33-15 Snow
「戻ったぜー」
和馬を連れ、風谷はVRPI(ヴァーチャル・リアリティ・サイコ・イメージング)室に帰って来た。
和馬は物珍しそうにきょろきょろと室内を見回した。
複数の画像モニターと生命徴候を表示したモニターが壁一面に入り乱れるように配置されている。
「ここにシノノメさんがいるの? うわっ!」
部屋の中央の椅子には頭にヘルメットのような機械を被った男が体を横たえている。
機械からは今時珍しい乱雑な配線が伸びている。大腿から流れる血でズボンはどす黒く染まっている。
顔は口しか見えないが、歯を酷く食いしばっていることが分かる。
「こ、この人は誰?」
「……シノノメの旦那だよ」
「だんな? シノノメさんの?」
「もう一つの姿は……ほれ、あれだ」
左手のモニターを風谷は指さした。
機械人の体液を返り血の様に浴び、赤黒く染まった機械人間が映し出されている。
「黒騎士……この人が?」
和馬が見入った瞬間、モニターがすさまじい光を放った。
画面の中――マグナ・スフィアの仮想世界で爆発が起こったのだ。
真っ暗になった画面の中から、再び黒騎士が姿を現す。
スリットでしかない口が大きく開き、機械の目は赤く染まっている。
血の色だ。
圧倒的な火力だった。
むしろ過剰だ。黒い装甲のあちこちが展開し、光が走ったと思えば火の海になる。
欲望の塔の外壁が吹き飛ばされ、背後には濁った空が見える。
手を振るたびに、顔をぐるりと動かすたびに幾千の敵が蒸発するように消えていく。
「化け物だ……」
「人間サイズの強襲揚陸艦――ほとんど空中戦艦だな。今、何階層なんだ?」
「八十八階層――もう、門も何も関係なく突き進んでるっス……まさに、怪物。こんなの見たことない……」
VRPIの機械を操作していた国島が答えるともなく答えた。彼は臨床工学士だ。
「精神と肉体の限界への挑戦――か」
画面に見入る風谷に、物腰柔らかな初老の男が声をかけた。
「風谷君、それよりも例の物はどうなった?」
「おう、忘れるところだ。こいつが持ってきてくれた。アイエルちゃんの弟、和馬だ」
「こんにちはっ! 石嶺和馬です!」
和馬は元気よく挨拶した。手に持ったビニール袋を掲げるように差し出した。
「よく頑張ったね。私は堀田という。会長――セキシュウに替わって感謝するよ。君の頑張りがみんなを――人類を救うことになるかもしれない」
「はいっ! ありがとうございますっ」
「おい、やけに素直じゃねえか」
「なんか、人間力? こっちの人は見るからにちゃんとしてるもん」
「おい」
鼻を鳴らす風谷をよそに、塚原の部下たちはいそいそと動き始めた。
「室長、それが例のものですね?」
「うん、酒井君。浜松の研究所で小暮君たちが作ってくれたプログラム、開発コード”ミスティルテイン”が入ってる」
「こちらに接続しましょう――解凍完了。ファイル名は――文学的だな。室長、知ってますか? ダモクレスの剣ですって」
「キケロのトゥスクルム談義か。僭主の頭上に吊るされた一振りの剣。栄華の頂点にあっても、その立場を脅かす剣」
「流石。問題はどうやってサマエルにこれを使うかです」
「簡単にネットに流せばホーミングミサイルの様に壊してくれるものではないか」
「残念ながら。敵は用心深い」
風谷が手を挙げた。
「最接近するときに叩き込む。サマエルが接触してきたときを狙うぜ」
「接触――戦闘ですか?」
「会話でも何でもいい。一瞬の隙を狙ってハッキングする。酒井サン、そのために電子兵装を持ち出して来たんだ」
「軍用VRマシンか――処理速度が半端ないのは分かるが」
「しっかり準備しとけよ。こっちはこっちで電子戦のプロなんだから、任せてくれよ」
堀田が電話をとった。
「会長が戻った!」
「おお、セキシュウが? じゃあ、うちの秘密兵器も帰ってきたか」
秘密兵器とはもちろん千々和の事だ。
期待通り――いや、期待以上の活躍をしてくれた。サマエルを信奉する官僚集団のリーダーである片瀬を追い詰め、暴走していた軍の一部の動きを牽制したのだ。
こうやって和馬とサマエル破壊プログラムが無事病院に着いたのも、彼女の活躍が大きい。
短時間によくこれだけのことをやってくれたと思う。
「もうこっちに降りてきているらしい」
「頭でもなでてやるか……」
「先輩!」
会話が終わる間もなく千々和が部屋に飛び込んで来た。
軍服はずぶぬれで髪も濡れたままだ。半分は雨で半分は本人の汗に違いない。
「おう、よく頑張ったな。飴ちゃん要るか?」
「こんな時に冗談言っている場合ですか!」
「陸軍の奴らも目が覚めたみたいじゃねえか」
「片瀬に呼応していた一部のグループが撤退してるだけで、問題はまだ解決していません。在日米軍と海軍の一部はそれぞれの判断で行動を続けてます」
「畜生め」
「千々和さん、塚原はどうしましたか?」
「あ、堀田さん。塚原さんは今ゆっくり歩いて、エレベーターホールからこちらに向かってます――随分官邸で無理をなさったので――私は付き添うって言ったんですが」
「いかんな。迎えに行って来よう」
「お願いします。事態が事態なんで、僕――私はどうしても先に行くようにって仰って」
「分かった」
堀田は部屋の隅に置いてあった車いすを持ち出して、小走りに走って行った。
「事態って何だ?」
「シノノメさんたちを見てますか? ついに九十八階層に着いたんですよ!」
「おう――色々あったけど何とか順調に上に上がってるみたいなんで――こっちはしばらく旦那の方をずっと追っかけてた」
「すぐにシノノメさんの方を見て下さい! まさか、こんなことがあるなんて!」
「こんなことって?」
「見ればわかります! 国島さん、皆さん!」
右側の大型スクリーンが切り替わる。
マグナ・スフィアの公式アクセスソフト――マグナ・ビジョンだ。
仮想世界の世界地図が映し出され、マンハッタン島――ニューヨークに当たる場所が拡大される。
ズームインすると、黒煙をあげる欲望の塔が見える。
「九十八階層――現在世界最高のアクセス数を稼いでる、メインフレーム放送です」
日本の様でもペルシアのようでもあり――近代的な街並みのようでもある不思議な光景が広がっていた。
地面も壁も天井も、すべてが街になっている。
卵の内側のようにすべてが緩やかに傾斜して繋がっていた。
一番近い風景はSF映画のスペースコロニーの中かもしれない。
さらにズームインが続き、水着姿の女性の後ろ姿が見えてきた。
黒い肌のダークエルフと、金髪の女性。そして、亜麻色の濡れた髪から雫をこぼす女性だ。
和馬が首を傾げる。
「シノノメさんだっ! ……あれ? 姉ちゃん? 何で水着着てるばーよ?」
「これの何が問題なんだよ? 水着でサービスか? それを言うならお前も早く着替えてこいよ。制服が白いから下着が透けてるぜ」
千々和は真っ赤になって腕を交差させ、胸元を隠した。
「先輩! セクハラしてる場合じゃないですって! よく見て下さい!」
「よく? 地面が切り裂かれている……これは何の武器の攻撃なんだ?」
「武器は問題じゃありません」
閃光が閃き、水着姿のシノノメがいつもの“鍋蓋シールド”で防御した。
いつもの風景だ。
光に照らされて陰影が強くなったシノノメの顔が険しい。
「……いつもの間抜けな戦闘シーン……じゃないのか? この階層になりゃ、弱い敵なんていないだろうし」
「世界中のほとんどの人が、ただの強敵との対決と思ってますよ……でも、僕たちには分かる」
「どういう意味だ?」
「うう、困ったな。もっと敵を拡大して見ることはできませんか?」
国島が素早くキーボードに指を走らせた。
「唯さんの視線を捉えてこっちのモニターに出せばいいッス! さらに拡大。どうだ!」
カタカタとキーを叩く音がした後、モニターに現れた敵の顔を見て風谷は息を呑んだ。
「まさか……こういうことか」
「ある意味……最強以上に最強の敵です。ここで――ここに彼女が現れるなんて」
「畜生、旦那と対決してもらって出来レースで勝つっていうシナリオがぶち壊しだぜ」
「ヴァルナさん、千々和さん、この人、誰なんスか? 一人だけだし、えらい別嬪だけど――そもそも機械人には見えないし、さらに言えば強そうに見えないッス」
国島の言葉通り、そこに立っているのは美しい女性だった。
雪の様な白い肌に、濡れた瞳――血の色をした赤い唇。
口角を上げ、艶を帯びた笑みを浮かべている。
身にまとうのはゆったりとした踊り子の衣装だ。
その人物を見間違えるはずがない。
仮想世界の外側の存在。
世界を作り変える物語の語り部。
風谷はモニターを睨みつけた。
「シェヘラザード……片瀬め、自分の人格のバックアップをとってたのか」
6月13日 部分修正しています。




