31-9 Vertigo
シノノメは屋根伝いに走った.
ブーツが屋根瓦――正確にはそれに似た合成樹脂と金属なのだが――の上で高い音を立てる.
「私はこっち! こっちにいるよ!」
地上で赤い甲冑の集団――数百体の“ソーマ”達がゾロリと動く気配がある.だが,確認している暇はない.
これだけの大集団がもし飛び道具――銃を持っていたら,こんなことはできない.だが,幸いにもここは剣界なのだ.
時折電撃銃の光と固形弾が飛んで来るのを,鍋蓋シールドを振り回して薙ぎ払う.
一段高くなった鐘楼を駆けのぼり,目指すは建物の並びのはずれにある,塔のような建物だ.
瓦礫の山となったダンジョンの町並みの中,奇跡の様にぽつんと屹立している.
肩と両脚を破壊された小山のような巨大甲冑――大型機械人がソーマの群れを追うように移動してくる.這っているのでのっそりと遅い.ソーマの大群を先行部隊として後詰めの位置を取っている.
その後ろには八十階層に向かう出口が見える.
ついに赤い甲冑の“ソーマ”が屋根の上に這い上って来た.自分の味方を踏み台にし,折り重なるようにして登って来たに違いない.ソーマには見たところ飛行する力はない.
腕が蛇のように伸び,刀を持った手がうねりながらシノノメに向かって伸びてくる.
体を柔らかく反らせ,素早く半身を切って躱し,左右の手を一閃した.
「乱切り!」
魔包丁に切断された腕が屋根の上に落ち,のたうつ.攻撃能力を失ったソーマには目もくれず,シノノメは塔目指して走った.
外観は寺院にある五重塔に似ている.
「物干し竿!」
物干し竿を屋根のくぼみに引っ掛け,棒高跳びの要領で三階の屋根に上がった.
伸縮自在の竿をエプロンのポケットにしまい,辺りを見回す.
無数の赤い集団がシノノメめがけて集まってくる.
大嫌いな虫の集団に似ていて,背筋がぞわっとする.
建物の中に入ると螺旋階段があった.下の戸を叩く音がする.
ソーマが塔の中に侵入しようとしている.
「タピオカ山盛り!」
ボウリングの玉ほどのタピオカを出し,ぎゅむぎゅむと階下に放り込んだ.
室温なのでどんどん硬化していく.
デンプンのバリケードが出来上がると,階段を駆けあがって最上段の窓から再び屋根の上に出た.
五重塔型なので,屋根は“返し”状になっている.下から見ればオーバーハングなので,外壁をよじ登ることは難しい.
ソーマ達は塔を囲む地面を埋め尽くした後,積み重なり,折り重なるような動きを見せ始めた.
「組体操のピラミッドみたい? この塔よりさらに高くなるつもりね」
赤い体の上に赤い体がよじ登り,さらにその上に赤い体がよじ登る.ぞわぞわと蠢くそれはやはり虫の動きに似ている.
どの単眼も無表情にシノノメを見ている.
怒りを現わす攻撃色の赤ではなく,黄色っぽい色になって震えている.
……嘲笑っているのかもしれない.それとも,喜んでいるのかも.
何せ,逃げ場のない場所に自らやって来たのだ.
さらに,この塔の上は大型機械人からすると火球の射程圏内である.
大型機械人は重機のようにゆっくりと回頭して砲口をこちらに向けた後,じっと動きを止めていた.脇と腰の四角い穴はぽっかりと暗いままだ.
……ぶるぶる,赤蟻の巣をつっついたみたい.でも,みんな出払ってこっちに来たみたいね.
シノノメは胸を張って屋根の上にすっくと立った.
息を一つ吸い込んで,叫んだ.
「あなた……達!? 狙いは私なんでしょう! 大勢でかかって来ずに,一対一で正々堂々戦ったらどうなの!」
我ながら変なことを言っていると思う.
ダーナンの推測によれば,この軍勢全てが一人の“ソーマ”だ.一対一も何もない.それに,“ソーマ型機械人”一体一体が一人ずづシノノメにかかって来たとしても,この人数を相手に消耗するのはシノノメの方だ.
グシャシャシャシャ,という不気味な音が響いた.
ソーマの口の部分がぱっくりと開いて震えている.どうやら笑っているらしい.
強力なソーマ型機械人の軍勢で包囲し,強大な火力で狙いをつける――最大の好機をシノノメ自身が作ってくれたような気になっているのだろう.
屋根の縁に頭をもたげているソーマが震える声で言った.
「愚かな事ダ.正々堂々? 一対一? それが何にナル? 実に,クダラナイ」
「下らないことないでしょ! 戦士としてカッコいいとか,何とか色々あるでしょ!」
「語彙が少ないナ,東の主婦.矜持とか,プライドとか言いたいノカ?」
「そう,それとか!」
「勝てばいいノダ.何よりも勝つことが重要ダ.名誉? 潔い生き方? それが何にナル?」
圧倒的有利な立場にあると見てか,ソーマは饒舌だった.
「どういうつもりカ分からんガ,この状況でお前ノ勝ちはナイ」
「そう? あなた達なんて,蟻んこの群れみたいなものじゃない」
「ククク……蟻なら,巨象を屠る兵隊蟻ダゾ……あるいは必殺の毒を持つサソリの群れというべきか」
「そんな不気味な姿になって,何がしたいの? この塔のてっぺんに行って,何を叶えたいの?」
「この剣界を現世に現出させるノダ」
「は?」
「剣の強さが全てを決める世界に!」
「バカみたい」
「何ダト?」
「現実世界がこんなチャンバラ世界になるはずないじゃない」
「チガウ! 弱肉強食,強者が全て,渇望のままに生きることを許すのだ,この塔の様に」
「そんなことしたら,自分が弱くなったらまた誰かの下になるんだよ.永遠にその繰り返し.それとも,自分がずっと誰よりも強いっていうの?」
「俺の……ソーマシステムは,最強ダ!」
「世界征服でもするつもり? 何だか,中二病の男の子みたい.コンプレックスのかたまり,って感じ」
「貴様ッ! 愚弄するカ!」
「ぐろーも何も,馬鹿みたい.こんな“望み”で,塔のてっぺんに上がろうとしていたの?」
「黙レ!」
「だから上に上がれなくなったんだよ」
「黙れッ! 黙れッ!」
サソリに似た赤い機械人が重なりあい,巨大な赤い花弁に似た塊になった.
さながら塔の上のシノノメを飲み込むヒトデだ.何千という刃でバラバラに切り刻んで殺す――感情の高ぶりをそのまま形にしたようだ.
シノノメは両手を合わせた.
とたんにビクリとソーマの群れが震える.
シノノメの最大最強魔法,電子レンジ――フーラ・ミクロオンデはすでにマグナ・スフィアのプレーヤーに知れ渡っているのだ.
だが,青い電光は発生しない.
「挑発かッ!」
攻撃をためらい,一瞬動きが止まった.
シノノメはそのまま両の指先を合わせて叫んだ.
「洗濯!」
両肩の上に光る青い球が発生し,尾を引いてグルグルと回る.それは温水だった.
空中からスプリンクラーの様に水が噴出した.
らせん状の温水の帯が縦横無尽に踊り,ソーマ達は濡れ鼠になった.
だがもちろん,ダメージなどあるはずがない.
「水? こんなものが効くかバカメ!」
「からの,業務用洗剤!」
合わせた手の先から水色の泡立つ液体が辺り一面に噴出した.ソーマ達は泡だらけになる.
震動する刃から発生する熱で,もうもうと水蒸気が立った.
「そしてそして」
シノノメは一気に手を離し,空中に両手を掲げた.
手から白い粉が雪の様に吹き出す.
「ペールカルボナトゥ・スー・ドゥー!」
赤備えの装甲がたちまち粉砂糖を振りかけたように真っ白になった.
「こんなモノで,目つぶしのつもりカ! クダラン,クダランゾ! 東の主婦!」
ぐん,とソーマの小山が盛り上がる.頂上付近のソーマ達は腰を落としてシノノメに迫った.
「終わりダ! 死ねェ!」
超震動する刀を振りかざし,ジャンプして塔の上のシノノメに一斉に叩き込む――はずだった.
ギシリと体が軋む音をあげる.
「ナニッ!?」
ソーマの一体一体がギシギシと悲鳴のような音を上げている.
体が動かない――動かせないのだ.
動力に異常はない.だが,関節が詰まったように突然動かなくなった.
ヒンジ型のパーツは固まったように開閉しないし,球体関節は回転しない.
シリンダーも滑らず,自由に左右に動かせていた単眼もガチリと止まったままだ.
個々のソーマが動きを止めた結果,波の様にうねって動いていた赤い巨大なヒトデの触手は,そのまま固まってしまった.
バランスを崩した機体は零れ落ちるように脱落する.
シノノメはどこか得意げに微笑を浮かべ,腰に手を当てて見下ろしている.
そんな姿から目を離せないまま,ふらつくソーマ達はうめいた.
「き……貴様,何をシタ!?」
「酸素系漂白剤だよ!」




