6-1 幽鬼の都
アスガルドのゲートを抜けると,そこはもう冬が始まろうとしていた.
ユーラネシア大陸の主要都市間は,ゲートで結ばれている.
素明羅皇国の首都,斑鳩と,ノルトランドの首都アスガルドの間も当然このゲートを使って移動できる.
であるからして,本格的に他国を侵略して軍事進攻するのであれば,このゲートから奇襲攻撃をかければいいという事になる.もちろんゲートは厳重に見張られているので簡単ではないだろうが.
先だってのノルトランドの侵攻作戦――現実の国のように,国境に出兵して戦争をしかけるというのは,非常に非効率的なのだ.いろいろな意味で意図の分からない行動だったということになる.
ゲートの前には,シノノメ達ノルトランド訪問使節を迎えるための大きな馬車が待ち受けていた.
四頭のユニコーンが,黒い鋼鉄の馬車を曳いている.
馬具も黒,御者が来ている軍服も黒である.
馬車は飾りっ気がなく,キャビン全体が黒く塗装され鋼鉄の鋲が打ってあった.馬車と言うよりも戦車,装甲車といった印象を受ける.軍事大国ノルトランドのものと言えば,それらしいのかもしれない.
ゲートを出て到着した国家使節に対しては,様々な歓待のアトラクションが行われるのが常であるが,それもない.
異国の使者を一目見ようと見物に来ている市民達――多くはNPCだ――の姿もない.
ただ今にも雪が降りそうな寒々とした曇り空が広がり,白い壁の美しい城塞都市は冷え冷えとした印象を与えるのみであった.
ノルトランド首都,アスガルド.
中世の城砦都市をイメージして築かれている.
ゲート前の広場から大河を渡る橋が続いており,この橋を渡って正門をくぐりぬけるとそこが宮殿のある中央街区である.
豪奢な宮殿を囲むように高い尖塔が立ち並んでいるのが遠目からも見える.
石畳の地面から冷気が伝わってくる.
「やっぱり寒いね,北だからかな?」
「ノルトランドはロシアや東欧,北欧のイメージで作られてますからね,シノノメさん」
「ほらまた,敬語やめようよ.マグナ・スフィア歴はアイエルの方が長いんだよ?」
「うー,分かりました,あ,また言っちゃった」
「でも,コート持って来て正解だったね」
「うん,本当に」
シノノメは紅色の鮫小紋の和服の上に,毛皮のケープを羽織っている.
アイエルはファー付きフードがついた黒いコートを着ていた.
「こうやって見ると,町は綺麗だね」
シノノメが橋の向こうの市街を見渡す.ため息が白く結露した.
「本当に童話の街みたい.ロマンチックですね,あ,だね?」
二人はくすくす笑いながら馬車に乗りこんだ.
大型の馬車なので,素明羅使節団が全員一緒に乗れる.
馬車は前後向かい合わせの二列席になっていたので,シノノメとアイエルは後ろ側手前の席に並んで座った.
向い席に座っているのは外務大臣のナガスネとその補佐サイオン,この二人はNPCだ.
そして護衛として王宮武官セキシュウとワータイガーのカゲトラの二人も前列に座っていた.
「いや,セキシュウ殿とカゲトラ殿,この二人の方々は分かるんだ」
蔡恩はため息をついた.蔡恩は次期外務大臣と目されている,外交の切れ者である.がっしりして目がぎょろりと大きく,黒い中国風の官服を着ている.
「私なんか流れ者の冒険者が,こんな大事な役目に参加してすみません」
アイエルが頭をかいて恐縮する.
「いやいや,アイエル殿もセキシュウ殿のご推挙,見事な弓の腕前も見せて頂いた.だが,この二人はいかがしたものかな!? シノノメ殿?」
ぎろり,と蔡恩の大きな目が,後列奥に座るタキシードの男二人を睨みつけた.
「やあ!」
「チャオ!」
狐人アズサと犬人アキトである.
「北の大地に,新しい恋を求めてやって来た……」
アズサが,一輪の赤薔薇を玩びながら言う.
「北の凍てつく大地を溶かすような出会いに胸をときめかせ……」
アキトが白薔薇の花びらをちぎりながら言う.
「だが僕は今,君に恋に落ちてしまったかもしれない.アイエル」
アズサがアイエルに薔薇を捧げた.
「へ? 私?」
アイエルが目を瞬いた.
「それは僕が先だ.僕はゲートを潜る前から君に惹かれていた」
アキトも薔薇を捧げる.
「はあ?」
「いい加減にしろ!」
蔡恩が激怒した.
「わしらは遊びに来ているんじゃないんだぞ! 素明羅の命運をかけてここに来ておるんだ!」
「僕たちも遊びじゃない.この恋は真実だ!」
アズサとアキトが声をそろえて言い返した.二人とも一応,超絶的美形青年なので,これだけ恥ずかしい言葉を言っていても様になってしまう.タキシードがこれほど似合う青年もそうはいない.まさに,乙女ゲームから飛び出してきたようだ.しかし,台詞とシチュエーションがちっとも合っていない.
「な,何だとぉ!」
蔡恩の気持ちとしては,火に油を注がれた,というよりもダイナマイトを放り込まれたようなものである.爆発寸前だ.
シノノメはクスクス笑っている.
「蔡恩氏,クールダウン!」
アズサとアキトが涼しげな顔で言う.
「シノノメ殿,どうしてこいつらをお供に選んだんですか?」
何を言っても無駄と知り,サイオンは頭を抱えた.
「そうですよ,職業は遊び人ですよね.副職業は魔法使いと剣士かもしれませんけど……」
長須根もうなずいた.彼は飛鳥時代の古代装束に似た服装をしている.もちろん古代そのままではなく随分洗練されおり,頭はみずら結いではなく冠を被っている.
「一流の侍,忍者,琉球武士,いくらでも戦士はいたでしょう?」
「だって,敵の国に行くわけでしょ? まともに戦う人を送っても勝てるわけないよ? 周りは敵だらけで,人数が多い方が有利だもの」
シノノメは当たり前,というように言った.
「その通り,戦闘集団を送っては,戦になります.ただし勝ち目のない戦だが」
カゲトラもシノノメの言葉に同意した.
「とはいえ,遊び人を使節に選ぶとはいささか奇抜ですな.せめて忍者のにゃん丸殿くらい連れて行くかと某は思っていた」
「ほら,いかにも平和の使者でしょ?」
シノノメがアズサとアキトを指して言う.
「この二人なら絶対戦争になんかならないよ!」
「そう,僕たちは愛の使者だから!」
ははは,とアズサとアキトが笑う.
「うぬう,お前ら,宮殿で騎士の奥方を口説くなよ! それこそ外交問題になる!」
サイオンは必死で殴りかかりそうになるのを我慢している.
「直観的だし,突飛だが,正しい選択肢かもしれん」
セキシュウも微苦笑して言った.
「初めからまともにぶつからない柔の作戦だな.だが,シノノメはグリシャム君も連れてくると思っていたよ」
グリシャムは西の大国ウェスティニアに所属しているので,微妙な立場ではある.しかし,かなり優秀な魔法使いであり,二度の戦いを通してシノノメとはすっかり仲良くなっていた.
セキシュウとシノノメは親子や師弟の間柄に近い.主婦ギルドの仲間も知人と言うべきだろう.アイエルとグリシャムほどシノノメが親密になったプレーヤー――いわゆる,‘友達’はこれまでいなかったのだ.
「今回は仕事があるんだって」
ちょっと残念そうにシノノメは言った.
「何か,現実世界の仕事,薬剤師さんとも関係あるらしいよ」
「ふーん,何だろう?」
アイエルはオフ会でグリシャムに会ったことがある.彼女はゲームも熱心だが,仕事熱心でもあるのだ.少し真面目すぎるくらいである.
「とにかく,例のことをどうするかだ」
セキシュウの言葉に全員うなずいた.
期日の迫った,ユグレヒトの処刑のことである.
ノルトランドは,今回の戦争の原因を,全て神官ユグレヒトの暴走であると公式発表した.
そして,彼を戦争責任者として公開処刑すると宣言している.
プレーヤーにとって本来処刑など意味がないはずだ.
死んでもリセットすれば良い.
しかし,何らかの方法で彼は‘死に続けさせる’ことができるのだという.
ログインすれば常に殺され続けるような処置をとるというのがノルトランド――国王代行,ランスロットの弁だ.
ユグレヒトは凄惨なウォーゲームの中にあって,スポーツマンのような爽やかさを感じさせる青年だった.
何かおかしなことがノルトランドで起こっていて,ユグレヒトはその犠牲になっている.シノノメは理屈ではなく直観的にそう感じている.
何とかしてユグレヒトの身柄を救いだし,事情を聴きたい.
彼ならばノルトランドの中で何が起こっているかを教えてくれるはずだ.
セキシュウもカゲトラも,これには同意していた.先の戦闘で忍者にゃん丸が戦闘中に‘強制ログアウトさせられた’ような感覚を経験している.
まさかとは思うが,プレーヤーがシステムに介入しているような現象が,起きているのだろうか.
それが可能であれば,ゲームとしての公正性などない.
しかし,どのように交渉すればよいのか――全員未だ明確な答えは出ていなかった.
一応,大臣たちと一緒に公使として「公開処刑はあまりに非人道的なので,戦犯であれば戦争の被害者である素明羅で裁きを受けさせたい」という方向で交渉することに決めている.
ユグレヒトがもしノルトランドの国家機密をつかんでいるのであれば,彼らは容易に手放すことはないだろう.
いざとなれば,保護の名目で身柄を確保して連れ帰るしかない.ただ,それは最後の手段だ.下手をすればノルトランドと素明羅は完全な交戦状態になりかねない.
馬車は進み,ノルトランド首都アスガルド中心市街区へと入城する.
石畳を踏む轍のリズムが変化した.
中心街の中はあまりにも静かだった.
ユーラネシア大陸北部最大の都市アスガルドは,閑散としていた.
「何だか寂しげだね……」
「そうね……」
窓の外をずっとと覗いていたシノノメの言葉に,アイエルがうなずく.
宮殿への道はゆっくりした傾斜の上り坂だ.
石と煉瓦と漆喰を土台に,黒い木材の梁が露出している素朴なつくりは民家で,飾り窓や趣向を凝らした屋根で装飾されているのは豪商の邸宅だろうか.
いずれも窓がひっそりと締め切られている.
人通りは極めて少ない.
所々に看板や店舗らしきものがあるので,繁華街であることは間違いないはずなのだ.
「前はもっとにぎやかだったよね,セキシュウさん?」
「ああ,おかしいな……すたれているというより,これは荒んでいる」
街区の路地に酔った男が寝ている.
痩せた犬が残飯を漁っている.
子供たちの遊ぶ姿は見えない.
時折老人が歩いていくだけだ.若者すら見ることがない.
町全体に全く活気がみられない
「あ,ちょっと止まって!」
シノノメは御者席の背もたれにあたる,馬車の前壁を叩いた.
馬車がゆるりと停止する.
シノノメはドアを開けて飛び出した.
慌ててアイエルがそれを追う.
シノノメが向かったのは一軒の店だった.
食料品店である.
店番らしい兎人の老婆が,木箱に腰かけて突然現れたシノノメを無気力に眺めている.
膝に頭を埋めているのは孫らしい.頭には白いふわふわの耳がついていたが,随分ぐったりしていた.
「……」
シノノメは軒先に並んだ野菜を睨んでいた.
「どうしたの? シノノメさん?」
「外国のスーパーだから,何か面白いものがあるかと思ったけど……」
「いや,スーパーじゃないでしょ」
どう見ても普通の八百屋さんか果物屋さんだ.というか,ここに来るまで店舗を開けて営業している店がほとんどなかったのだ.
「面白いお菓子も香辛料もないし……ノルトランドなら,赤カブとか,イクラとかベルーガのキャビアとか,絶対美味しくて安いものがあると思ったのに!」
「ま,まあそれはそうだけど」
アイエルは改めて店内を見渡した.薄暗く,客もいない.開いているのが奇跡である.
かつてはシノノメの言うとおり,様々な品物が並んでいたのかもしれない.半ば空っぽではあるが,大型の棚が所狭しと並んでいた.
「キャビアの冷製パスタなんて,ちょー美味しいよ! しかも,」
シノノメはぷりぷり怒っている.
「ちょー高い!」
「そこ!?」
「だって,見てよ! ニンジンが一本五百イコルだよ!」
「五百イコル,って五百円! 確かに,たっか! 何で?」
シノノメが指差した棚の中には,しおれた細い人参が二,三本転がっている.間違いなく値札は500イコルとなっていた.
「すみませんね……でも仕方がないんですよ」
老婆はため息交じりの声で答えた.膝の上の孫の頭をなでる.
孫はゆっくりと目を開け,シノノメ達の方を虚ろな目で見上げた.人間でいえば三歳くらいの女の子だ.ふわふわの白い巻き毛の髪で,茶色い瞳である.愛苦しい顔立ちだった.
「おばあちゃん,お腹しゅいた……」
女の子はか細い声で言った.
「よしよし,ミゥ,もうちょっと我慢しようね」
「うん……」
ミゥにとってはもう何日も,何度も繰り返された会話なのだろう.諦めたように再び目を瞑る.
「ふーん.じゃあ,そこの棚の野菜全部ちょうだい!」
じっと女の子――ミゥを見つめていたシノノメが,唐突に言った.
「えっ?? これを? こんな細い人参や小さいキャベツですよ?」
シノノメは大きくうなずいた.
アイエルが隣でびっくりして目を瞬かせる.
「うん,いいよ! はい,お代は三万イコルでちょうどかな?」
「ええ……いえ,多すぎるくらいです……!」
老婆はうろたえた.見知らぬ和服の少女が突然やって来て,豪快な買い物をするのだから,当たり前だ.
シノノメは気風よく一万イコル札を三枚出して老婆に手渡した.
老婆は慌てて木箱から降り,紙幣を受け取った.どうしていいのか分からないようで,おろおろしている.
「あ,あのー,お釣りは? どちらのお屋敷に届ければいいんですか?」
「ここ! このお店で食べて!」
シノノメはしゃがみこんで,ミゥの白い兎耳と巻き毛をなでた.
「えっ!?」
「お釣りはこのモフモフを頂きましたので! これ食べる?」
シノノメはどこからか板チョコレートを取り出し,ミゥの手に握らせた.
「おねえちゃん,ありがとう!」
ミゥは目を輝かせた.早速包装紙を取ってかぶりつく.
「あ,ありがとうございます!」
老婆は毛糸帽子を取ってシノノメに頭を下げた.ロップイヤーのようにウサギの耳がパタンと垂れる.
「おばあちゃん,一体どうしたの? どうしてお店はこんななの?」
「全部,軍隊が持って行っちまうからね……これでもましな方さね……やっと売り物になるのを仕入れると,全部タダで供出させられてしまうのさ……」
シノノメが訊くと,老婆は肩を落として答えた.
「ただで? 軍隊が? お金を払わないの?」
「それに,作物も入ってこないんだよ.田舎の方でもできた作物はほとんど軍が取り上げていくからね」
老婆は膝を屈めると,口の周りをチョコだらけにしている孫の口元をエプロンで拭いた.
「若者は,この子の親たちも軍隊の仕事にとられてしまったし……」
「こんな小さい子の親を? お母さんも?」
シノノメはアイエルと顔を見合わせた.
ふつふつと怒りが湧いてくる.
「そこまでだ」
店の入り口に,いつの間にか御者の男が立っていた.
「異国の者に,いらないことを言わなくていい.この,ケモミミども」
御者はぞっとするような冷たい目をしていた.
身長は二メートル近く,厚い胸板と広い肩幅を持っている.
今は御者の仕事をしてはいるが,普段はおそらく特殊な軍の業務を行っているに違いない.
全身から立ち上る殺気は,単なる馬車の運転手のものではなかった.
「ケモミミ?」
その言葉は,獣人と長い耳を持つエルフたちへの最大の侮蔑である.アイエルは耳を疑った.
「シノノメ殿も,余計なことに口出ししないでいただきたい.ノルトは獣人やゴブリンなど蛮族の生息地が多いので,軍が強くなければ平和は維持できない.ノルトにはノルトの事情がある」
御者はシノノメを睨みつける.店内は薄暗いので,店先に立っている男の顔は逆光となっている.しかしそれでも憎しみを込めた目が炯炯と光っていた.
「ふーん.分かりました.王様にその事情をたっぷり聞かせてもらうから!」
シノノメは老婆と少女を背に振り返り,御者の悪意に満ちた視線から二人を守った.
一触即発,そのまま戦闘が始まるのかと思ったアイエルは胸を撫で下ろした.
「じゃあまたね,元気でね」
シノノメが手を振って店を出ると,チョコレートをすっかり平らげたミゥが両手を振ってぴょんぴょん飛び跳ねた.老婆は脱いだ帽子をくしゃくしゃにして握りしめ,頭を下げている.心なしか目が潤んでいるように見えた.
あわててアイエルは後を追う.
「何だか,気に入らない!」
シノノメは不機嫌のまま,馬車に飛び乗った.
シノノメとアイエルを御者が冷たい目で睨め付ける.
馬車に乗る瞬間,カラスの声が街に響いた.
それはまるで,これから起こる不吉の前兆であるかのように聞こえた.