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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第31章 Where The Streets Have No Name
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31-7 It's A Good Day To Die

 石になったやかたの中に入ると,そこにいたのは満身創痍のダーナンだった.

 体中を包帯に似た回復用保護剤が覆っているが,そこかしこから細かい粒上の赤いピクセルが漏れ出て散っていく.

 彼はユーラネシア南の大国,カカルドゥア公国の守護者と呼ばれる聖堂騎士団の副長である.最高位の戦士は聖騎士パラディンのヴァルナなのだが,好き放題いい加減なので実質的に戦士たちを束ねているのはダーナンだ.

 筋骨隆々の巨体にも関わらず純朴なダーナンは,ボロボロの襦袢をまとったシノノメを見るとあわてて目を逸らせた.


「ダーナンさん,大丈夫?」


 声をかけながらシノノメは着替えることにした.

 アイテムボックスの中から振袖と袴,それに編み上げのブーツを選んで手早く交換する.着替えと言っても選択すればすぐに外観が切り替わるのであっという間だ.

 板の間に腰かけたダーナンのそばに腰を下ろし,ポーションの瓶を出す.

 ダーナンはまだ目を逸らせたままだ.


「もういいよ.ダーナンさんも一緒にポーションを飲んで回復しよう」

「シノノメ,“ずんずんグルト”もらうね」


 ネムは早々と腰かけてヨーグルト風味のポーションに手を伸ばしている.


「ネムは少し遠慮という物を知りなさい」

「エー,いいじゃない,グリシャムだって一升瓶のそれ,もらってるじゃん」

「こ,これは…….銘酒,いえ,銘酒風ポーション,鈴木六十六号があるとなれば見逃すのはナイから」

「シノノメ殿の仲間はいつも愉快だな」


 ダーナンが笑った.だが,痛みのせいでひきつった笑顔になっている.


「ダーナンさんも仲間じゃない.ここまで来てくれたよ」

「そうだったな.だが,シノノメ殿,申し訳ないがこれが俺の限界だ」

「え……」

「察しているだろう.カカルドゥア聖堂騎士団は,俺と……今も無事でいるとすればだが,ヴァルナを除いて全滅した」

「みんなが助けてくれたから,私もここまでこれたんだよ」

「そう言ってもらえると皆報われる.だが,カカルドゥアの騎士団は純粋な武術,体術集団だ.前の階層から嫌というほど思い知らされた.ここから先に上がれるのは,忍者たちの様に特殊なスキルを持っているか,獣人のように頑強な肉体を持っているか……あるいは,ランスロット殿やシノノメ殿のような,傑出したプレーヤーでなければならない」

「……それは」

「いや,卑下しているのではない.純粋な分析だ.痛覚も――人間としての心さえ捨て去る,非情さ,そして自らの体を殺人機械に変えて上に上がろうとする意志.それを上回る何かが無ければ,生身の身体は持たない.普通に鍛え上げるだけでは無理だ」

「……」


 ダーナンの真摯な目を見てシノノメは何と言えばいいのか分からなくなった.

 グリシャムが小さく頷いた.


「……一理あると思います.私やネムがここまで来れているのは,常にシノノメさんと行動を共にしているからです」

「この“欲望の塔”は恐ろしい場所だ.機械人の国の頂点――心も機械に変えなければ上がっていけないのかもしれない.欲望――願望を生むのは心だというのに,それを生む心すらも機械に変える――あるいは,それを上回る意志の持ち主のみが上に上がれるというのか……」

「でも,あとちょっとだよ.一緒に行こう」


 MPが回復してきた.シノノメはダーナンに笑いかけた.

 気付けば,ダーナンはシノノメが差し出したポーションに全く手を付けていない.


「いや,シノノメ殿,俺はここで去る.いや,去らねばならない」

「どうし……?」

「そうではない.ともに戦うのは実に楽しい.だが,ここから先,俺は貴殿らの足手まといになってしまうだろう」

「そんな……」

「冷静な自己分析のつもりだ.逆に詫びねばならん.ともに戦えなくてすまんと.このダメージで早々にログアウトしなかったのは,実はシノノメ殿と話がしたかったからだ.折角のポーションは,これからの激闘のために温存しておいてほしい」

「話? お別れ,ってこと?」

「それもある.だが,もう一つ」

「なあに?」


 ダーナンは傷だらけの背中を伸ばし,居住まいを正した.


「シノノメ殿,あなたは,あなたの戦い方をしなさい」

「どういうこと?」

「極端に言えば,敵の攻撃を魔方陣で受け止め,魔包丁で相手を切る.それだけになってしまっている,ということだ」

「! それは」

「シノノメさんは今,下手に魔法と使うと過剰に反応してコントロールが上手くいかなくなっているから……」

「違う,グリシャム殿.俺たちが知っているシノノメ殿は違うだろう? 変幻自在で融通無碍.奇想天外なアイテムが宙を舞い,敵は信じられないような形で倒れていく.それがシノノメ殿の戦いだったはずだ」

「確かに,布団叩きとかフライパンを振り回しているイメージだよネー」

「力を使い果たすと,ログアウトか休眠スリープになっちゃう……」

「何を恐れる? そのために仲間がいるだろう? アラジンの壺を仲間に預けて,自分はセーブして休めばいい.仲間を信じるんだ」


 口ごもるシノノメに代わってグリシャムが口を開いた.


「それは……シノノメさんには,ログアウトができない事情があって……」


 ダーナンはシノノメの事情――現実世界では意識を失い,寝たきりでいることを知らない.

 シノノメはログアウトしても,現実世界で目を覚ますのではない.

 意識の奥――セーフハウスと呼ばれる,かりそめの家で目を覚ますのだ.

 今のシノノメはその家が非現実の空間であることを完全に自覚している.

 自分の本当に安心できる場所――自宅の模型のような物にすぎず,外には荒涼とした奇怪な空間が広がっているだけだ.

 そこに訪れるのは,顔も名前も分からない夫の姿をした何かである.本当はまごうことなき夫――正確にはその意識体――なのだが,シノノメにはそんなことは分からない.

 今やシノノメにとってあの“家”に帰ることは恐怖に近い.

 そんな状況が分からないダーナンは首を傾げた.


「事情?」

「……」


 グリシャムもそれ以上説明することはできなかった.

 全てをシノノメに打ち明けるには時間が足りないし,場合によってはシノノメの“意識”に大きな傷を与えてしまうかもしれないと聞いている.一番望ましいのは,シノノメがすべてを自分の力で思い出すことだと言われているが,今のところどうすればいいのか何も分からないのだ.

 グリシャムはローブのポケットに入ったままの,封筒をふと思い出した.

 クルセイデルに託された小さな封筒だ.シノノメの記憶の鍵を開ける,最後の最後の鍵になるかもしれないという.


「……私の戦い方.それに,仲間を信じること」

「そうだ.俺がここにいられるのは,もう限界だ.その前に,どうしても貴殿にその言葉を伝えたかった」


 シノノメは“架空の家”を出たときのことを思い出した.

 それが異常であると自覚することもなく,ずっと家の中で引きこもっていた.

 ……みんなを信じることが出来れば,きっと,怖い気持ちにも勝てる.

 もとより,そうだ.レラに自分はそう言ったのだ.力を出し惜しみして,上に行ける場所ではないと.


「わかったよ,ダーナンさん.ありがとう」

「良かった」


 ダーナンは肩で息をしていた.相当に辛いのだろう.だが,さわやかな笑顔を作って見せた.

 一際大きな振動が館を揺らした.格子窓の外は真っ赤に染まって,パチパチという音がする.

 ドカンと大きな音がして屋根に穴が開いた.


「ひゃあ!」

「ミサイル?」


 細かい石の破片がバラバラと落ちてくる.石に変化した家と言えど,そう長くはもちそうにない様だ.


「シノノメさん,大丈夫かい?」


 天井に開いた穴からひょっこりとにゃん丸が顔を出した.


「何とか回復したよ.ありがとう.みんなは?」

滝夜叉たきやしゃがやられて,六郎が水遁の術を使ってるけど,辺りは火の海だ.ランスロットさんが何とかシノノメさんたちの脱出路を作ろうとしてるけど,あの馬鹿でかい天守閣ロボの誘導がうまくいかない」

「陽動には乗らないか…….ソーマめ」

「そうだ! ソーマっていったい何なの? いっぱい同じのが出てくるし,にゃん丸さんが突き止めたって……」

「ちょっと待って,説明どころじゃないんだ.俺,ランスロットさんと相談してくる.それに,情報を集めて推論したのはダーナンさんだから.ダーナンさん,悪いけどシノノメさんたちに説明を!」


 爆風がにゃん丸の首筋の毛を焦がした.

 あっという間に丸い穴からにゃん丸が姿を消す.シノノメの回復を見極めてランスロットのところに相談にいったのだろう.

 こんな時にユーグレヒトやレラのような参謀がいてくれたら,とシノノメは思う.

 彼らなら全員のステイタスを見極めて,次々に作戦を立ててくれるに違いない.


「ダーナンさん,そうなの?」


 ダーナンは大きな体を揺らして咳き込んだ.口からは血液――に似た,赤い小さなピクセルが噴き出す.咳に合わせるように体中の傷からもピクセルが飛び散った.

 太い拳でグイっと血を拭い取り,ダーナンは言った.


「ああ.奴は恐らく,群体だ」


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