35-3 I See The Light
「駄目だ、シノノメ。三人とも。彼と戦っても、何の解決にもならない」
塚原は右手を握りしめて体を無理やりベッドから起こした。
視線の先には大型スクリーンがあり、黒騎士とシノノメが映し出されている。
マグナ・ヴィジョン。
マグナ・スフィアの映像配信プログラムだ。
「会長、おやめください。無理です」
堀田が慌てて体を支える。塚原は体幹を支えることが出来ない。最後の戦いの時にシェヘラザードに体を両断された後、現実世界に戻ってみれば下半身の感覚がほとんど無くなってしまっていた。
応急的に精神神経医療センターの病室に寝かされている。
「くそっ。もどかしい。ヴァルナは何をしている」
「風谷には伝えています。もうすでに“ヤドリギ――ミスティルテイン”は渡してあります」
「発動条件は?」
「サマエルとの直接接触です」
ミニヴァルナは黒騎士にしがみつくのが精いっぱいで、ブンブンと振り回されている。
「黒騎士が勝てばこの世界は暗黒だ。しかし、シノノメが勝ったとしても何の解決にもならん」
「ソフィアは歪な形――敢えて曲解した形でシノノメさんの願いを叶えるのでしたね。現実世界に唯さんを戻すという黒江君との約束を守る。ただ、それは」
唯の意識を現実世界に戻すのだ。サマエルに代わる現実世界の管理者として。
「クルセイデルの推測ではあるが、私も次第に理解できるようになったよ。病んだ人工知能――ソフィアは苦悶の果てに、自殺したいのだ。マグナ・スフィアの管理人として現実世界から意識を閉ざす気だ」
「夢見がちな一人の女性に世界を託して――ですか。だが、確かに、本当に平和な世界を実現できるかもしれませんね」
「そうとは思えない。人が人である限りな。」
「人の業ですか――闘争の本能――それすらも抑制できればあるいは」
「全人類を管理するのか? 薬物でか? ナノマシンでか? そうだな。世界の女神ともなればそれも可能かもしれん。しかし、それは」
堀田は頷いた。
「そんなもので実現された平和は所詮ディストピアです」
「今のシノノメは確かに科学技術と人間のハイブリッド――論理思考の積み重ねである人工知能を越える水平思考の持ち主なのだろう。だが――非常に非論理的だが――私はあってはならないと思う。それで例え恒久的な世界平和が実現したとしても――シノノメと黒江君――二人の想いを犠牲にして実現するなど」
「尊い犠牲――と呼ぶ人はいるかもしれません。例えば、シェヘラザードなどは」
「違うな。人間としての本能か――魂が――それを拒むのだ」
「ええ、同感です。そんな結末は、面白くもない。シノノメの下に集まった全員がそれを拒むでしょう。しかし会長……黒騎士もシノノメも勝っても負けてもならないとなれば……この戦いの決着はどうやって?」
塚原は力尽きたのか、息を吐きながら体をベッドに沈めた。
「わからん。ただ――シノノメを信じるしかないと水無月君は言っていた」
「全てはシノノメの手に――ですか」
「ああ。我々が考える以上の奇跡を待つしかない」
「まさに奇跡――一抹の光は見いだせるのでしょうか」
「……」
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「黒騎士さん!」
「シノノメさん,下がって! 黒森!」
グリシャムが杖を力強く振った.
金属の床を突き破り,黒々とした針葉樹が森を作る.
「とにかく,こんな何もない空間なんてナイわ!」
百階層はどこまでも続く金属の平原だ.身を隠す場所を作らなければ,この圧倒的な武力は埋められない.
黒騎士は陸上を動く戦艦なみの兵装を持っている.
「あの攻撃力,あり得ない.今のうちに下がりましょう!」
グリシャムの防壁魔方陣は,先ほど榴弾の一撃で粉々になった.シノノメの“鍋蓋シールド”も二つに割れてしまった.
「木の間から赤い光が見える……」
「こっちを見てるよ!」
「黒騎士の単眼かな……近づいて来る!」
木が不気味に揺れるのが見えたかと思うと,強烈な閃光が出現した.
「うわっ!」
「まぶしい!」
一瞬にして森が炎の海になった.
火焔など物ともせず,火の粉を浴びながら黒騎士が進んで来る.
「く,来るよ!」
「任せてっ!」
アイエルが黒騎士の顔――目めがけて狙撃した.
カメラアイの部分は不撓鋼ではない.
若干嫌がるそぶりを見せた黒騎士だが,体を軽く揺すると肩の先端が開いて宙に何かが飛び出した.
「やばいぞっ! シノノメ,魔方陣だっ!」
パチパチと木がはぜる音がする中,ヴァルナがメッセンジャーを駆使して怒鳴った.
「まな板シールド!」
ぎゅん,と湾曲した板状の防御魔法陣が出現する.
黒騎士が射出した物体が爆発するのとほぼ同時だ.
「きゃあっ!」
爆弾からさらに小型爆弾がばらまかれた.
床や壁にぶつかってさらに多重爆発を起こす.
国際的に使用が禁止されている,クラスター爆弾だ.
金属の床がえぐれ,凄まじい爆風が襲う.
まな板シールドを押し出す手にびりびりと振動が走る.
飛び道具――飛行兵器の類はほとんど食材に変化させることが出来る.“物質変換”の能力だ.
だが,想像がとても追い付かない.
黒騎士が走り始めた.
走るというよりも,下腿のスラスターが展開してホバリングしている.
「来たぁ!」
「もう一度! えいっ! 宙で弾けろっ!」
グリシャムが杖を振ると,傘を開いたような形の巨木が宙に出現した.
バキバキと音を立てて黒騎士の上に落ちる.
「この木,何の木?」
「モンキーポッド! ハワイとかに生えてる,ネムの木の一種よ!」
グリシャムの息が荒い.立て続けに魔法を使いすぎている.
二十メートルを超える巨木がブルブルと震えた.
「ええっ!」
一瞬で燃え上がりながらバラバラになった。
「グオオオオオオオオオオン!」
ズシンズシンと響く足音が近づいて来る.
両手に持った赤い光剣を振りながら黒騎士はまっすぐに突き進んできた.
高熱のレーザーソードは一瞬で木を細切れの木炭に変えたのだ.
「全然効いてナイ! こんなのアリ?」
「こうなったら!」
アイエルは白い銃の狙いを定めて,集中砲火を見舞った.
長い銃身は彼女の身長と同じ,百六十センチほどもある.
素明羅の宝剣,ナナツサヤノタチを作り直したもので,マグナ・スフィア最強金属の一つヒヒイロカネ製である.
撃ち出す固形弾はミスリルとオリハルコンのフルメタルジャケットだ.
幻想世界ならば竜をも一撃で倒す威力に仕上げてある.
狙いはカメラアイ,そしてスラスター内部など機械が露出している部分だ.
「火炎弾に,雷撃弾! 効かなくったって,ありったけの魔法弾と実体弾を撃ち込んでみる!」
黒騎士は前腕を立てて顔面を守ると,再び吼えた.
装甲には傷一つつかない.
「ははは,核攻撃でも傷つかない装甲だぞ.お前たちに何ができる! シノノメ,手も足も出ないのか?」
サマエルが高い声で挑発する.
シノノメの魔法の射程距離は短い.しかし,有効であったとしても,おそらくすべての魔法が黒騎士にとって無効だろう.
「戦うとすれば超至近距離しか……ナイ」
「でも,あの超火力! 懐に潜り込むなんて,とても!」
「こっちの攻撃が通用しないからね……唯一有効なのは……」
分かっている.
黒猫丸こそが黒騎士にとどめを刺せる唯一の切り札だ.
ナイフ一本でこの圧倒的な武力に勝つには,よほどの勝機を見つけなければならない.
以前黒騎士は自分に胸の装甲を開いて“コア”を見せてくれた.
不細工な縫いぐるみの様な人形が入っていて,それを刺されると自分は死ぬのだと,教えてくれた.
コアを刺し貫く――黒騎士を殺すということだ.
やはり嫌な気持ちが抑えられない.
まるで自分が殺されることを望んでいる様な.
……シノノメ.
……シノノメ.
耳元で囁く声がする.
天高くから届くような声だ.
サマエルの物とも,ソフィアの物とも違う声音を帯びている.
……どうして力を使わない?
……この階層を自在に作り変えればいい.
……お前にはそれが出来るだろう?
体の奥の方――芯に大きな力がうねるのが分かる.
この力を解き放てば.
黒騎士に最大限の力をぶつければ――.
「でも……それをしたら,私は……何かに飲み込まれてしまう……!」
……そんな逡巡を許す余裕があるのか?
「止まれ! 止まれったら,止まれ!」
アイエルが叫んでいる.ほとんど悲鳴だ.
無限に放たれる弾幕など物ともせず,真っ赤な瞳の一丸の悪魔――黒騎士が迫る.
「こ,これならどうだっ!」
グリシャムは遮二無二杖を振った.
切り倒された樹木からさらに曲がりくねった木が生え,黒騎士に絡みつく.
さらに,一瞬にして体中が白いケバだったものに覆われた.
若干動きが鈍くなる.
「やった! あの白いのは何?」
「金属腐食性の真菌――カビだけど.あっ!」
動きが止まったのはほんの束の間だった.
黒騎士の周辺の空気がゆらりと歪み始めた.
黒い不撓鋼が白みを帯びる.
「まずい! 熱だわっ! 体温が自分で調節できるんだ!」
体を覆っていたカビがチリチリと音を立て,黒い消し炭になって落ちて行く.
「う,うわ……」
黒騎士が一歩踏み出した.
体から煙を吹き出しながら両腕を伸ばす.
その姿はやはり悪鬼――黒色の怪物である.
図らずしも――接近戦の間合いだ.
シノノメは自然体のまま前に出た.
単眼が血に染まったように赤い.
……それでも自分は信じたい.
声を振り絞って叫んだ.
「お願い,黒騎士さん! 目を覚まして!」
黒騎士の腕が伸びる.
抱擁するように――いや,違う.
一瞬翻ると,うなりを上げて黒い鈎爪を振って来た.
巨大な熊にも似た,頭を一撃でそぎ落とす動きだ.
「黒騎士さん!」
「シノノメさん! 危ない!」
「徳嶺ぬ棍!」
アイエルが飛び出し,銃身で黒騎士の腕を払う.
くるくると肩口で目まぐるしく回転させる.
沖縄古武道の棒術の動きだ.
絡めとって反転させ,そのまま返した手元で顔面に銃弾を撃ち込む.
「えい! やぁっ!」
だが,払われた腕をわずかに返し,黒騎士は長銃を握った.
ブウン,というすさまじい音がしたかと思うと,幻想合金の銃が一瞬で砂塵になった.
ハッとしてシノノメが叫ぶ.
「アイエルちゃん,鉄砲を放して!」
わずかに間に合わない.
「ぎゃあああああっ!」
アイエルの右手から肘までが粉々に砕けた.
床に逃れていたヴァルナが叫ぶ.
「超震動だっ!」
決して壊れることのない装甲――黒騎士は体を極低周波で振動させているのだ.
見れば床もわずかにへこんでいる.
「痛っ……痛い!」
「アイエル,しっかりして!」
シノノメの中で何かが弾けた.
「ハイパー・グリル・オン!」
青い火柱が天まで立ち昇る.
炎が透明な天蓋を焼き,黒騎士を超超高熱が包む.
頭の芯が熱い.
……そうだ,それでいい.
天上の声が自分を肯定する.
私の友達を傷つける――この敵を倒さなければならない.
シノノメの頭の中は真っ白な光に塗りつぶされた.