなさっているのかしら?」

 くっくっく,とシェヘラザードは高い声で笑い始めた.

 羽織っていたサリーは肩からずり下がり,身をよじって笑っている.美しい首元から胸までのラインがすっかり露わになっていた.

 まさに身も世もなく,可笑しくてたまらない,という様子だ.


 「一体,何がおかしいんですか?」

 怒気を込めてグリシャムは問いただした.

 「あなたの‘虫’嫌いのお友達はどうなっていますかね?」

 それでもシェヘラザードは笑い続けている.


 恐ろしく悪い予感がする.

 不安になったグリシャムは早朝とは知りつつ,メッセンジャーを立ち上げて通話モードでアイエルを呼び出した.


 お願い,すぐに出ないで……


 「はい! もしもし? グリシャムなの!?」

 グリシャムの願いとは裏腹に,アイエルはすぐに電話に出た.


 「アイエル! シノノメさんは? シノノメさんに何か異常があった?」


 「シノノメさんが,シノノメさんが行方不明なの! ユグレヒトを助けに行って,折角上手くいったのに! シノノメさんが誰にも負けるわけなんてないのに! あんなに強いのに! どうしよう!? どうしよう!? グリシャム!」

 その声は取り乱してまるで半分泣いているか叫んでいるように聞こえた.

 

 アイエルの言葉に青ざめるグリシャムを,シェヘラザードは笑いながら見ていた.


 「あなた達!? 貴女たち? 一体,シノノメさんに何をしたの? 何が目的なの!? 言いなさい!」

 グリシャムは直感していた.あの時自分がふと漏らしたシノノメの虫嫌い,それをシェヘラザード達――デミウルゴスが,利用してシノノメに危害を加えたに違いないことを.

 彼女は怒りに燃えて杖をシェヘラザードに突き付けた.苦手な爆破の呪文のありったけを杖の先に込め,倒して聞き出す.相手はたかが踊り子なのだ.


 「エクソプローズ!」

 グリシャムが叫んだ瞬間,杖の先から爆炎が噴き出した.

 しかし,シェヘラザードはくるりと体を翻して踊るようにその爆発をかわした.

 服に着けた鈴飾りが,シャランと涼やかに音を立てる.


 「!」


 とても普通の踊り子とは思えない.ふわりと体を柔らかく回転させ,シェヘラザードはグリシャムに身を寄せた.

 「ふふふ,それにお答えするにはどうやら時間が足りないようね」

 赤い妖艶な唇が動く.

 「また会いましょう,グリシャム.私,あなたが好きよ.そんなところも」

 シェヘラザードはグリシャムの右頬に口づけすると,すっと姿を消してログアウトして行った.


 窓から朝日が射し込みはじめる.

 後には呆然とするグリシャムと,心地よい寝息を立てて眠る兎人達だけが残された.


 グリシャムの耳には,シェヘラザードの高い笑い声がいつまでもこびりついて離れなかった.

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