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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第30章 A Kind Of Magic
269/334

30-10 Somethin’ to Hide

「下り線はまだ動いてるんだったな」

「はい」

「それでも大変だっただろう?」

「ねーちゃんの命令は、絶対なんです」


 和馬は神妙な顔で答えた。

 大きなリュックを胸に抱え、小暮の隣に座っている。

 ハンドルを握る宍戸に声をかけた。


「どうですか? 宍戸さん」


 宍戸はナビゲーションシステムのモニタを見ながら答えた。人工知能による自動運転はできない。地方の裏道を走るからというだけでなく、サマエルに乗っ取られる可能性があるからだ。


「下道を行けば、あっちこっち混んでるけど静岡市――もう少し東までは車で行けます。もちろん、大井川と安部川を渡る橋の所は混雑してますが」


 小暮たちは浜松を発ち、車でひた走っていた。

 迂回路を使いながら静岡県内を東――神奈川・東京方面に進んでいく。

 高速道路に向かう道はどこもひどく渋滞していた。


「だが、静岡県から神奈川県――横浜までどうする? 箱根を越えるか伊豆半島を横断するか――高速は大混乱だと言うし、そこから先を素直に通してもらえるとは思えない。サマエルは俺たちを常に監視してる」

「おお! サマエル! シノノメさんが戦ってる、悪の人工知能! 燃えるなあ」


 和馬は目をキラキラさせながら言った。


「アイエル――お姉さんに、何て話を聞いてるんだ?」

「え? シノノメさんがアメリアで最終決戦すると、最終的ラスボスの悪の人工知能が死ぬんでしょ? そのために力を貸せって」

「君に危険が及ぶかもしれないんだぞ?」

「だからよー。こう見えてシノノメさんとは、仮にも勇者の一人として、ユルピルパ迷宮を制した仲だよ?」


 答える和馬のイントネーションが変化した。語尾が上がり気味で、少し早口になる。


「だから? 何?」


 眉を顰める小暮に替わって、宍戸が少し面白そうに反応する。


「あ、それ、沖縄弁うちなーぐちでしょう」

「あ、うん、出ちゃった」

「小暮さん、“だからよー”が出たらそれ以上追及しちゃ駄目なんですよ」

「は? 何だそりゃ? よく分からないが、電話で話したのはそのくらいか?」

「あー、はい。詳しい事を話したらサマエルに知られるからって、姉ちゃんも言ってた」

「それは賢明だ。今もどこで見られているか分からない」

「行けるところまで行って……それから」

「へへ、勇者の体力を信じてよ」


 不安そうな小暮をよそに、和馬は豪快に笑った。


 ****


 頭痛がひどい.

 シノノメは頭を振った.

 ポーションは好きな粒粒ミカンジュース味だったが,口の中に渋みが残る気がする.自分で意識している以上に体――脳が疲れているに違いない.

 隣にいたグリシャムは通信用ソフト“メッセンジャー”のウインドゥを閉じ,シノノメに声をかけた.


「大丈夫?」

「うん……グリシャムちゃん,みんな,ごめんね」


 上階層につながる巨大な門が下に見える.

 シノノメ達は鋼鉄の壁にへばりつくようにして身をひそめていた.

 壁にあったわずかなくぼみに,ネムが編んだ白と灰色の“都市迷彩柄”のネットを張り渡し,ハンモックのような仮の隠れ家を作ったのだ.


「あたしたちみんな,ひな鳥みたいだネー」

「ネム! 何を呑気なことを言ってるの」

「まあまあ,グリシャム.責任感は分かるけど,そんなにいきり立つなよ.そうは言っても,こうやって休憩できるのはネムのおかげなんだからさ」


 にゃん丸がグリシャムをなだめた.

 レラから地図と今後の作戦を託されたグリシャムの顔は,はたから見ても険しくなっている.

 壁際ではランスロットが剣を抱いたまま目を瞑り,金色の繭に包まれている.

 休眠スリープだ.マグナ・スフィアの脳刺激装置ナーブ・スティミュレータは,脳疲労を起こさせるため,定期的な休眠が本来必要なのだ.

 にゃん丸も先ほど休眠したばかりだ.

 グリシャムは長期戦が予想されているときには点滴をしながら参加しているという.血糖値をコントロールして,言わば機械を騙しているのだ.

 まだ想像でしかないが――点滴がずっと繋がっているシノノメには必要ない.

 ランスロットは脳障害を負って回復したばかりの筈だ.相当無理をしているのではないだろうか.

 シノノメはもう一度頭を下げた.


「私がしっかりしていないから――ごめんね」


 グリシャムはシノノメの手を取って首を振った.


「気にしないで.あれはでも――何なの? 暴走したような……ミラヌスの町でマギカ・エクスマキナの敵を圧倒した時のような……少し怖いシノノメさん……」

「どこか空の高い方から――声が聞こえてくるというか,天高くに自分がつながってしまう様な……そんな感じになるの」

「何かが乗り移ったみたいだネー」


 ネムの言葉にシノノメは目を大きく見開いた.


「そう.それだよ.そんな感じかもしれない」

「我命ず,敵を殲滅せよ,か」


 振り向くと目を覚ましたランスロットがこちらを見ていた.アバターではあるが,端正な顔は少しだけ疲れを宿している様に見える.


「まるで,今回のこの戦いその物だな.仮想世界は理想世界,幻想世界として存在すべきだという俺たちと,現実世界の掃きだめ――逃避するための汚れた世界に変えてしまおうというアメリアの連中との,思想の対決だ」


 にゃん丸が腕組みして唸った.


「考えてみれば,サマエルは,ソフィアは――仮想世界を運行する人工知能たちは,オイラ達――人間の戦いをどう思っているのかな?」

「想像もつかない.だが,葛藤しているのには違いない.それこそまさにシノノメの暴走じゃないのか?」

「私の? ……そうか.私,クルセイデルに言われたの.この世界と私はもう切っても切れない仲なんだって.この世界の四分の一くらいが,もう私そのものになっているって……意味が今一つ分からないんだけど」

「シノノメさんが,この世界の一部?」

「うん.そういうことをみんな考えると,あの暴走――頭の芯が熱くなって,悪い人たちを滅ぼしてしまいたいって思うのは,この世界か,ソフィアがそう考えているからじゃないかなって気がする」

「エルフの女王――エクレーシアの姿をしているときには,そんな恐ろしいことを考えるようには思えなかったけど……」

「うん,そう.でも,この欲望の塔に上がって,最後の敵と戦って……そのあと,どうなるんだろう.機械の人たちに負けたら……もちろん幻想世界ファンタジーは無くなってしまう.でも,勝ったとしても,もし,私がこの世界から帰りたいって望んだら,この世界は……みんなや,クルセイデルや,レラさんが大事にしているこの世界は」


 壊れてしまうのではないだろうか,という言葉が喉から出かかったところで,シノノメは唇を噛み締めた.

 自分の背中に,仮想世界の未来がかかっている.あまりにも重すぎる.


「それは……」


 自分に触れるグリシャムの手に力がこもるのを感じた.

 にゃん丸はシノノメを気遣ってか,あるいは張り詰めた雰囲気に耐えられなくなったのか,ふっと視線を逸らせて地上を見下ろしている.

 だが,ランスロットは身を寄せると,シノノメの両肩を握ってきっぱりと言った.


「シノノメ,それは考えるな」

「でも……」


 ランスロットの瞳に,シノノメの顔が映っている.


「でも,でも,もしかしたらこの世界が無くなっちゃう……」

「だとしても,お前は進め.お前の望んだとおりにしろ.どんな結果になったとしても,俺たちの誰もが,お前を非難することは決してない」


 ランスロットは優しく笑った.シノノメが意識の混濁を抜け出し,やっとそれとわかるようになってからずっと見守ってくれていた時のあの目をしている.

 何と言えばいいのか分からなくなってしまっていたグリシャムは,ほっと溜息をついた.


「そう.今私たちが出来ることをしようよ」

「機械の世界になっちゃうのは嫌だからネー」

「……ありがとう」


 ランスロットは頷くと,シノノメの肩を離して尋ねた.


「それで,グリシャム.ヴァルナの奴は何て言ってたんだ?」


 見事な場の切り替えだった.湿った雰囲気が一瞬にして,冒険に挑む覇気に満ちたものに代わる.

 さすがはノルトランド一国の頂点に立った騎士だった.ランスロットはシノノメとともに,ヴァルナとは今は無き伝説的冒険者集団レジェンダリーパーティー,“永劫旅団アイオーン”の仲間同士でもある.

 ランスロットが休眠している間,グリシャムは聖騎士パラディン,ヴァルナとメッセンジャーで通話していた.

 七十八階層に上がり,少し安全を保てる場所に移動出来たら,出来るだけ早くヴァルナに連絡すること.それはレラの指示だったからだ.


「はい,さっきやっと連絡がつきました.交信できたのは五分もなかったけど」

「奴は今何してる?」

「六十階層から侵入して,急いで私たちの後を追っているそうです」

「急いで……そうか」


 シノノメが首を傾げた.

 グリシャムと一緒にメッセンジャーで話したのだが,シノノメは頭痛がひどく会話の内容に集中できなかった.それに,計画の全貌を知らされていないので,ヴァルナが黒騎士と一緒にいるなどとは夢にも思っていない.


「映像はミニヴァルナだったよ.急いでって,どうやってかな? ネズミみたいに登ってるのかな」

聖騎士パラディンヴァルナって,何だかチョロチョロしてるよネー」

「そんなのでホントに間に合うのかしら」


 ノルトランドの最終戦で対峙した黒騎士ダーク・ナイトのことをランスロットは思い出していた.

 黒い甲冑で全身を固めた,悪鬼オークのような姿.

 顔も声も,本来の姿かたちの一切を失って戦い,彷徨い続けた男が,今最後の決戦のために欲望の塔を再び登っている.

 その来るべき決戦の相手は,最愛のシノノメなのだ.

 ランスロットが初めて会った時は,感情を喪失した人形の様だった.

 一緒に仮想世界を旅するうちに,光る結晶のような純粋さを秘めていることに気付いた.


 ――死んだ妹に似ている.


 そう思った時,彼女を――彼女の純粋さを守り抜こうと竜崎ランスロットは密かに決めたのだ.

 何度も瞬きするシノノメを見て,ランスロットは目を細めた.


「大丈夫だよ,シノノメ.ヴァルナはきっと,すごい速さで登ってくる」


 ――シノノメにとって最強の敵であり,最強の庇護者である者とともに.


「そう? でも,いっつもいい加減だし,あんなミニサイズで役に立つのかな」


 それには答えず,ランスロットはシノノメの頭を軽く撫でた.


「ちょっとランスロット,子ども扱いしないでよ」


 シノノメはフルフルと頭を振ってそれを逃れた.身体の調子が戻ってきたようだ.

 何かはぐらかされたような気がして抗議しようとしたが,すでにランスロットの顔はグリシャムの方を向いていた.


「グリシャム,レラさんの疑問はどうだった?」

「ええ,その通りでした.さすがはレラ様です」


 マグナ・スフィアの最終ステージである,欲望の塔.

 攻略に当たり,レラはできる限りの情報を集めた.

 最終ステージであるため,上位の階層に進めたプレーヤーの数はあまりに少ない.

 ネットにばらまかれた情報の断片を収集し,取捨選択し,再構成してやっと作り上げたのが彼女の“地図”だ.

 それは今,グリシャムに渡されている.

 各階層にどんな罠があり,どんな敵がいるかの情報も添えられている.

 その緻密さは軍師を自認するユグレヒトにも勝るものだった.

 だが,論理的に一か所だけ攻略できない階層をレラは見つけていた.

 それが,第八十三階層“毒界ポイゾナス”である.

 毒界には通常の空気がない.代わりに大気に充満しているのは,神経ガスなのだ.

 機械人は基本的にサイボーグである.脳と体の内臓の一部は生身のままだ.内臓を稼働させるためには酸素が必要だ.

 酸素ボンベを搭載しているか,毒ガスを化合精製して酸素を取り出す様な呼吸装置を備えているか――通常の呼吸装置,あるいは呼吸を行うプレーヤーは,毒界を進むことはできない.

 幻想世界ユーラネシアのプレーヤーが突破する手立ては,常識的に考えて無い.

 何かここを回避する方法が必要だ.

 考えた末,レラはあることを思い出した.

 欲望の塔の頂点まで到達したたった一人の人間がいる.

 アメリア最凶最悪と呼ばれたプレーヤー,黒騎士ダークナイト

 その話を聞いた時に感じた違和感だ.


 ――速すぎる.


 三カ月はいくらなんでも異常だ.

 欲望の塔の百階層をひとつずつ攻略して,それぞれ例え一日で突破できたとしても百日かかるのだ.現実世界の生活と関係なく没頭できたとしても,休眠する必要がある.ゲームオーバー・ログアウトすれば再アクセスが出来るのは数時間後になる.デスゲームが連続するアメリア,まして欲望の塔でそんなことが可能なはずがない.


 可能性があるとすればたった一つ――この推測が正しいのかどうか.確かめる必要がある.


 黒騎士の目的がシノノメで,ヴァルナと行動を共にしているのなら,問わない理由はない.

 レラはグリシャムに地図とともにその疑問を託したのだ.


「では,本当に……抜道があるのか?」

「はい」


 グリシャムは頷いた.


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