6-3 ’人間’の王 ベルトラン
「では,率直にこの度の要件と参ろうか.ガスティロ!」
ベルトランが呼ばわると,彼の左わきに立っていた男が進み出た.
灰色の法服を着て丸眼鏡をかけた痩せぎすの男であり,一目で文官と分かる.
羊皮紙を広げて掲げ持ち,やや甲高い声で読み上げた.
「この度素明羅皇国に対し行った軍事行動に関し,遺憾の意を表明する.ベルトラン閣下の特別の思し召しにより,イルミーヌ鉱山の産出物を二年間貴国に贈呈する,以上」
読み終わるとガスティロは書状を丸め,恭しくベルトランに差し出した.
後ろから小姓が進み出て,車輪のついた文机を運んで来る.
ベルトランは文机に書状を乗せると蝋封を施し,右手の指輪で蝋印を押した.
小姓がガスティロから書状を受け取り,一礼して長須根に渡す.
あまりにもあっけない用事の終了である.これだけのことのために呼びつけられたことが屈辱的ですらあった.頭に血が上りやすいと自認する蔡恩は,拳をぐっと握りしめてこみ上げる怒りを耐えていた.
「これで用は済んだわけではない.ベルトラン閣下は,今回の事件の責任者の処遇をどのように致す所存か,お聞かせ願いたい」
長須根がぎりぎり無礼にならない程度の丁寧さで質問した.
彼とて一国の外務大臣である.このような子供の使いじみた用事のために来たのではない.素明羅の主権を堂々と訴えるために来たのである.ノルトランドは素明羅を軽んじているという思いが強い.
「第二百七十三軍事法廷で,主犯,一等神祇官ユーグレヒトは有罪と確定.ケルベロスによる公開処刑と判決が決まった」
一方的に棒読み口調でガスティロは言い放った.
ノルトランドで高位の文官,武官はいずれもプレーヤーで占められている.だが,まるで機械が喋ってるみたいだとシノノメは思った.
「それはどうですかな! 彼が主犯と言うならば我が国で裁きを受けさせたい.ユグレヒト殿を引取らせて頂く!」
前もって打ち合わせをしていた通り,蔡恩が発言した.彼の声は良く通るので堂々とした印象を与える.柔の長須根と剛の蔡恩,という役回りを決めて相手との交渉を進め,落としどころを探る政治的な作戦だ.
「それはならん」
ベルトラン自身が答えた.謁見の間に彼の太い声が響き渡る.王の不興に,警護の儀仗兵たちも緊張している様子がうかがわれる.
「貴君らは我らが軍事法廷を軽視しておられるのか? それとも信頼ならぬと?」
ガスティロがベルトランの後を続けて喋る.
「いや,そういうわけではない.しかし……」
長須根は敢えて気弱なふりをして逡巡して見せた.
「いーや,信用ならんであろう.何せ,一国への侵略行動ですぞ? 一介の神祇官ができることですかな? 国を挙げて何か秘密をもみ消しておるように感じるは下衆の勘繰りでしょうか?」
蔡恩が,大きな目でぎろりとガスティロを睨んだ.
「失敬な!」
ガスティロが眼鏡を押し上げて冷静を装うが,内心の動揺を取り繕っているようにも見えた.
「これは決定事項である.ユグレヒトは明日未明に処刑する」
ベルトランが言い放った.何人にも異論をはさむことは許さない,という宣言だ.
「何!? 四日後ではないのか!?」
「ええっ!」
どよめく素明羅の面々とは対照的に,謁見室に控えるノルトランド人は微動だにしない.処刑の日程はまだ先のはずだった.彼らは絶対君主の気まぐれに慣れ切ってしまっているのだろう.
「今変更した.俺が決めた.以上で終了だ.夜は祝宴を設け,明日処刑をお見せしよう.メイドども,客人方をお部屋にお通しするがいい」
独裁者ベルトランが断言する.
ガスティロが慌てて手を叩くと,謁見の間の奥に繋がるドアが開いてメイド服の少女達がゾロゾロと入って来た.
「ヒー,ヒッヒッヒ,閣下の心変りは毎度のこと.法廷が絶対か,閣下のお心が絶対か,誰にも分らぬ,誰も異は唱えぬ」
耳障りな甲高い声で道化が笑った.謁見の間に彼の笑い声が響く.
「ちょっと! ベルトランの王様!」
シノノメが手を挙げた.
シノノメは何でも率直に発言してしまう.黙っているようにセキシュウに言われていたので,これまでずっと我慢していたのである.
となりに立っていたアイエルの長い耳が緊張で垂直に立ち上がった.
「私,呼ばれて来たんだけど,これはどういう事!?」
「おお,お前が東の主婦か」
「主婦じゃないよ! 私の名前はシノノメだよ!」
シノノメは物おじしない性格というわけではない.
叙勲式の時のように,自分だけが指名されたり,持て囃されたりというような目立つ状況になるのはむしろ苦手だ.
彼女の場合は,何かやり遂げたい事があると必死になって周りが見えなくなってしまい,結果として目立ってしまうだけなのである.
「私,これじゃ全然関係ないじゃん!」
「ふふん,お前の顔が一度見てみたかったのだ.東の大国素明羅最強の戦士というのが,どんな奴かな.ただの小娘が最強とは笑わせる」
ベルトランは豪快に笑った.それに追随するようにしてガスティロが笑うと,謁見の間のあちこちからくぐもった笑い声が起こり始める.
ランスロットだけが笑っていなかった.
「大体あの町の様子は何! ガラガラじゃない! 国のみんなはあんなに苦しんでいるのに,食べ物は取り上げて,家族を別れ別れにして,物価は滅茶苦茶高いし,公共料金とか税金もどうせ高いんでしょ!」
横にいてシノノメをなだめようかと迷っていたアイエルは,この言葉を聞いて気付いた.
……シノノメは,自分が侮辱されていることなど問題ないのだ.例えNPCだとしても,誰かを理不尽に傷つける存在が許せないのだ.
「はっはっは! 誠に主婦らしい意見だな.物価? 公共料金?」
「そうよ! 王様なら,みんなの幸せを考えるのが仕事でしょう!」
「何故だ? 何故我々プレーヤーがそんなことを考えねばならん? NPCは我々がゲームを楽しむために存在するのだぞ.税金を絞り取ろうが,奴隷労働させようが,倫理コードでの制限さえなければ何をしようと自由だろう?」
ベルトランにとってはシノノメの考えこそ異常なのだった.
「現実世界でできない事を成し遂げるのが,この世界の醍醐味ではないか.何万人殺そうが,何千の街を陥落させようが,戦争であれば英雄になれるのだから」
「にゃにゃにゃにぃ!」
シノノメはかんかんに怒っていた.猫人と間違えるかというほど舌が回っていない.
爆発寸前である.
魔法の詠唱もしていないのに,彼女の体は青白く輝いて雷光を放ち始めた.
先日のユルピルパの時のような大爆発を起こしかねない様子だった.
「ほう,やる気か? 今すぐ,ここでか?」
ベルトランの濁った隻眼が怪しい燐光を放ち始める.
彼は右手を後ろに掲げた.
空間が歪んで黒い影が出現したかと思うと,その影は剣の形をなした.
剣の刃渡りは百五十センチほど.黒い刀身の両刃の剣だ.
魔剣,ベーオウルフ.
地獄を住処とする暗黒の竜を一撃で斬り殺すという伝説を持つ.ベルトランはこの剣を手にノルトランド一国を手中に収めたのである.
ベルトランはゆっくり立ち上がって魔剣を手にすると,片手で軽々操り剣先をシノノメに向けた.
はじめあった時の病的な印象が消え,身長二メートル近い体から,黒い暗黒の闘気が立ち上ってくるように感じる.
窓ガラスが震え,寄木細工の床がみしみしと音を立てる.
二人がまともに激突すれば,この宮殿も壊滅してしまうかもしれない.
巻き添えになれば,無事では済まない.先程までシノノメを嘲笑っていたノルトランドの騎士達も,この光景には戦慄していた.
「おやめ下さい,閣下」
凛とした声が響き,ベルトランの前に竜騎士ランスロットがひざまずいた.
「わしに意見するか,ランスロットよ!」
ベルトランの剣先はランスロットの端正な顔に向けられた.額に剣先が食い込み,血の玉が噴出し始める.
「ここで閣下が剣を振るえば,主婦シノノメを見物に今宵の宴に来られる貴族の方々が落胆なさるでしょう.そして,美しい謁見の間と魔剣ベーオウルフを,小娘の血で汚すことはありますまい」
噴き出た血液は額から高い鼻筋の横を伝い,首元へと流れていく.
「ふん,なるほど.命拾いしたな,主婦」
ベルトランは剣を納めた.魔剣が歪んだ空間の中に飲み込まれて消える.
「ヒッヒッヒ,ランスロットは主婦殿にご執心! どうせ陛下の刀の露となるだけのこと! 今宵の宴は骸を囲めば良かった物を!」
宮廷道化師,ヤオダバールトはランスロットの周りを踊り歩き,はやし立てた.
「黙れ,下がれ,道化め!」
ランスロットが睨みつけると,ヤオダバールトは踊りながらベルトランの後ろに逃げ去った.
「主婦よ,いずれ雌雄を決することになろう.控えの間に下がって,今宵限りのノルトランドの宴を楽しむがいい」
ベルトランは玉座に腰を下ろしながら言った.
「ヒッヒッヒ,お楽しみは後回しですな!」
後ろから「いないいないばあ」をするようにひょっこり顔を出して道化が笑った.
****
黒いメイド服を着た少女達に案内され,素明羅公使一行は客間に通された.
外務大臣の長須根と副大臣の蔡恩は一人部屋だが,シノノメとアイエルは相部屋だった.
ちなみに,男性陣はセキシュウ・カゲトラ,アズサ・アキトの二人組ずつに分かれている.アズサとアキトの言動から,それ以外の組み合わせはありえないのである.
相部屋とはいえツインルームで,十分な広さがある.寝る用のベッドとは別にソファベッドと執務机もあり,窓からは宮殿の裏庭が見下ろせた.
「はあ,私,もうこのまま戦争になっちゃうのかと思った!」
部屋に来て早々,コートを放り出してアイエルはベッドに倒れ込んだ.
「いや,さすがにそれはないよ」
シノノメが苦笑する.
「えっ? 冷静に判断してたの?」
「冷静だったかと言われると,それも違うんだけど」
「でも,あのランスロットっていう人に救われたのかもしれないですね」
「うーん,どうかなあ.もう,何考えているか分からないよ」
四大陸公会議の時のランスロットの粗暴な行いをシノノメは思い出した.
……昔はいわゆる騎士道精神の権化みたいな,少々真面目すぎる青年だった.端正な顔立ちで滅茶苦茶強いので,女の子にものすごくもててたけど.
「さて,夜のパーティーまで二時間くらいしかないから,準備しないとね」
「えー,まだ二時間もありますよー」
アイエルは緊張で余程くたびれたらしい.クッションを抱えて丸まり,嫌々をした.
「そんなことを言っちゃいけません.アイエルちゃん.恋のチャンスはいつ転がっているか分からないものです」
シノノメの目が怪しく光った.
「シノノメさん,微妙にキャラクターが変わってますよ!」
ワキワキと動くシノノメの手がアイエルのシャツのボタンにかかったところで,窓をノックする音がした.
「はーい」
シノノメは哀れな獲物アイエルを開放し,パタパタと走って窓を開けた.
「あ,お疲れ様」
窓の外にシノノメは話しかけるが,何も見えない.
透明の‘何か’が窓から入って来て,毛足の長い絨毯が二か所足型に沈んだ.
「全く,いつ入ったらいいのか困ったよ.女の子二人の部屋だっていうのすら緊張するのに,もうちょっとで入れなくなるところだった.これじゃ,変態じゃないか」
透明の空間から,ブツブツ声がする.
声の主は,ふわりと身を包んでいた薄布を取って姿を現した.
「シノノメさんの透明肩掛け,すごいね.ジョブ的に俺が欲しいくらいだ」
それは,忍者装束の猫人,にゃん丸だった.
次回は同時刻でちょっと舞台が変わります.