34-3 To Die For
「こんな時にみんな、俺のコンサート――特別企画に参加してくれて、ありがとう」
日高はヘルメットのような機械――ナーブ・スティミュレータを被って呼びかける。
まだバイザー部分は上げたままなので、顔全体が見える。
彼の前にはウェブカメラと大型モニターがあり、小さなウィンドウが所狭しと瞬いて多くの人たちの顔を映し出している。
場所は音楽スタジオなのだが、一風変わっていた。
通常の音響機器と一緒に、VRマシンの制御系・バックアップ系の機械がずらりと並んでいる。
「街の暴動や、交通機関のトラブルで帰れなくなったり――大事な人たちと合えなくなったりして心配している人もいるんじゃないでしょうか――でも、少しでも元気を届けたい」
チューニングするスタッフが興味深く日高を眺めている。
何人かはやはりナーブ・スティミュレータを装着していた。
背後のモニターにはマグナ・スフィアの風景が映し出されている。
「今回――これは音楽業界でも初めての試みになる思う。これまでもネットコンサートやスタジオ疑似体験型、強化現実(AR)のコンサートはあったが――マグナ・スフィアで、実名でプロのミュージシャンが、しかも視聴者が参加して同時体感するものとしては――かつてない規模になる。俺も――正直緊張してます」
日高はウェブカメラに向かって手を振った。
「じゃあ、皆さん、用意は良いですか? 全員VRマシンを装着して。――ついに大発表、明かしちゃいます。俺のアバターの名前――それは、彷徨のアルタイル!」
小さなウィンドウの中で手を振り返す視聴者たちが一斉にどよめいた。
ゲーム“マグナ・スフィア”に参加している者は大抵知っている。
白銀のエルフの弓使い。
幻想世界最速の召喚獣、ペガサスの乗り手である。
芸能人である日高はこれまで正体を隠して参加していた。
『日高さんがアルタイル?』
『雅臣が? マジ?』
『格好良すぎるじゃん』
小さな吹き出しのウィンドウが一斉に開いてモニターが色とりどりのモザイクのようになった。
参加者数四千人。
さらに増えている。
事前告知した上にさらに話題になって後から後から参加者が増えている様だ。
マグナ・スフィアでの戦闘は危険で、脳障害――ひいては死亡事故が発生するという情報が流れたにもかかわらず、良く参加してくれたものだと思う。
もちろん視聴者に戦闘に参加してもらうつもりはない。
狙いは別だ。それにしても、だ。ファンの有難さを感じる。
「さーて、皆さん。それでは始まりの街のコロシアムで会いましょう。マグナ・スフィア・ログ・イン」
日高がそう言うと、モニターは次々オフになって真っ暗になった。
少し遅れて日高もVRマシンのバイザーを下ろす。
スタッフに合図を送り、自身もログインする準備だ。
音声と脳はパターンで本人が確認されると、カウントダウンが始まった。
バイザーに二十という数字が映し出され、徐々にそれが減っていく。
あと十秒ほどでマグナ・スフィアに意識が転送される。
日高はニヤリと笑って呟いた。
「グリシャムにシノノメ、これが俺の側方支援だ。待ってろよ」
*******
拒絶の指輪が青く光る.
「忘れてた! 大事な事をっ」
自分の目指す場所は,単にこの塔の頂点ではない――想像の果て.
クルセイデルの残した言葉だ.
「どんなにブロックだって,それは!」
握ったフライパンの先が赤く光った.
「一万度ポワール!」
高熱を帯びたフライパンがブロックに触れると,溶けながら飛び散った.
一歩進むと再びブロックが積み上がる.
「熱々ケトルっ! 熱湯攻撃!」
やかんに入った湯をぶちまけると,ブロックが溶けた.
「お砂糖のブロックなら関係ないもの! 角砂糖になぁれ!」
「そして,術式を書き換えますっ!」
シノノメの前に出現したブロックに次々と人型の紙片が貼り付いた.
「遅くなりました,シノノメさん!」
「ありがとう,ユーグレナさん!」
シノノメの隣に現れたのはユーグレヒトだった.
右手の人差し指と中指を立て,指剣印を組んでいる.
軍事大国ノルトランドの元参謀にして,素明羅皇国の陰陽師である.
現実世界の職業はシステムエンジニアだ.マグナ・スフィアの人工知能,那由他システムの開発にも関わっている.
「陰陽道の式神の逆打ち――式返しだ.解除呪文をぶち込んでやる! 逆しまに返せ,逆しまに返すぞ,式王子!」
次々放つ式神――人型の紙片が宙を舞う.シノノメの前の空間にペタペタと貼り付いて青白く光った.
五芒星が浮かび上がり,バラバラに散る.
「ブロックが出なくなった!」
「設定を逆に書き換えたんです!」
「このまま走ろう!」
緑色に光るアラジンの壺から,もう数名が飛び出した――それを横目に見ながら,シノノメは走った.
そう.もう一つ忘れていたことがあった.
自分には仲間がいる.
みるみる門が近づいて来る.
その前に立っているのはシェヘラザードだ.
シノノメ達に気付いていないように――気づいていない筈がないのだが――背を向けてじっと立っている.
「油断しないで!」
シノノメは速度を落とし,フライパンを持って半身に構えた.
じりじりと近づく.
シェヘラザードは動かない.
様子がおかしい.
「――何故?」
「なぜ?」
シノノメのが口にした言葉と,シェヘラザードの呟いた言葉は同じだった.
……どうして門の前に立ち尽くしているのか.
早々に門にたどり着いたにもかかわらず,なぜ扉を開けて進まないのか――.
尋ねようとしたちょうどその時,聞き覚えのある深い声が後ろから聞こえた.
シェヘラザードがゆっくり振り返る.
その顔は血の気がなく,青ざめていた.
「――扉が開かないのだろう? 片瀬君.いや,シェヘラザード」
「――セキシュウさん……」
そこに現れたのは転のセキシュウ.素明羅皇国最強の武士にして,シノノメの師だった.
着物に袴姿で大小の日本刀を腰に差している.
「用事があるって言ってたけど,来てくれたんだ!?」
喜ぶシノノメの肩を軽く叩き,セキシュウは前に進んだ.
どこかひどく疲れて見えた.いつものように背筋は伸びているのだが,生気がない.
「君はどこまで覚えている? 君の記憶は何時間前まで残っているのだ? そして,どこまで電子情報としての自分の変化を意識している?」
「変化……?」
「君は自在に空間を通り抜け,移動ができただろう? 何故この門まで歩いてこなければならなかったのだ?」
「それは……」
「君は極めて理知的な女性だ.その君が何故気づかない? 自分でも不思議に思わないのか? それとも気にならないようにされているのか?」
「私が――精神操作されているというの?」
ユーグレヒトが眉を顰めた.
後ろには助け出されたグリシャムとアイエルがいる.
「あんた,自分がどうやって死んだか気にならないのか?」
「気にしても仕方がないでしょう.生き返るわけではないし.マグナ・スフィアで私は生きていく.でも,サマエルの力で現実世界に影響を与えられるならば――それは現実世界での新しい生命――高次元の生命に生まれ変わると言っても良いはず」
「だが――片瀬君,君にはその門は閉ざされている.それに絶望して――君は自ら命を絶ったのだよ」
「そんな……馬鹿な.サマエルは私を選んだ……」
「君にもう一度告げるのは酷だが,サマエル――あるいはソフィアが選んだのは」
「待って」
シェヘラザードは天を仰ぎ,ほんの一瞬目を瞑った.
「理解したわ.――ならば,やはり」
美しい瞳がギラリと碧色に光った.
「あなた達を殺さなければならない」
地面がすさまじい勢いで揺れ始めた.
周りの建築物が崩れ,瓦礫の塊が巨大な柱を作って大蛇になった.
いや,大蛇というより竜だ.
鎌首をもたげて一斉にシノノメ達の頭上に襲い掛かってくる.
「まな板シールド!」
だが,石材と金属が土砂崩れの様に後から後から降り注いでくる.
「セキシュウさん! う,受け止めきれないよっ」
砂塵と岩が乱れ狂う中,シェヘラザードは金色の光に包まれて宙に浮かんでいた.
「愚かな! ここに来て何故まだ戦わねばならないのだ! 片瀬君!」
「あなた達――シノノメを消して,私が唯一無二の理解者であることを,もう一度サマエルに知らしめる!」
「無謀だ.君は奴に設定されてしまったのだ.この九十八階層の守護者に!」
「物語は書き換わるものよ!」
轟音の中,シェヘラザードの声は耳に響く.
その声だけは――まるで金管楽器のように美しい.
瓦礫の雪崩がシノノメ達に降り注ぐ.
「立ってるところがない!」
「ユーグレヒト君,一瞬隙は作れるか?」
「小細工なら得意ですっ!」
式神――紙片が群れを成して飛んだ.
シェヘラザードの視線を妨げるように複雑な編隊飛行を組む.
「邪魔よ」
手を振ると,パチンと紙片が顔に向かってはじけた.
束の間,瞼が下りる.
「御免」
再び目を開けたシェヘラザードの目前にはセキシュウがいた.
流れる土石流を飛び伝ったのだ.
すでに右手は刀の柄に手をかけている.
「何!? 体術スキル?」
「――タイ捨流居合心術――猿廻」
抜きざまに白刃が首めがけて飛んだ.
シェヘラザードの瞳が揺れる.
「……!」
まさに肌に刃が触れようとする瞬間――刀のスピードがわずかに落ちた.
瞬きする間もないほんの一瞬.
シェヘラザードは体を大きく泳がせ,背中をしならせて後ろに回転した.
白い右脚がそれを追う様に跳ね上がる.
真っすぐ伸ばしたつま先が天井に向いたその時――.
セキシュウの胴は逆袈裟の軌道で切り裂かれ,血を噴いた.
「セキシュウさん!」
シノノメは絶叫した.