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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第32章 A Kind Of Magic
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32-8 No Air

 けふのうちに

 とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

 みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ


 プラスチックのジャングルをかき分け,どす黒く赤い竜が進んで来る.

 絵物語の竜に比べればそれはあまりにも不格好で,頭ばかりが大きい.

 捕食者――巨大なあぎとで敵を食いちぎり,蹂躙することを目的とした殺人機械なのだ.


 ……妙に静かな気持ちだ.


 ランスロットは湖の盾の先端を地面に突き刺し,剣を両手で構えた.

 すでにステイタスウインドウが立ち上がる距離だ.

 敵のレベルは八十三.

 まさにこの階層の王者というわけだ.

 ゲートあたりでシノノメを待ち構えていたのだろう.

 戦いの音を聞きつけて慌ててやって来たに違いない.

 身長は三十メートルくらいか.

 動きは遅いが,脚幅ストライドが大きい.

 ノルトランドの最終戦でシノノメと二人,雷竜ベーオ・ウルトロンと戦った時のことを思い出す.

 けたたましい音で咆哮している.

 黙れよ,と思う.

 シノノメを静かに送り出してやりたいのだ.

 初めて会った時は,壊れた人形の様だった.

 それでいて,水晶のような――純粋な――透き通るような魂の持ち主であることに気付いた.

 誰よりも優しく.

 誰よりも傷つきやすく.

 誰よりも強く.

 かつて守り切れなかった妹と重ね合わせるには,あまりにも無理があるかもしれないが.

 彼女を救うことで救われた自分があり,そしてまた,壊れた電脳世界の中で確かに自分は救われたのだ.


 ……ありがたう わたくしのけなげないもうとよ


重力弾グラヴィティ・バレット


 詠唱銃の魔弾で,敵の下腹部を狙う.

 戦闘態勢になると意外に俊敏に動く.

 大腿の機械を削ぎ落したが,動きは止まらない.

 左右に体を振りながら,突進してくる.


 こちらが竜戦士ドラクーンであることは敵も承知か.

 調査リサーチ済み,ということだ.


「真向勝負だな.……天王竜滅剣ウラヌス・ドラゴンデストロイヤー


 愛剣を握りしめ,八相に構えて敵を睨む.

 剣が光を帯びる.

 シノノメはこの青い光を見ているだろうか.


 ……わたくしのけなげないもうとよ


 俺は俺で一人行くよ.


 わたくしはいまこころからいのる

 どうかこれが天上のアイスクリームになつて

 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


 青い光がはじけた.

 背中の後ろでそれを上回る巨大な光球が発生したのを感じる.


 ……君が幸せでありますように.


 ランスロットは青い光になった.


 ***


 巨大な雷球が,尾を引きながら第八十一階層の天井を壊していく.

 超高熱のプラズマは接触する瞬間に鋼材を蒸発させていくのだ.

 まるで光の玉が天井にめり込んでいく様にも見える.

 八十一階層の空で凄まじい音と光が爆発した.

 シノノメの最強魔法,フーラ・ミクロオンデ.

 通称,電子レンジ.

 合わせた両手の間にマイクロ波を発生させ,開放した超電磁力により一切を破壊する.

 かつてユルピルパ迷宮をクレーターに変え,雷竜を蒸散させた必殺技だ.

 だが,その規模が大きければ大きい程,準備をしてから発動するまで完全な無防備になる.

 グリシャムが背中側で防御の魔法を展開してくれている.

 ネムが見守っている.

 にゃん丸はトラップを仕掛けながら周囲を警戒している.

 ハヌマーンが,カゲトラが,そしてランスロットが機械獣の襲撃を必死に食い止めてくれている.


 ――幸せにおなり.


 ……背中が温かい.


 シノノメは両手を天に掲げ,球体に意思を吹き込んでいた.


 上へ,上へ.


 八十一階層の空を突き破り,さらに八十二階層の天井を打ち破るのだ.

 本来こういう使い方が出来る魔法ではない.

 密閉された空間に高エネルギーを叩きこんで分子振動を起こす技である.

 力を得た今ならできる――シノノメは確信していた.

 雷竜ベーオ・ウルトロンを倒すときに使ったバージョン・ツー.

 フーラ・ミクロオンデのボールをぶつけたあの感覚――さらにそれを大きくすれば.

 ともすれば雷球が落ちてきそうになる.

 だが,それを高く,高く.

 天の向こうまでも送り出すイメージで.

 必殺の雷球は八十二階層の天井にめり込み,大きな穴を開けていた.

 掘り進む,という表現が良く似合う.高く挙げたシノノメの手に押されるようにして上昇していくのだ.

 凄まじい破裂音がした.

 穴のふちからボトボトと黄色い液体が垂れてくる.

 グリシャムが即座に杖を振った.


「やばッ! でも,予想通り.フルーラ・バブル!」


 グリシャムは待っていたとばかりにフルーラ・バブルを展開して自分とシノノメ,そしてネムを包んだ.

 防護機能,酸素保持機能がある透明な皮膜――シャボン玉だ.

 八十二階層から雨のように垂れてきた強酸性の液体を受け流す.

 シャボン玉越しにシノノメはさらに手に力を込めた.

 グリシャムのフルーラ・バブルは,魔法防御の魔法陣と違って“物質”なので,皮膜越しでも魔法を使うことが出来る.

 光の玉は上空で随分小さくなって見える.

 遠くで獣の悲鳴が聞こえる.

 ランスロットが竜を屠ったのか――それとも.

 いや,今はこの手に集中するのだ.

 掌に熱を感じる.

 そして,自分の体の力――MPが急激に少なくなる,血が引くような感覚がある.


「負けるもんか!」


 そして二度目の衝撃が手に伝わって来た.

 天井の穴を通して,悲鳴のような声と物が焼け焦げる音がする.

 ふと,何か抵抗が少なくなったような感じがした.


「抜けた!」


 そう思うと同時に,ふっと光球が姿を消した.

 天井の縁がスパークを起こして火花を散らし,ブスブスと焼け焦げて煙を出している.

 二つの階層のさらに向こうに,虚ろな穴が見える.


「あれだよ!」

「トンネル開通だネ!」


 酸の雨が止んでいる.

 グリシャムがフルーラ・バブルを解除した.


「これで上に上がれる……」


 一歩踏み出すと体が泳いだ.

 全身の力が入らない.


「シノノメさんっ!」

「グリシャムちゃん……」

「大丈夫,うまくいったわ.あとは,あの穴が自動修復されないうちに,急ぎましょう」

「うん……」


 心臓がバクバクしている.息が苦しい.

 シノノメはあえいだ.

 グリシャムに肩を借りて歩くが,物が二重に見える.


「ネムはそっちを持って.魔法の箒は二人乗りまでよ」


 お尻に硬い箒の柄が当たった感触がする.視覚と体がバラバラで,頭が回らない.

 足元に地下足袋をはいた猫の脚が見える.


「シノノメさんは大丈夫かっ?」

「大丈夫じゃないヨー」

「にゃん丸さん! 早く移動して,早く休ませないと!」


 にゃん丸の声が遠くに聞こえる.

 今度は体に温かい羽毛を感じた.寝かせられている.

 そう思った瞬間,体が宙に浮く感じがした.

 鳥が羽ばたく音が聞こえる.


 ああ……にゃん丸さんが召喚獣のカラスを呼んだんだ…….


 にゃん丸の召喚獣,八咫烏やたがらすは三本足の神獣だ.

 急速に空に舞い上がった.


「……後続の機械獣どもが殺到してる.飛行型もいる! 八咫烏で突っ切るぞ!」

「ランスロットさんは?」

「……ティラノサウルスみたいな,巨大恐竜型が斃されていくのは見えた」


 にゃん丸が口ごもっている.


「ランスロットは……」

「シノノメさん,分かるかい? 気をしっかり持って! もう狂獣界は終わりだよっ!」


 そんなことより,ランスロットの安否が知りたかったのに.

 だが,それを口にする気力もない.にゃん丸は必死で召喚獣を駆っている.

 空気が生暖かくなった.

 強烈な酸――アンモニア臭がする.

 シノノメは顔をしかめて上体を起こした.


「シノノメさん,休んでいて!」


 中世のヨーロッパでは女性の気付け薬に刺激臭のある薬品を使っていたという.

 とてもではないが休んでいられるような臭いではない.

 見ると八十二階層は薄暗く,どこまでもパイプラインが続く不気味な空間だった.


「今のうちに,ポーションを……」


 エプロンのポケットを探り,健康ドリンク型の瓶を取り出して蓋を開けた.

 カサカサになった唇にあてがい,数滴をすする様に口にする.

 手が震える.


「グリシャム,光の魔法はないかい?」

「ルーミラっ!」


 基礎中の基礎の魔法,光の魔法でグリシャムは辺りを照らした.

 八咫烏は鳥類なので暗いところを飛ぶのが苦手なのだ.

 パイプラインの影にこちらを窺う機械人がちらほら見える.

 呆気に取られている様子だが,突然ハッとしたような動きを見せた.

 シノノメ達の意図を察したのだ.水鉄砲の様な形の武器を構え始めた.背中のタンクにチューブで繋がっている.


「来たっ!」

「酸を放つ放水銃だっ! 羽が焦げる! 頑張れ八咫烏!」


 にゃん丸は手裏剣で牽制しながら八咫烏を上へ上へと向かわせている.

 液体の線条をかわし,縫うようにしながら飛ぶ.

 飛沫がはねて服に着くと,焦げる音とともに小さな穴が開いた.


「……にゃん丸さん,毒ガスの空間はどうするの?」

「フルーラ・バブルなら全員入れるわ.……でも」

「構わない.八咫烏は,きっとオイラの気持ちを分かってくれる.ランスロットさんや,カゲトラさんや,ハヌマーン……魔法院の魔女さんたち……みんなが渡してくれたバトンを継ぐんだ」


 にゃん丸は愛おしそうに左手で八咫烏の首筋を撫でた.

 強酸の射線を飛び越えると,八十二階層――溶融界の天井に開いた穴が頭上に広がっていた.

 流石にこの高さまで攻撃は届かない.

 だが,穴の奥から不気味な紫色の霧が漂ってきている.


「よしっ! 行け!」


 にゃん丸の号令一下,八咫烏は黒い羽を羽ばたかせて毒界ポイズナスへの入り口に飛び込んだ.

 一応頭にはグリシャムがフルーラ・バブルをつけておいた.だが,これでどのくらい空気がろ過できるのかは分からない.

 分厚い金属の床を抜け,八咫烏は八十三階層の空間に入った.

 八十三階層の街並み――そう言っていいのか分からないが――は,どこまでも続くガラスの建造物群だった.

 混沌とした理科の実験室を巨大にした空間――それが一目見て感じる印象だ.

 縦横無尽に走る入り組んだガラス管を,黄緑色や赤の毒々しい液体が流れている.

 時折あるガラス管の出口からその液体が噴出したり,霧の様に蒸散したりしているのが見える.

 シノノメが開けた穴の縁では,溶けたり割れたりして粉々になったガラスの破片が積み重なっていた.

 頭上を見れば,天井に開いた大穴が見える.

 その奥には確かに事前の情報通り――エレベーターホールの様に奥へ奥へとつながる空間が見て取れた.

 フルーラ・バブル越しに不気味な色の空気が流れていくのが見える.

 黒い羽で毒の霧を切り裂くように八咫烏は昇って行く.

 時折羽根を震わせるのは,毒が身体を侵食しているせいかもしれない.

 羽根の隙間から白い煙を吹き始めた.


「頑張って! カラスさん!」

「何あれ!? カラスの羽根が溶けてるヨー」

「吸って毒性を発揮する毒ガスとかだけじゃないんだわ! マスタードガスとか,皮膚びらんを起こす――皮膚をただれさせる薬剤も混じってるのね! こんなのナイ!」

「そんな,それじゃ,カラスさんは……」

「大丈夫っ! まだいける.オイラの八咫烏は負けないっ!」


 呼応するように八咫烏が高く鋭い声でく.

 にゃん丸の猫の横顔がいつになく真剣だ.

 凛々しい八咫烏の身体は酸に侵され,茶色のまだら模様になり始めている.

 

 どこまでもどこまでも,まっすぐに.

 

 四人を乗せた八咫烏は空を昇っていった.

参考資料:宮沢賢治全集1 春と修羅 ちくま文庫


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