35-4 Show Yourself
ありがとう.
脳が真っ白に染まっていく.
何も考えられない.
唇を動かし,そう言う形の口を作った.
もういいよ.
が正しかったのか.
さようなら.
と言うべきだったのか.
口が音声を発しているのか――耳の奥がしびれたようで,それすら分からない.
アイテムボックスからポーションの瓶を取り出して床に置く.
腕を抑えて床に倒れるアイエルと,抱き起しているグリシャムが自分を見ている.
泣きそうな表情だ.
黒騎士を見据える.
真っ赤な目を輝かせてこちらを見ている.
両手を軽く上げ,右足前の戦闘姿勢――襲い掛かろうとする獣の姿勢をとっている.
「グルルルルル……」
口から低い唸り声が聞こえる.いや,声ではない.機械が作る不気味な音だ.
……かの者を排除せよ.
遥か高いところからそんな声がする.
体の中心に白い光の柱があって,それと繋がる様な気がする.
……分かっている.目の前にいる,“これ”は私の友達を傷つける“敵”.
「シノノメさんっ!」
「駄目だよ!」
悲鳴のような二人の声が聞こえる.けれど.
どこか遠いところから聞こえている気がする.
全てが映画の中の出来事――自分が体験していない事のように感じる.
左手がビリビリする.
体が青い光に包まれ,光が炎のように大気の中で揺らいでいる.
見渡す.
銀色の地平線と,藍色の空.
私はここまで来た.
そして――体から電気が迸り,床と大気と――すべてに神経が繋がっていく気がする.
「ウオオオオン!」
黒騎士が一歩踏み出す.
足元で床が軋みをあげた.
口から気合とも叫び声ともつかない,訳の分からない言葉が出た.
「えうあっ!」
歯を食いしばり,左足を踏みしめた.
「模様替!」
床が割れる.金属の四角いキューブが積み上がり,らせん状に盛り上がって巨大な柱になった.
黒騎士に叩きつける.
触れる傍から砂塵になる.
でも,構わない.
自分の体がどんどん高いところに運び上げられていく.
飛んでいるのではない.
立っている一メートル四方ほどの床が無尽蔵にせり上がり,折れ曲がって竜の首のように鎌首をもたげるのだ.
その頭――頂点に自分は乗っている.
何をどうすればどうなるのか――分かる.
第百階層の全てが手足のように感じる.
右手を床に掲げた.
次々に床がせり上がり,四角い柱が伸びていく.
柱はガクガクと折れ曲がり,次々と黒騎士に襲い掛かる.
五本の柱―――.
手を握る.
巨大な手が黒騎士を握りつぶす.
「グオオオ!」
黒騎士が吼える.
レーザーソードの光芒が閃く.
柱がズタズタになる.
黒騎士が飛ぶ.
自分の方に向かってくる.
「急速冷凍庫!」
空中にいるまま,黒騎士を包む空間が氷の塊になった.
真っ逆さまに落ちて行く.
広げた左手を握りしめる.
「トワレット!」
龍の一匹が口を大きく開けた.
ふざけたような造形だ.頭はトイレの便器,体は鍋や釜,アイロンや掃除機の寄せ集めだ.
便器の蓋――龍の顎を開き,ゴクリと黒騎士を飲み込む.
だが,内部から爆発した.
金属や陶器,プラスチックが吹き飛んで飛び散る.
「ハイカロリー・バーナー!」
黒騎士が地面にぶつかるや否や,炎が床から吹き上がった.
……壊せ.
……壊せ.
……殺せ.
……コロセ.
……存在を許すな.
頭の中でそんな声がする.
炸裂する空気の衝撃を受け,黒騎士は床の上で何度も転がった.
シノノメを見上げている.
全身に赤いラインが走った.
バカバカとあちこちの装甲が開く.
中から現れたのは小さな照明をずらりと並べたようなものだ.
カっと光った.
赤い光の線が黒騎士を中心に広がった.
全方向攻撃だ.
花火のようにあちこちで爆発が連鎖する.
熱線でシノノメが出した柱は溶かされ,折れ曲がった.
足元がぐらりと揺れる.
「まな板シールド!」
空中に一歩踏み出した.
出来ないことがある気がしない.
熱線の雨を受け止めながら,ほぼ垂直の柱を駆け下りていく.
その間に右手に力を籠める.
「いけぇ!」
今度は腕だ.
床と空間が溶け合い,雑貨が出現する.家電とコード,パイプに食材,プラスチックが入り混じって巨大な腕が出来た.
巨大な握り拳を黒騎士に叩きつける.
黒騎士が吹っ飛んだ.
……そうだ.
もっとだ.もっと一つになろう.
世界と意識が溶け合っていく.
色々な物が見える.
機械人に蹂躙されている幻想世界の村々.
炎で燃え盛る素明羅の首都.
空爆を受ける古城.
「あなたを倒せば……!」
黒騎士を倒せば.
自分はこの世界を救える.
そして.
……君の帰る世界も.
子供の時から見た悲しい光景が脳裏によみがえる.
暴動.
テロ.
破壊された故郷.
難民として戻って来た時の飛行機の中.
容姿のせいでいじめられたこと.
孤独.
孤立.
……君の世界も救うことが出来る.
闇の中でにっこりと笑う優美な口元が見える.
あれは――誰だろう.
分からない.頭の芯がしびれてうまく働かない.
両手を感情のままに振るう.
無数の掃除ロボットが床から湧き出した.
黒騎士に食らいつく.掃除ブラシは金属製だ.
装甲を削る摩擦で凄まじい火花が散る.
むしり取って握りつぶす黒騎士.
機械と幻想が入り混じった――悪夢のような風景.
不意に足が床を踏む感触が戻る.
駆け抜けた.
グリシャムとアイエルの声が聞こえた気がする.
「逃げて」とつぶやいたと思うのだが――分からない.
あっという間に声が後ろの方に過ぎ去っていく.
「シノノメさん! シノノメさん!」
「戻って来て! しっかりして! 自分を取り戻して!」
あれは――泣いている様な声だ.
声はどんどん意識の片隅に追いやられていく.
どこかに隠れていてくれればいいのに.
いなくなってくれれば,もっと全力で黒騎士と戦えるのに.
――全力を叩きつけて,全力で潰すんだ.
それはもう,自分の意志なのか世界の意志なのか.
自分でも顔の表情が消えていくのが分かる.
破壊人形――そう呼ばれたことがあったっけ.
黒騎士の脚がスライドして,水筒くらいの大きさの筒が飛んで来た.
音速より速い.
が,自分は首を傾げて避け――黒猫丸で切り裂く.
二つになったそれは,後ろにそのまま飛んで行って盛大に爆発した.
いつの間にか袴の膝から下が裂けている.
袖も無くなっているが,いつ破れたのか分からない.
火と爆炎と耳をつんざく爆音――その中で瞬きもせずに動き,敵に近づいて行くのだ.
頭の中がそれだけでいっぱいになる.
……もう,何も考えなくていい.
ただ――私は私自身――それに委ねれば.
シノノメは次第に距離を詰め,黒騎士と数メートルの所まで近づいていた.
その動きはほとんど肉眼で追うことが出来ない.
金属の平地のようだった第百階層は,今や入り乱れた迷宮のようになっている.
空間を占拠して戦う――自分の戦いやすいように環境を変える――シノノメの基本的な戦略の一つではある.
しかし,これは立体パズルをひっくり返して積み上げたような,完全な混沌の空間だ.
グリシャムとアイエルは壁にへばりつくようにして避難していた.
「どうしよう,シノノメさんに声が届かない! こんなのナイ」
「黒騎士が私を傷つけたから――.もう,シノノメさんのポーションで治ったのに」
アイエルはまだしびれが残る右手を擦った.
「こんな変な名前のポーション残して――うちのオジイが好きな泡盛にそっくり」
足元には黒い瓶が転がっている.一口飲むと痛みが消え,全部飲み干すと失った腕が再生した.ラベルには“サタン長老”と書かれている.
「――逸品,北谷長老.ふざけているんだか真面目なんだか――シノノメさんらしいって言えば,それらしい選択だけど――.いつかみたいに,完全に暴走しちゃってるわ」
「私たちが間違ってた.黒騎士には勝っても負けてもいけないんだよ.シノノメさんが第三の道を見つけないといけないって,セキシュウさんが言ってたのに」
「シノノメさんが黒騎士の正体に気付けばあるいは――」
「でも,それは記憶を取り戻さないと無理だよ.まして,黒騎士の方も我を失ってる」
「肝心の記憶は――鍵がかかっている」
「クルセイデルが残した最後の鍵は使えないの?」
「それは――条件がそろってナイの.まして,シノノメさんがあんな暴走した状態では」
「どうすればいいんだろう……」
「おい,俺を忘れるな!」
ミニヴァルナがひょっこりとアイエルの肩口から顔を出した.
「見ろ,サマエルはシノノメと黒騎士の戦いに夢中だ」
サマエルと,檻に閉じ込められたソフィアがいる場所だけは半球状に守られていた.そこだけプレーヤーの不干渉地帯とでもいう様な設定になっているのかもしれない.
ヴァルナの言う通り,サマエルは拳を握りしめて二人の戦いを見守っている.
固唾を呑んで,というのがぴったりだ.
「シノノメさんが黒騎士とここまで対等に戦うなんて,思っても見なかったのね」
「向こうは無敵の機動歩兵,こっちはただの人間の主婦だからな」
「ソフィアが与えた“拒絶の指輪”も想定してなかったんだ」
アイエルは壁沿いにそっと移動した.グリシャムも続く.
「サマエルにもう少し近づいてくれ」
「どのくらい?」
「五メートル――いや,十五メートルで良い」
直線距離にして百メートルほどだ.
だが,その間には入り乱れた障害物が転がっている.
しかも,嵐の様な戦いを繰り広げているシノノメ達を避けていかねばならない.
小さな体になってしまったヴァルナは目立たないが,とても自力で移動できる道ではなかった.
「あっちの――分かるか? 電気コンロと掃除機と冷蔵庫が組み上がっている,あそこに行ってくれ」
「了解.でも,例のプログラム――“ミスティルティン”を使うとどうなるのかしら」
「分からん部分はある」
「ええっ?」
「だが,神になりたい人工知能など,絶対に消さなきゃならん」
「そうだけど……」
「そうすればシノノメの最後の戦いも必要無くなるだろうよ――もとはと言えば,ソフィアとサマエルの身勝手な賭けのせいであいつらは戦わされてるんだぜ.こんなの許せるかよ」
「ぷっ」
「何だよ?」
「そんな可愛い格好で,真面目な顔しているからおかしくって」
「言ってろ――いや,シノノメ風に言えば,失礼な! ってか」
アイエルは所狭しと積み上がった雑貨の間をすり抜け,ワゴンの骨組みを登って言われた場所についた.
サマエルとソフィアの背中が見える.
仁王立ちのサマエルとは対照的に,ソフィアは檻の中に座り込んでいる.
震えるサマエルの声が聞こえた.
「どうしてだ,何故黒騎士が勝てない? 機械大陸最強の戦士だぞ.――ソフィア,あのシノノメの力――手を貸したな!」
「……それは」
ヴァルナは頷くと,アイエルの肩から飛び上がった.
「アイエル,ありがとよ」
シノノメと黒騎士の戦いのせいで,爆風が吹き荒れている.
風使いヴァルナは巧みに風を捉えた.
倒れた大型冷蔵庫を,衣装箪笥を,キッチンカウンターを躱しながら飛ぶ.
サマエルは荒々しい足取りで近づくと,金色の檻に手をかけた.
「ソフィア! 一体何を企んでいる!?」
揺れる髪の一房にヴァルナは手を伸ばし――握る.
サマエルは振り返った.
後頭部に人形のような物が取り付いている.
「何だっ!?」
「遅えよ.サマエル.喰らいやがれ!」
ヴァルナの身体が発光した.
「ぐわあああああああ!」
サマエルは身をよじって絶叫した.




