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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第32章 A Kind Of Magic
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32-6 Show Must Go On

 死者の群れがトッドを覆いつくしていく.

 千切れ,砕けてもへばりつき,絡みついてドリルの回転を阻止する.

 それに連動するようにモルガンの身体は震えている.

 銀色のロボットアームが腐肉を切り裂き,機械人“トッド”は少しずつ少しずつ近づいてきていた.

 モルガンは手を掲げ,呪歌を詠う声を高くした.


「モルガンさん!」


 シノノメが呼びかけるが,モルガンは振り向かない.

 当たりでは凄まじい物資の奪い合い,暴動が起きている.

 銃声は鳴りやまず,爆音がそこかしこで聞こえる.

 モルガンの影の中からは次々亡者が現れるが,徐々にその数は減り始めていた.

 機械人であるトッドの方は疲れを知らない.

 銀色の筐体はすでに亡者たちの体液と血液で色を変えている.


「無駄ダ,俺のドリルの餌食を増やしているダケと知れ」


 目の前の光景は見るもおぞましい.しかし,モルガンの必死の背中は何故か美しく,胸を打つ.

 震える黒衣は黒鳥の様ですらある.シノノメはたまらなくなった.


「この!」


 だが,走り出そうとするシノノメの肩をランスロットがつかんだ.


「では,モルガン,ここを頼む」

「お任せください」

「そんな!」

「お黙りなさい,東の主婦.他にどんな方法があるというのだ.傷ついた私の体の屍を乗り越えていく,それだけの覚悟が無くてこの欲望の塔の頂上になど上がれるはずが無かろう」


 モルガンは呪歌を唱えるのを止め,一瞬唇を噛み締めた.

 トッドのドリルが迫る.死人の軍団はすでに出尽くし,モルガンは一人で腐肉にまみれたトッドに対峙している.


「でも,あなたはもう一緒に上を目指す仲間じゃない……」

「……思い上がるな.お前のためなどではない」


 モルガンは血を吐いた.

 トッドは銀色の腕をひときわ高く振り上げた.先端ではギラギラと光るドリルが高速で回転している.


「女……バラバラにしてヤル!」

「きゃあっ!」


 思わず悲鳴を上げたのはシノノメの方だ.ドリルがそのままモルガンの左肩――鎖骨の上に突き刺さったのだ.

 血飛沫が上がる.


「さあ,早く行くがいい.猫忍者,鍵は開けられたの?」

「あと一つだっ! ……今,開いた!」


 キリキリ,ガチャンという複雑な音が扉の向こうから聞こえる.

 いくつもの歯車が回転し,分厚い扉がゆっくり開いた.何重もの金属板が重なった構造は,金庫の扉に似ている.


「やった!」

「お見事,にゃん丸殿!」

「油断しちゃだめだ! 見なよ! ドアの表面に数字が出た! 入口と同じで,このドア制限時間付きだぞ! もう一度閉じたら一からやり直しだ!」


 にゃん丸が扉の中に飛び込んだ.

 白い扉の上に浮かび上がった数字は三十.三十分ではありえない.


「ウッキー!? 三十秒しかないのかっ!! やばい,もう扉が閉まり始めた! カゲトラさん,早くっ!」

「ハヌマーン殿,扉を確保するでござるっ! 拙者は右,お主は左を引っ張れ! とにかく急ぐでござる! さあ,ネム殿とグリシャム殿,ランスロット殿とシノノメ殿も急いで!」


 促されてグリシャムとネムは飛び込んだ.残ったのはランスロットとシノノメ,そしてモルガンだ.


「モルガンさんっ!」

「貴様ッ! 切り刻ム! ドケ! こうなったら,ゲートに俺が入ル! 全員殺してヤル!」

「ぐあああっ」


 三本の銀色の腕はモルガンの体を絡めとり,七つのドリルが突き刺さった.


「コノッ! 邪魔スルナ!」

「ふん……女の体一つも切り裂けぬお主が,上に上がれるはずが無かろう……塔の上に上るのは,強い意志と理想がある者のみ……ランスロット様! 早く!」


 モルガンは血まみれの首をひねってランスロットに微笑みかけた.


「モルガン……ありがとう」


 ランスロットは深く頭を下げると,踵を返してゲートのドアに向かって行った.

 ランスロットとモルガンの姿をシノノメは立ちすくんで見比べた.

 ランスロットは一度も振り返ることなく歩き去り,閉まり始めたドアの中に体を滑り込ませる.

 その姿をモルガンは最後まで目をそらさずに見つめている.


「そんな……でも,ランスロット……モルガンさんは……」

「何を,している,東の主婦」


 グフッとモルガンはうめいて,激しく血を吐いた.銀色の腕はモルガンの胸を貫き,肺を引き裂いているのだ.


「ノルトランド最強の魔法使いの究極奥義をこいつに叩き込んでやる……」

「強がりを言ウナ!」

「……お前を道連れにしてやる……蛇頭神呪ゴルゴーンズ!」


 モルガンの身体が緑色の光を帯びた.

 体中に浮かび上がった呪文の紋様が怪しくうねり,蛇のようにのたうち回る.


「私の,体に封印した,千の,暗黒呪文を,暴走させる……」

「も,モルガンさん!」

「早く,行け! 東の主婦! 半径一キロメートルを,私の最後のMPとともに,石化してとどめを刺す……巻き込まれれば,精神破綻すら来し,ゲームと言えど,無事では,すまぬぞ」

「な,何ィ!」

「お前は私の体を深くえぐったつもりだろうが,それは逆だ.お前の身体を絡めとったのは,この私……毒蛇の魔法使い,モルガンだ」

「は,離せ! バカナ,どうしてここまで出来るッ!」

「……愛する人のために,などお前には分かるまい」

「シノノメさん! 早く,早く! もう時間がない!」


 グリシャムが狭まったドアから悲鳴のような声を上げた.


「モルガンさん……あなたは」

「……知っている.どれほど私が思いを寄せても,あの人が振り返らないことなど」

「私は……ランスロットにとっては妹みたいなもので……」

「それでも,そばにいられるお前に嫉妬する……だが,あの人の最後の眼差しは私のもの……どのみち叶わぬ想いだ.現実世界では,あの人と会うことすらできないのだから」

「え? すごい遠くの国とか……でも,そんなの飛行機使うとか……?」

「COVID-30汚染地区……分かるか? 私の国では,まだあの呪わしい感染症が克服されていない……入国も出国もできない.国際的に隔離指定されているのだ.私が彼に会うことができるのは,この仮想世界のみ……」

「あの,東ヨーロッパの!?」


 痛みが嫌ならばログアウトすれば良い――だが,モルガンは決してそうしようとしなかった.自らの体を犠牲にして,シノノメ達――いや,ランスロットを送り出す決意なのだ.

 モルガンの身体から紋様が蛇のように鎌首をもたげた.

 それぞれが不気味な緑色の光を帯び始める.


「なぜ,でも,何でそこまでして……」

「ただ彼の面差しを――彼の髪の匂いを―――彼の存在を感じられるだけで……私の全てを賭ける価値がある……この仮想世界――幻想世界に,わ,私の,す,全てを……」

「モルガンさん!」

「東の主婦――お前には分からないのか――愛するというのは,自分の全てを犠牲にしても,相手のためを思う気持ち――例えそれが報われなくとも」

「……自分の全て……報われなくとも……」

「行けっ! シノノメ!」


 シノノメはモルガンの一喝に打たれた様に走り出した.

 ただひたすらまっすぐに,ほとんど締まりかかった門の中に飛び込んだ.

 シノノメを飲み込み,分厚い扉が閉まるのをモルガンは虚ろな目で確認した.


「それで……いい」

「お,オノレ……クソッ! ゲートが,ゲートが閉まってシマウ!」

「連れない男だな.トッドとやら.これほどの美女が道連れになるのだ.ともに冥府に行こう……、蛇神三姉妹邪眼石墓呪ステンノー・エウリュアレー・メドゥーサ……」


 シノノメは胸の中に溜まった息を一気に吐き出した.

 背後では門の扉が閉まり,ロックされるキリキリガチャガチャという音がする.

 ふと頭を上げると,全員が押し黙って床を,あるいは天井を見つめていた.

 床がゆっくり上昇し始めた.

 第八十階層の出口はエレベータになっているらしい.

 ふと視界が開けた.

 透明のパイプの中をシノノメ達が乗っている円形の床が進む.展望エレベータになっているのだ.

 火焔地獄と化した八十階層が見える.

 シノノメが作り上げた“コストコダンジョン”のいたるところで爆発と火花が渦を巻いている.だが,何も聞こえない.完全な防音壁になっているのだ.

 シノノメはふと気づいて壁に走り寄った.

 透明な壁を通して一生懸命下を見た.

 見える.

 灰色の気体が球形に広がり,みるみるそこは石像の森になっていく.

 砂埃を被った機械人たちが救いを求めるように空を見上げている.


「モルガンさんは……」


 灰色の霧が晴れていく――その中心にいた.

 トッドの銀色の腕を光背の様に背負う――それはまるで女神の像だ.


「きれい……」

「ああ,高潔な姿だ」


 いつの間にかランスロットが隣に立っていた.

 歯を食いしばっている.


 レラさんの時も……モルガンさんも……私は何度こんな姿に見送られなければならないんだろう.

 幻想世界の存続のため.

 みんなのため.

 ……私が現実世界に帰る,その答えを手に入れるため.

 この“欲望の塔”を上がるということは,何と過酷なのか.


「ランスロット,次の階層は……」

「ああ,分かっている.ゲートには向かわない」

「……ごめんね」

「謝るな.みんな同じ想いだ」


 次の階層で終わりにする.

 みんなは自分の意図――計画を悟っている.

 そっと見ると,グリシャムも小さく頷いた.肩がわずかに震えている.


 シノノメはため息を一つついて,モルガンの言葉を反芻した.


 ――愛するというのは,自分の全てを犠牲にしても,相手のためを思う気持ち――例えそれが報われなくとも.

 ああ,それは.


 心が騒いだ.

 それは次の第八十一階層の企ての事を考えてなのか――あるいは心の奥で静かに開きつつある記憶の鍵のせいなのか――自分自身にも分からなかった.


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