6-4 祝宴と策謀
「にゃん丸さん,どうだった?」
シノノメとアイエル,にゃん丸はソファに移動した.
「うん,収穫ありだな」
にゃん丸が頷く.
忍者であるにゃん丸は,素明羅の公使たちがアスガルド行きのゲートをくぐる直前から姿を消して同行していたのだ.もちろんこれは素明羅側の全員が知っていることだ.
シノノメに借りた透明肩掛けと忍びの術を駆使して,馬車で移動するときは屋根の上に隠れていた.
シノノメ達が宮殿に入ってからは別動隊として行動し,宮殿内深く探索していたのである.
「ここの窓の端に見えるだろ? あの北の塔の三階にユグレヒトは幽閉されてるよ」
窓で見切れているが,左端に煉瓦造りの高い尖塔が見える.洗練された宮殿とは違い,古びていてむしろ堅牢という印象がぴったりだ.
「あれは何?」
「囚人を入れておく牢屋みたいだった.他にもたくさん人がいたよ」
「中に入ったの? ユグレヒトさんには会えた?」
「うん,魔法の扉じゃなかったから,鍵穴をチョコチョコっと開けてね」
にゃん丸は警備が比較的手薄な裏側の窓から侵入した.
手薄と言っても定期的に兵士が塔の周囲を回って見張っている.兵士の回る時間を計算し,鎧戸の鍵を開けて入るのは彼のジョブ‘忍者’とサブジョブ‘泥棒’の合わせ技のなせるところである.
一階から手早く収監されている囚人たちをチェックし,足音を潜めて階段を駆け上がる.
猫の肉球,壁隠れの術,透明肩掛け,とスキル・アイテムの連携で切り抜け,三階に駆け上がった.
三階は牢が一つきりで,広い石造りの部屋にユグレヒトは一人で収容されていた.
冷たい床の上に汚れたわずかな敷き藁があり,その上に身を横たえていた.
いや,倒れていた,と言った方が正しい状態だった.
にゃん丸は直接会ったことがなかったので,アイエルにメッセンジャーで送ってもらった写真をもとに本人を確認した.
「さすがだね! 本人とは話した?」
「うん,話して来たよ」
「おお! にゃん丸さんすごい!」
アイエルが褒めると,にゃん丸は少し照れた.
動物の檻のような鉄格子ごしに,にゃん丸は声をかけた.
自分の身分を明かし,シノノメの名前とユグレヒトを開放したいという意図を伝えると,ユグレヒトはわずかに笑った.
しかし,すでに自分の体を起こすこともできないほど憔悴しきっていた.
カサカサの唇を開いて,かろうじて言っていたのは,
……自分は謂れのない罪で投獄されている.
……退却を判断したのは自分だが,作戦行動そのものは間違いなく国王の指示だ.
「だよね! 私は短期間ユグレヒトとパーティーを組んでたけど,どっちかと言うと作戦とか軍略大好き人間で,こういう裏切りとかする奴じゃないもの! 大体,今回みたいな目的がよく分からない軍事作戦なんて毛嫌いする人間だよ!」
アイエルの言葉に,シノノメもうなずいた.直接会った印象からしても,ユグレヒトには知性を感じる.冷静かつ真面目なゲームプレーヤーだ.
「ただ……実は,三日間ずっと石牢の中に放りこまれたままだそうなんだ」
にゃん丸は眉を顰めながら言った.言っている本人も不可解なのだ.
「三日? ログアウトは? 参加時間制限の設定を伸ばしていたとしても,上限は成人で八時間まで,それ以上は生命の危険性があると強制ログアウトしちゃうでしょ? 少なくとも、休眠にはならないの? 体調が悪くなったらゲームが止まるはずだし……」
アイエルは驚いた.VRMMOゲームの常識を超えている.こんなことがある筈がない.
現実世界の体は一体どうなっているのだろう.
「ログアウトできないの?」
シノノメも目を瞬かせて訊いた.
「実は,俺も試してみたんだ」
ログアウトして,逃亡すればいい.
しばらくゲームに参加しないで,様子を見る.その後,アイテムやポイント,今までのゲームで蓄積したものが無くなるとしてもアカウントを抹消して再度参加してもいい.あるいは,今回の異常事態を運営会社に報告して復帰させてもらう方法もとれるかもしれない.
「結論から言うと,あの牢の近くに行くとメニューバーからログアウトの項目が消える」
「え?」
「半透明になって,ノン・アクティブになる」
「スキルやアイテムは?」
「石牢の中に関しては全く使えないそうだよ.だけど,あれだけ丈夫な牢屋を破壊するのは並大抵じゃないな」
「連れ出すことはできなかった?」
「できないとは言わないけど,一人じゃ無理だ.連れて出るためには,各階の警備,それから宮殿の敷地の警備を突破しなくちゃならない.しかも素明羅が関与した証拠は残せないし.ノルトは軍事国家とは聞いていたけど,あの軍人と騎士の多さは何だ?」
「戦士だらけで,生産職とかいるのか分からないよね」
「サスケとサイゾーにはもう連絡を取った.パーティーのどさくさに紛れて馬車を回してもらうけど,そこまでばれずに連れていくのが問題だよ」
サスケもサイゾーもにゃん丸の仲間で,素明羅の忍者である.
「なるほど」
しばらく黙って聞いていたシノノメは窓の傍まで歩いて行って,ユグレヒトが監禁されているという尖塔を眺めた.
「ユグレヒトが気になることを言っていたよ.多分,ノルトランドの上層部はシステムに介入してるって」
「やっぱりか!」
にゃん丸の言葉に興奮したアイエルは,思わず大きな声を出してしまい,あわてて口を抑えた.
「ユグレヒトの現実世界での仕事は,確かSEか何かIT関係だもの.何か分かったんだ,きっと! 運営の人を抱き込んだとか,お金で買収したりしてるのかな?」
「そこまでは分からないけど,確かにログアウトできれば確かめる方法はあるみたいなことを言っていた」
「じゃあ,何とかして脱出させなきゃ.プランB決行だね」
初めから何をすべきか決まっている.アイエルとにゃん丸はうなずき合った.しかし,アイエルと視線が合うと赤くなってしまうにゃん丸である.
「それも気になるけど……どうしてこんなにおかしなことになっているんだろう.こんなに綺麗な国なのに」
窓の外には冠雪した北方山脈の美しい山々が広がっている.
シノノメは誰にと言うこともなく呟いた.
* * * *
「歓迎の祝宴のお時間です.お迎えに上がりました.シノノメ様,アイエル様」
午後六時.
シノノメとアイエルの部屋のドアがノックされた.
にゃん丸は一時間ほど前に再び偵察と他のメンバーへの連絡のため姿を消していたが,話し込んでいた二人はまだ準備が済んでいなかった.
「ちょ,ちょっと待ってください!」
アイエルの髪をセットしていたシノノメは慌ててドアを細く開けた.
ドアの向こうには,黒いメイド服の少女が立っている.白いエプロンドレスに,頭には白いカチューシャ――白いレース付きの布がついいるので,ホワイトブリムというらしいが――をつけていて,黒髪をポニーテールにしている.宮殿付きの召使いの少女だ.
「何かお手伝いしましょうか?」
「えーと,ちょっとだけ,じゃあ! こっちのコサージュをつけて!」
メイドの少女はテキパキと準備を手伝ってくれた.
だが,不自然なほど無口でほとんど喋らなかった.おそらく彼女の上司にそのように言いつけられているに違いない.愛らしいエプロンドレス姿は暗い表情を逆に際立たせていた.
場所柄和服がそぐわないと判断したシノノメは, 紫色のマーメイドドレスに着替えていた.胸元はビスチェになっていて,すらりとした体の線と豊かな胸が強調されている.
腰の後ろにつけたかった薔薇のコサージュをメイドにピンで留めてもらった.
「ありがとう,メイドさん.名前はなんていうの?」
シノノメの言葉に,少女は一瞬手を止めた.
「……マリアです」
「ありがとう,マリア」
「そ……そんな,プレーヤーの方が私などに,もったいないお言葉です」
シノノメの礼の言葉に,マリアは激しく動揺していた.
この城でNPC達は一体どんな処遇を受けているのだろう.シノノメは思った.
「アイエル,準備できた?」
「はーい,何とか! あ,背中のホックもう一度見てください!」
アイエルは光沢のあるミルクティー色のカクテルドレス.シノノメチョイスである.
ノースリーブで,褐色の肌にはよく似合っていた.
「私が……」
「いいよ,私やるよ!」
かしこまって言うマリアの申し出を断り,シノノメは外れていたドレスのホックを止めた.
「もうちょっと襟元のリボン締めとくね」
「お願いします……へへ,照れるなあ」
二人は部屋を出る前に,もう一度姿見でチェックすることにした.
鏡の前に並んで立つ.叙勲式の時の姫状態ほどではないが,二人とも貴族の令嬢といった雰囲気になっている.
「うん! 上出来じゃない?」
「はは,なかなか決まってるかな……最近スカートも履いてないんだけど」
アイエルは頬を染めて鏡の中の自分とシノノメを見た.それにしても…….
「うわ,シノノメさんって,着やせするんですね」
「え? そんなに太ってるかなあ?」
「いやー,そういう意味じゃないよ.なんですか,その完璧なプロポーション? 着物で隠してたの?」
「あー,着物だと,確かに,体の凹凸を補正するからね」
アイエルが特にじろじろと胸元を見るので,シノノメは恥ずかしくなって手で隠した.
「シノノメさんのことだから,もしかして現実のデータそのまま入力してるんでしょう?」
VRMMOでは,なるべく自分の体格に近い体を選んだ方が動きやすくなる.この点,アイエルは少々誤魔化し(水増し)がある.
「ははは,そうかも?」
シノノメが照れて誤魔化した.
「えーい,このリアル充実しまくりめ!」
アイエルはシノノメの二の腕を突っついた.
「きゃー! やめてー」
ふざけあう二人を見て,どうしたら良いのか分からない,と言うようにマリアは小さな戸惑いの笑顔を浮かべた.
****
二人が案内された祝祭の間には,もうすでに多くの人が集まっていた.
ノルトランド王宮で祝祭行事が執り行われるメインホールは,圧倒されるほど豪華だった.
天井は国土の四季を現す風景とそれを祝福する女神を描いたものだが,すべて彫刻である.
四季折々の草花は花弁の一枚,葉脈一本に至るまでが繊細なタッチで掘りこまれ,見るものはその美しさに息をのむほどである.
床は寄木細工を組み合わせて作った世界地図である.半面が地球で,半面が天球儀を平面化した意匠になっていた.
さすがに警備の者を除いて甲冑姿はいない.
戦士たちは士官服に似た軍礼服で,貴婦人たちもドレスに身を包んでいた.ノルトランドの貴族,豪商たちも参加しているようだ.
「おい! メイド!」
燕尾服の男がツカツカと革靴の音を立てて近づいてきた.
「は! はい!」
マリアが泣きそうな顔で返事した.
「貴様,客人を連れてくるのにこれほど遅れてどういうことだ!」
宮殿のメイドを管理しているNPCの様だ.
「まあまあ,私たちがもたもたしていたからいけないの」
「ぬ! これは東の主婦殿か……」
「私に免じて許してあげて,ね?」
シノノメはどこからか,といってもアイテムボックス‘魔法のクローゼット’からなのだが,一万イコル札を取り出して男に握らせた.
「ぬう……」
「もちろん,何か言われたら私が悪いって言っていいから」
男は金を受け取ると,ぶつぶつ言いながら去って行った.
「マリア,ありがとう.もう行っていいからね」
マリアは何も言わず,何度も頭を下げて部屋の隅に下がっていった.部屋の隅には同じ格好をしたメイドたちが手を前に組んで控えている.
「あの男の人もNPCなんだ……同じNPCなのに……」
アイエルが呟いた.
「きっと,粗相をするとまたあの人もひどい目に合わされるんだよ.弱い者いじめをすると,弱い人はもっと弱い人を叩くんだよ.こういうの,私大嫌い」
シノノメは眉をひそめた.
会場の前方にはすでに素明羅公使一行が集まっていたので,二人はそちらに歩いて行った.
今回の場合は公式の晩餐会ではなく,立食形式のパーティーである.
シノノメが通ると人垣がさっと別れて道ができた.
「あれが東の主婦か?」
「どこかの姫ではないのか?」
「とても戦士には見えん」
「小娘ではないか」
「あんな小娘に我が軍は敗れたのか……?」
「しっ! 声が高い!」
ボソボソと周りの噂声が聞こえる.
通りながら,中央の大きなテーブルの料理をシノノメは横目でチェックした.
ビーフストロガノフ,ボルシチ,そば粉入りクレープ(ガレット),豚の血入り腸詰,スモークサーモン,イクラにキャビア,バイスブルストにピロシキ.
シノノメの好物が山盛りになっている.
キャビアは特に灰色がかっていて大粒だ.最高級の大チョウザメの卵,ベルーガに違いない.
チェックと言うよりほとんどスキャンである.
シノノメは足早にテーブルの傍を通過し,素明羅一行の隣に並んだ.
「こら,遅いぞ,シノノメ」
「レディの準備は時間がかかるものだよ,僕に免じて許してあげてくれないか,セキシュウ氏?」
「いや僕に」
セキシュウはアズサとアキトの言葉に苦笑した.
シノノメはセキシュウの注意にもあまり堪えた様子無く,口を膨らましてむくれている.
「むーむ,すごい高級食材使ってた!」
「おお,一瞬で分かるとは,さすが主婦!」
「アイエル,宮殿にはこんなにたくさん食べ物があるんだね.ボルシチに入れるビーツなんて,あの兎のおばあちゃんのお店にはなかったのに!」
好物を見て逆にシノノメは不機嫌になっていたのだった.
「搾取しまくっているんですね」
「静かに……主婦殿」
蔡恩に注意され,二人は黙った.
国王ベルトランが道化のヤオダバールトを連れて入場してきた.
手には赤ワインの入ったゴブレットを持っている.
国王が椅子に座ったことを確認し,執政官ガスティロがグラスを掲げ,叫んだ.
「国王陛下と,素明羅公使,そして東の主婦殿に乾杯! 国王陛下とノルトランドに千年の繁栄を!」
ガスティロの言葉に続いてノルトランド全国民が唱和すると,ゴブレットを掲げてベルトランが応えた.
それを合図に,弦楽器の四重奏が始まった.
本来は主賓である長須根や蔡恩,シノノメにノルトランドの重鎮が次々と挨拶をしてきてもいいところなのだが,どちらかと言うと彼らは遠巻きにしていた.
友好関係,貿易上の人間関係の構築を考えるならば,こういった社交の場はうってつけのはずである.もともと国交を温めようという意識が乏しいのか,あるいはノルトランド上層部の目を恐れているのだろうか.
「結局,我が国など取るに足らぬと思っておるのだろうな」
長須根が呟く.
「我らは東方の礼と文化を重んじ,和をもって尊しとする国.彼らの価値観とは違いすぎます」
蔡恩が頷いて言った.
「しかし,であればなおさらです.‘黄昏時’は捨て置けません.‘漱石’は読みましたね?」
セキシュウが言う.
当然‘黄昏時’とは‘夕暮人’,‘漱石’は‘にゃん丸’の符牒である.
ユグレヒトの状態については,にゃん丸から全員つぶさな報告を受けていた.
「うむ,しかしどのように?」
「黄昏時は自ら去ったのです.我々は関与しないうちにね.証明できない.いざとなれば‘山月記’でお二方は帰っていただきましょう」
‘山月記’はカゲトラのことだ.カゲトラは人間型から虎型に変化できる.人間二人なら,乗せて囲みを突破するのは造作ない.
ユグレヒトの脱走を演出し,素明羅の関与についてはひたすら知らぬ存ぜぬを通す.それが彼らの出した結論だった.
証拠なく疑いをかけてくれば,国際問題にするように念波放送で報道する準備はできている.それでも拘束しようとすれば,文官の二人だけはカゲトラが脱出させる計画だ.
「主らは?」
「シノノメの思いつき,あながち馬鹿にしたものではないかもしれませんぞ」
セキシュウが顎で促す方向をふと見ると,アズサとアキトはそれが職業とでもいうように,ノルトランドの貴婦人に愛をささやいて歩いていた.
ほぼ無差別である.相手にパートナーがいようが,やや体格のいい戦士の女性であろうが,お構いなしだ.
「あいつらが?」
蔡恩はギョロ目をさらに大きくさせて言った.
「ええ,蔡恩殿は遊び人のスキルをご存じないようだ」
セキシュウは意味ありげにニヤリと笑った.
「うーん,これタッパーに入れて持って帰りたいなあ」
「私は現実世界に持って帰って昼飯代浮かせたい」
シノノメの方はと言うと,アイエルと一緒になるべく高価な食べ物,特にベルーガを重点的に平らげていた.これから重要な作戦が始まるという緊張も雰囲気も何もなかった.