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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第34章 A Whole New World
320/334

34-10 Too Much Love Will Kill You

「お前は……」


 唇を噛み締め,剣を握っているのはアイエルだった.

 シノノメ達とは完全な別行動――単独行動をとっていた.

 体のあちこちに汚れと傷が見て取れる.

 泥の中を泳いで壁を伝い,雷の降る中気配を消してシェヘラザードの背後に回り込んだのだ.

 血の混じった咳をしながら,ユグレヒトが微笑した.


「俺たちの三の手,奥の手だ」


 パーティー戦闘の中,最後の瞬間の懐刀ふところがたなになる.

 カカルドゥアで果たした役割と同じだ.

 魔法と体術が使える――ある意味,シノノメに最も似た能力スキルを持ち,最も隠密行動に慣れている――これが出来るのはアイエルしかいなかった.

 シノノメ自身すら陽動.

 ただ,シェヘラザードに致命的な攻撃を行う隙を作るのはぎりぎりの勝負だった.

 シェヘラザードがうめく.


「全く気付かなかった……」

「これはみんなの力……にゃん丸さんに習った侵入のスキルを使って接近して,透明になれる布を被ってたんだよ」

「この剣は……私を傷つけるなんて……」

「マギカ・エクスマキナのケツアルコアトルの剣.移住者のリュージから預かった」


 通常のプレーヤーなら脳活動を完全に停止させてしまう魔剣である.

 柄から手を離すと,シェヘラザードはその場に崩れ落ちた.

 アイエルは後ろに下がってシェヘラザードから距離をとった.

 体が小刻みに震えている.極限まで緊張していたのだ.


「もとはと言えば,あなたが幻想大陸ユーラネシアを混乱させるためにばらまいた剣でしょう?」


 シェヘラザードの傷口からは血も何も出ていなかった.

 がっくりとうなだれて地面に座り込み,背中を揺らしてあえいでいる.

 アイエルはさらに二歩,三歩と後ろに下がった.

 シェヘラザードの姿は徐々に人間のものに戻り始めている.

 黒い羽毛のドレスに身を包んだ魔姫――とでも言うような姿だ.


「あなたは……」


 シノノメはゆっくり近づきながらシェヘラザードに声をかけた.


「……だがそれでも,私は自分の考えが間違っているとは思わない」

「現実世界を捨てて,人間をマグナ・スフィアに移住させるってこと?」

「それ以外に現実世界を救う方法があるというの? お前がそれを知っているというの?」

「……」


 少しだけ考えて答えた.


「ただ私は――みんなが優しく,ほんとうに幸せに過ごせるようになればいいと思ってる――それを願ってる」

「子供じみた……願いね」


 突然体が大きく揺れた.

 腹に響く震動が第九十八階層の床を猛烈に揺らしている.


「地震?」

「そんな馬鹿な,ここは欲望の塔だぞ!?」

「あれ! あれ見て!」


 九十八階層のほぼ中央に赤い光の柱が立っている.


「何だ?」


 光の柱は地面を貫き,天井へと伸びていた.

 しばし明滅した後,今度は砲声に似た音がガンガンと響く.

 地面から花火だ.次から次に光球が上がっていく.

 シェヘラザードが呟いた.


「高エネルギー反応……何者かが九十七階層の屋根を貫いてここに侵入しようとしている」


 ユグレヒトとフレイドが顔を見合わせた.

 グリシャムとアイエルが目顔で頷く.


「急ぎましょう,シノノメさん」

「う,うん」


 シノノメは光の柱よりもシェヘラザードが気にかかっていた.

 彼女が深い絶望の中でこの世界の事を真剣に考えて行動を起こしていたことはよく分かる.

 その方法は自分にはとても受け入れられないにしても.


 ――ほんとうのしあわせって,何だろう.


「ふん.そういうこと……全てはソフィアの手の内――」


 シェヘラザードの身体が赤く発光した.

 アイエルが飛び退った.


「な,何!?」

「ふん,上に行くつもりなら急ぎなさい」


 地面が割れる.

 地割れが走り,マグマのように赤く光る構造物が剥き出しになった.


「私はこの階層の守護者――侵入するプレーヤーは何人たりとも阻止する――ここの床を落としてでも」

「ええっ!」

「それがこのゲームでの私の役割でしょう」


 床がガタガタになって沈み始めた.

 シェヘラザードは剣に貫かれたまま小さな笑みを浮かべている.


「急ごう!」


 ゲートの入り口に向かって走り始めた.

 ここに着いた当初,東京タワーやエッフェル塔,スカイツリーなどを混ぜ合わせたような建物だったが,今は西洋風の城郭に変化している.

 まさに遊園地の退場ゲートだ.

 そこまで行くまでの石畳が波打ち,せり上がり,落ち込んでいる.

 近い場所にいたアイエルが一足早くたどり着いた.

 ゲートの扉を開けると,ぽっかりと黒い穴が開いた.


「螺旋階段がある! みんな急いで!」

「ダークエルフの俊足の真似なんてできるわけナイでしょ!」

「グリシャムもエルフなんだから,しっかりして! 運動不足だよ!」


 地面の震動は一層酷くなった.

 転んだグリシャムを助け起こす.

 フレイドとユグレヒトも大きなダメージを受けている.特にフレイドはまだ足を引きずっていた.二人とも必死だ.


「あっ!」


 目の前の床が崩れ落ちた.

 下は断崖絶壁――数百メートルの高さがある九十七階層の床である.

 幅は――二十メートル以上ある.

 周囲はどんどん崩れていく.シェヘラザードの倒れている場所の近くだけが浮島の様に残っている.鉄骨で出来た格子だけが間を繋いでいた.


「回り込もう!」

「梁の上を渡れば!」

「そんな時間ナイ! 万能樹の杖よ! 蔓橋かずらばし!」


 グリシャムが魔法の杖を振ると,ツタで出来た橋がゲートめがけて伸びた.

 ツタの一端を慌ててアイエルが手ごろな柱に結び付ける.


「全員使える飛行アイテムはナイからっ! 渡りましょう!」


 シノノメは橋の上に飛び移った.


「うわっ! 高いよ! 怖い!」

「シノノメさん,前を見て! 下を見ないで歩いて!」

「ああっ!」


 大きく床が裂けた.ガマガエルの地肌のように震えている.

 橋の先端が千切れて傾いた.

 アイエルの足元も崩れ始めた.ゲートの中に追い立てるように端から壊れていく.


「ツタが切れた! こっちもどんどん崩れてくるよ!」

「うわっ!」

「橋が届かないよ!」


 ツタは触手のように相手を探して蠢いている.だが,到底アイエルのいるところまでは届かない.揺れる足場から跳んで行ける距離ではない.


「任せろ!」


 ユグレヒトの声が裏返っている.だが誰も笑うものはいなかった.

 陰陽師の和服の襟元は胸のあたりまで血まみれだ.


 小さな人型の紙片が群れを成して飛び,橋につながった.


「この上を行って下さい!」


 高いところはグリシャムの方が強い.杖を背中に背負い,シノノメの手を握って式神で出来た橋の上を進んだ.

 空気の上に急ごしらえした思念の橋だ.足元が柔らかく不安定で心もとない.

 対岸のアイエルが手を伸ばした.


「さあっ!」


 グリシャムの手がアイエルに届いた.


「シノノメさんも!」


 シノノメがグリシャムの手を取った瞬間,橋が大きく揺れた.


「うわあああ!」

「向こう岸が崩れた!」

「! 任せろ!」


 フレイドが橋を駆け戻り,ツタを鉄骨に結び付けた.だがそれでは足りない.ツタを右手首に絡みつけ,鉄骨を左手でつかんで引っ張り上げた.右手首がこすれて血が出る.左の掌は鋼材の縁で切れた.


「早く,渡れっ!」

「シノノメさん,私の手も握って!」


 グリシャムとアイエルがシノノメを引っ張り上げた瞬間,式神の橋はバラバラになって散った.


「ユグレヒト!」

「俺の力はここまでだ」

「一緒に行こうよ!」

「もう無理です,シノノメさん」


 グリシャムがかけた蔓橋かずらばしはゆっくりとしおれ始めていた.

 ユグレヒトは来た道を戻り始めた.


「ここは本当の土の地面じゃない.グリシャムの魔法の続く時間も短い」

「そんな!」

「二人とも損耗が激しい.最後のバックアップは――悪いが,グリシャムとアイエルに頼んだ」


 ユグレヒトの隣によろめくフレイドが並ぶ.二人とも苦しそうだが笑っていた.


「早く行けよ,アイエルもグリシャムも.碧剣歯虎団ブルーセイバーキャッツの,団長命令だぞ.必ずシノノメさんを頂上に連れていけ」

「了解!」

「分かってる!」

「二人とも,ありがとう――私,頑張るね」

「ええ――」

「きっと,現実世界で会おうね」

「……」


 ユグレヒトは右手を軽く上げて応えた.

 シノノメはぺこりと頭を下げると,暗いゲートの中に飛び込んだ.

 それを見届けてからユグレヒトは辺りを見回した.

 高層ビルの工事現場の上に登ってしまったような光景だ.

 武骨な鉄骨だけが格子を作り,わずかな構造材がその上に置き去りになったかのようにへばりついている.

 フレイドがため息をつきながら床材の一部に腰かけた.

 グリシャムが出したツタはすっかり枯れて,九十七階層に落ちて行く.


「さて,三人とも行っちまったか」

「ここが崩れるのも時間の問題――ログアウトを急ぐか?」

「いや,もう少し回復してからにしよう.どんな脳障害が残るか分からん」

「そういや,シノノメさんからもらったバジリスク酒が残ってる.飲んだら頭がガンガンするから,とても戦闘中に飲めるもんじゃなかったけどな」

「マグナ・スフィア――もしかしたら最後の酒盛りか」


 フレイドがふと顔を上げて指さした.


「あれは……?」


 シェヘラザードの倒れている場所がぼんやりと光っている.


「行ってみよう」


 鉄格子の上をそろりそろりと伝い,二人は移動した.

 ケツアルコアトルの魔剣で刺されてなお,彼女はゆっくりと動いていた.

 背中から胸に貫通した剣を引き抜こうとしている.

 黒い羽毛で出来た服はそのままだったが,頭に生えた角が無くなり,踊り子だった時よりむしろ現実世界の姿に近く見える.

 近づいて来るユグレヒトたちを横目でちらりと見た.


「……ふふ,若者たちが私を倒す……セキシュウの予言通り,とでも言いに来たの?」

「いや,結局あんたを倒せなかった」

「この剣が抜ければもう一戦できるかもしれないわよ」

「遠慮しとくよ.俺たちの役割はもう終わった」

「それは……?」


 シェヘラザードは眉を顰めた.まだシノノメには九十九階層と百階層の戦いが待っている.

 その時.

 一際大きな振動が九十八階層の空気を揺るがした.


「おおっ」

「すごい……」


 下から何かが上がってくる.

 爆炎と炸裂する光をまといながら,黒煙とともに姿を現した.

 背中と足のスラスターから劫火を放ち,血まみれの黒い鬼に似たそれがやって来る.

 近くを通るだけで九十八階層の鉄骨が溶けて歪んだ.

 人間の形をした黒い戦艦.

 黒い鎧をまとったオーク.

 赤く輝く単眼が周囲を見据え,敵を探している.


「あれは……? あの時の」


 涼香シェヘラザードは思い出した.

 カカルドゥアでシノノメを守っていた謎の機械人だ.

 確か黒騎士と呼ばれていたか.

 口もきけずろくに武器も使えないのに,両手だけで“虚無輪デリート”を受け止め,引きちぎっていた.

 ユグレヒトとフレイドは黙って黒騎士を眺めながら,シノノメが残したポーションを回し飲みしている.

 お世辞にも美味いと言えないのか,二人とも顔をしかめていた.


「あれはいったい何なの?」

「欲望の塔の最後の敵さ」

「……レベル百.カウントストップのステイタスはそういう意味か」

「シノノメさんと戦うために,もう一度百階層を目指している」

「あの化け物みたいな戦闘力と……シノノメは戦うというの? それにしてももう一度,とは? この短時間に突破してくるなんて?」


 ユグレヒトが目を細めてつぶやいた.


「ただ……もう一度彼女に会うために.ただそれだけのために」

「何ですって……?」


 ユグレヒトが寂しそうに,悔しそうに,あるいは羨ましそうに苦笑する.

 フレイドが肩をポンと叩いた.


「いや,喋りすぎた.俺たちはログアウトするよ」


 二人が消え,シェヘラザードは一人残された.

 黒騎士は鉄の骨組みの上に立って辺りを見回している.

 やがて敵対する者が無い事を確認すると,再び天井に向かって飛んだ.


「ウオオオオオオオオオン」


 動物の様な,機械の様な――ただ哀切な声で吼える.

 天井に向かって集中砲火を始めた.

 ゲートをまともに通って行くという発想はない様だ.

 ただただ早く.

 ただ真っすぐ.

 人はどんな感情を持てば,あれほどまっすぐになれるというのか.


「……愛」


 ああ,そうか.

 彼はシノノメを愛しているのだ.

 あれほどに人を突き動かし,盲目的にさせる物.

 それが愛以外にあろうか.


 シェヘラザードーー涼香すずかは頷いた.

 爆音と振動のせいで,徐々に床が崩れていく.

 自分もやがて下に落下していくだろう.

 電子情報――マグナ・スフィアの住人となった自分が死ねば,どうなるのか.

 死そのものがあるのか.

 分からない.


 落下が始まった.どこかの骨組みが黒騎士によって破壊されたらしい.金属の軋む音が聞こえてくる.

 涼香は目をつぶった.


 ああ.

 そうか.

 こと切れる直前の母の言葉を思い出した.


「すずちゃんをまもらなきゃ」だ.


 娘のために法を破った法学者の父.

 どこまでも優しかった母.


 ……私は二人に愛されていたのね.


 一際大きな振動が体を揺らす.

 真の暗闇に包まれる前,涼香は右手の中に柔らかいものを握っているのを感じた.

 小さなクマのぬいぐるみだった.


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