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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第30章 A Kind Of Magic
261/334

30-2  Labyrinth

洗濯紐コルト・ランジェ!」


 回転するドリルが忍者装束を切り刻む寸前,にゃん丸の脚に向かって洗濯ロープが飛んだ.


「ぎにゃっ! 痛い!」


 ロープには何でも噛みつく魔法の洗濯ばさみがついている.あっという間に絡み付き,宙に飛んでいたにゃん丸の身体は地上に引きずり降ろされた.

 みっともなく金属の床に体が叩きつけられる.

 敏捷をもって知られる猫人だが,受け身を取る暇すらなかった.


「ひっ……」


 首を振りながら頭上を見上げると,自分を粉々に引き裂くはずだった雷球サンダーボールが回転している.両側にそそり立つ迷路の壁を削りながら回転し,火花を散らす.

 巻き添えになった機械人の身体――金属部品がバラバラと降って来た.

 全てすりつぶされ,体のどこを構成していたのか全く分からない.

 原型をとどめていないのだ.

 まるでひょう

 シノノメは着物のたもとで頭を守った.


「あの高さ以上に飛ぶと,こうなるんだ」

「そういうことですね.だから飛行型の機械人がいない.雷球は縦横無尽に――そして,プレーヤーを追尾する機能がある」


 帽子のつばを片手で支えながらレラが答える.

 シノノメは洗濯紐を手繰って回収した.


「にゃん丸さん,ごめんね」

「いや,命拾いしたよ.ありがとう」


 にゃん丸は足を擦っている.彼には悪いが,これしか時間が無かった.

 カンカンと高い音がする.ランスロットの鎧に細かい金属片が降り注ぐ音だ.


「プレーヤーを追尾……とすると,まずいぞ! みんな!」


 迷路の壁がゆっくり後退し始めている.クモ型の機械人たちは逃げていつの間にかすっかり姿を消していた.


「これ,そういうことなの? こんなのアリ?」


 ギュルギュル,ギュイーンと雷球がすさまじい音を立てて降りてきた.

 壁が後退し,迷路の道が徐々に広がっていく.雷球の通り道を作る――つまりはシノノメ達をすりつぶすために迷路が形を変えているのだ.


「アリもナイもないよ! 逃げなきゃ!」

「どっちへ?」

「あちらへ!」


 レラが元来た方を指さした.

 だが,元来た道もいつの間にか組み変わって広がり,幅二十メートル――大通りにすっかり姿を変えている.


「これ! まさか,向こうからも転がって来るんじゃ……」

「ゴロゴロ音がするよ!」


 悪い予感は当たった.侵入してきた壁の方から,何か黒くて丸いものがすさまじい勢いで近づいて来る.

 目を凝らしてみればそれは間違いなくもう一つの雷球だ.


「ボ,ボウリングのガーターじゃあるまいし!」

「挟み撃ちだ!」

「来る!」

「そこをすぐに左へ!」


 全員が横道に飛び込んだ.

 飛び込んだ直後,凄まじい勢いで風と轟音が響く.

 びっしりと表面にドリルを生やした巨大な球体が過ぎ去り,もう一つの球体と激突する衝撃だった.


「うわあ!」

「こっちの道はもう駄目です.迂回して回りましょう」


 レラの放った使い魔――風の精霊が上空から情報を送って来る.右手を掲げてウィンドウを操作しながらレラは言った.

 ヘルムを外し,首を振りながらランスロットが尋ねた.


「あの式神みたいなのは大丈夫なのか」

「そのようです」

「プレーヤーでなければ攻撃されないのか,それともその大きさに何か法則性があるのか……」

「分からないけれど,進まなければ……上階層には行けない」


 第七十六階層“サンダー・ドーム”のそこかしこですさまじい音がする.巨大な金属の建造物が動いてその配列を組み替え,その間を殺人機械が走り回っている.


「にゃん丸さんが飛びあがったのがスイッチを入れたのかな」

「悪い……でも確かに,初めより活発にこの階層自体が動いている気がする」

「活性化しているっていうか,ね」


 そこかしこから響く金属の軋む音が不気味だ.

 一同はしばらく立ち止まっていたが,すぐに歩き出すことを余儀なくされた.

 迷路の幅がどんどん狭まり始めたのだ.


「押し潰される!」

「ぺったんこになっちゃうよ!」

「くっ……そういうことか」


 ランスロットが歯噛みする.

 徐々に通路は彼の肩幅より狭くなり,全員が横走りせざるを得なくなった.

 たもとと袖にアイテムを収納できるシノノメ以外の者は,杖や剣,刀や石弓がかべにひっかかって音を立てる.

 ネムの毛糸のゴーレムは,ぐにゃりと潰れたまま後をついて来る.もともと青い熊の編みぐるみなのだが,変形して何だか分からない形になっている.


「立ち止まって考えるいとまも与えないのね!」

「進むしかない……急ごう!」


 しかし迷路は進めば進むほど形を変え,侵入者の進路をふさぐように活発に動いていた.

 雷球に比べ速度こそ遅いが,金属の壁と建造物もまぎれもない凶器だ.

 工場のプレス機の群れに放り込まれたようだ.

 次から次に進路を選ばなければ,押し潰される.


「次は右! いや,左!」


 レラの額にびっしりと汗が浮いていた.

 体力の問題だけではない.自分の一瞬の判断ミスが,全員を死に追いやるという責任感のせいだろう.

 シノノメは思わずグリシャムの方を振り返った.

 グリシャムも同じことを考えているのか,頷く.

 魔法院では何百という部下を率い,何千人もの生死に係る戦略を練っていた彼女レラは,常に冷静で,時に冷徹ですらあった.

 こんな表情を見るのは初めてだ.


 このままじゃ,ダメだ.

 ふうっと息を吐きだすと,シノノメは言った.


「レラさん,レラさん」


 呼びかけても返事がないので,シノノメはローブを引っ張った.


「な……何ですか!?」


 苛立たしさに,どこか怒気まで含む声だ.

 それに気づいたのか,レラ自身がはっとしたようにシノノメの目を見た.


「このままじゃ,真ん中にはいけないよ.とりあえず,私の言うところを探して」

「後退するのですか? 探す? ですが,私たちは一刻も早く……」

「分かってる.でも,あのクモ人間たち,どこにいったんだろ?」

「機械人ですか?」

「うん.この迷路が激しく動き出してから,みんな隠れちゃったでしょ」

「あ……」

「いつもこんな状態だったら,あの人たちはここにいられないよ.多分,迷路とあのゴロゴロを刺激しないように……スイッチを入れないようにしながら戦ってるんだよ」

「だからあの形か……」

 ランスロットが頷く.

「結局,これってゲームでしょ? そう考えれば,どこかにイベントの連続時間をやり過ごすような場所があるんじゃない」


 レラは銀色の瞳を何度も瞬かせた.

 シノノメは軽く頷く.


「そうか……退避壕か,あるいは居住区があるはず.でないと彼らもセーブできるはずがない」


 レラはシノノメの言いたいことを察した.

 宙に手を掲げ,素早く使い魔たちの情報を統合してサンダー・ドームの地図をチェックした.


「あります! 楕円のちょうど焦点に当たる場所――二か所に迷路と関係ない構造物が!」

「とりあえず今はそこに行こうよ.きっとそこは戦闘禁止区域だよ」

「……分かりました.では,左へ」


 上階層へつながる中心に近づこうとするのをあきらめると,動く迷路はびっくりするほど簡単になった.

 通路が狭まるスピードが緩慢で,まるで招いている様ですらある.

 雷球が向かってくることも無い.

 気付けば,シノノメ達はコンクリートブロックとテトラポットを積み上げたような一角に来ていた.


「まるでカプセルホテルか,カニの巣穴だな」


 ランスロットが見回して言った.


「機械人の,村……」


 遠くから雷球の転がる音が聞こえてくる.

 鋼鉄の建造物に直径一メートルほどの穴がたくさん開いていて,中に機械人が体を詰め込むようにして入っている.

 穴は六角形なので蜂の巣のようにも見えた.

 時折ごそごそと這い出てきて,建物の壁面を移動している.


「養蜂場みたいだネー」

「そんなに可愛いモノじゃないでしょ,ネム.下はスラム街みたいになってる」

「ゴミを売っている露店というか……」


 床に近い部分,低階層には商店のような物があった.

 機械人の部品を売買しているらしい.

 薄青いドームの中で,黄色や橙色のランプが明滅している.

 一見するとバイク店か自転車店が無秩序に並んでいるようだ.

 さらに進むと,やがて広場の様に開けた場所に出た.

 レラは大きなため息をついた.


「ここが焦点の中心です」

「あそこの……オブジェか? そこで少し休もう」


 ランスロットが剣で指し示した方向に,黒い方形の突起物がある.

 ちょうど公園のベンチの様だ.


「仕切り直しだね」

「休憩,休憩」


 消耗したポイントを回復させるにはちょうどいい.

 武器を構えたまま,各々が腰を下ろした.

 誰からとなく,ほっと溜息が出る.

 各々がアイテムボックスからポーションを出し,口に含んだ.

 シノノメのポーションは紙パック型である.

 ミルクティー味は一番好きだ.

 隣からブランデーの臭いがする.

 グリシャムがスキットル型のポーションを飲みながらため息をついた.


「それにしても,こんな無理ゲー,ナイ」

「機械大陸アメリアの最終ステージだもの.簡単でないとは思ってたけど……」


 アイエルはその先の言葉を飲み込んだ.

 だが,誰しもが同じことを考えている.

 どうやって突破すればいいのか.

 出来るだけ早く進む必要がある.

 そして,さらに上には二十三もの難関が待ち受けているのだ.

 途方もない.

 シノノメは顔を上げ,レラの方に向き直った.

 レラの向こうには編みぐるみの上で大の字になっているネムが見える.


「レラさん,ここから上はどうなってるの?」

「どう,とは?」

「ここはあのゴロゴロ球,サンダードームなんでしょ? その上は?」

「七十七層以上ですね.この次はたしか欲望の塔の動力スペースです.炎と雷が荒れ狂う中を突破する炉心融階メルトダウン.そしてその上が,巨大な機械人が常に争っているという巨人戦界ギガントマキア.次は確か,爆雷と毒ガスが漂う毒気階ポイゾナス.さらに上が剣界ソード・ワールド……」


 ランスロットが思わず天井を見上げた.


「黒龍隊の騎士や,不二才組ふにせぐみに助けてもらう――もらえるのは,その辺りか」

「こんな殺人迷路が得意そうな人――仲間なんて……思いつかない」


 アイエルはボウガンに目を落とし,にゃん丸は腕を組んだ.


「みんな助けてくれるって言っても,適材適所だもんな」

「ええ,この階層,サンダー・ドームは難しい.あの雷球をいかにかわし,迷路を突破するか…….スピードがあるだけでも駄目.パワーだけでも駄目.人数を集めても動きが取れない.飛ぶことはできない.硬い床の地面にトンネルを掘ることも出来ない.そもそも,答えが設けられている様に思えません」

「レラさんくらい賢い人でも,やっぱりそう思うんだ」

「私が得意なのは知識の蓄積と論理思考です.水平思考ラテラル・シンキングというか――シノノメの様な一瞬のひらめきの方が,この場面では必要な気がします」


 そう言うと,レラはすっと背筋を伸ばした.


「どうしたの?」

「観察されています……油断しないように」


 シノノメとグリシャムは,厳しいレラの視線を追った.

 広場を囲む建造物から次々に機械人が顔を出している.

 シノノメ達を遠巻きにして観察しているのだ.

 殺気はない.

 好奇心なのか,それとも非戦闘区域を出た瞬間に襲い掛かる準備なのか.

 ややあって,一番近くにあった“銃匠ガンスミス槌鮫ハンマー・シャーク”と書かれた店から,一人の機械人がガシャガシャと音を立てて近づいて来た.

 すぐにランスロットが立ち上がり,剣を構える.

 援護バックアップに,にゃん丸とアイエルがついた.


「まあ,待てよ.戦う気はねえ.お前たちどうやってF2(エフツー)を見つけた?」


 男――なのか分からないが,その機械人はドラム缶を横にしたような頭を持っていた.

 脚は四本.

 クモ型のような機動力がある様には見えない.

 看板の通り,武器を作ったり売買したりする仕事をここでしているのだろう.


「エフ・ツー?」

「この非武装地帯さ.小型のドローンでも持っているのか?」


 キュイーンと音を立てて大きな首を傾けた.

 眼と思しき一眼レフのカメラレンズのような物が三つ横に並んでいる.

 手は意外に人間に近い形で,繊細な動きをしている.

 カーキ色の前掛エプロンでオイルにまみれた指を拭いた.


「魔法だよ」

「ユーラネシアの侵入者って,お前らの事か.それより,武器を下ろせよ.ここで戦闘するとペナルティになるぞ」

「ペナルティ?」

「強制排除されるのさ」

「そんなことが……」

「アメリアじゃ当たり前だぜ」

「メタモルフォス!」


 アイエルはあわててボウガンを剣に変えて下に降ろした.

 ランスロットとにゃん丸も,剣と刀をそれぞれ鞘に納める.


脳機械接続ブレイン・マシン・コネクションを強制的に切られるのか? そんな危険なことがあるのか?」

「オイラも西留久宇土シルクートの戦いのときやられたけど,場合によっては脳障害が出るって」

「さあな.排除された奴のことは知らねえよ.二度と見たことがない」


 ということは,二度と参加できないほどの脳障害を負っていることになる.いったい人権や安全の問題はどうなっているのだろう.

 機械大陸アメリアはデスゲーム.そう聞いてはいたが,今更ながら思い知らされる.


 だったらなおさら.

 ……この世界を終わらせなければ.


 シノノメは自分に言い聞かせた.


「そう.教えてくれてありがとう」


 頭を下げると,ドラム缶頭の機械人は銀紙をこするような音を立てた.どうやら笑っているらしい.


「下手に相手すると,俺まで排除されるからな」


 ジャカジャカと四つの脚を動かしながら,機械人はシノノメの前まで歩いて来た.


「俺の名はシュモク」

「シュモクさん,あなたはここに住んでるの? 塔の上には上がらないの?」

「むやみに上がっても意味はない.クモ型の奴は単細胞よ.ここで金を儲けて改造して,もっと強い体に変えるんだ.もっとも,住み着いてしまう奴もいるがね」


 シュモクが指さした建物の穴には埃が地層の様に堆積している.


「こんなところにとどまって……楽しいの?」

「楽しいかどうかは知らないぜ.だが,自分の営巣いえを確保すれば,それなりに楽しいかもしれん」


 よく見れば穴の中にはクモ型の機械人がみっしりと収まっている.ところどころのパーツがチカチカと光っていたが,ピクリとも動かない.


「ひきこもり?」

「あそこに入っていれば,ネットにもつなぎ放題,好きな体感もし放題なんでね.現実世界みたいに課金しなくてもゲーム三昧だ」

「ゲームの中でさらにゲームに引きこもってるの!?」

「現実世界みたいに,それが悪いっていう親だの周りの人間もいねえ」

「現実世界では……どうなってるの?」

「現実の体の事か? さあな.病院に入ってるのか,それともとっくの昔に死んでいるのか.はやりの電子情報人間ホモ・オプティマスや,異世界移住者の先駆けってわけか」

「下らない……」


 レラが小さな声だが,厳しく言い放った.


「おう? 魔女のお姉ちゃん.言ってくれるね.あんたはさぞかし現実世界が楽しいんだろうね」

「私たちは現実世界を歪めようとする,現在のマグナ・スフィアと対峙するために来たのです」


 シュモクはまた銀紙をこするような音を立てた.


「ふふん.どっちの世界が歪んでいるのかね.あらゆる欲望をありのままに許容する,この世界アメリアの方が,よっぽど素直に俺は見えるがね」

「それは理性ある人間ひとの道ではありません.見解の相違は平行線で,交わることはないでしょう」

「私もアメリアは間違ってると思う」

「フフ……あんた……今朝のニュースに出てた.東の主婦だったな」

「私の名前は主婦じゃないよ.シノノメだよ」

「それよりも,その身体を売る気はないか?」

「体を?」

「おうよ.生身の身体は高く売れる.内臓でも,手足でも.なるべく痛み無く切り離して,強い機械の体に付け替えてやるぜ」

「冗談でしょ!?」


 シノノメとシュモクの間にランスロットが割って入った.


「黙れ.俺たちはこのまま上に上がる」

「正気か? その装備でここから上に上がれると思うのか? 超高熱の世界を,毒ガスの海を?」


 気付くとシノノメ達の周りには,巣穴から這い出して来た機械人たちが集まって来ていた.

 非戦闘地帯で,攻撃はできないと知っていても気味が悪い.

 頭の大きい者や,手だけ長い者,目の数も一定でない.その間を埋めるのはクモ型の機械人だ.

 ユーラネシアでゴブリンの群れに囲まれたとしても,こんなに無秩序な異形の集団ではない.

 ボソボソと声が聞こえる.


「××を……××して……な奴らめ」

「あの××を……して,乳が××」

「あそこに××して,ねじ込んで××」

「グフフ,アレを×××」


 いかにシノノメ達の身体をバラバラにして自分たちが手に入れ,どう使うか.

 機械人たちの声は次第に大きくなっていく.

 聞けばそれだけではない.ただひたすら相手を性的に貶め,玩具のように使うかという卑猥で下卑た言葉に満ちている.

 まともな神経ならば,例え仮想世界のゲームの中とはいえ口にする言葉ではない.

 機械人たちの光るカメラアイが,ぬめりを帯びた様に揺れる.

 無機質な機械の顔が,不気味な笑いを浮かべている様に見える.


「聞いちゃダメ!」


 グリシャムは唐突に頭をアイエルとシノノメの間に割り込ませ,片手で二人の耳を塞いだ.もう片方の耳は頬で塞いでいる.


「グリシャムちゃん,どうしたの?」

「セクハラよ.ひどい内容!」


 レラが不快そうに眉を顰めている.

 ネムはこんな時でもどうしてできるのか,速攻で眠っていた.

 アイエルはグリシャムの手を握り,耳から外した.毅然とした目でグリシャムを見つめ返す.


「グリシャム,私は大丈夫だよ.こんなのに負けないよ.ひどい言葉を人に浴びせて平気な人間性に虫唾が走る.むしろ怒りが湧いて来るよ」

「いや,アイエルちゃんは聞いちゃ駄目.ちゃんと耳を塞いでおきなさい」


 にゃん丸が不機嫌そうに言った.


「にゃん丸さん,私は子供じゃないから」

「いや,ダメ.耳が穢れる.男の俺でも気分が悪い.非戦闘地帯じゃなきゃ,オイラが斬って捨てるとこだよ」


 アイエルの気丈さに安心したのか,グリシャムの両手はシノノメの両耳に移っている.

 シノノメは仲間たちの反応を見て,やっと気づいた.

 どうやら機械人は下品な単語を口にしているらしい.

 シュモクは首を左右に振って例の笑い声を立てている.


「ほらな,色々なニーズがあるんだよ.女程は売れねえが,そっちの色男も売ってくれよ.ケツでも何でもいいぜ」

「下衆め……」


 ランスロットがギリギリと歯噛みした.

 レラがひどく冷たい目でシュモクを見る.


「クズですね.人間の形を保っている私たちが羨ましいのでしょう?」

「おっと,そういう見下す様な目も良いな.卑猥な感じがする.その目は売り物にならないのか?」


 シュモクが嘲笑う.

 どんなに無礼とはいえ,手を出せば戦闘行為として強制的にシステムに排除されてしまう.

 耐え難い屈辱にランスロットは憤っていた.

 一点の真実がシュモクの言葉には含まれている.

 この難所をどうやって通過し,さらなる階層をどうやって突破すればいいのか.

 自分たちはその方法を見つけられていない.それだけになおさらこの機械人が許せない.

 思わず剣の柄を握りしめる.


「貴様ら,性根まで腐れ果てているのか」

「ランスロット殿,耐えてください.剣を抜けば私たちが排除される.雷球の動きが収まり,次の行程が決まるまで私たちはここを動けない」

「俺は良くても,騎士として,女性にこんな屈辱を与えるのが許せない」

「ぎゃはは,騎士と来たかよ.すっかりマグナ・スフィアに入れこんでやがるな」


 機械人たちは爆笑した.

 生身の人間の笑い声ではない.奇怪な音の合唱だ.


「うん」


 ランスロットの怒りが爆発しそうだ.

 シノノメは自分の耳を塞ぐグリシャムの両手を取った.


「し,シノノメさんは,聞いちゃ駄目よ」

「あ,私は大丈夫だよ.こーいう言葉,よく分からないの」

「え……それは」


 グリシャムは思い出した.シノノメは今も現実世界では意識不明――重い脳障害から回復したばかりなのだ.言語機能に何か問題があるのかもしれない.


「言葉に問題が……?」

「ううん.意味が分かんない」

「意味?」

「えーっとね,私,昔からあーいう話にうとくって.エッチな話.下ネタっていうの? みんなどこで覚えるの?」

「へ?」

「本とかテレビ? でもそんなの,見ないし」


 ケロリとした顔のシノノメに,グリシャムは目を白黒させた.

 シノノメはあくまで無邪気で,不思議そうな顔をしている.


「テレビで芸人さん――ほら,下品なネタのトークする人いるでしょ? 何か言ってても,全然意味が分からないの.あんまり分からないもんだから,結婚してからも,しょっちゅうからかわれたよ」

「旦那さんに?」

「うん」


 シノノメは顔が赤くなるのを感じた.

 夫が自分を見て笑っていたのを思い出すと,少し照れ臭くなる.だが,その夫の顔はマジックで塗りつぶされたように思い出せない.


「かーっ,ピュ……ピュアっだわ! ナチュラルピュア! 現代の化石! ピュア・エンジェルがここにいた!」

「そう,そう,そんな感じ.いっつもうちの“せんせい”ったら,ピュア,ピュアって言うの.子供っぽいって思ってるんでしょ? 純粋ピュアって,馬鹿にしてない?」


 口を少しとがらせながら,グリシャムの手を下に降ろす.

 耳を塞ぐ手.

 聞かせてはいけない言葉から,シノノメを守るために.

 シノノメはふと思い出した.

 あの時もグリシャムとランスロットがいた.

 あれは確か,北東大戦の最期―ベルトランの城が崩れるとき.

 私の耳を塞ごうとしたあの人は.

 武骨で大きな,機械の手.

 黒い手.

 黒騎士.


「シノノメさん?」

「雨の……紳士?」


 シノノメの目は,このF2まで通って来た道に注がれていた.

 ごつごつとした金属の建造物が,ずらりと立ち並んでいる.

 寂しげで無機質.

 混乱と汚濁の住処へとつながる道.

 初めて来たはずなのに,見たことがある気がする.

 単なる既視感デジャブなのだろうか.

 頭の奥で小さな鈴のような音がする.

 しばらくずっと無かった不思議な音ーーそう,あれは私を呼ぶ,小さな小さな声.


「あれは……あの人は」


 顔に雨雲がかかって見えない,不思議なスーツの男が自分を探していた.

 肩から上は,絶え間なく雨が降り注いでいるのだ.

 まるでずっと泣いている様に.

 なぜ黒騎士と,あの雨の紳士の姿が重なるのだろう.

 そうだ,この風景だ.

 冷たい金属の床から,金属の塊が森の様に切り立っているこの光景.

 あの時は荒涼とした砂漠だった.

 ずっと帰っていたと思っていた家が,架空の存在だったと気づいた時.

 似ても似つかないはずなのに,似ていると感じる.


「菓子パンの……森」


 砂漠からニョキニョキと菓子パンが生えて森になったとき,シノノメの姿を見失った“雨の紳士”は途方に暮れていたのだ.

 もし雨の紳士が黒騎士だとしたら.

 あの丈夫な体の持ち主だとしたら.


「思いついた」

「え? どうしたの? シノノメさん? 何に?」

「ここを出る方法……」


 シノノメはまだ夢の中にいるような表情で,グリシャムを見た.


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