31-1 With Or Without You
体調不良、仕事の関係で更新できず長らくご迷惑をおかけしました。
物語の最後が近づいています。引き続いての応援を宜しくお願い致します。
橋本駅到着を、リニア新幹線のアナウンスが告げた。
和馬はほっと胸をなでおろして降車ドアに向かった。初めて乗ったというのに、楽しむ間も無かった。
「ふう、何とかここまで来れたか。俺、もう肝ドンドンだ」
「油断は禁物だぜ、和馬」
駅のホームに降りると右往左往する人の群れが見えた。
人工知能サマエルが首都圏に向かう交通網を混乱させているのだ。黄色いポリ袋を持つ手に思わず力が入る。
警備用の監視カメラはそこかしこにある。サマエルにずっと監視されている様な気がする。
サマエル破壊プログラムが作られたことや、それを風谷の下に届けようとする動きがあることはすでに把握されている。
しかし、だからと言ってそれを阻止するためだけに何千万人の足を混乱させるなど――あまりに途方もない。
思わず足取りが重くなる。
姉の頼み、そして仲良くなったシノノメのために、と返事一つで引き受けたのは良いが、とんでもないことに巻き込まれているのではないか。
……ままよ、ジャイアントキリングさ。
和馬はそう言い聞かせて足に力を籠める。
リニアの駅は地下深い。
ホームからエスカレータの繋がる先を見ると、深い竪穴の底にいるような気分になる。
「あれっ?」
自動改札にQRコードをかざして出ようとすると、開かなかった。駅員がすぐにやって来た。
友人改札に誘導される。
「大丈夫かな」
飄々として見えた相棒、幸誠の表情が険しくなった。
「いざとなったら決めた通りにしようぜ」
「う、うん」
「コードエラーですね。これは?」
「料金は支払ってます。だって、そうしないと発行されないでしょう? システムエラーじゃないですか?」
幸誠は大人びた口調で駅員に抗議した。身長差があるので、和馬とは兄弟に見えない事もない。だが、口元が震えているのが見える。緊張しているのだ。
「コードの偽造も増えていますので、しばらくお待ちください」
「だったら行きの改札を通れるはずがないですよ。急いでるんです」
「ご迷惑をおかけします」
窓口の奥からもう一人の駅員がやって来た。
「コード照合の結果、この切符の持ち主は新崎佑孝――」
「それが?」
「年齢五十二歳――君はどうみても二十歳以上に見えない――これは、どういうことかね?」
「……何かの間違いでは?」
目に不信の色が見える。
いや、瞳の奥にぽっかりと深い洞窟が空いている様に――暗い。
「君たちハ、ダレダネ」
「何を運ぼうとしていル? こちらにヨコシナサイ」
制服の腕がゆっくりと伸び、和馬の持つ袋に伸びた。
身をよじらせてそれをかわす。
これはまるで――シノノメが戦っている機械人のようだ。
和馬は震えあがった。
幸誠が叫んだ。
「走れっ!」
弾かれたように和馬は走り出した。
エスカレータを駆け抜ける。
後ろから駅員が追って来た。
「待て!」
「待ちなさい!」
センターフォワードの脚力を舐めるなよ!
捨て台詞を吐きたいが、そんな心の余裕もない。
気持ちだけ足に込めて、ぐんと一気に速力を上げた。
駅の構造は複雑で田舎育ちの和馬にはよく分からない。ただ橋本駅の正面口に向かう。それだけだ。
「あの少年だ!」
「止まれ! 止まりなさい!」
駅員が手を大きく広げて遮ろうとする。
体をかがめてスライディングし、腕の下を潜り抜けた。
「あっ!」
「止まるもんか!」
前のめりになりながら走った。体が悲鳴を上げるが、ジグザグに体を振って人混みの中を走る。
「正面口に向かってる!」
そんな声がする。
どいつもこいつも人工知能なんかに操られやがって!
和馬には十分理解できなかったが――サマエルは脳に刺激を与えることによって、人間の行動をコントロールしているという。
例えば、インターネットの画面閲覧にしても、履歴から分析してユーザーが好む情報を提供する仕組みになっているのは周知の事実だ。買い物一つとっても、購買欲を刺激するサイトやページに自然に誘導されている。それは自分が選んだつもりでいて、結局選ばされていることに他ならない。
幸誠はそんな風に説明してくれた。
犠牲になってくれた彼のためにも、絶対にこれを風谷とシノノメの所に届けるのだ。
ポリ袋がガサガサと音を立てる。小脇に抱えているが、腕の振りが使えないので走りにくい。
見えた。
駅前正面広場のロータリー――停車しているバスやタクシーが見えてきた。
人ごみに混じりながら、一気に走り抜けた。
駅舎を背に石畳の広場に出る。
だが、ここからどうすればいいのか。
小暮は迎えが来るとだけ言っていたが、誰が来るのか、どうやって迎えに来るのかもわからない。静岡を出るまでに手配がつかなかったのだ。
「どこに逃げた?」
「あそこだ!」
後ろで声がする。
振り返ると駅員に混じって警察官が見える。
誰もかれも表情に乏しく、まさにシノノメが戦っている機械人の軍団のようだ。
手にサスマタまでもっている。
「俺一人に……凶悪犯かよ」
和馬の前は道路だ。駅前なので交通量が激しい。信号が変わる気配はない。
薄闇に包まれた街に、大型バイクのエンジン音と、激しく鳴るクラクションが響いている。
どこか遠くで聞こえるようで、自分の心臓の鼓動の方が大きく思える。
「どうしよう、どうしよう」
半円を作り警官と駅員がじりじりと近づいて来た。
通行人が遠巻きにそれを見ている。
背が高い警官が腰を落とした。剣道経験者に違いない。一気に距離を詰める気だ。
バウン!
警官が飛び込むように迫ってきた瞬間、自分の目の前で爆音が炸裂した。
大きなエンジン音と、石畳の上を滑るタイヤの軋む音。
警官と和馬の間に、車道からバイクが飛び込んで来たのだ。
「えっ!?」
バイクを運転するのはヘルメットにゴーグルをつけた女性だ。
ミリタリールックなのに、抱っこ紐をつけている。
エンジンの爆音が気にならないのか、二歳くらいの小さな子供が背中にぶら下がってすやすやと寝ている。
肩越しに見える警官も目を白黒させている。
「乗りなっ!」
「え?」
「あんたカズマだろっ!? もたもたすんな!」
顎で後部座席を示す。
「あの……どちらさま?」
「自己紹介してる場合かよ! 馬鹿!」
叱り飛ばされ、和馬はバイクに飛び乗った。
「しっかりつかまってな!」
慌てて女性の腰にしがみついた。
排気ガスが煙をたなびかせると、警官がはっとしたように駆け寄って来た。
ぎゅん、と後輪が石畳の上でターンする。警官が飛びのく。
「行くよ!」
バイクは一気に加速し、車道に再び飛び込んだ。盛大にクラクションが鳴るが、女性はお構いなしだ。
「あっ!」
必死に飛びついた警官が黄色いポリ袋をむしり取った。
「おっ!」
「構いません! 行って!」
「おう!」
女性はクラッチを緩めた。
爆発的に加速し、橋本駅があっという間に小さくなった。
後ろ目にそっと覗くと、警官が黄色いポリ袋を握って呆然と立っているのが見える。
「あの袋、良かったのか?」
「うん、僕の友達がダミーにしろって」
高速で走るバイクの上だったが、和馬はゆっくり右手をずらして胸元を確認した。
幸誠の指示で、ボディバックとビニール袋、二つのダミーを作っておいたのだ。
肝心の記憶媒体は丁寧にハンカチで包み、シャツの下に入れてある。タンクトップを裂いて縛り付けた。
「その子、賢い子だね。しっかりつかまっておきなよ」
「あの……オバさ……いや、お姉さんは誰?」
「あんた、今おばさんって言いかけただろ?」
ククク、と笑う声がする。顔がゴーグルに隠れて見えないが、二十台半ばくらいだろうか。
「シェリルって分かるか?」
「シェリル?」
「犬人シェリル。カカルドゥア最強の剣闘士の右腕さ」
「あ!」
和馬は思い出した。シノノメがカカルドゥアで身を寄せていた、アーシュラの船にそういう人物がいた。
ヘッドライトの光が横を流れていく。車の流れが遅い。シェリルのバイクは車間を縫うようにして突き進んでいた。
時折遠くから救急車のサイレンが聞こえる。
「これもサマエルのせい?」
「多分ね。どこも事故だらけで、渋滞だよ」
ぐん、とバイクが左に折れて分岐に入った。
「あれ? 横浜じゃないの?」
「あっちはマークされてるだろ? このまま都内に近づく。でもって途中交代する」
「交代?」
「幹線道路には交通監視カメラがあるからね。敵が本気なら、うちらの行動もチェックされてるだろ」
和馬はゴクリとつばを呑んだ。
「間道を抜けて、とりあえず飯を食う」
「ごはん? そんなの食ってる暇ないでしょ?」
「腹が減っちゃ戦はできないっしょ。それに、その子のおむつ交換が要る」
「あ、そう言えばさっきからおしっこの臭いがする」
シェリルの胴につかまると、自然に子供のお尻に顔を擦り付けるようになるのだ。
子供の甘いにおいと柔らかい感触の中に、何だかポヨポヨするふくらみがあることに気付いていた。オムツの吸収材がたっぷりとおしっこを吸っていっぱいになっているに違いない。
大通りを外れ、どんどん辺りは暗くなっていく。
住宅地の奥に橙色の明かりが見えてきた。
隠れ家といった雰囲気がある。木造の民家を改装したカフェらしい。
シェリルの恰好から想像できないような小洒落た店だった。砂利が敷かれた駐車場にバイクが止まったので、和馬は降りた。
地面に立つと膝が笑う。
「この、このっ!」
和馬は震える脚を抑えつけた。
仕方ない。全速力で自転車をこいで、さらに走って、警官に追われたのだから。
ペンギンの様な歩き方で店のドアを潜ると、中は温かかった。
ドアに「Closed」と書かれた札が掛けてあるのに、中は営業中の様だ。
間接照明の灯りが柔らかく店内を照らし、良い臭いがする。
食べ物と木の臭いだ。
途端に和馬は空腹を感じた。
丸太を半分に割ってつくられたカウンターと、小さなソファ席が数席ある。
「ちはッす。チャイルドルーム借して頂きます」
妙に丁寧な口調に替わった。シェリルはカウンターの中の人物に一言声をかけて奥に入って行った。
ぽつんと一人残された和馬は、どうしていいか分からなくなって店内を見回した。
シンプルだが、センスが良い。それでいて冷たい感じがない。
突っ立っていると、カウンターの奥から声がかかった。
「とりあえず座りなさい」
「どこに?」
「どこでも。じゃあ、こっちへどうぞ」
そう言ってカウンターの中の女性――店員――いや、店長なのか――は、隅の席を指さした。
前には生ハムの大きな塊――豚の太腿の燻製がでん、と鎮座している。
席に着くとテキパキと食事が用意された。
温かい白いご飯が湯気を立てている。
トントンとリズムよく並べられたのはサラダにスープ、メインのおかずはハンバーグのキノコ餡かけだった。
「今日の日替わり。男の子だったら、たくさん食べるでしょ?」
「い、頂きます。でも、お金は」
「アタシの奢り。友達の弟からお金は取れないよ」
「友達? でも」
「いいから。大体それ、シノノメのレシピだから。ハンバーグをつくね風にして、刻んだ軟骨が入ってるの」
食事を運んで来た女性は、そう言ってニヤリと笑った。
どこかで見覚えがある笑みだ。
落ち着いた印象なのに、どこか悪戯っぽい。
歳は二十代の後半だろうか。シェリルより少しだけ年上で、白いシャツに黒いカフェエプロンが似合っている。
「オバ……おねーさんは?」
「ふふ、今言い直したね。それ、アイエルの教育の賜物?」
店主――なのか分からないが、女性は和馬の前に座ってにっこり笑った。
大人びた雰囲気に、和馬は妙に照れ臭くなった。
姉の友達なのは分かったが、誰だろう。
「捕まった友達の事なら、きっと大丈夫だと思うよ。荷物を持ってないのなら、ひどい目には合わされないはず」
「頂きますっ」
和馬は慌てて箸を取るとご飯を掻きこんだ。
ガチャリと音を立ててシェリルが戻って来た。
目を覚ました子供を抱いている。
「姉御、あざっした。そいつ何か失礼なこと言ってませんか?」
「今言いかけた」
「なにぃ?」
「いや、ちゃんと言い直したじゃん」
慌てる和馬を見て、女性二人は大いに笑った。
「冗談だよ。それより落ち着いてしっかり食べな。姉御、準備は?」
「姉御はやめなって……大丈夫。食器も包丁も洗ったし。あとは鍵をかけて店長に返すだけ。シェリル、それはよろしく」
「隣の家が姉御のおばさんの家でしたよね。了解っス」
「和馬君、食べたら出発するよ。今度はアタシと一緒に」
モグモグと口を動かしながら、和馬は目を丸くした。
「あ、その様子だとまだアタシが誰か分かってないんだね」
エプロンを畳んでカウンターの上に置くと、女性は長い髪を片手で握って、頭の横に上げて見せた。
「赤くないと分からない?」
「あ! 赤鬼の、アーシュラ!」
「誰が赤鬼だ!」
アーシュラは折角洗ったばかりの包丁を振り、生ハムの塊を真っ二つに叩き切った。




