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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第30章 A Kind Of Magic
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30-11 The Great Escape

 和馬は汗だくになっていた。

 静岡市の郊外から富士市まで自転車で突っ走ってきたのだ。

 肩には小暮から預かったボディバッグを掛けている。立ちこぎすると大きく跳ねた。

 カーブするときには思い切り体を倒す。その様子はほとんどレーシングバイクのコーナリングである。膝から脛につけたレガースがアスファルトにこすりつけられ、白い煙が上がった。

 原付バイクやゆっくり運転の軽自動車など、ぐんぐん追い越していく。


「見えた! 富士駅だ」


 駅前に突っ込むようにして停車すると、さすがに膝がガクガクと揺れた。


「流石に明日は筋肉痛だな」


 だが、のんびりとしてはいられない。自転車を二つに折りたたんで専用のリュックに収納し、背中に背負って歩き出した。

 ホームに向かうと、眼鏡をかけたひょろりと背が高い少年が立っている。


「よう、久しぶりだな、幸誠こうせい.また背が伸びたんじゃね?」

「こら、しぃっ!」


 幸誠は少しだけ手を挙げたが、辺りを見回しながら口に指を当てた。

 こそこそと壁際に手招きし、声を落とす。


「駅のホームなんて監視カメラだらけなんだぞ。分かってるのか? バカ和馬」

「アキジャビヨー、忘れてたさ。それよりお前の指示通り来たぞ。ここからどうするんだよ。作戦を教えろよ」

「その前に暗号を言えよ。カブト?」

「ムシ!」


 いささか中二病の二人だった。だが、交通機関の大混乱で誰もが忙しく、二人に目を止めている暇などない様だ。


「よし、そのバッグを貸して」

「え? 俺が最後まで持っておきたい」

「そうじゃなくって、サマエルが見てるかもしれないだろ」


 幸誠は“ロシナンテ”と安売り店の名前が書かれた黄色いビニール袋にバッグを放り込み、和馬に返した。


「僕も一緒に行く。切符はもう買った。とりあえず出発しよう。まったく脳筋め……こんなところで話せるわけないだろ?」

「わかった、わかった」


 二人はそれでもどこか楽しそうに、並んで富士駅の改札へと向かって行った。


 ****


 グリシャムは空中にレラが託した“地図”を広げた.

 ファイルは巻物スクロールの形をしているが,広げると光る線描のフレームが浮かび上がる.

 縦長の長方形にいくつもの横縞が入っている.

 強欲――あるいは欲望の塔を模式的に表した図形だ.


「第八十二層にそれはあるそうです.ただそれは,聞く限り抜道というよりも,ゲーム上の一種のチートですが」


 ランスロットは八十二という数字が書かれた層を目で追った.

 溶融界と書かれている.

 下は八十一,狂獣界.上の欄は八十三,毒界だ.レラが懸念していた毒の大気で充満した階層だ.


「ふむ,どういうことだ?」


 シノノメが光る線に指を伸ばし,上に指先をスライドさせた.


「穴がずーっと上につながってるんだって」

「穴?」


 シノノメの説明はいつもながらに抽象的でよく分からない.だが慣れているランスロットは嫌な顔一つせずに尋ねた.


「これまで私たちが見てきたように,各階層の出口と入口はそれぞれバラバラにずらして配置されています.七十六層の出口――七十七層の入り口は中央でした.次は東,今度は西,という様に」


 にゃん丸が頷いた.彼は休眠していたので,ヴァルナとグリシャムたちの会話を聞いていない.


「そりゃそうだ.じゃなきゃ,どんどんスルーで上に上がれちまう.ゲーム的には当たり前だよな」

「ええ.ですが,八十二層から上へは垂直に伸びるダクトがあるらしいんです」

「ダクト?」

「電子系のケーブルなのか,水やガスが通っているのか分かりませんが,それは階層フロアを貫いているのだとか.機械人というよりも警備用のロボット――ユーラネシアで言うモンスターやNPCのような物がいるにはいるけれど,敵も少ないって」

「なるほど,そこを行けば近道ができるのか」

「ですが基本的に,八十二層まで行くこと自体が過酷なので,どれほどの近道ショートカットかは分かりませんけど」


 シノノメはランスロットと同じように地図を眺めていたが,しばらくしてグリシャムの方を振り返った.


「場所は――ヴァルナは真北の壁の隅って言ってたよね?」

「うん,そう.真北の壁の隅.八十二層で目指すのはそこ」

「この八十二層は何なの?」

「強酸の川や間欠泉が噴き出している空間らしいよ.プレーヤーを溶かしちゃうんだって」

「そう……」


 シノノメは考え込んだ.

 すごい情報だと思う.ヴァルナは一体どうやってこんな秘密の情報を集めたのだろう.

 クルセイデルによれば,強欲之塔タワー・オブ・グリードの頂上こそ,この“マグナ・スフィア”の最終ステージ――つまり,レベル百に到達する場所だ.

 レベル百になった人などいないはず……そこまで考えたところで,思い出した.


 ……かつて,マグナ・スフィアでたった一人,レベル百に到達したものがいるのだ.


 カカルドゥアの魔王,シンハの言葉だ.

 シンハは徹底して邪悪の道を選び,レベル百を目指したが結局それは成らなかった.

 あんな人間の言葉がどれほど本当か信じられないけれど,本当だとすると――ヴァルナはその人に会ったのだろうか.

 強欲の塔の頂点に上るということは,その人間プレーヤーの欲望――願いが誰よりも強かったということに違いない.

 全てを犠牲にして,あらゆるものを破壊して,その人は一体何を願い,何を望んだのだろう.


 想像もつかない.


 その願いが邪悪なものなのか,純粋なものなのか,全く分からないけれど,きっと自分とは全く違う強靭な意志の持ち主――理解を越えた人だ.

 自分はそんなに強く願うことが出来るだろうか.


 ――現実世界に帰りたい.


 だが,一方で現実世界に帰ることが怖い自分もいるのだ.

 目を覚ました時に自分の横たわるベッドの周りには誰もおらず――ミイラの様にやせこけた自分の手足が見えるだけだったら.


 記憶の鍵は開かない.


 答えは全てこの地獄のような塔の頂点にあると,クルセイデルは言っていた.

 仮想世界の未来をかけて仲間たちは戦っているというのに,自分のこの優柔不断な気持ちはどうすればいいのだろう.

 ランスロットはどんな結果になっても気にするなと言ってくれる.


 だが.


 そこまで考えたところで,ふと我に返った.


「それで,どこまで行けると?」

「うまくいけば九十番台の後半の階層にまで抜けられるかもしれないそうです」

「……なるほど.ならば,その道を行くしかない」

「ランスロットさん,でもオイラ達が考えなきゃいけないのは,とりあえずこの出口をどう突破するかだよ」


 にゃん丸が毛糸のハンモックから少しだけ頭を出して地上を覗き込んでいる.


「やつら,また出てきやがった」


 全員がそっと下を見た.

 巨大な門の前に鎖につながれた巨人――二十メートルほどの機械人が連れて来られている.

 電流を帯びた鋼鉄の鞭で何度も打たれると,巨人は出口の門に手をかけた.

 凄まじい軋む音が響き,数メートルほどの隙間が開く.

 門をくぐってぞろぞろと現れたのは,機械人の軍隊だった.

 上の階層――七十九階層,剣界ソード・ワールドから降りて来たのだ.


「増援……?」

「いや,それは違う気がする」

「ランスロットさん,というと?」

「上の階層を制覇したから勢力範囲を増やしている――そうは見えない」

「それは?」

「あ,そうか,なるほど.だから門番がいるんだね」

「シノノメは流石に勘が良いな」

「へへ」

「あっ! なんか,シノノメさんに負けるとオイラ悔しい」

「ランスロットは基本的にシノノメに甘いよネー」

「はっ! そういえばプロポーズされたんですっけ」

「グリシャムちゃん! 何も今そんな話をしなくても!」


 あわてるシノノメを尻目に,ランスロットは淡々と言葉を継いだ.


「まず,全体として覇気がない.さらに,シノノメの言う通り,上の階層を制した武装集団なら,わざわざ門を閉ざして警備しておく理由がない」

「でしょ?」

「確かに,何だか元気がなくって,とぼとぼ歩いている感じだよネー」

「なるほど……上から攻め降りてくるのを防御しなきゃいけないってことか.じゃあ,今降りて来てるのは元々あのバトーとかいう機械人の一派か」

「あるいは,敗走している軍隊がバトーの軍に加わろうと降りてきているか」

「そうか……バトーの馬野郎,剣界で勝てなかったので,レベルの低い下の階層を侵略したってことだ.オイラたちに言ってたのは虚勢,嘘だったんだ」

「可能性だがな.勢力を下に広げるっていうのは一軍の将として納得できない」

「さすが,ノルトランドの元最高指揮官」


 ランスロットの言葉が正しいことを裏付けるように,門をくぐって来た兵士たちの行動はバラバラだった.妙に統制が取れている者といないものの差が激しい.

 統制が取れている者達は,バトーのそばに駆け寄って整列していた.

 機械の騎馬軍団と歩兵団が編成されていく.

 列に下ることを良しとしない機械人が数名小競り合いを起こしていたが,バトーの仲間たちにたちまち斬り殺された.


「なるほど」

「でも,すごい大勢集まってる……敗軍とはいえ,数百はいるかしら.準備を整えて上に再び攻め入るつもりなのね」

「どっちにせよ,あいつらをやっつけないと上には上がれねぇ」


 ランスロットは意味ありげにシノノメの方を振り向いた.


「シノノメ,もういいか?」

「いいって?」

「みんなの覚悟を無駄にしないこと.全ての犠牲を振り払っても,お前は上に進むということ」

「それは……」


 シノノメは一瞬伏せた顔を上げた.ランスロットの涼やかな瞳が自分を見つめている.それに応えるように目を見た.

 アーサー王伝説のランスロットの二つ名は“湖の騎士”だ.

 宝石のような瞳は,自分の揺れ動く感情を湖のように静かに受け止めてくれる――そう感じる.


「……まだ,本当に納得できたわけじゃないけど……みんなのために,私のために――みんなの力を借りなきゃいけない……そうなんだね」


 ランスロットは頷いた.


「ついに,あれが必要になる時が来た」


 シノノメは唇を噛み締めながらアイテムボックスに手を入れると,“アラジンの壺”を取り出した.


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