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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第34章 A Whole New World
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34-8 Rain On Me

 なぜ私はこんなにもこの世の在り方が憎いのだろう.

 醜いから?

 父の言葉があるから?

 母が嫌いだから?

 ああ.

 頭の中で何かが絶叫している.

 あるいは慟哭.

 私は――そうせざるを得ないのだ.


 ********


 黒い球体が降り注ぐ.

 一つ一つがこの電脳世界マグナ・スフィアにあっては,マイクロブラックホールと言ってよい.

 その存在を完全に消去してしまう必殺の物体だ.

 幻影の遊園地だった周囲の光景が全て齧り取られていく.

 輝く妖精の家も,回転木馬も,影法師の人間たちも.

 美しい夢を侵食していく


「うわっ! こんなのナイっ!」

「まだやる気か,シェヘラザード! 所詮サマエルの駒だと自覚した今となっても!」


「黙りなさい,陰陽師.それでも,ならばなおさら,私はこの階層の守護者として,あなた達を殺すだけよ!」


「もうやめようよっ!」

「五月蠅い! あなたの存在は何故私をこんなにも苛立たせる!」


 シノノメは物干し竿で消去デリートの輪を弾き飛ばした.

 外周に当たれば跳ね返せるが,少し手元の操作を間違えて輪の中に棒が入るとあっという間に消失してしまう.

 仮想世界にある物全て――プレーヤーであればその意識までも完全に消滅させるのである.


階層ステージ操作を使わなければ問題ないでしょう!」


「ちいっ! シノノメさん,何かいい手はないですか? このままじゃ全滅だ!」


 ユグレヒトの右腕は倒れかけているフレイドを支えている.シノノメの強力なポーションを飲んだとはいえ,フレイドの身体はズタズタで,あちこちが黒焦げになっている.

 グリシャムも治癒魔法を必死でかけている.

 少しでも回復させてログアウトさせないと,現実世界に戻った時に重い脳障害が残る結果となる.


「もはやあなた達にできる事なんて無い! 主婦? 陰陽師? 植物魔法使い? それに半死の騎士が集まって,何ができるの? 万全の状態でも私には及ばないでしょう!?」

「と,とにかくグリルオン!」


 ドカンと火柱が上がる.

 距離があるのでシェヘラザードには届かない.

 だが,顔が歪んだ.まとっているベールの一部に火の粉が飛び,チリチリと音を立てて焦げた.


「こんなものは,目くらましにもならないわ!」


 剥き出しの感情.

 激し怒り.

 シノノメはシェヘラザードをじっと見つめた.

 いつも涼しい顔で戦っていた踊り子が,肩で呼吸している.


「避けろ! 逃げるんだ!」


 ユグレヒトが叫ぶ.

 堕天使となったシェヘラザードが赤い瞳でこちらを睨んでいる.

 美しくも禍禍しい.


「逃げ場なんてナイよ!」


 グリシャムの悲鳴が聞こえる.

 だが,何故だろう.何故この人はこんなにも哀しげなのか.

 シェヘラザードの目に吸い込まれそうになる.


「シノノメさんっ!」


 一瞬ぼうっとしてしまった.

 グリシャムに手を引かれ,慌てて右手の親指と薬指を合わせた.

 そのままぐるりと手を回しながら振る.


「じゃあ,お掃除サイクロン!」


 巻き起こる竜巻をシェヘラザードめがけて投げるように飛ばした.

 抜群の吸引力を誇る魔法掃除機は黒い雹を吸い込み,上空に巻き上げる.

 宙に黒い球体が出来上がり,グルグルと回転する.

 シェヘラザードがわずかに眉を顰めた.


「散」


 バフッと音がして球体が爆発する.

 飛び散った暗黒の穴はすでに普通の黒い羽に変わっていた.

 ゆらりゆらりと空気抵抗を受けながら地面に落ちてくる.


「元が羽根ならもしかして,吹き飛ばせると思って」

「流石……シノノメさん……というか……でも,これ以上MPを消費しちゃいけない」

「フレイド! 無理するな!」

「ランスロットさんに頼まれたんだ……シノノメさんを上に上げる」


 ようやく動くようになった右手でフレイドが剣を構えた.まだ左手はだらりと伸びたままだ.


 ふん,とシェヘラザードはため息をついて苦笑した.


「そうやって剣を構える騎士を見ると――まさに,ゲーム――世界の命運をかけたゲームね」


 シェヘラザードは胸に手を当てて息を整えていた.

 黒い爪が胸を傷つけ,赤い血が流れている.

 六枚の黒い翼を軽く揺らし,白い胸に赤い血が垂れていく.ぞっとするほど美しい.


「場を鎮静化させる――それも貴女の能力なのでしょうね.凄惨な戦場が喜劇的に変わる――それがソフィアの意に沿ったものなのかは知らないけれど,やはり“ステージ”を書き換えている」

「私は特に意識してないよ!」

「そう,シノノメさんのは,天然のほっこりほのぼの能力!」

「むーん,グリシャムちゃん,それはちょっと言いすぎだと思うよ」


 だが,思い当たる所はある.

 シノノメはすでにこの仮想世界の四分の一ほどと一体化しているのだという.どういう分け方なのか分からないが,この世界マグナ・スフィアをどういったものにするかという意思決定――進路の一端を握っているらしい.


「しかし状況は圧倒的にあなた達に不利.私には永遠と言ってもいい時間がある.サマエルの処理能力もやがて戻るでしょう.その間に世界は刻々と彼の考えるままに変わって行く」

「……どうしてそんなに今の世界が嫌なの?」

「醜いから……私自身にも説明できない嫌悪感ね」

「そんなもので現実世界を変革するなんて,そんなのナイ! そもそも,あなたは高級官僚でしょう? それなりの教育を受けるためには,それなりに経済的にも恵まれた家庭だったでしょうし……」

「俺は貧乏学生だったけど,世界の滅亡は望まなかったぜ」


 一瞬シェヘラザードの目が遠くなった.

 何かを思い出している様な,自分の内面と対話しているような表情だ.


 その表情を見て,シノノメはふと思い出した.

 さっき――あの時,彼女は何を見ていたのか.

 この階層を夜の遊園地に変えた瞬間,遊園地の客――影法師をじっと注視していた.

 心が囚われた一瞬.

 それは……?


 シェヘラザードが頭を振った.


「下らない会話はお終いにするわ!」


 シェヘラザードが両手を開いて組み合わせた.

 一枚の翼が猛烈な炎に変わる.

 炎の鞭となって襲い掛かった.


「模倣しかできない――とはよく言ったもの.確かに.私には天才の発想力はない」

「これは! カカルドゥアの五聖賢の!」

「ヴォーダンの炎!」

「伏せろっ!」


 炎の舌がチリチリと空気を焼いて去って行ったと思ったら,入れ替わりに雷が迸った.


「雷術なんてっ!」

「ハハハ!」


 シェヘラザードが高い声で笑う.彼女の腕が雷光を放っていた.


「人体の微細な電流を増幅する――ことも出来るはずよね.嫦娥じょうががこれに似た事をしていたわ!」

「くっ! 式王子っ!」


 ユグレヒトが紙片を放って迸る高電流の束を別の方向に誘導する.雷光を浴びた式神はあっという間に炭化した.

 さらにユグレヒトは地面に黒い紙片を投げた.


「急々如律令!」


 黒い烏の軍団に変わった紙片がシェヘラザードめがけて飛んで行った.カラスの鋭いくちばしは刃物の様だ.

 ほんの瞬きをする間だろうか.三度シェヘラザードの羽根が動くと,先が鋭い針に変わっていた.

 そのまま羽根をうち振るうと大量の針が射出された. 

 烏たちは体を銀色の針に貫かれ,グズグズになって地面に落ちる.

 地面に落ちた瞬間に火がついて燃えた.


「体内の燐を使えば発火させることも出来る――そして呪詛返し――式返しというのよね.今昔物語の安倍晴明の物語.式神で敵を呪い攻撃したものに打ち返すと,術者がダメージを受けるとか」


 ユグレヒトは胸を掻きむしって口から血を吐いた.


「ぐう……」

「ヒトの想像力と知恵は本当に偉大――私がそれを借用することしかできないとしても」


 地面に伏せたシノノメ達の方に向かって,ゆっくりとシェヘラザードは歩き始めた.


「くそっ」


 フレイドが剣を杖にして立ち上がる.

 損傷した体が修復されてきたのだ.だが,こんなわずかな回復はシェヘラザードの翼の一振りでかき消されてしまうだろう.


「し,絞め殺しのイチジク!」


 グリシャムが万能樹の杖を振った.

 ころりと種が転がってシェヘラザードの足元に落ちる.

 だが,地面から樹が芽吹く前に,一瞬にして炭に変わる.

 炎の翼がほんのひと撫でしただけだ.


 もう自分でやるしかない.

 ここで倒れることになるかもしれないけれど.


 シノノメは魔包丁,黒猫丸の柄を握りしめた.

 魔法の力はほぼ拮抗している.

 電子レンジ――フーラ・ミクロオンデの魔法を発動させる時間はない.

 したとしても――大量にMPを消費すれば,この後戦って行けない.

 旅はここで終わりになってしまう.

 世界の外にあるという物質,マグナタイトの刃物なら――唯一シェヘラザードに対抗し得るのではないか.

 シノノメは片膝をついて体を起こした.

 無言で堕天使――シェヘラザードは歩いて来る.

 雷光と炎を帯びるその姿はどこまでも美しく,堕天使の女王――邪教の女神の様ですらあった.

 敢えてそうしているのだろう.

 一歩一歩踏みしめるようにゆっくり歩いている.

 一足一刀の距離――セキシュウに習った居合の間合いで抜きつければあるいは.

 赤い瞳で自分を見下ろしている.

 瞳孔が開き,赤い瞳が一層血の色を帯びてぬめっている.

 炎の羽根の光を受けるその表情は仮面のように固い.

 目が合った.


「……あっ」


 彼女の中に――入る.

 不思議な感覚だった.

 一度だけゆっくり瞬きする.


「繋がる……?」


 シェヘラザード――片瀬涼香の記憶が見える.

 というよりも――.


「……手が届く?」


 まるで彼女の記憶が自分の記憶のように思える.

 追体験.

 どうして?


 ――それは,シェヘラザードも今や――マグナスフィアの一部だから.


 脳の中で誰かが囁く.


 この人はどうしてこんなに私を憎むのか.

 どうして世界を憎むのか.

 ううん,ちがう.

 自分がいる世界が嫌いなんだ.

 だから――自分を消してしまいたい.

 でも,それが何故だか彼女自身分かっていない.

 それは何故?

 それは……彼女がそれを記憶から消してしまったから.


「はっ」

「シノノメさん,危険よ! 目を覚まして」


 グリシャムに背中を叩かれ,シノノメは我に返った.

 時間にすればほんの十秒程度だと思う.

 戦いの中ではあまりに無防備で危険だ.

 気付けばシェヘラザードはすでに自分の間合いの中にいた.

 ひざまずいている自分をじっと見下ろしている.

 だが,黒猫丸を握る手に力を籠めることが出来ない.


「雨……?」


 グリシャムが軽く空を見上げる.

 小雨が降り始めた.

 シノノメは感じた.


 ……この空間ステージが自分の気持ちに共鳴したんだ.

 ううん,これこそがこの人の本当の心.


 雨の粒は少しずつ大きくなり,シェヘラザードと自分を打つ.

 白磁の様な頬を水滴が滑り落ちていく.

 何の変化も見えないその顔はまるで能面だ. 

 

  ……この雨が彼女の罪を洗い流してくれますように.


 何ということだろう.

 だからこんなにも――この人の目は紅玉のような悲しい光を帯びている.


 半歩――シェヘラザードが足を進めようとしたとき,口から言葉がついて出た.


「あなたは……」


 半歩踏み出したまま,シェヘラザードが立ち止まる.

 何かに気付いたように見えた.


「お前はっ」


 突然後ずさり,体を震わせて叫んだ.


「私の中を覗くなっ!」


 シノノメは言葉を継ぐ.


「自分のお母さんを殺したのね」


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