33-6 The Holy Mountain
「見事だね.シノノメ.だが,ここまでだ」
涼やかな少年の声はあまりに場違いに聞こえる.
アスタファイオス.
ウェスティニア共和国と魔法院を滅ぼした組織――“機械仕掛けの魔法”マギカ・エクス・マキナ(MEM)を束ねる管理者であり,その正体は人工知能“サマエル”の別人格でもある.
現実世界の身体を捨ててマグナ・スフィアの電子情報としての生を望んだ人間たち――移住者たちに特別な能力を与え,理想のパートナー“イマジナリーフレンド”を与える.
まるで物語の中の“異世界人”“転生者”あるいは“勇者”であるかのように演出する――それが彼らの役割だ.
アイエルがそっとシノノメの後ろから耳打ちした.
「今のうちに逃げよう.瓦礫の砂煙があたりに漂ってる」
アイエルの言葉に応えるようにアスタファイオスが叫んだ.
「無駄だよ.全員君たちの熱源を追ってる.動きはお見通しだ」
「その通り! とっとと降参しろよ,シノノメ! それで,僕たちの仲間になるんだ」
そっくりな声だが,ずいぶん軽い口調だ.アスタファイオスの容姿に瓜二つの少年が後ろから歩いてきて横に並んだ.全くのコピーのようで,異様に感じる.わずかに違うのは髪の色調だ.初めに出てきた方は青みがかかった銀髪なのに対して,後から出てきた方の銀髪は紫がかっている.
「何あれ? 双子?」
「そうだよ.もう一人はサバト――サバティーニだったっけ?」
「サバタイオスだよ,シノノメさん」
「グリシャムは会ったことがあるの?」
「MEMの学院でね」
「奴らの親玉か――可愛い顔して,見かけにはよらないね」
「アーシュラ,あんまりあの人たちの顔を見ない方が良いよ.あの赤い目を見ると,逆らえなくなっちゃうの.こう,胸騒ぎがするというか,不安になるというか,飲み込まれるというか」
「扇動者の魔眼っていうらしいわ.それよりアーシュラ,脚の調子はどう?」
「グリシャムの対抗魔法呪文で回復してきたよ.高出力レーザーなんて持ってるのか.残ってる壁ごと切り刻まないのは……」
「私を手に入れたいからだね」
「シノノメを?」
双子の後ろでは徐々に“メム”の兵士が姿を現し始めていた.
立ち姿がどこか幽鬼のようで,人間の形をしているのに人間が歩いている様に見えない.
ぬるりとした動きで,関節の位置が曖昧なのだ.
全員黒い軍服に身を包み,顔はすっぽりとシールドのついた仮面に覆われている.
サバタイオス――サバトが体をよじりながら叫んだ.
「ああ,もう,じれったいな.とっとと出てこいよ.何だったら他の奴らもメムの仲間にしてやるからさぁ!」
軍勢となったメムの兵士はずらりと並んで銃を構えた.
突撃銃があり,対戦車銃がある.狙撃銃を持つ者も,大型のバッテリーにつながった妙な形の銃を持つ者もいる.
銃口はシノノメ達の隠れている家の残骸に向けられている.
「サバトって奴はちょっと残念な性格だね.やんちゃ坊主みたい.黙ってれば美少年なのに」
「アーシュラ,ショタ好きなの?」
「いや,それほどでもないけどさ.グリシャムのオッサン好きほどじゃないよ」
「オッサンはナイわ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ,二人とも.このままじゃ蜂の巣だよ」
「アイエルは真面目だね.こんな時こそリラックスしないと知恵が出ないよ」
「真面目なふりして,実はBL本を大量に隠し持ってるとかね」
「ちょっと,二人とも,本当に!」
「なんか変……だね」
黙ってメムを見ていたシノノメが口を開いた.
「何が?」
「妙に……女性が多いよ.前は男の人が多かったのに」
「女? あいつらに性別なんて?」
「いや,確かにシノノメさんの言う通りかも.……軍事オタクみたいな男がいっぱいだったし,基本的にメムって二人一組で行動してなかった?」
「そうでしょう? 理想のパートナーといつも一緒だったよ.何だか不自然だな」
シノノメはゆっくり身を起こし立ち上がった.
「シノノメさん,危ないよ!」
「大丈夫.アスタとサバトは私を手に入れたいんだから,すぐに攻撃しないはずだよ」
姿を見せたシノノメを見て,サバトは哄笑した.アスタは口元に冷たい笑みを静かに浮かべている.
「ようやくその気になったのか? シノノメ?」
「僕たちとともに行こう」
「それよりも,教えて.どうしてこんなに数が少なくなったの? ここは一体どういうところ? ウェスティニアのメムは爆発でみんな無くなってしまったでしょ?」
「そんな話か.どうでもいいじゃないか.面倒臭いなあ」
「どういうことか分からないのに,それに銃を向ける相手になんて,ついて行けないよ」
もちろん嘘だ.メムの一員になる気など無い.いや,おそらくもっと悪い事態が待っているはずだ.サマエルにこの世界を運行する仕組みの一つに取り込まれてしまうのかもしれない.
この包囲網を突破する方法は何かないのか.
自分には物を変える力がある.
クジラは空飛ぶクジラに変わった.
ミサイルは食べ物に変わった.
食材なら連想は簡単だ.銃弾だってアーモンドチョコに変えられるに違いない.
だが,それでは足りない.
グリシャムのできること,アーシュラの武器の数々,アイエルの能力.
何が出来て,さらにみんながどこまで頑張って能力を伸ばしてくれたか.
さっき九十七階層の扉を開ける前に確認したことを思い出す.
……私に何ができるのか.
「いや,シノノメの言う事にも一理ある.みんな銃を下ろそう」
「アスタ! 君は本当に面倒臭いな」
アスタファイオスが指示すると,後ろにずらりと並んでいた兵士が全員銃を下ろした.
さらに,装甲と防毒を兼ねたマスクを顔から外す.
次々と素顔が現れる.
頭を振って長い髪をなびかせ,手櫛で整える者がいる.
そうして現れたのは端正な顔立ちの美女たち――そして間にパラパラと男性が見える.顔立ちは様々だが,全員が見事なまでに美男美女だ.
「すっげ.本当にハーレム系のゲームの世界みたい」
メムを初めて目にしたアーシュラが目を見開いた.
シノノメは目を細める.
「ここにいるのはイマジナリーフレンドの人たちばかりなのね.パートナーは……現実世界から移住してきた人たちはどこに行ったの? 家の中に引きこもっているの?」
「いや? 彼らはずっと一緒だよ.彼らには重要な仕事があるからね」
「仕事?」
「現実世界で戦う仕事さ.今も世界中の紛争地帯で彼らは戦っている.君の国――日本も今国境付近で大忙しになっているみたいだよ」
「どういうこと?」
「彼らにとってはマグナ・スフィアこそが現実で,君たちの世界は夢の中なんだ.戦闘機械の頭脳として――夢を見るように戦っている.そして現実世界で傷つくと,ここに帰ってくる」
「癒しを求めてね.現実世界の嫌な生活を逃れてこの世界に移住してきた最初の時のように――」
「何度も転生を繰り返し,転移を繰り返す.まさに夢の異世界生活じゃないか? ははっ! 戻ってくれば理想のパートナーに抱かれてね」
「何のことか分からない……」
「アスタ,シノノメにはそんな堅苦しい説明は向かないよ.ほら,こうすれば一目瞭然さ」
サバタイオスは焦れた様に一人の兵士に声をかけた.
「メグ,君のパートナーを見せてやれ」
名を呼ばれた美女は胸元のボタンを外し,左肩をはだけて見せた.
銀色の光沢を帯びた肌が現れる.
豊かな胸から肩にかけてが水面の様に泡立ったかと思うと,ゆっくり盛り上がり始めた.
それはやがて男の顔になった.
男は目を閉じ,幸せそうな顔で眠っている.
やがてゆっくり薄目を開け,口を開いた.
「メグ,もう朝かい?」
「いいえ.まだ眠っていてもいいのよ」
メグは優しく男の額を撫で,そっと自分の体に浮き出た男の口に口づけした.
盛り上がった顔はすうっと体の中に飲み込まれていく.波紋を残し,静かな水面に戻る様に滑らかな肌に変わった.
「お化け?」
「人面瘡? それとも,チョウチンアンコウかよ」
「チョウチンアンコウ? アーシュラ,どういうこと?」
「チョウチンアンコウのオスはメスに吸収されて体がくっついちゃうんだよ.口とか無くなって栄養はメスから直接もらうの」
「き,気持ち悪い……」
思わずたじろぐシノノメに,アスタファイオスが淡々と説明した.
「チョウチンアンコウは失礼だな.あれは交尾せずに精巣だけ提供する――臓器の一部に変化してしまうだろう.彼らはちゃんと脳――思考が残ってる」
「でも……自分の好きな人と本当に一つになってしまうなんて」
「彼らがそれを望んだんだよ.自立して異世界で生きることも辛い――そうなると,身も心も自分の愛する人と一つになりたい.そうすれば言葉による齟齬もない.心が一つなのだから」
「そんなのおかしいよ!」
「いや,欲望の塔の第九十七階層にいるというその事実こそが正しい」
「移住者とメムの本拠.ここはウェスティニアの学院と繋がっているのさ――君も知っている銀蛇でね」
シノノメは自分をさらいそうになった銀色の化け物を思い出した.蛇というよりも巨大な環形動物で,体の中はパイプのようになっていて,物資を輸送することが出来るのだ.
ウェスティニアに送り出されていた数々の機械文明の生産物はここから来ていたということになる.
「このマギカ・エクスマキナ――幻想世界と機械世界が融合した世界を形作った欲望が,この第九十七階層まで押し上げた.有機体と無機物が一体となった機械人.金属機械人間こそ欲望の塔の最強の戦士の姿なのさ」
「最強?」
あと二階層あるのに,どういうことだろう.
シノノメは一瞬疑問に思った.
「私はそんな姿になんてなりたくないよ!」
「それを望むのは君の自由さ.強制はしない.ただ君も君の仲間も,ここで一緒に暮らして欲しいと思っているだけだ」
「自分の好きな人間と,好きな環境で.いやなん人間関係に煩わされることもない.この階層の名前こそ――パンタシア.パンタシア・エクス・マキナ」
「“機械仕掛けの幻想”さ」
サバタイオスは得意げに腕を組み,アスタファイオスは嬉しそうに笑った.
血の色をした瞳が歪む.
「科学の粋と人間の夢想が融合したこの階層世界こそ最強.そして至高の場所」
「全ての夢が魔法の様な科学の力で叶う世界」
双子の言葉が重なると,頭がくらくらする.
シノノメは頭を振った.
幻想世界風に言えば呪言――言霊のようだ.
だが,違う.
彼らの言葉に同意できない.
「じゃあ……上の階層に行くのは?」
「みんなこの世界に満足しているからね.誰も望まないよ」
サバタイオスは離れた場所にある白い山を指さした.
よく見れば地形ではなく人工物だ.漏斗を伏せたような形の塔で,管の様な塔の先端は天井に向かって高くつきだされている.
「あの白亜の山――飛翔の塔を上るのは辛いからね」
「飛翔の塔? あれがゲートなの?」
塔の先端は途中で終わっていて天井にはつながっていない.
延びるのか,あるいは何か特殊な仕組みがあるのか.
「そうだよ.でも誰も行こうとしない」
「辛い事なんて選ばなくていい.この世界――階層には永遠の平安がある」
「下で血みどろの戦いをやってる奴らになんて決して味わうことが出来ない生活さ」
「機械大陸の頂上世界――それは現実世界を含めた全世界の頂点だよ」
「どんなに金を積んでも到達できな境地だぜ」
だめだ.
これ以上彼らの言葉を聞き続けていると,おかしくなりそうだ.
二人とも超絶的な再生能力を持っているのは経験済みだし,たくさんの銃口が自分を狙っている.
「少し……考えさせて」
「いいとも」
シノノメはしゃがみこんで壁の陰に戻り,一回大きな深呼吸をした.
グリシャムたちが身を寄せてくる.
「シノノメさん,大丈夫?」
「うん,あの人たちの言葉になんて乗らないよ.それよりもみんな――ゲートの場所がわかったね」
「となると――さっき話した通り,私のやり方でアリだと思う」
「ここはまるでテーマパークみたい……でも」
「人工的で歪だね.それに,アタシも気づいたよ」
「うん.音がしない.だからきっと間違いナイ」
「出たとこ勝負だね.ただ,アタシもこんな使い方はしたことないから,うまくいくかな」
「アーシュラは……」
「分かってる.気にしないで.自分の役目をこなすだけ」
「アイエルちゃんは?」
「何度か練習してきたからきっとできるよ――ここで出し尽くす」
「ごめんね.大事な物なのに……」
「惜しくなんてないよ」
四人は立ち上がった.
壊れた家の壁に辛うじて残ったドアを開け,ゆっくり出て行く.
先頭はグリシャムだ.
シノノメは白い山――飛翔の塔の方向を確認した.石畳の街路がそちらに向かって伸びているが,さすがに入り口はメムの兵士が固めている.
「ようやく決断できたかい?」
「その気になったか? シノノメ? そして,お嬢さんたち」
「答えは,これだよっ!」
シノノメの声とともに全員が動いた.
 




