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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第32章 A Kind Of Magic
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32-10 Cliffhanger

 薄暗い階段を百段ほど登っただろうか.

 シノノメはとうとう膝をついた.


「シノノメさん……」


 グリシャムに答えようとしても声が出ない.心臓が爆発しそうだ.

 それでいて手の先が冷たい.頭から血の気が引いて行く感じがする.

 にゃん丸が監視機械の攻撃を引き受けて自爆した後,物音を立てないように気を付けながら上がって来た.

 ポーションを飲みながら誤魔化し誤魔化ししてきたのだ.


「限界だヨ.これ以上続けたら,ゲームオーバーになっちゃうヨ」

「それは……絶対に……避けなきゃ」


 ここまで来るためにたくさんの仲間が協力してくれたのだ.

 今や危険なゲームとなり果てた“マグナ・スフィア”での死は,脳障害にも直結するという.自分の様に目覚めることが出来なくなる危険性があるというのに.


「金毘羅さんか,戸隠神社みたいだネー.階段がどこまでも続いてる.普通に上るだけでもしんどいヨ」

「両方とも,昔……行ったことがあるけど……二度と昇りたく……ないよ」

「すごいネー.あたし,両方とも写真でしか知らないヨ」


 のんびりしたネムの言葉に随分助けられる気がする.

 徐々に掌に熱が戻って来た.その代わりじっとりとした汗が噴き出してくる.熱中症になりかけたときに似ている.

 力が入らなくなった手足を引きずるようにして動かし,何とか座った.


「ネム,それで……あれは,できたの?」

「うん.シノノメにもらったショールをほどいてネ」


 ネムは毛糸で編んだ肩掛け鞄の中に手を突っ込み,薄緑色に光る布地を取り出した.

 広げるとそれはフードが着いたケープだった.


「可愛く,できたね」

「うん」


 ネムは帽子を取ってケープを羽織り,フードを被った.たちまち姿が消える.


「シノノメの透明肩掛けに糸を混ぜて編んだんだー.透明になるし,完全防音だヨー.引きこもりケープって名前を付けるヨ」

「さすが,編み物師」

「ヘヘへ」


 フードを取ると,寝ぼけまなこの顔だけが出てきた.


「じゃあ,しばらくお願いね.私,休んで来る」

「シノノメさん……」

「大丈夫だよ,グリシャムちゃん.もう私は前の私じゃないから.信じて」

「信じてるよ! 信じてるけど,それでも心配なの.それに,ネムに託すなんて,やっぱり私は心配」

「ここまで一緒に来てくれた,ネムなら信じられるよ……」


 シノノメはエプロンのポケットを探り,“アラジンの壺”を取り出した.

 カカルドゥアのニャハールが開発した,携帯できるセーブポイントだ.

 パーティの仲間に託せば,仲間が移動した先に再びログインできる.


「グリシャムちゃんも休んだ方が良いよ.膝が笑ってるもの.たくさん魔法を使ったし,本当はとってもしんどいんでしょう?」

「でも,そんなのナイよ,ネム一人で行かせるなんて.私が魔法で護衛しないと」

「ううん,一人だから目立たないんだよ.……きっと,マグナ・ヴィジョンでも監視できない」

「それは……その通りだろうけど」

「任せてヨ.あたし,影が薄いのには自信があるんだ」

「ふふ,何それ……じゃあ,頼むね,ネム」


 シノノメはアラジンの壺に手を当て,目を瞑った.

 セーブ.そして,ログアウト.

 マグナ・スフィアにやって来てから,思えば初めての経験かも知れない.

 ずっと点滴につながれているシノノメには,活動限界が無かったのだ.アバターを残して停止ポーズ状態になる休眠も,クエスト半ばでいったん退出するログアウトもしたことがない.

 大丈夫……みんながいる.前の私じゃないから.

 小さな笑みを浮かべ,シノノメはゆっくり姿を消した.

 放った光が再び消えつつある.アラジンの壺を擦りながらネムは言った.


「バイバイ,またね,シノノメ」


 心配そうにグリシャムがネムを見ている.ネムは肩掛け鞄にアラジンの壺を仕舞った.


「グリシャムも休んだ方が良いヨー」

「分かってる? 本当に分かってる? ネムに私たちみんなの命運を託すんだよ」

「うーん.そう言われると,ビミョーだけど」

「ネム!」


 大声が出そうになり,グリシャムは慌てて声を押し殺した.


「でも,こうやってずっと同じことをするのは得意だよ.階段をずっと登ればいいんでショ?」


 ネムは階段を上り始めた.足音が全くしない.


「そういう問題じゃなくって……」

「だって,あたし,戦闘とか役に立たないモン.グリシャムは一旦休んで回復すれば,またシノノメを助けて戦えるでショ? そのために,力を蓄えておいた方が良いヨ」


 ふと,魔法の杖が大きな音を立てた.グリシャムはぞっとして立ち止まった.

 足が相当疲れている.知らず知らずのうちに杖に体重を預けて歩くようになっているのだ.

 壁の四角い穴からシャカシャカという音がし始めた.

 ガラガラヘビの威嚇音にも似ている.

 黒い穴の中からゆっくり,ムカデの頭のような機械がぬるりと這い出し,周囲を窺っている.

 グリシャムは息を押し殺した.

 長い機械は蛇のような身体を上下左右にゆっくり揺らめかせて辺りを窺うと,再び壁の中に戻って行った.


「ふう……ネム?」

「ココだヨ」


 すでに螺旋階段の上の方に上っている.

 透明ケープの中からひょっこり顔だけ出しているネムが見えた.

 慌てて追いつこうとすると,震える足先が階段を叩き,大きな音が出そうになる.

 そっと踏み出してネムの所に追いついた.


「ネ,にゃん丸さんが言った通りだヨ.この服なら気付かれないヨ」

「でも……それでも,こんなのナイよ.一人で,たった一人で行くなんて」

「一人は慣れてるから.あたし,一人で,ずっと同じことするの慣れてるから.それに,あたしの脳,壊れてるから」

「そんな……」

「あたし,現実世界では,淋しくって,怖くって,沢山クスリを飲んだから.みんなが大きなけがをするようなダメージを受けても平気だし」


 ネムは薄ら笑いを浮かべたようないつもの表情のままだ.グリシャムはいたたまれなくなる.


「こっちの世界でも落ちこぼれだし,いつも眠ってばかりなんだけどネー.大好きなクルセイデル様がいなくなっちゃって……魔法院も無くなって……でも,クルセイデル様があたしに言ってくれたモン.あたしは,いつかきっと大きな仕事をするって.きっとこれがそうなんだって思うんだ」

「ネム……」


 ネムが鞄からアラジンの壺を取り出した.

 グリシャムは震える手を伸ばした.シノノメとネムの言う通り,自分も限界なのだ.つないでいる点滴が残り少ないのか,それ以上にカロリーを消費する戦いだからなのか分からないが,体中を猛烈な疲労感が包んでいる.

 饕餮紋が刻まれた壺の表面に手を当てる.


「頼んだよ」

「うん.大丈夫.目立たないのは得意だから」

「セーブ……ログアウト」


 グリシャムは一瞬光を放った後,壺に吸い込まれるように消えて行った.

 ログアウト時の明滅でほんの少し明るくなった抜道の竪穴に,再び薄暗さが戻ってくる.


「ふう.さて道は長いネー」


 ネムはフードを被り,階段の続く遥か彼方を見上げた.

 どこまでも続いている様で,行く先は闇に沈んでいる.


「行こう」


 仲間が入った壺を大事に鞄に仕舞い,再び歩き始めた.

 一歩一歩,踏みしめるように.


 ***


「何ということだ」


 先ほどから溜息しか出ない。

 ドローンの窓から雨にくすぶる関東平野が見える。

 あちこちから煙が立ち上っている。

 塚原セキシュウが呟く。


「まるで戦時中だ……」


 窓の外に一瞬視線を移した後、千々ちじわが答えた。


「そうですね……まるで爆撃されたみたいだ。現在都内の四十三か所で火事が起きているそうです。交通渋滞と列車事故で交通網も寸断されています」


 千々和は有人ドローンを操縦している。

 二人はシノノメが入院している病院から総理官邸を目指していた。

 陸軍の部隊が病院を包囲し、唯の体を接取しようとしている。

 サマエルを破壊するためのプログラムを病院に届ける交通路は封鎖されている。

陰に内務省の官僚である片瀬シェヘラザードがいるとにらんでいる。人工知能を信奉する彼女を止めなければならない。

 

「ある意味、我々と人工知能の戦争なのかもしれん」

「ですが、ここまでなりふり構わずやるなんて信じられません。連動するように世界中の那由他型スパコンが暴走してるんですよ」

「暴走なのか、どうかな」

「どういう意味ですか?」

「人工知能にとっての生存競争――殺されないための必死の抵抗とすれば」

「だって、人間側にはもう死者が出てるのに……GPSで誘導されている高齢者が危険行為を起こしたり、AI運転の自動車の事故だって」

「彼を咎める法律など無いのだ。良心も――あるかどうかは分からない」

「でも、このままじゃ日本はおろか世界大戦に突入の一触即発状態ですよ。ロシアと高麗連邦の軍隊が国境線まで移動してきたから、攻撃型護衛艦が緊急配備されました」

「自分がいる世界を壊して――人間を人質に取ってるつもりか、あるいは死なばもろともか」

「国民には知らされてませんけど……暴動は世界の大都市で広がっていて、ロンドンとモスクワでは大規模な爆発があったみたいです」

「騒乱が続けば、次第に厭世的な雰囲気が醸成されていくだろう。この世が嫌になれば幻想世界に移住したくなる人間が増えるかもしれん」

「電子世界への移住と聞こえは良いですが、結局は自殺と同義です。僕は今でも電子情報だけになった首脳たちと戦った時の不気味さを忘れられません。自分たちを罰するものが何もなくなった時、ああも人は邪悪になれるのでしょうか? 移民だなんて……そんな人たちを増やすだけです」

「サマエルはこの世界をどこに連れて行くつもりなのだろうな」

「サマエルと言えば……あっちの世界――マグナ・スフィアの方では、シノノメさんは八十一階層まで行ったみたいです。でも、そこからふっつり消息を絶ったって、ネットのニュースでは大騒ぎになってます。無事に八十三階層の抜道にたどり着けたんでしょうか」

「シノノメはやり遂げると信じているよ」

まろばしのセキシュウ、最強の弟子ですもんね」

「弟子というか……大して教えた覚えはないのだが」

「そうなんですか? ……あ、官邸が見えてきましたよ」

「分かった」

「片瀬も総理と一緒にいるんでしょうか――現在、災害対策委員会を設置するための会議のための小委員会を行っているらしいですが」

「分からん。だが、君たち情報部の情報ではそうなんだろう?」

「入って、それから出た姿は記録されていませんが――緊急着陸を請う。こちらは陸軍の千々和少尉。至急の用事で塚原前経団連会長をお連れしています――総理とアポイントメントはあるのか、って聞いてきています」

「先日の会食でお話した緊急事態とでも言っておきなさい。裏付けを取っている間にヘリポートに強行突破で着陸してしまおう」

「か、過激ですね?」

「なに、人口密集地帯で撃墜するわけにもいくまい? 今は混乱のさなかで情報が錯綜しているだろうし、国軍のドローンを撃墜できるほど――失敬、この国の防衛網は厳しくないよ」

「了解しました。では、しっかりつかまっていてくださいね!」


 千々和はコンソールをグイっと前に倒した。

 急降下で首相官邸のヘリポートを目指す。

 機体をやや傾けながら無理やり着陸すると、慌ててスーツ姿の男が二人屋上に飛び出して来た。

 ローターの回転を待って近づいて来ると、懐から銃を出して窓越しに突き付けられた。

 雨で声が聞こえにくいが、ゆっくり出てこいと言われているのは間違いない。


「では、行こう」

「待ってください、私が先に」


 千々石はドアを開け、IDカードを掲げながら手を挙げた。

 警視庁警備部警備課――総理大臣官邸警備隊だろう。IDリーダーを出して千々和の身分階級を確認している。千々和の所属部隊である情報部は特殊な扱いだ。確認してもただ陸上防衛軍所属としか表示されない。

 百五十センチと少ししか身長がない千々和から見れば、二人とも大男である。


「君が……少尉?」

「防衛大学校を卒業すれば尉官だからな」


 子供のような外見の千々和を見て少し緊張感が緩んでいるのが分かる。

 千々石にとってはいつもの反応だ。


「確かに確認しました……ですが少尉、何の用事ですか?」

「山本幕僚長からアイオーンの塚原会長を至急お連れするように命じられました。内容については、私は知らされておりません」


 使い走りの小娘を演じるのだ。

 二人が胸に銃を仕舞うのを確認して、窓の中の塚原を紹介した。塚原はドローンの中で重々しく頭を下げる。

 貫禄という物だろうか。つられて二人も軽く会釈を返していた。

 ドアを開けると、塚原は手を差し出した。


「千々和さん、すまないが手を貸してくれ」

「あ、はい」


 男たちの身体に少し緊張が走るのが分かる。すかさず塚原が口を開いた。


「すまない、私は体が不自由なのでね――できれば、傘を貸していただけませんか」


 背が高い方の警備官が塚原の体に走る紋様――医療用デバイスの埋め込み痕に気付いた。

 子供のような陸軍士官と病気の老人――自分は何を警戒しているのだろう――そんな呟きが聞こえてくるような気がする.


「この混乱の原因として、那由他型人工知能の異常が疑われていると聞いています。開発に関わった当社の代表ということで――オブサーバーとしてでしょうか、声がかかった様です。統合幕僚長の山本君は私と旧知の中なので、現場の人間よりとりあえず統括できる連絡役ということで呼ばれたんだと思います。佐久本総理とも先月お会いしたばかりだからなのかもしれません」


 塚原の声は人を蕩かせる、と千々和は思う。低い声と存在感が圧倒的で、相手はそれを信じてしまう。


「メールも電話も、情報機器の異常で混乱している様子ですが――」

「確認が取れるまでお待ち願えませんか」

「分かります。しかし,何分この豪雨の中――中で休ませてはいただけませんか」


 二人は一瞬顔を見合わせた。


「塚原さんはご病気なんです。お願いします。それか、傘を――寒い」


 雨に濡れた小娘と老人。哀れっぽく頼んで見せた。小柄で童顔、子供のようにしか見えない外見はコンプレックスの元で、こんな媚びを売る様な態度をとるなんて普段なら毛嫌いしている。

 だが、今は大きな目的があるのだ。そのためには自分のこだわりなど取るに足りない。

 風谷の言葉を思い出す。

 ……自分は切り札なのだから。


「分かりました――とりあえず中へ。確認を急いで取ります」

「ありがとうございます。」


 男たちが案内のため背を向けた後、塚原と千々和は目を合わせて小さく頷いた。


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