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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第34章 A Whole New World
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34-4 The Last Samurai

 シェヘラザードのサンダルについた金の飾りが光って揺れる.

 美しい白い脚が大きく後ろに弧を描き,一回転していく.

 態勢を整えたシェヘラザードはがっくりと肩を落とし,大きく息を吐きだした.

 胸を押さえて荒い息を整えている.

 十二頭の瓦礫の蛇が動きを止め,石像のように固まっている.

 だが,どれもシノノメの目に入らなかった.

 両断され,ぼろクズのように落下するセキシュウめがけてまっしぐらに走っていた.


「セキシュウさん!」


 セキシュウの上半身を抱きかかえて叫んだ.

 切り口がボロボロと赤い細かいピクセルになって宙に溶けていく.


「セキシュウさんが負けるなんて!」


 魔法こそ使えないが,近接戦闘でセキシュウに勝てるプレーヤーはほとんどいない.レベルは上でも,純粋に体術で勝負すればシノノメでも勝てないのだ.


「私の力が限界だった,ただそれだけだ.彼女を恐れるな,シノノメ」

「そもそも元気がなかったよ.身体がしんどいのに,今の危険なマグナ・スフィアで戦うなんて」


 叫んでいないと涙が零れ落ちそうだ.

 壊れた人形の様だったころから,セキシュウはずっと自分を助けてくれた.

 まるで父親のように.


「……私の身体など,どうでもいいと思えたのだよ」

「……その言葉は」


 その言葉を色々な人の口から何度聞いただろう.


「顔を上げなさい.上に登れ,シノノメ.現実世界に帰っておいで,カタリナの孫」

「セキシュウさんは……私のことも……お祖母ちゃんのことも知ってるの……?」

「もう一度会った時に全てを語ろう.君はもう気付いているだろう? ……意識していないのかもしれないが」

「何を……?」

「自分のことなどどうでもいい……君のためにそう思える人が君を待っている」

「それは」


 セキシュウはにっこりと笑った.シノノメが初めて見る笑顔だった.


「片瀬……シェヘラザード」


 セキシュウの視線を追い,シノノメは振り返った.

 いつの間にかシェヘラザードが地上に降り,セキシュウとシノノメを見下ろしている.


「あと一歩――危なかったわ」

「……一瞬,刃筋に迷いが出た.憐れみを感じてしまった」

「憐れみ?」

「仮想世界とはいえ,もう一度君の命を奪うことに,だ」

「その迷いは致命的だったわね.あなたのそのダメージ……現実世界の身体――脳もかなり大きな損傷を負ったはずよ」


 シェヘラザードの口調はぞっとするほど冷たかった.


「こ,このっ」

「怒るな,シノノメ」

「でもっ! あんな,物みたいに!」

「怒りに囚われるな.心を水のように――宝玉の様に保て」

「あ……」

「カタリナもそう言っていただろう?」

「もうあなた達に私に勝つすべは無いはずよ.この左手を握りしめれば,例えばあの陰陽師は死ぬわ」


 彼女の背後に,瓦礫でできた箱に閉じ込められてもがいているユーグレヒトとグリシャムが見えた.


「いや……シェヘラザード.君は必ず――若者達に討たれるだろう」

「病気の年寄りが負け惜しみを」


 セキシュウはもう一度小さく笑った.


「時間が来たようだ.シノノメ,また会おう.今度は現実世界で……」


 セキシュウの身体が完全に空気に溶けて行く.


「会えるのかしら.現実世界で会うのは,意識の無いセキシュウの肉体かもしれないわね」

「……」


 シノノメは無言で立ち上がった.


「さて,この絶望的状況をどうする気かしら.千頭蛇神舞アナンタ・ターンダバ


 シェヘラザードは両手をくねらせながら上に上げた.

 再び石の蛇たちが蠢き始める.

 千頭蛇の名の如く,今や十や二十ではなかった.鉄と石で作られた無数の蛇が鎌首をもたげ,シノノメを取り囲んでいる.


「何でもできる,って思っているのね」

ゲートを開けること以外はね」


 シェヘラザードが悠然と笑う.

 シノノメの左の薬指――拒絶の指輪が鋭い光を帯びた.


「だめよ! シノノメさん! 暴走しちゃう!」


 石の檻の中からグリシャムが叫ぶ.


「分かってる.グリシャムちゃん」


 そっと右手で左手の光を押し包む.

 怒りと悲しみで爆発しそうだ.

 だが,セキシュウと約束したのだ.

 怒りに囚われてはならないと.

 シェヘラザードが腕を振り下ろした.

 四方八方から瓦礫の雪崩が襲う.


「蛇の頭がいっぱい――こんなの,ブナシメジみたいなものでしょっ!」


 叫んだ瞬間,瓦礫がキノコに変わった.


「なっ! 馬鹿馬鹿しい! 物質変換――クルセイデルと同じ能力を使えるのか!」

「私は食材にしか変えられないけどね! えいっ!」


 フライパンをシェヘラザードに振り下ろした.


「くっ!」


 足元から石の柱が突き出し,彼女を守る.


「制限付きにしても,この階層に関しては私の手足と同じ! 砕け散れっ!」


 シェヘラザードが指を鳴らすと,ブナシメジの森が一瞬でガラスの山に変わった.それが一斉に破裂する.

 硝子の欠片が雨の様に降り注ぐ.

 石の牢の隙間から体を出して抵抗していたユーグレヒトとグリシャムは慌てて手足をひっこめた.


「鍋蓋シールド! キャンディーに変われっ!」


 硝子がべっこう飴の欠片に変わった.バラバラと落ちて床で自然に砕ける.


「飴細工――随分甘い魔法ね.剣舞サブレ・ダーニャス!」


 巨大な回転ノコギリが床からぬっと姿を現した.

 ギュイーンと甲高い音を上げ,四方からシノノメめがけて進んで来る.


「床も切ってる? これどうなってるの?」

「仕組みが滅茶苦茶なのは貴方の魔法も一緒でしょう?」


 一枚目をかわすと,二枚目が襲ってくる.二枚目を避けると,三枚目が来る.


「うわあっ!」


 刃が着物の裾を,帯を切り裂く.

 四枚目の刃が,五枚目の刃がさらに襲ってくる.

 色とりどりの端切れが千切れ飛ぶ.


「危ないっ!」

「うわっ! ユーグレヒト! こっちにも来た!」

「左右に逃げろ!」

「逃げ場所なんてナイよっ!」

「壁に体を寄せろ!」


 石牢の真ん中を回転ノコギリが通過していった.牢は真っ二つだ.グリシャムとユーグレヒトはかろうじて難を逃れたが,細い筋の切れ目が不気味だ.

 火花すら散らず,豆腐を切る様だった.

 回転ノコギリは易々と石を両断したということだ.


「くそっ! 手も足も出ないと思って,好き放題しやがって!」

「逃げる方向にも注意しないと,お友達が危険よ」

「えーい,こんなの,お煎餅に……ひゃっ!」


 迫る刃に冷静になっていられない.

 ……心が静かじゃないと,能力ちからが使えない.

 セキシュウの最後の笑みを思い出し,シノノメは歯を食いしばった.


「ま,まな板シールド,全方位!」


 四角い魔方陣が出現し,ぐにゃりと曲がった.

 一枚.二枚.三枚.四枚.五枚の回転ノコギリを魔方陣で受け止める.

 凄まじい火花が上がった.


「あら,鍋蓋より丈夫な魔法陣なのね.でも,シノノメ,まな板は回転ノコギリより弱いものよ」


 回転ノコギリの回転が上がった.回転音が悲鳴のように甲高くなる.


「負ける,もんかっ! ダストシュート!」


 カパンと床に四角い穴が開いた.丸鋸はガクンとバランスを崩して落ちて行く.


「はあ,はあ……空間に穴を開けるのは,私だってできるもの」

「あなたは随分消耗しているけどね」


 ポン.


 シノノメは耳の奥で聞こえた小さな電子音に,思わず右耳を押さえた.

 通信ソフト,メッセンジャーの着信音だ.

 シェヘラザードが腕を組んでこちらを見ている.

 耳を押さえる動作が不自然にならないように,そのままの手でそっと髪を掻き上げた.

 気付かれないようにメッセージを見る.

 ……セキシュウさんの言った通りだ.

 シノノメは小さく頷いた.

 息を整えながら手の武器をターナーに持ち変えた.シリコン製のフライ返しだ.こちらの方が軽くて消耗が少ないのだ.


「……まだまだ,負けないよ」

「そうね.私も貴女が死ぬまでやめるつもりはないわ」


 シェヘラザードが口元を押さえて笑った.

 赤い唇が血の色に見えてくる.


「どうしてあなたはそんなに,私の事を目の仇にするの? そう言えばそもそも最初から何だか」

「あら,意識してたの? わかるのね」

「何だかいじめられてるみたいな,そんな気がしてた!」

「目の仇……違うわね.生理的な嫌悪感とでも言おうかしら」

「そ,そっちの方がよっぽど良くないよ.どうして?」

「無知なるもの――蒙昧な人間が私には耐えられない」


 シェヘラザードの目が冷たく光った.


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