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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第32章 A Kind Of Magic
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32-7 The Only Neat Thing to Do

 見渡す限り広葉樹が生い茂っている.

 一つ一つの葉の大きさは大人の手のひらほどもある.

 だが,本物の植物ではない.緑色の葉に見えている部分は合成樹脂で,木の幹を這うツタは金属のパイプだ.

 機械で出来た模造品のジャングルなのだ.

 本来通り道ではない場所を隠れながらシノノメ達は進んでいる.

 人虎ワータイガーのカゲトラと,人猿ワーエイプのハヌマーンが露払い――行く手を遮る植物を切り払っている.


「ふう,まさに道無き道でござるな.こちらで方向は間違ってござらぬか」

「ウキキ,獣道だなあ」

「オイラ,ちょっと見てくる」


 にゃん丸が木の幹を駆け抜けるようにして登って行った.


「進路をもう少し左に修正して,あと一キロも歩けば到着だ.だけど,気配が近づいてる.木が不自然に揺れてるっ」


 にゃん丸は慌てて木を駆け下りてきた.


「ウキ? にゃん丸さん,索敵はできないの!?」

「相手は機械だから,“気”の性質が読めないんだよ.物理的な圧力としか表現できないんだ……来たぞっ!」


 ベキベキとグラスファイバーで出来た“機械の木”を踏み倒しながら現れたのは,クマに似た形の機械人サイボーグだった.

 後ろ足で立ち上がった.身長は六メートル以上.両腕に鎌に似た巨大な刃がついている.

 カゲトラとハヌマーンが見上げるほどの大きさの敵は珍しい.


「何だこりゃっ!」

「ミロドン――あるいは,メガテリウム――一万年前くらい前に絶滅した,巨大ナマケモノだ!」


 ランスロットが即座に剣を抜いた.


「ナマケモノ? メカだし,でっかいし! 全然そう見えないよっ!」


 黒鉄色ガンメタルのフレームに,カーボングラスファイバーの湾曲した装甲をつけた,動物の形をした機械――そして何より,人間としての理性が残っている様に見えない.


「グオオオオオオオオオオ!」


 巨大ナマケモノ――ミロドン型機械人が吼えた.


「まるっきり動物だよ! 中身が人間なんて思えない!」

「人間の理性を捨てて,獣になること――それがこの,狂獣界に君臨する道だというのか!?」


 狂獣界ザ・ビースト――レラがグリシャムに託した地図にあった,この第八十一階層の名前だ.

 人工のジャングルで無数の機械獣が争う世界ということらしい.


ゲートへの道を外れれば,少しは敵が少ないと思ったのに!」

「今までが幸運だったっていうことだ!」

「私たちには多額の賞金ポイントがつけられてるからっ! イバラの縛鎖!」


 グリシャムが植物魔法で機械獣ミロドンを足止めした.

 シノノメは武器――フライパンを取り出す.

 ミロドンの爪をにゃん丸が受け止めた.忍者刀と鎌の様に曲がった爪がぶつかり,高い音と火花が散った.

 チュイーン,という音とともに忍者刀の刃が吹っ飛ぶ.


「くそっ! オイラの名刀ムラサメ丸が折れた! またまた高振動剣かっ! 動物のくせにっ!」

「ウキキ! 助太刀するよっ! 食らえっ! 如意棒!」


 ハヌマーンの棒がするすると伸び,ミロドンの側頭部に叩き込まれた.除夜の鐘のような音が盛大にしたが,ミロドンは平然としている.


「なんて硬いんだ!」

「野獣の強さ,頑健さは人間の及ぶところではないでござるっ! 大和丸やまとまる!」


 カゲトラが槍を鼠径部――股の付け根に繰り出した.関節の部分は機械がむき出しになっている.

 槍の穂先が金属のパイプを切断した.茶色い液体が飛び散る.動力パイプの一部らしい.

 ランスロットの剣は鎌状の爪をするりとからめとり,爪の付け根――手首に当たる部分を両断した.


「刃でなく,付け根を狙えっ! そして,装甲の無い関節だ!」

「了解!」

「わかったよ!」

「グオオオオ!」


 ミロドンが再び吼える.


「お待たせっ! 準備できたよ!」


 シノノメはフライパンをくるくると回して見せた.フライパン中央の赤い丸の部分が光っている.加熱完了の合図だ.

 ミロドンが首を振り,絡み付いた植物の蔓から脚を引き抜いた.イバラの縛鎖がはじけ飛ぶ.

 シノノメはフライパンを振りかぶった.


「シノノメさん,この距離じゃ届かないよっ!」

「大丈夫! 行くよっ! 新技,飛行鉄鍋イン・ジーニオ!」


 シノノメはフライパンを振りながら.手元のスイッチをカチッと押した.

 ブウン!

 熱で赤くなった鍋の部分が外れ,回転しながらミロドンめがけて飛んで行く.

 高熱の鍋はミロドンの首筋を直撃した.

 シノノメの魔法で数万度に赤熱化した鍋は装甲を溶かし,ずぶずぶと首の機械に食い込んでいく.


「グオ……」


 ミロドンは断末魔のうめき声を出すと,前に崩れ落ちるように倒れた.

 数度痙攣するように機械の体を震わせ,体中から煙を出して動きを止めた.

 にゃん丸が目を丸くする.


「な,何だこれ?」

「何って,取っ手の取れるフライパンだよ.片付けの時に便利なの.おまけに,テーブルの上に運んでそのままお鍋として使えるよ」

「お料理好き女子としては,一度は憧れるアイテムね」

「そーそー,結構高いんだよ」


 そう言うとシノノメはエプロンのポケットに取っ手だけになったプライパンを突っ込んだ.

 カチリ.

 再びポケットから取っ手を取り出すと,新しい鍋が先についている.


「次弾装填ってわけか」

「出た……シノノメ殿の珍妙魔法……」

「空飛ぶフライパンかあ……熱くて固い……ウキー,まあ強力なんだろうけどさ」

「オイラ,こんな武器で倒されるのって嫌だなあ」

「失礼な!」


 まあまあ,となだめるようにハヌマーンが手を振った.


「いやいや,俺は純粋に感心してるんだよ.発想力がずば抜けてるもん.もともと孫悟空が好きだから人猿ワーエイプになってみたけどさ.俺なんて,やっぱり発想は猿つながりだもん.通背拳とか,インドの猿の神様,ハヌマーンの変化とかさ」

「ほら,にゃん丸さん.この素敵なお褒めの声! お猿さん……ハヌマーンさんを見習いなさい」

「ハヌマーン,あんまり褒めるとシノノメさんは調子に乗るぜ」

「調子に乗ったって,ユーラネシア最強の戦士だよ」

「戦士って言うか……やっぱり主婦って言いうのがぴったりなんだよなあ」

「むー,だって主婦だもの」

「この最終決戦で,まさかシノノメさんと肩を並べて戦えるなんて.今や台北一の幸せ者なんて言われてるんだ」

「まあ,それもアリか.実はシノノメさんて,ワールドワイドな有名人だものね」

「そうなの? 私,目立つのは苦手なんだよ」

「ど,どこが……」

「ホント.結婚式のスピーチなんて頼まれると,脚が震えるんだよ」

「シノノメは一生懸命やってるだけなんだよネー」

「こら,シノノメもみんなもその辺にして,先を急ごう.進むぞ」


 ランスロットが剣を鞘に納めて促す.

 ミロドンはピクセルになって分解され始めた.

 シノノメ達は八十一階層の出口ゲートに向かっていない.

 欲望の塔の各階層は楕円形になっているのだが,その北の隅に向かっている.

 八十二階層は溶融界――劇薬と酸で身体を溶かされる化学兵器の階層.

 八十三階層は毒界ポイゾナス――大気が毒ガスで満ちている階層.

 どれも,幻想ファンタジー世界の住民であるシノノメ達にとって突破することは難しい.

 頑強な機械人の身体があってこそ通過できる世界であり,ましてその中で戦闘するなどおぼつかない.

 しかし,八十三階層から九十階層の後半まで,一種の抜道が存在するという.

 ヴァルナ――正確には,黒騎士からの情報だ.

 目の前にぶら下がった大きなケーブル――作り物のツタ植物――を切り払いながら,ランスロットが確認する.


「それで,その魔法ならMPを温存できそうなのか?」

「うん,アイテム主体にすれば大丈夫みたい.MPゲージの三分の一残っていれば――大丈夫だと思う」


 シノノメは空――八十一階層の空を見上げた.

 機械の突起が根茎の様にぶら下がった,灰色の空だ.


 ……こうやって普通のゲームみたいに,みんなで冒険の旅が続けられたらどんなに楽しいだろう.


 先の事を考えてシノノメはうなだれた.


「その後は……いいな?」

「……無謀かもしれないけれど……ごめんなさい」

「ウキキ! シノノメさん,一緒に戦えるなんてこんな名誉なことはないんだよ!」

「シノノメ殿,顔を上げて下され.もとより.承知の上でござる」

「みんな同じことを考えてたの.これしか私たちにはナイよ」

「ねー,ここ,木のトンネルみたいになってるネー?」

「駄目だっ!」


 木のトンネルが急速にせばまり始めた.


「伸びろ,如意棒っ!」

「ハヌマーンさん!」

「行くんだ,シノノメさん! 早く!」


 茂みだと思っていたのは巨大な食虫植物だった.

 無数の小さなカメラ・アイが光っている.


「これもプレーヤー? 狂ってる……」


 自我の無い動物や植物に似せた機械の体で,敵を捕食する――敵に勝てば,何だっていいというのだろうか.

 ハヌマーンが如意棒をつっかえ棒にして道を維持する.

 その間に仲間たちは走り抜けた.


「ハヌマーンさんも早くっ!」

「うん,でも,もう……」


 三角形の葉が生えたケーブルは如意棒ごとハヌマーンの腕を絡み取っていた.正確には絡みつくだけでなく,皮膚の下に侵入して芋虫のように不気味に動き回っている.


「ううっ!」

「こちらも来たっ!」


 シノノメは駆け寄ってケーブルを切ろうとした.

 しかし,行く手を遮る様に木を揺らし,漆黒の機械人――いや機械獣が襲いかかってくる.

 黒豹かと思えば,口から異常に長い牙が飛び出している.


「何っ!? このヒョウ!?」

「サーベルタイガーだっ!」

「ランスロット,詳しい! 動物図鑑みたい!」

「そんなこと言ってる場合か!」


 口を開けて吼え,グルグルと喉を鳴らす.

 気付けば全員を囲む茂みがざわざわと動き始めた.


「囲まれたぞ!」

「殺到してきたでござる,こいつらっ! ナマケモノの戦闘音を聞きつけたかっ!」

「うそっ! こんなに広い場所なのに?」

「獣の嗅覚か聴覚に匹敵するレーダーかセンサーを持っているんだ,多分!」


 木を踏み潰し,火花を散らすケーブルを引きちぎりながら,次々に巨大な機械獣が姿を現す.


「何この大きさ,馬!? それとも,鹿!?」

「こっちは,馬鹿みたいに角のデカいサイだっ!」

「化け物どもめっ! どいつも人間であったとは思えないでござるっ!」

「ハヌマーンさんっ!」


 ハヌマーンは腕を植物の蔓に絡み取られたままだ.無理に引きちぎろうとして血まみれになっている.


「もういい,シノノメさん,みんな,行くんだ!」

「でも!」

「行って! その時が来たんだ! ここは俺に任せてっ! 俺の,とっておき,この時のために! 魔猿変化マハー・ハヌマーン!」


 ハヌマーンの目がギラリと光った.

 腕に絡みついた植物を引きちぎると,背中がボコボコと泡立った.


「カカルドゥアではおかしな薬物にやられたけど,この変化は俺の力だっ!」


 そう叫ぶ声が人語からかけ離れ始めている.

 口から長い牙が飛び出し,鼻から下が前にせり出した.

 膨れ上がった背中から四本の腕が飛び出し,両耳のある場所にそれぞれひとつずつ猿の顔が生える.

 白い体毛が金色を帯び,三面六臂の神像に似た姿になった.

 六本の腕にそれぞれ武器を持っている.

 一本の腕が握った青龍刀が,食虫植物の蔓を切り払った.

 傷つけられた腕がだらりと垂れる.

 だが,戒めから解き放たれたハヌマーンは宙に舞い上がり,一回転して機械獣たちの前に立ちはだかった.


「神猿,斉天大聖モード!」


 シノノメには分かった.これはハヌマーンの最終形態,奥の手――最後のMPとHPを振り絞った姿なのだと.

 もう後はない.

 ここで全ての力を絞り出すつもりなのだ.


「グルル! シノノメさんたちの後は,追わせないぞっ!」


 獣の声でハヌマーンが怒鳴る.

 シノノメ達に襲い掛かる機械獣に三叉戟を突き立て,戦輪チャクラムを放った.

 青龍刀で敵の目を抉り,襲い来る食虫植物の触手を噛み千切る.

 どちらが獣か分からないほどの荒々しい姿だ.

 牙で齧られ,爪でほじられハヌマーンの鮮血がしぶきを上げる.だが,独楽の様に目まぐるしい回転が止まらない.


「行くんだっ! 行って!」

「シノノメ! 行こう!」

「シノノメさんっ!」


 グリシャムが手を引き,ランスロットが肩を抱く.

 カゲトラが行く手を遮る植物を切り払った.

 にゃん丸が火遁の術――口から火を噴いて機械獣を撃退する.


「う……うんっ」


 だめだ.進まなくては.

 振り返りたくなる気持ちを押しとどめ,シノノメは走り始めた.


「ぎゃんっ!」


 カゲトラが横から何かに体当たりされて吹っ飛んだ.

 ランスロットが即座に前に回り,シノノメたちを守る.


人虎ワータイガーが力負けするなんてっ!」

「ば,化け物の鳥っ!?」

「新生代の巨大鳥類? いや,モンゴルのテリジノサウルスの仲間かっ! 長い鈎爪に気をつけろ! くそ,あと少しなのにっ!」


 切り立った鉄の壁は間近だ.欲望の塔の外壁なのだが,そこだけ湾曲が強くなっている.

 目的の“北の隅”だとはっきり視認できる.

 立ちはだかる異形の機械獣は長い首と貧弱な腕を持っている.だが,その腕の先には羽と見まがう長く鋭い剣のような鉤爪がずらりと並んでいた.身長は七メートルほどだろうか.塔のような首の先端には黄色い目のようなカメラ・アイがぎょろりと二つ並んでいる.

 剣のような爪が赤熱化する.


高熱剣ヒートサーベルか!」

「負けないよ! 飛行鉄鍋イン・ジーニオ!」


 シノノメはフライパンの先を乱れ打ちした.だが,テリジノサウルス型機械人は両腕を器用に動かし,鍋を弾き飛ばす.

 吹っ飛んだ鍋が機械の樹木を薙ぎ倒し,火花と炎が散った.


「そんな,剣士じゃあるまいに!」

「八十三階層まで来た戦士だもの! 頭がケモノになってても,戦闘能力は高いのよ!」


 はたして本当に人間の理性が消えているのか――鳥と爬虫類を混ぜたような機械獣の目が一瞬喜色を帯びたような――笑ったような気がした.


「今笑ったよ!」

「シノノメ,向こうに走り抜けろっ! にゃん丸さん,先導してくれっ!」

「分かった!」


 ランスロットは扇のように広がった剣――鈎爪を受け流した.

 剣の刃がすり合い,ギャリンという高い音が響く.

 鉤爪は両手にそれぞれ四本生えている.複雑な軌跡を描いて襲い掛かる.

 ランスロットの持つ最強の盾,“湖の盾”の表面にびっしりと切り傷がついた.


「ちっ! 二刀,いや八刀流か!」

「ランスロット殿,下がるでござる!」


 グルグル,と唸るような声が聞こえた.


「お主はシノノメ殿を守る最後の盾! ここは拙者が沽券にかけて奴を倒すでござる!」


 わき腹を押さえながらカゲトラが走り寄って来た.

 見た目よりかなり大きなダメージを受けていることが分かる.自分の体の二倍近い恐竜型機械に体当たりされたのだ.重機のアームで思い切り殴られたような衝撃だろう.

 甲冑に覆われたカゲトラの肩と背中が,盛り上がる筋肉に内側から押し上げられ,メキメキと音を立てている.


「ハヌマーン殿ではないが,今こそ最大の力を発揮するその時!」

「それはっ!」


 鎧兜の紐を引きちぎり,現れたのは燃えるような金毛の虎だった.

 カゲトラの最後の一手,山月鬼.

 猛虎に変化する特殊技能スキルだ.HPを大量に消費し,一回のログインで一度しか使えない上に,次のログインまで人虎型に戻ることはできない.


「グオウ!」


 現実世界の虎は最大でも体長三メートル足らずである.努力をコツコツと積み重ねてレベルアップしたカゲトラはその倍ほどもある巨大な虎に変化していた.

 最早,神獣と言ってもいい神々しさを備えている.

 虎と化したカゲトラは人語を話すことはできない.

 だが,邪悪な機械の獣などには負けない――そう言っているように感じる.


 カゲトラは宙に身を躍らせ,機械獣の首に食らいついた.

 美しい金毛に鈎爪が襲い掛かり,線状の傷が走るとともに血飛沫が飛ぶ.


「カゲトラさん! 頼んだ!」


 ランスロットは身をひるがえし,シノノメ達の後を追いかけた.

 緑色の人造ジャングルを抜けると,そこは“北の隅”の壁だ.

 シノノメはランスロットの顔を見るとほっと溜息をついた.だが,すぐに顔がこわばる.


「みんなは? カゲトラさんは? ハヌマーンさんは?」


 ランスロットが首を振るのと,木の上からにゃん丸が叫ぶのはほぼ同時だった.気配を察知できない今,目で監視するしかないのだ.


「シノノメさん,急いでっ! 飛び切り馬鹿でかい奴が来る! 速度はすごく遅いけど,確実にこっちに近づいてる」

「早く準備をするんだ,シノノメ」

「私も防御の魔法陣を張るわっ! シノノメさん!」

「シノノメ~!」


 ネムの声が半べそのように聞こえる.

 自分でも顔色が真っ青なのが分かる.

 さっきまで一緒だった大事な仲間が,ほんの数分の間に残忍な機械の獣に傷つけられている――自分の進路を切り開くために.

 覚悟はしていた.

 やるべきことは分かっている.

 だが,体がこわばったようで手が動かない.


「シノノメ」


 ふと,温かい手が自分の手を包んだ.

 見れば,ランスロットが甲冑の小手を外して自分の手を握っている.

 ランスロットはシノノメの両手を包むようにしたまま,ゆっくり合わせた.

 ふたつの掌がランスロットの手の中でぴたりと合う.


「お前の優しさは分かってる」

「ユーラネシアのため,世界のためなんて,ピンとこない……」

「みんな大事なもののために戦っているだけなんだ.お前がみんなを犠牲にしているわけじゃない」

「私は現実世界に帰りたい……そのために,私の幸せのために,みんなが大変な思いをしている.私は……」


 ランスロットは首を振った.前髪が額で揺れる.


「お前は,幸せになって良いんだ」

「私が,幸せに……?」

「幸せにおなり」

「ランスロットさん,やばいよ! よりによって,とんでもないのが近づいている」


 にゃん丸が再び木の上から叫んだ.


「あの馬鹿でかさ,巨大な顎……ティラノサウルス・レックス型の機械獣だっ! 多分,ここの階層ボス級! あいつが着いたら,シノノメさんが魔力を溜める暇なんて与えてくれないよ!」

「俺は,俺の仕事をしに行く.シノノメ,お前は,すべきことをしろ」


 ランスロットはシノノメの手を離し,背を向けてにゃん丸が指さす方向に向かう.


「にゃん丸さん,後は頼む」

「ランスロットさん一人で? オイラ,援護は……!?」

「君にも大事な仕事があるだろう? 俺は……姫のために,竜退治に向かうよ」


 引き抜いた剣が青い光を帯びた.魔力をこめた魔法剣を発動させたのだ.

 シノノメは合わせた両手から目を上げ,去り行く背中に向かって叫んだ.


「ランスロット! ありがとう!」


 ランスロットは振り向かず,ただ剣を高く挙げて応えた.

 やがて後ろ姿が密林に飲み込まれて見えなくなる.

 その姿は目に溜まる涙でにじんで見えた.

 シノノメの両手の間から光が生まれる.

 ランスロットが去った方向の樹木が揺れ,バキバキと音を立てながら倒れていく.

 青白い剣の光が走るのが見える.

 恐らく彼の必殺剣,天王竜滅剣ウラヌス・ドラゴンデストロイヤーの光芒だ.


 ……まるで,ランスロットからの祝福.


 シノノメは両手の間に作り出した光の玉を天に掲げ,叫んだ.


「フーラ・ミクロオンデ!」


 放たれた光の奔流が,空めがけて昇っていった.

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