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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第6章 囚われの主婦
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6-2 覇王の宮殿

 市街地の長い道を抜け,シノノメ達を乗せた黒い馬車はようやく宮殿の正門と思しき建造物の前にやって来た.

 深い霧が漂い始めたため,宮殿は全く見えない.

 五メートルほど先がようやく見える程度だ.


 正門は巨大な鉄の柵を組み上げて作られており,両脇の大理石の門柱の傍には,物々しい青銅色の甲冑を着た兵士が立っている.

 両方ともワーウルフだ.

 馬車の窓越しに一瞬カゲトラと目が合うと,彼らは攻撃的な視線を向けてきた.

 しかし,カゲトラは相手にせず視線を外す.


 「ガンを飛ばす,という奴か.いけ好かないな.武人の風上にも置けん」

 「武人ですらないのかもしれないよ,カゲトラ君」

 セキシュウがつぶやく.


 ここまで,ほとんど物音はしなかった.

 馬車をひく一角獣の鼻息と,馬車の轍の音,そして虚ろな叫び声とカラスの鳴き声が時折聞こえるだけであった.

 ユーラネシア大陸北部最大の街は,まさに死にとりつかれた様だった.

 宮殿の前庭も色がない.白い乳白色の霧がすっかり辺りを覆っている.

 正門から宮殿の中央道路の両脇には規則正しく銀杏の木が植えられていたが, 霧の中に黒い幹が立ち並ぶ姿は,何者かの葬儀を連想させた.


 「素明羅使節の,到着!」

 霧の中で良く見えないが,宮殿に着いたようだ.


 「外交上の儀礼も尽くさん気か!」

 蔡恩サイオンが憤慨する.ここまでの迎えは一国の使者を出迎える方法としては, あまりにも簡素が過ぎる.ノルトランドが素明羅を軽んじている様にも思えるものだ.


 ガチャガチャと音がして,馬車の戸が開く.


 「むうっ!」

 まず外に一歩歩み出たセキシュウが一瞬唸った.

 戸口の下に準備されたタラップに一足かけると,赤い絨毯を挟んで二列に並んだ騎士の一群が並んでいた.

 手には各々槍を持っている.全員フルプレートの装甲で覆われた重装甲兵である.


 「失礼! 私めは,宮廷道化師ジェスターの,ヤルダバオートと申します」

 鈴の音とともに,フードを被った道化が,二つの騎士の列に挟まれた赤じゅうたんの上を歩いてやって来た.

 フードから7つの方向に長い房が飛び出し,その先端に鈴がついている.

襟元にはたてがみのような毛皮の房があり,ズボンには尾が生えているので,おどけたライオンにも見える.

 ステイタスウィンドウを開けて確認してみると自分で名乗った通り,

 

 宮廷道化師ジェスター

 ヤルダバオート


 とある.


 HP・MPゲージや,レベル表示がないので,間違いなくNPCだ.シノノメは確認して頷いた.


 「素明羅の皆様! この度は遠路はるばるお越しいただき,誠にありがとうございます.主人,ベルトランも誠に喜んでおります.これなる兵士たちは儀仗兵.皆様の護衛を致します」


 道化は仰々しく頭を下げた.


 「うむ……お迎え大儀である」

 セキシュウとカゲトラに左右を守られながら,ナガスネが挨拶してタラップを降りた.

 サイオンが後に続き,シノノメ,アイエル,そして最後はアズサとアキトだ.


 「やあ,これはいかつい兵隊さんだね! でも分かるよ! 左の三番目と六番目,右の二番目と十番目の君! そんな鎧で隠しても,美しさは隠せないから!」

 「その鋼鉄の兜と,君の心の鎧を取って見せてくれないか.君の目を見つめたい!」

 どんな能力なのかわからないが,全員同じ甲冑を着ているのにアズサとアキトには女性が分かるらしいのだ.

 アキトに至っては本当に相手の兜を取ろうとしている.儀仗兵は取られまいと慌てて抵抗していた.

 いよいよ敵の本拠地に入る素明羅一行の中で,彼らだけは全くいつものペースで変わらない.

 これには儀仗兵たちも気勢を殺がれたようだ.


 「ほらね?」

 ちょっと得意そうなシノノメである.

 「うーん,ある意味凄いな……私なんてもう,心臓がバクバク言ってるのに」

 アイエルはこんな大きな宮殿に公式の使節で入城したことなどない.馬車のドアが開く前からガチガチに緊張している.


 「ひゃっひゃっひゃっ! プレーヤーの方々は愉快ですな! そうそう,大変粗末な歓迎で驚かれたのではございませんか?」

 宮廷道化師ジェスター,ヤルダバオートは手を打って笑った.

 「すでにあなたがたの通って来た前庭には,迎えがいたのですぞ!」


 「何!?」


 「ご覧ください!」

 ヤルダバオートが前庭を手で指し示すと,図ったように霧が晴れ始めた.


 「おお! そんな!」

 蔡恩が叫んだ.


 霧の中から,巨大な軍勢が姿を現す.

 長槍を持った,歩兵,歩兵,歩兵.その数数万.

 居並ぶ騎馬軍団,その数数千.

 大型の草竜と,肉食の竜部隊,その数数百.

 飼いならされた武装トロールとサイクロプロス,その数数十.

 そして,この世界に決して似つかわしくない大口径の大砲部隊.

 王宮の外壁が見えないほどに前庭を埋め尽くす機動部隊である.


 「これが,ノルトランドの本隊!」

 長須根ナガスネが呆然とする.

 「気配も消していたというのか……!?」

 セキシュウが唸る.何か気配を消す魔法を使っていた,例えばさっきの霧に何かの秘密があるとしか思えない.

 「こんな数の軍隊に……囲まれているの!?」

 アイエルは戦慄した.冷気の漂う中,頬に汗が一筋伝うのを感じていた.

 流石のアズサとアキトも,これには声が出ないようだった.


 「それ! 皆の衆!」

 ヤルダバオートが手を振ると,一斉にほら貝の音が鳴り響いた.


 鬨の声が上がり,一斉に隊列が前へ進む.

 彼らは一糸乱れぬ見事な隊列を組んで前方に五歩進み,胸を叩いた.

 武器と甲冑が触れ合う金属音と,数万の足音が地響きとなって響き渡る.

 爆音である.

 巨大な音の塊が,シノノメ達の耳だけでなく体を打った.


 「歓迎の,ご挨拶でござーい」

 片足で立ち,上半身を屈めて自分も挨拶する.ヤルダバオートは満面の笑みを浮かべた.

 素明羅公使たちの生殺与奪は,自分の掌にある.そう言っているかのような笑みであった.


 「ちょっと! これはなんのつもり!?」

 シノノメは不機嫌な顔でヤルダバオートに訊いた.

 ノルトランドからすれば明らかに威嚇行動のつもりだろうが,それが通じるシノノメではない.


 「ケケケ,主婦殿は勇壮な戦士たちがお嫌いかな?」

 ヤルダバオートは薄笑いを浮かべ,シノノメの目を覗き込んだ.

 眼球が大きく瞳が小さい.人形のように表情の読めない虚ろな目である.


 「こんなつまらないお迎えいいから,さっさと王様のところに連れて行きなさい!」

 キモ!っと呟いて,シノノメはヤルダバオートから視線を逸らした.


 「これは失敬,客人をお連れするのがわが役目」

 ヤルダバオートはくるりと振り返り,宮殿内に続くドアへと案内した.重厚な木製の両開き扉である.芝居じみた格好で両脇の兵士に開け放たせると,再び頭を下げた.

 「どうぞこちらへ,お入りください」


 ヤルダバオートは足取りも軽やかに,赤い絨毯をたどって奥へ奥へと入っていく.

 長須根を先頭に,一行は後に続いた.

 最後尾のシノノメとアイエルが入ると,儀仗兵たちがきっちり2列で後についてきた.

 正門の扉が大きな音を立てて閉ざされた.


 玄関ホールは柱がなく,壮大な円天井を持つ階段ホールになっていた.

 天井の中央には天窓があり,美しいステンドグラスを通して光が差し込んでくる.

 ステンドグラスの題材は神々の黄昏,ラグナロクである.周囲を戦いの女神ヴァルキリーたちの彫像が囲んでいる.

 ヤルダバオートの態度にすっかり腹を立てたシノノメだが,思わずこの光景には見とれた.

 「きれいだね……」

 「ロココじゃなくって,バロック様式かな? ヨーロッパのお城,一度行ってみたいんだよね」

 アイエルもうっとりしている.


 「ケケケ,ベルトラン様は芸術にも造詣が深いのでございます」

 折角良い気分になったところに道化の声が響き,またシノノメは不機嫌になる.


 「あいつ,ほんとにキモいね!」

 「シノノメさん,聞こえる,聞こえる!」

 「見て! あの尻尾! 蛇になってるんだよ!」


 ヤルダバオートの服は上半身と下半身でツートンカラーになっていた.

 上半身が黄金色で,下半身は青銅色である.その青銅色のズボンについた尾は,確かにシノノメの言うとおり蛇の頭を持っていた.


 「ライオンの着ぐるみならまだ許せるけど,何あれ! 可愛くない!」

 「いや,あの態度はライオンの着ぐるみでも許せないと思うよ」

 アイエルは苦笑した.


 ヤルダバオートはシノノメとアイエルのヒソヒソ話が聞こえたのか聞こえなかったのか,手で尻尾をつかんでやたらと振り回しながら歩き始めた.

 二階へと向かう白亜の回廊を上がっていく.階段の手すりを支える柱一本にも精緻な彫刻が施してある.

 一瞬,ここが軍事大国ノルトランドの宮殿であることを忘れるほどの美しさだ.


 「ふむ」

 セキシュウが唸る.

 「どうしたの,セキシュウさん?」

 シノノメが尋ねた.

 「ここの美しい内装には,ある種の調和と美的感覚がある.まるで狂気を感じない.今のノルトランドにあるような,な.」

 つまり,過去のある時点からノルトランドの王か,それとも国が変質し始めたということを示しているのかもしれない.


 「なるほど……」


 階段ホールを二階に上がって白い両扉を開き,いくつかの部屋を抜けて歩いていく.

 いくつ部屋があるのか知れない.

 初め部屋数を数えていたアイエルだが,途中であきらめた.とにかく,現実世界で通っている大学のキャンパスよりも広いことは間違いない.足が疲れてくる.

 その間にも壁や天井のいたるところに豪奢なフレスコ画と手の込んだ彫刻が並んでいた.

 時々美女の裸像があるとアズサとアキトが反応して,口説かんばかりに眺めていた.


「さーて,こちらへどうぞ」

 

 分厚い黒檀の扉が開けられ,おそらく王宮の最深部に近いと思しき部屋に通された.

 寄木細工の高価な床材に,彫刻を施した飾り天井.そこからはきらびやかなシャンデリアがぶら下がっている.

 

 「王の謁見の間でございます」


 案内されるがままに,八人は部屋の中央に進んだ.

 当然のように部屋の四隅と扉の両隣りには完全武装の重装甲騎士が立っている.

 儀仗兵たちは部屋に入ると散開し,下座側の壁に沿って並んだ.


 「ベルトラン閣下,素明羅皇国のお客様でございます」


 部屋の奥には黄金に輝く玉座があった.

 そこに座る壮年の男こそ……

 かつての竜騎士ドラグーン

 現ノルトランド国王.

 そして,マグナ・スフィア唯一の人間プレーヤーの王.

 ベルトランであった.


 ベルトランは金灰色の髪を後ろになでつけ,口髭と顎ひげを蓄えている.

 堂々たる体格をユキヒョウのガウンで包み,右腕を肘掛に乗せて体重を預けていた.

 黄金の月桂樹と宝石をあしらった冠を被っており,右目は黒い眼帯で覆っている.これは5年前の南北戦争で負傷したものだという.

 しかし,残った左目は戦士の鋭さに乏しく,どんよりと濁っていた.


「良く来られた,客人よ」

 ベルトランは右手を挙げて挨拶する.声には張りがある反面,震えているようにも聞こえる.ゲームの世界で通常あることではないが,何かの病に侵されているようにも感じる.

 素明羅使節一行は東方の礼,会釈をして挨拶した.


 シノノメは頭を下げながらベルトランを睨んだ.

 美しい眉が敵意にゆがむ.

 この王が軍隊と戦争に明け暮れて国民――さっき町で見た兎人の老婆や子供たち――を苦しめているのだ.

 そして,その傍らには.

 視線をゆっくり右へと送る.

 良く知っているかつての友が立っている.


 少し中性的な,くすんだ茶金色の髪の美青年.

 黒い甲冑をつけた,魔弾の射手.

 ランスロットはシノノメの視線を受け,静かに冷たい微笑を浮かべていた.

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