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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第35章 Grand Illusion
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35-7 Once Upon A Dream

「物語の終わりが来ました,シノノメ」


 エンノイアの重瞳ちょうどうが妖しく揺れた.

 薄い唇はわずかに笑みを含んでいるようにも見える.


「物語の終わり?」

「あなたが主人公である物語です」


 背筋が凍る.

 エルフの女王エクレーシアの神秘的な美しさが,そのまま恐ろしい.

 一言一言口を開く度に,危険な気配が冷気のように肌を刺す.

 シノノメが放った炎は跡形もなく消え去り,周囲に鱗粉のような光の粒が浮いている.

 そうだ.

 いつも天からの声がするときは,あの光の粒が妖精の粉のように軌跡を描いていた.

 思わず後ずさりしていた.

 右の袖は襦袢ごと外れてしまってノースリーブのようになっている.二の腕に沸々と鳥肌が立っている.


「私は主人公になりたいと思ったわけじゃないよ」

夢幻ゆめ現実うつつの間を彷徨さまよい,夢を見続ける迷子まよいご.そんなあなたを見出し,導き,守り,力を与えた」

「力を望んだ事なんてないよっ! ……あっ」


 ふと思い当たった.

 ノルトランドの祝宴の夜.

 ヤルダバオートの能力ちからで意識を無くしたあの時,一瞬だけ現実世界に戻ったのは.


「私をこの世界に留めているのも……あなたなのね」

「それは半分だけ正解です.私は貴女の願いを叶えただけ」

「願い?」


 エンノイアの口角がゆっくりと上がっていく.


「永遠に夢を見ていたい.物語を楽しんでいたい――」

「! それは!」


 瞬きもせずにエンノイアはじっとシノノメの目を見つめている.

 凄まじい圧力だ.

 今まで対峙してきたどんな巨大な敵よりも,静かに語っているだけのこの女性が怖い.


「あなたは現実世界に戻りたくない.戻ることを恐れている」

「違うよ! ……ううん,それは,そういうところもあるけれど! 今はそうじゃない! 私は現実世界の自分に戻るの!」

「いいえ.あなたは誰かに夢から覚ましてもらうことを待っているだけ――眠り姫のように」

「違う! 違う!」

「現実と空想の中で夢を見続ける――現想世界の眠り姫」

「違う!」

「さあ,夢が永遠に続くように――私のところへいらっしゃい」


 抱きしめようとするように.

 エンノイアは両腕を伸ばして一歩歩み出た.


「リグ・ヴェーダ賛歌の黄金の胎児――ヒラニア・ガルパのように世界を夢見ましょう」


 引き込まれる.

 体がぐらりと揺れる.

 意識を持っていかれそうだ.

 カカルドゥアのシンハの声が常闇からの呼び声だとすると――天上に誘う女神の声.

 けれど.

 だけど.


「ダメっ!」

「いけないっ!」

「シノノメ,しっかりしろ!」


 慌てて頭を振った.

 グリシャムとアイエル,ヴァルナの声がする.


「そいつを倒せば,お前は解放されるはずだ! 意識をしっかり持て!」

「シノノメの親友たち.今あなた達の視界に見えているはず――こんなメッセージウィンドウがね」


 エンノイアの掲げた手の上に,ウィンドウが浮かび上がった.


 ――あなたは異世界に転移しますか?

 ――あなたは異世界に転生しますか?


「マグナ・スフィアと言わず,教育用のVRマシンからARマシンに及ぶまで.全世界の人々が今これを目にしている.最終戦争の危機が迫る報道とともに.この問いかけに『はい』と答えた人はすでに三十億人以上」

「あなたが不安をあおっているからじゃない!」

「私はスイッチを押しただけ.どれだけ今の自分を消し去りたい,変わってしまいたいと望む人間がいることか.これが人の本意でしょう」

「それはありえナイ! それは変身願望とか,どこか遠くへ行きたいっていう気持ちになるだけで」

「ええ,ですから私はそれに是という」

「くそっ! ああ言えばこう言う,てめーみたいに小利口なことをいう奴が一番信用ならねーんだよ.こんなアンケートとって今更……って,まさか!」

「理解しましたか? 望んだ者は全て,電子人格としてマグナ・スフィアに移住してもらいます.これで,現実の肉体が無くなっても問題ない」

「も,問題ないはずナイじゃない!」

「シノノメ,こんな奴の言うことに耳を貸すな! 」

「シノノメさん!」

「シノノメさんっ!」

「シノノメ」


 ぐるぐると頭の中で色々な声が反響する.

 頭が痛くなる.


 でも.

 ……私を呼ぶあの小さな声が聞こえる.


 私の心がそう言っている.

 そこ.

 あの声の聞こえる場所.

 それこそが私の帰る場所だと.


 シノノメはゆっくり顔を上げた.


「私は,現実世界に帰る」

「ならば――やむを得ません」


 金色の羽根のように,エンノイアの背中から光の輪が広がった.

 足元からも,頭の後ろからも,肩からも.


「私があなたの物語の最後の一ページを締め括りましょう」


 ぶわっと光が波打った.

 周囲に転がっていた鉄柱が,家具が,シンクが崩れ落ちて光る鱗粉になる.

 光る粒子は空中を漂い,そのままエンノイアの方に戻っていく.


「この力は何? シェヘラザードがやってた消去デリート!?」

「マグナ・スフィアの万物は私の管理下にある.私から出たものを私に戻しているだけ.還元あるいは分解リソリューションとでも呼べば良いでしょうか」


 光る輪は楕円形に伸び,妖精――あるいは蝶の羽のような形になり始めた.

 細やかな金色の光を帯びている.

 とても美しい.だが,猛毒の鱗粉を含むはねだ.

 シノノメが作りだした周囲の物を取り込むと,さらに大きく広がる.

 光の帯をまとったまま,ゆっくりエンノイアはシノノメに近づいて来る.


「プレーヤーがゲームマスターに勝てると?」


 どんと背中に物が当たった.見れば大型冷蔵庫が四つ並んでいる.

自分が出したものらしい.気付けかないうちに随分後退してしまっている.ずっと下がり続けることはできない.

 ヴァルナが叫んだ.


ひるむな,シノノメっ! ゲームマスターをひっかきまわすのは,常にゲームチェンジャーなんだっ! そいつがマグナ・スファイアの物理法則にしたがう限り,お前の勝機はあるっ!」


 八枚の羽根が広がる.羽根というよりも大輪の花に見える.


「シノノメ」


 エンノイアが優しい声音で語りかけた瞬間,光の羽根が一気に伸びた.

 触手を伸ばした軟体動物か,イソギンチャクやヒトデにも見える.


「うわっ!」


 シノノメは咄嗟に伏せた.伏せるというよりも無様に床に転がったという感じだ.

 頭上を凄まじい速さで粒子の帯が伸び,大型家電の山が瞬時に分解して無くなった.


「妖精の粉みたいなのに,これは何!? 」

「妖精の粉――妖精の鱗粉で,体に浴びれば空を飛べるのでしたね.シノノメらしい幻想的な表現ですが,これはナノ・マシンの群体です」

「なの……ましん?」

「知りませんか? 二十世紀にはすでに概念が提唱されたテクノロジーです.現実世界で実現するためにはまだいくつかの技術的課題を抱えていますが,マグナ・スフィアではそれも問題ない」


 光る羽根はシノノメのいた場所を遥かに超えて伸び,百階層の奥の奥まで到達していた.

 チーズの様に滑らかな切り口で金属も木も切り抜かれている.


「実際には吸収するだけなく,分子レベルで働きかけて環境を思いのままに改造することも出来る.現実世界にかえったあなたはやがて使うことになるかもしれません」

「こんな力要らないって! お掃除サイクロン!」


 風の魔法をぶつける.だが,羽根は軽く揺れるだけだ.


「何これ? 砂粒みたいなものじゃないの?」


 羽の先端が柔らかく漂い,シノノメの方に流れてきた.

 触れると危険なことは分かる.


「鍋蓋シールド!」


 防御魔方陣で受け止めようとする.緑色に輝く魔方陣は光の粒と激しく反応した.

 

「ええっ!」


 “鍋蓋”の形が徐々に崩れていく.熱で溶けていくのに似ている.円形だった魔方陣はあっという間に半円となり,やがて完全に空気中で焼失した.


「エネルギーを分解吸収します.当然あなたの防御魔方陣も無効です」


 床の上を影のように光の帯が伸びてきた.

 慌てて飛び上がって避ける.

 足元を通り抜けては波のように急速に引いて行く.

 戦慄した.

 金属だった床が真っ白い砂地に変わっている.

 粒子が細かく粒がそろったきれいな砂だ.


「ぐ,グリシャムちゃんたちは?」


 はっとして振り向いた.

 エンノイアを中心にあれほど積み重なっていた瓦礫はすっかり消失している.

 少し離れたところに腕だけで這うようにして動いているアイエルが見えた.

 脚にひどい怪我を負っているらしい.苦しそうだ.

 ヴァルナはグリシャムのイバラを切断して助け出そうとしている.


「一緒に分解されたかと思いましたか? 大丈夫,私が欲しいのは貴女だけ.彼らにはもう戦う力は残っていない.せめてこの最後の戦いを見せて,お別れの時間としましょう」


 どこにも逃げ場はない.

 エンノイアの光る羽根はますます大きさを増している.

 灯台の灯りのようにひと撫でするだけで,もとの何もない鏡のような空間になる.


「私の元へ――転生なさい――現実世界の女神として!」


 八本の光の束がらせん状に捻じれながら伸びてきた.

 見た目だけは優しく自分を包み込むように――.


「きゃあっ!」


 思わず目をつぶった.

 光がはじける.

 瞼でもさえぎることが出来ない凄まじい光量だ.

 だが,ふと遮られた.

 薄目を開けた.

 闇よりも濃い黒い影がそこにいた.


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