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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第31章 Where The Streets Have No Name
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31-5 Specters In The Fog

 切り裂かれた帯が地面に落ちるのもそのままに,シノノメはゆっくり距離を取った.

 白い襦袢を締める赤い縞の伊達帯は無事だ.

 女子の着物の帯の部分は分厚い.帯紐があり,帯があり,その下に伊達帯があり,さらに着物を重ねて長さを調整している“お端折はしょり”と調整のための紐がある.

 そのことごとくが切断されている.

 剣豪セキシュウに寸単位の見切りを伝授されたシノノメである.幻想大陸ユーラネシアでも,ここまで斬撃で切り込まれたことなど,片手で数えるほどだ.

 あまり速いスピードで後退すると,“誘いの気”が生まれてしまう.相手の攻撃を呼び込んでしまうことになる.

 このタイミングで攻撃を受けたくはなかった.


 ……それにしても.


 全く気配がなかった.

 赤い――というよりも,漆の丹色に似ている――鎧を着た武士に似た機械人は,幽鬼のように静かに立っている.

 こうしている今も,光る単眼が戦闘色である赤に染まってはいるが,殺気というか,攻撃の意志が伝わってこない.

 それだけに不気味ではある.

 この剣界の王にしては,あまりにも普通の外観な気がする.

 光剣ビームソードを持つ手をいくつも持ったバトーの方が,いかにも戦闘用ロボットという形だった.

 出口のゲートに擬態していた巨大鎧武者型機械人が暴れ回ったので,辺りの建物は盛大に壊れている.その瓦礫の影にネムとグリシャムは身を潜めているはずだ.

 先を急ぎたいが,一旦下がるべきだ.

 直感的にそう思う.

 ガチャリと音がした.

 刃渡り二メートルはあろうかという斬馬刀を振り上げ,ソーマが八相の構えをとっている.

 中が機械でなければ,ユーラネシアのキャラクターに見えないこともない.

 視線を左右に動かしてフェイントをかけてみるが,ソーマは乗ってこない.

 隙あらば一直線に突進してシノノメを両断する――ただそれだけに集中している様に見える.

 だが,何だろう.

 この人形を前にしたような違和感は.

 機械人とはいえ,あまりに空虚――虚ろな…….

 シノノメの後ろ足が建物のがれきを軽く踏んだ瞬間,大きな気合が響いた.


「チェストおおおおおおお!」


 和風建築のダンジョンを抜け,飛び込んできたのはずんぐりとした小柄な黒い影だった.

 丸っこいシルエットから天に向かって垂直に日本刀が突き出されている.

 ソーマの八相に似ているが,まるで天からぶら下がっている様に高く垂直に掲げられている.

 野太刀自顕流を使うドワーフ,ヤクマルだ.

 黒い大砲の玉に似ている.

 二間――約三メートル半の間合いを,一瞬で詰める.しかも走って飛ぶのではない.一歩のすり足で詰めるのだ.

 無間地獄まで叩き落とすという必殺の初太刀がソーマの頭部にめり込む――.

 そう思った瞬間,ヤクマルは口から大量の血を吐いていた.


「ぐえっ!」

「ヤクマルさん!」


 シノノメは目を疑った.

 ソーマの姿勢が異常なのだ.

 主武器であると思った斬馬刀を持ったまま地に伏せ,あり得ないくらい背中が反り返っている.

 突き出された右脚の先端がやいばに替わり,深々とヤクマルの胸を貫いている.

 サソリ――あるいは,球体人形に人にはあり得ないポーズをさせたようだ.

 ビュッと音を立てて右足を振る動きも以上にしなやかで,まさにサソリの尾である.

 赤い粒のピクセルを血液の様にまき散らし,右足を厚いヤクマルの胸から引き抜いたかと思うと,ソーマはそのまま地面すれすれで回転した.

 斬馬刀が地面と水平に走り,両足が足首で切断された.

 回転はそれで止まらない.グルグルと回転しながら立つごとに白刃が閃き,ヤクマルはバラバラに切り刻まれた.

 無残だ.

 すでにログアウトが確定しているプレーヤーに対して,どうしてここまでする必要があるのだろう.

 シノノメは思わず叫んだ.


「何でそこまでするの!」


 だが,ソーマには何の感情の動きも見えない.

 片足を軸にした人形のような回転のスピードが緩み,ふらりとまた同じ姿勢を取った.

 じりじりとシノノメは下がった.

 気付くとすぐ後ろにグリシャムとネムがいる.

 自分が思うよりも大きく後退していたようだ.身体が勝手に反応しているというか――何かの違和感を察知している.

 ソーマの後ろにはガタガタともがく大型の鎧武者――天守閣に擬態していた機械人が見える.そのさらに後ろに,ぽっかりと口を開けた本当のゲートが見えた.寺の本堂のような形をしている.

 ソーマは動かない.

 動く必要が無いのだ.シノノメ達が上に上がるために,進まなければならない方向は分かっている.

 ソーマの単眼モノアイは不気味なほどひっそりとこちらを見ている.

 何の感情も読み取れない.

 そこかしこで戦闘音がするのに,妙に静かな気がする.


「どうしよう,あんなのナイよ,シノノメさん」

「不気味だネー」

「でも,私たちは行くしかないし……」


 いきなりバキッ,と音がして,崩れかかった木の門が吹っ飛んだ.正確に言うと何かの合成繊維セルロースらしいのだが,見た目は木そのものだ.


「やれやれ,やっと来れたわい」


 言葉とは裏腹に,その口調は険しかった.

 ライオンの着ぐるみ――皮衣をまとった,もう一人のドワーフの剣術使いだ.

 ユーラネシア素明羅スメラ防衛隊,不二才ふにせ組筆頭,チューイである.


「ヤクマルどん――見事に死にがまったな」


 ソーマの足元でサラサラと崩れ行くヤクマルの亡骸にちらりと視線を送り,左前の半身に構えた.

 腰から日本刀を抜き,するすると八相に高く掲げる.普通の剣術よりも剣先が突き立っているが,ヤクマルの構えより幾分斜めで自然な印象を受ける.

 ぴたりと体幹につけた左腕と強く張り出した右肘,そして両手に握られた刀身はまさに蜻蛉とんぼを連想させる.

 示現流の蜻蛉とんぼの構えだ.

 シノノメがネメウスの毛皮を鎧替わりに貸したせいでユーモラスな格好になってしまっているが,こうして構えを取るとそんなことも気にならない厳しさが伝わってくる.

 まさに獅子の皮を被った戦士――そのものだ.


「チューイさん,あの人は」

「なかなか開かない木戸の向こうから見とった.奴――あの機械人がここの主,ソーマじゃな」

「気を付けて.すごくイレギュラーっていうか,不自然な動きをするよ」

「了解した」

「一緒にやっつけようよ.何だか危ないよ.ランスロットたちが来てからの方が……みんなが集まるのを待った方が良いかも」


 一刻も早く上に上がりたいが,不吉な予感が後から後から沸いてくる.


「主婦殿,ここは儂に任せてくれ.ヤクマルの仇を討つんじゃ」

「でも……」


 チューイは怒りに燃えていた.目の前で自分の盟友を残虐な方法で殺されたのだ.なかなか開かなかった木戸の向こうで,歯噛みする思いで見ていたに違いない.

 押しとどめようとするシノノメの言葉を背に,チューイはじりじりと前に進んでソーマとの間合いを詰めていた.

 その距離,三メートル.

 半足だけ,つ……とチューイが進んだ瞬間,ソーマが動いた.

 左腕が伸びる.多重関節の間がガチンガチンと音を立てて隙間を作り,鞭のように伸びた.

 先端ではナイフ状になった指が高速で回転している.回転鋸のようだ.

 甲高いモーター音とともに,ぐんと伸びた腕がチューイの頭に迫る.

 ビン,と琵琶のような音が響いた.

 ネメウスの毛皮がソーマの刃を弾き飛ばしたのだ.


「チェスト!」


 猿叫えんきょうがびりびりと空気を震わせた.

 鋭い気合とともに,日本刀を袈裟懸けに振り下ろす.

 戦国刀の厚い刃はソーマの赤い装甲を見事に両断した.

 まさに,袈裟.太刀は左肩から胴に食い込み,さらに腹にまで到達している.斜めに削いだ胸像のようにソーマの上半身が右に傾く.


「討ち取ったり!」


 チューイはさらに斬撃を進め,胴を両断しようとした.

 だが,不意にソーマは右手に持っていた剣を投げ上げた.

 全くの無造作だ.放物線を描いて戻ったとしても,あらぬ方向に落下するしかない.


「悪あがきは無駄じゃ!」


 気にせずチューイは刀を持つ手に力を込めた.

 機械人は体を破壊しても痛覚がないので壊れない限りはそのまま動くことができる.

 しかし,体内の“コア”を破壊すれば活動は停止できるはずだ.

 この深手,どう考えても胴体内部の主な駆動機関は壊せたはず――.

 ソーマはチューイの方ではなく,投げた剣の後を追うように頭を上に反り返らせている.


「チューイさん!」


 シノノメが気付いて走り出そうとしたちょうどその時.


「ぐわああっ!」


 チューイは自分の目にひどい熱を感じた.

 冷たいが熱い.そして,視界が真っ暗になる.

 シノノメの方から見るチューイの後頭部が不自然に――不気味に棒状に突き上がる.


「きゃぁっ!」


 ライオンの首の形をしたフードがボロリと後ろにめくりかえり,代わりに斬馬刀が貫通したチューイの頭が出現した.

 ソーマは右手で刀を取ると,グリグリとねじった.


「いやだ!」


 こんな時にそうしてはいけない――だが,シノノメは思わず顔を覆った.

 チュイーンという高い金属の回転音と,シュレッダーの作動音に似た不気味な音がする.

 ――肉と骨が削られる音だ.

 ドサッと音がして手を顔からどけると,首を失ったライオンの着ぐるみ――チューイの身体が地面に倒れ,さらさらとピクセル化を始めている.

 辺りは血液が飛び散り,肉かマグロを解体した現場のようになっている.


「ひどいっ!」

「ナチュラル・ボーン・キラーか,サイコパスか……」

「人を殺すことを楽しんでるみたいに見えるヨ」


 ネムの声が震えている.

 ソーマは歪んだ体のままシノノメ達をぼんやりと見ている.

 鞭のように伸び切った左腕はそのままで,だらりと地面に垂れ下がっていた.


 壊れた!?


 頭の中にその言葉が閃いた瞬間,シノノメは襦袢の裾を翻して動き出していた.

 倒木法――木が地面に倒れるような重心移動が反射的に出る.

 走るよりも早くソーマに迫ると,そのまま右手を振っていた.

 黒い刀身の包丁が一閃する.

 ソーマが真っ二つになった――刹那,シノノメめがけて刀が飛んで来た.


「また!?」


 髪の毛をひと房斬り飛ばし,刀が飛んで行く.

 柄頭が火を噴いている.普通より長い柄に推進装置が仕込まれているらしい.

 しかし,持ち主であるソーマはシノノメの足元でバラバラになっている.

 単眼は光を失い,顔面のスリットは真っ黒に変わっている.

 紙一重で避けた刀が上空で向きを変え,シノノメめがけて飛んで来た.


「ミサイルみたい!? どうなってるの?」

「うわっ! こっちに来た!」

「ネム,伏せて!」


 空飛ぶ刀はうなりを上げ,グリシャムの上にかかっていた柱を両断した.

 建物がひどい振動と共に崩れ落ち,もうもうと砂埃がたつ.

 瓦礫を受け止めてグリシャムとネムを救ったのはネムの編みぐるみ――毛糸のゴーレムだ.


「うわあ!」


 煙の中,火を噴く刀は空に向かって垂直に飛んで行く.


「ソーマは死んだのに!?」

「ちょっと待って,あのでっかい天守閣ロボがまた動き出したよ!」


 足首から先が壊れた巨大な鎧武者は,膝をついて身を起こしていた.ギリギリと歯車の軋む音を立てながら,赤ん坊のように這って四角い口を開けている.


「まずい!」


 口から火球が飛んで来た.

 直径一メートルほどの火の玉が空気を焦がしながら迫る.


「鍋蓋シールド!」

「あれ! あれ見てヨ!」

「こんなのアリ!?」


 獣の姿勢を取った鎧武者の肩に立つのは,先ほどシノノメが切り捨てたはずの機械人――ソーマだった.



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