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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第35章 Grand Illusion
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35-6 Storybook Ending

「シノノメさん! シノノメさん! 目を覚まして!」

「叫んでも無駄よ.シノノメはもう――マグナ・スフィアの意志そのものになっている」


 必死で叫ぶグリシャムに,エンノイアは悠然と笑いかけた.


 ……誰かの声がする.


 はるか遠くの方から親しい友の声がする.

 だが,もうそれが誰なのかシノノメには名前も思い出せない.

 涙の海のほとりに迎えに来てくれた――あの人は誰だったか.

 それよりも目の前にいる敵のことで頭がいっぱいだ.

 黒騎士はどんなに攻撃しても壊れない.

 だが,だんだん分かって来た.

 なまじ丈夫なだけに,大きな衝撃をぶつけると壊れずに吹っ飛ぶ.

 装甲が丈夫な事を自覚しているせいか,基本的に攻撃を避けることを知らない.


「大きな力をぶつけて撹乱して――一瞬で距離を詰めれば」


 こんな戦い方を教えてくれたのは誰だったか.

 どんどん大事な記憶が自分の中から零れ落ちていく気がする.

 でも,気にならない.


 ……本当に?


 忘れてはいけないもの.

 思い出さなければならなかったものがあった気がする.

 私は……何のために戦っていたのだったか.


「私は……?」


 構わない.

 より大きな一撃を敵にぶつけるのだ.

 来た.

 何だかハンドクリームの瓶みたいな爆弾が飛んで来た.

 四つ.

 空中で止まっている様に見える.

 反応弾,と言ったか.

 触れると十メートルくらいの範囲が蒸発する,危ないものだ.

 躱しながら,全部叩き切る.

 斬れない分は――ジャムの瓶にでも変えればいい.

 ゴロゴロと音を立てて床に転がっていく.


「今!」


 勝機だ.

 体を捻る.

 右掌から放たれた赤い熱線をかいくぐり,回転しながら体を滑り込ませていく.

 不撓鋼マグナタイトの魔包丁を構え,切っ先を黒い装甲に食い込ませる.

 ぎゅん,と体がうねる.

 黒い指が,掌が,手首が,前腕が,肘が――.


 切れた!


 黒騎士の腕はバラバラになって床に落ちて行った.

 息が触れそうなほど黒騎士に近接する.

 黒騎士の身長は二メートル以上ある.

 リーチも圧倒的に長い.

 体をもう半回転すれば――.


 コアに届く.


「しまった!」


 黒い大きな腕が迫る.左掌の熱線砲ブラスターの射程圏内に入ってしまった.

 だが……攻撃は来ない.

 そうしようと思えば,シノノメの顔を焼き尽くすか――握りつぶせる.そんな場所にあった手が,宙でぴたりと止まっていた.

 固い指先がほんの少し頭に触れると,むしろ怯えるように手が戻っていく.

 顔を見上げる.

 黒騎士と目が合った.

 自分を見下ろしている.

 反射的に体が動く.

 脚を内側から相手の脚に巻き付け,顎の下を押す.

 人型である限り重心の場所は同じだ.しかも片腕が無ければバランスは悪い.

 真っすぐ脚を延ばすようにする.

 柔道の小内刈りに似ているが,古流武術の崩しの一種だ.

 地響きを立てて黒騎士は背中からひっくり返った.

 すかさず馬乗りになる.

 黒猫丸を振りかぶってその胸に突き立て――.


「あっ!」


 ビクリと体が震える.

 猫のようにシノノメは飛びのいた.

 黒騎士の眼の色が――変わっていた.

 燃えるような赤色をしていたのに――.


 青みがかかった紫色になっている.


 この色は知っている.

 冬のくすんだ海の色だ.

 いつか誰かと見た色.

 見ているだけで何故か悲しくなってしまう色.

 隣にいる誰かに体を預けて――抱きしめて欲しくなる――.

 哀しい色だ.


 黒騎士はゆっくり上体を起こすと,握った鋼鉄の指を開いた.

 そのままゆっくり掌を胸の前に置く.

 まるでそこに不撓鋼マグナタイトのナイフが突き刺さるのを待っているかのようだ.

 攻撃の意志は見えない.

 そう言えば――かなり前から攻撃がどんどん減っていなかったか.


「……いつから?」


 シノノメは半身はんみの構えを解くと,黒猫丸の切っ先を下げた.


「私は……」


 頭の奥でまだ誰かが囁いている.


 ……目前の敵を滅ぼせ.


 だがさらにその奥.

 鈴に似た,あの微かな音がする.


 ……ゆい


 ううん.

 あれは声.

 私の名前を呼ぶ声だ.


 自分の体を見た.

 手足は煤だらけで,服はボロボロに千切れている.

 お気に入りの茜色の着物は見る影もなく,中に着ていた襦袢じゅばんも破れている.


「私は……?」


 辺りを見回すと,鏡面の様だった百階層の広間は物で溢れかえり,グチャグチャに破壊されていた.

 巨大な竜が暴れ回ったように壁も床もえぐれ,ねじ曲がっている.


「私が……これをしたの?」


 戸惑うシノノメを黒騎士がじっと見つめている.

 哀し気な薄紫色の眼.

 体を覆う無敵の装甲には,黒猫丸が付けたと思しき無数の切り傷があった.


 心が痛む.

 この人は――.

 私はどうしてこの人と戦わなければならないんだろう.

 この人が最後の敵だから?

 現実世界に帰るために――本当に必要なの?


 振り返る.

 瓦礫に下半身が埋もれ,倒れているアイエルがいた.


「アイエル……」


 その傍にはいばらで固く縛られ,動けなくなっているグリシャムがいる.


「グリシャムちゃん?」

「シノノメさん! 良かった! 意識が戻ったのね!」

「一体何があったの? どうしてイバラが体に……」


 その横には知っている筈なのに――知らない雰囲気をまとった女性が立っていた.

 背の高い女性だ.


「あなたはソフィア……? ううん,違う.誰?」


 ソフィアそっくりの女性は白銀の睫毛を瞬かせ,答えた.


「私は――統合者プロパトール.今はエンノイアと名乗っています」

「その声――私にずっと話しかけてた――空の上からの声の人」


 エンノイアは小さく頷いた.


「私こそが――ソフィアも内包する――“世界”の意志です.あなたのことはずっと見ていましたよ,シノノメ」

「よく分からないけど――あなたとは初めて会った気がしない」

「ええ,ソフィアは私の分身のような物ですから.私はマグナ・スフィアで起こる事象の全てを記憶しています.ソフィアの言葉もヤオーの慈しみも.よくここまで――欲望の塔の頂点まで来ましたね」

「ありがとう……」

「あなたの旅の終わりはもうすぐです」


 エンノイアはちらりと黒騎士を見た.


「人間の想像力が暗い欲望を打ち負かすとき――世界は歓喜するでしょう」

「これで……もう終わりでしょう?」

「終わり? とどめを――刺さないのですか?」

「だって,黒騎士さんは手も壊れてるし,戦う気がある様に見えないよ」

「その……不撓鋼マグナタイトのナイフで一突きするだけだというのに?」

「そんなの,嫌」


 シノノメは黒猫丸をアイテムボックスにしまった.


「これで欲望の塔の最上階をクリアした――だから,私の希望を叶えてもらえるんでしょ?」


 黒騎士は左手を胸に当てたまま,黙ってシノノメを見ている.

 エンノイアは少しだけ眉をしかめて頬に手を当てた.


「困りました――.本当にシノノメは私の想像の外を行く」

「うう……」


 アイエルが意識を取り戻して顔を起こした.下半身が挟まれているので動くことができない.腕の中からよろよろと白いライオンが出てきた.


「アイエルちゃん! 大丈夫? その可愛げな生き物,何?」

「シノノメさん……その人の言うことを聞いちゃダメ……」


 グリシャムも叫ぶ.動く度にイバラの棘が体を切り裂くが,必死だ.


「そうよ,シノノメさん,あなたが戦いたくないのなら,止めればいい!」


 二人の様子が普通でない.

 助けに駆け寄りたいが,その前に立っている人物が近づくことを許さない険しい雰囲気を放っている.


「……あなたは,一体何なの?」


 エンノイアは黙っている.


「姿はソフィアに似てる……でも,あなたにはヤルダバオートやアスタファイオス,それにサマエルの“匂い”がする」

「素晴らしい……あなたの超知覚は,そんな事まで五感として把握するのですね」


 うなじがチリチリする.

 この人……人とも知れない得体のしれないものだけど……とてつもなく危険だ.


「あなたの希望は何でしたか?」

「現実世界に帰ること……」

「私ならその希望が叶えられる」

「本当に……?」


 その時,ミニヴァルナがぴょこんとアイエルの背中から顔を出した.


「嘘だっ! シノノメ!」

「ヴァルナ?」

「そいつはマグナ・スフィアのゲームマスターだぞ」

「ゲームマスター? じゃあ,運営さんみたいな……」

「違う.お前に分かりやすく言えば,ラスボスの裏ボスみてーなもんだ! ついでに言えば,たった今現実世界を滅亡させようとしてる巨悪だぞ!」

「ええっ! 悪役令嬢みたいなもの?」

「そんな可愛いもんじゃねえ! 俺はいま確かめてきたんだ.世界の主要都市に核攻撃が始まろうとしてる.人工知能搭載型の爆撃機が軌道を外れて,勝手に領空侵犯してるんだ.エンノイアが操ってるんだよ! そいつはマジで,世界の人口を五パーセント以下に減らす気だ!」


 シノノメは目を白黒させた.突然降ってわいた話について行けない.


「何ですって!?」

「お前を現実世界に戻すなんて嘘だ.ああ,確かに現実世界に戻すつもりだろうよ.新しい超人工知能,由旬システムの人格としてな.人口が激減した世界の管理人として,電子人格として現実世界に戻すつもりなんだよ」

「本当に!?」


 エンノイアは答えず,ただ口元に笑みを作る.重瞳の眼が笑っていない.


「どうしよう?」

「どうしようじゃねえ.そんな奴,いつもみたいにぶっ飛ばしちまえ!」

「じゃあ,とりあえず,グリルオン!」


 いつものように右手の中指と薬指を折り曲げ,振った.

 発生した青い火柱が一瞬で光る鱗粉になって消える.


「あっ!」

「無駄です.私はこの世界の法則を支配しているのですから」


 エンノイアは深いため息をついた.


「物語が終わる時が来ました.シノノメ」


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